●Nick Rowe, “Words and wartime austerity”(Worthwhile Canadian Initiative, June 14, 2013)
「言葉」というのは大事だ。多義的で誤解を招きやすい「言葉」を使って財政政策について語ろうものなら、財政政策について深みのある議論なんてできやしない。
公共投資プロジェクトを中止する(あるいは、延期する)のは、賢い選択かもしれないし、愚かな選択かもしれない。しかしながら、公共投資プロジェクトを中止する(あるいは、延期する)のは、「緊縮(節制)」(“austerity”)なんかじゃない。
公共投資プロジェクトを決行する(あるいは、前倒して決行する)のは、賢い選択かもしれないし、愚かな選択かもしれない。しかしながら、公共投資プロジェクトを決行する(あるいは、前倒して決行する)のは、「乱費(放蕩)」(“profligacy”)なんかじゃない。
財政政策について語る時に、「緊縮(節制)」とか「乱費(放蕩)」とかいう言葉を使わずに、「引き締め」(“tightening”)とか「拡張」(“loosening”)とかいう言葉を使うのが、「真の」経済学者だ。「真の」経済学者が集まって財政政策について語り合う時に、「緊縮(節制)」とか「乱費(放蕩)」とかいう言葉が使われることはないし、使われるべきでもない。「財政刺激」(“fiscal stimulus”)というこれまた多義的で結論先取りな言葉も使われることはない。
家計の消費行動を記述するのに使うのであれば、「緊縮(節制)」も「乱費(放蕩)」も申し分がない言葉だ。しかしながら、政府の行動――政府による消費、政府による投資、税制の決定――を記述するのには不向きだ。なぜか? 国家財政と家政(家計のやりくり)は似て非なるものだからだ。
経済学者であれば、そのことを理解しているはずだ。そうであるなら、両者(国家財政と家政)の違いをぼかしてしまう言葉なんて使うべきじゃないのだ。
重要な例外が一つある。経済学者が政府の行動について語っているのに「緊縮」という言葉を使うべきであるような例外があるのだ。原則をはっきりさせるような例外があるのだ。
第二次世界大戦中のイギリス政府の政策を「緊縮」策と表現するのは、文句の付けようがない言葉の使い方だ。なぜなら、家計に消費をぎりぎりのところまで切り詰めさせるのが狙いだったからだ。家計に消費を切り詰めさせて、戦争を遂行するために使える資源をできるだけ増やそうとしたのだ。ところで、当時の財政収支はどうなっていたかというと、巨額の財政赤字が計上されていた。つまりは、当時のイギリス政府の財政政策は極めて「拡張的」(“loose”)だったのだ。この例が示しているように、「緊縮」は「財政引き締め」と同義ではないのだ。
(第二次世界大戦中のイギリスでは、消費財の配給制が導入された。軍事公債を買ってもらうために貯蓄が奨励された。経済活動の直接的な統制が行われた――政府による指示で、それまで消費財を製造していた企業が兵器を製造するようになった――。これらの措置が組み合わされて「緊縮」策が試みられたのである)。
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