タイラー・コーエン 「バレンタインの死重的損失」(2013年2月17日)

みんなが足並みを揃えて2月14日をお祝いつきの休日みたいな感じで過ごすせいで、死重的損失――社会全体で見て純損失――が生まれている?

僕の考えは、こうです。

バレンタインデーに一人ぼっちで過ごす人は、無力感にさいなまれたり不安を感じたりする。
バレンタインデーに誰かと一緒に過ごす人は、相手の期待に応えなきゃというプレッシャーに苦しめられる。期待にうまく応えることができたとしても、相手の中でその記憶はすぐに薄れてしまう。その一方で、期待にうまく応えられないと、相手の中でその記憶は――信頼できる筋からの情報によると――何十年にもわたって消えない可能性がある。
花屋とかレストランとかは、バレンタインデーにサービスを提供するのと引き換えに、いつもよりも大きな生産者余剰(利潤)をせびる(そして、まんまとせしめる)。

僕なりに長年にわたって続けている試みがあります。365日の中からバレンタインデーをランダムに選ぶようにしてるんです。僕ら夫婦はこの試みにだいぶ満足してますし(妻も気に入ってくれています)、おまけに、一人ぼっちに引け目を感じさせるという「消費の負の外部性」の最小化にも貢献してるんじゃなかろうかと思っています。

僕の見立てだと、「(①+②) > ③」――消費者が被(こうむ)る損失 > 生産者が手にする利益――っていう関係が成り立つんじゃないかと思います。言い換えると、バレンタインは死重的損失――社会全体で見て純損失――を生んでいると思うんです。とは言え、僕はナイーブな功利主義者じゃありません。だって、シグナリングの価値 [1]訳注;この点については、例えば本サイトで訳されている次の記事を参照されたい。 ●タイラー・コーエン … Continue readingもちゃんと理解してますから。信じてもらえるかどうかわかりませんが、僕はロマンチストでもあるんです。僕が言いたいのは、みんなが足並みを揃えて2月14日をお祝いつきの休日みたいな感じで過ごすせいで、需要の側(期待に応えなきゃというプレッシャー、一人ぼっちが感じる引け目)でも供給の側(花やレストランの席が足りなくなる)でも弊害が生じてるんじゃなかろうかってことなんです。ただそれだけなんです。

本ブログの熱心な読者の一人であるシラーズ・アリディナ(Shiraz Allidina)から寄せられたメールの一部だ。


〔原文:“From my email, about the deadweight loss of Valentine’s Day”(Marginal Revolution, February 17, 2013)〕

References

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1 訳注;この点については、例えば本サイトで訳されている次の記事を参照されたい。 ●タイラー・コーエン 「花の数は愛の深さを示す尺度?」(2015年2月13日) 
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