Angus Deaton “The great escape from death and deprivation” (VOX, 20 March, 2014)
平均寿命と一人当たりGDPで計った場合、1960年以降世界はより健康的でより豊かになってきている。本稿では、アンガス・ディートンが自らの新著を紹介する中で、大きな後退はあるものの世界はかつてよりも実際に良くなっているということとともに、そうした進歩が膨大な格差への道を開いていることを述べる。
40年近く前、人口学者のサミュエル・プレストン(1975)は、世界における平均寿命と所得のパターンの変化について記した。この論文により、世界の保健と世界の富について考えるための議題が設定された。この論文の主要な数値は依然として、保健と富における過去と現在の進展、すなわち私たちが今までどうであったのかということと、これからどうなるのかということを記述するのに有用であるだけでなく、20世紀前半における保健分野での大災厄を見るのにも有用である。
図1は、1960年と2010年のデータを用いてプレストンの図を改めたものだ。これは私の著書「The Great Escape: health, wealth, and the origins of inequality(邦訳:大脱出――健康、お金、格差の起原)」の第1章からとったものだが、大きな後退はあるものの世界はかつてよりも実際に良くなっている一方、そうした進歩が膨大な格差への道を開いているというこの本の中心的なテーマをよく表している。状況次第で格差は成長をさらに促進したり、成長の息の根を止める場合があり、そして頻繁に深刻な倫理的問題を引き起こす。
この図は(男女の別なしの)出生時平均寿命と価格調整済み国際ドルでの一人当たりGDPを記したものだ。各丸はそれぞれの国で、その大きさは人口に比例している。薄い色の丸は1960年のもので、濃いほうは2010年のものだ。矢は進歩の方向を示しており、一人当たり所得と平均寿命の両方が時とともに上昇している。2010年の線は1960年の上方に位置していて、これはつまりほとんどの国において平均寿命は1960年の線に沿った動きで予測した場合以上に伸びたということだ。曲線に沿った動きは所得による保健への影響で、線の上方シフトは技術進歩によるものの可能性があることをプレストンは示唆している。
各曲線に沿って移動するにつれ、死は「老化」する。これは疫学上の変化だ。最貧国においては、親たちは依然として自分の子供が肺炎、下痢といったずっと昔に克服された病気や、あるいは麻疹をはじめとするワクチンで防げる病気によって死ぬのを目の当たりにするというつらい苦しみとともに生活している。富裕国においては、病気は子供たちの腸から高齢者の血管へと舞台を移し、死は心臓病や癌などの慢性疾患によって訪れ、そしてその訪問先は若者ではなく老人である。死の高齢化というものは過去に起こった歴史の繰り返しだが、今日の貧しい国は過去の富裕国と比較してずっと低い水準の一人当たり所得で同程度の保健を達成している。1945年に私がエジンバラで生まれた時、スコットランドの平均寿命は今日のインドよりも低かった。1918年に私の父がヨークシャーの炭鉱で生まれた時、イングランドの子供の死亡率は今日のサハラ以南アフリカよりも高かった。
進歩と恐怖
進歩は恐怖によって繰り返し中断させられてきたが、そうした恐怖の全てが過去の遺物と化したわけではない。上の図では1960年から2010年の間で中国における平均寿命が大きく伸びたことを示しているが、そのほとんどは時間とともにゆっくりと起こったものではなく、1960年の後に突如として起こったものだ。実のところ、これは進歩の物語ではなく、中国の大飢饉による災害が縮小したからなのだ。数年以内に富裕国へ追いつき、共産世界による指導力を担い、自国における自らの政治的地位を確保しようとする毛沢東の狂信的な試みは、数百万もの人が死んでいっていることを示す山のような証拠を彼に無視させた。そして最終的に、おそらくは3000万人もの人が死んだYang (2013)。これに限らず、害のある政治が人間へ災厄をもたらしたことは歴史上枚挙にいとまがない。良い政策がもたらす便益を把握することは時折難しくもあるが、大躍進政策は悪い政策と悪い政治が何をもたらしうるかを示す例として注目に値する。
図には2010年の線よりもかなり下に位置している国もいくつかあるが、最も大きな濃い丸は南アフリカのものだ。これはHIV/AIDSが、それが蔓延したアフリカの国において、1950年から1990年にかけて悪戦苦闘の末に手にした平均寿命の伸びを打ち消したのだ。こうした病気による災害は、伝染病の時代が再び訪れることはないと安心して想定することは出来ないということを私たちに思いしらせる。
保健と富の間の関係がこの図の本質的な焦点である一方で、この保健と富という一変量の分布は膨大な世界規模格差も示している。国内の平均寿命は30歳から80歳超まで幅があり、一人当たりGDPは300ドル以下から4万ドル以上までの幅がある。一人当たりGDPと保健の世界的な正の相関のために、所得の格差はそれと同等の保健格差をともなう。所得について外れくじを引いた人は、保健についても外れくじを引くことになるのだ。こうした格差がありふれたものだということが、その極悪さを私たちの目に見えなくしてしまう場合がある上、この格差それ自体が過去の進歩の結果だ。1750年以降、イギリスとそれに続いた北西ヨーロッパが一人当たり所得における持続的な経済成長とともに平均寿命の向上を始めた際、これらの国々は世界のそれ以外を突き離し、踏まることのない差を作り出した。保健と富の両方における世界的な格差は、大部分が貧困と早期の死亡からの脱走第一回目の残存余差なのだ。
未来はどうか
今日、技術分野における経済成長の失敗、すなわち国内格差の拡大を伴うとともにそれをさらに加速させる経済の落ち込みについて懸念されている。しかし世界の富裕国においては、成長の下落は死亡率の低下ペースの鈍化をもたらしてはいない。喫煙率がとくに男性において低下したことや、(大部分が予防的な)循環器系疾患処置の進歩によって、死亡率は半世紀にわたって急速に下落してきた。また、新薬や新知識が一つの富裕国から他の国へと急速に広がるということもその一因となっている。死亡率低下のパターンは、過去においては各国ごとに異なっていたが、いまでは一致に近くなっている。たとえば抗高血圧剤などの循環器系疾患の予防の費用はごくわずかであり、すでに感染性の病気が主たる死因ではなくなった中所得国へも拡大する大きな可能性がある。今日においては一部の癌についても着実な進歩がなされており、運が良ければこの先50年で、過去50年で循環器系疾患による死亡率で見られたのと同じ程度の癌死亡率低下が起こるだろう。残念なことに、癌治療は高額で、健康と富の間の難しいトレードオフを生じさせることになる。私たちはより優れた健康とより多くの物質的繁栄のどちらかを選択しなければならないかもしれない。
今日の世界における最も大きな格差であり、また最も倫理的な問題を孕んでいるのは富裕国と貧困国の間の格差だ私たちがこの一世紀の大部分で予防あるいは治療法を確立してきた病気によって、アフリカでは日常的に赤ん坊が死んでいる。そして7.5億人程度のひとが(国際ドル換算で)1日1ドル以下で生活しており、この生活水準それ自体は想像できないほど低いものだ。多くの人たちにとって、こうした格差をなくし、道徳的なコミットメントに対応するための明白な方法は金持ちから貧しい人への国際援助だ。貧しい人たちそれぞれが1日1ドルにどれだけ足りていないのかを計算し、それに貧しい人の数を掛けると、その合計はアメリカの成人一人当たり1日1ドルに満たず、西ヨーロッパも数に入れればその半分になる。この魅力的な計算がなぜ意味のないことなのか、そして大部分国際援助によって政府が資金を得ている国の人々をなぜ援助は害してしまうのか、これらが大脱走における最後の、そしてもっとも紛糾する章なのだ。
参考文献
●Deaton, Angus (2013), The Great Escape: health, wealth, and the origins of inequality, Princeton, NJ and Oxford, Princeton University Press.
●Preston, Samuel (1975), “The changing relation between mortality and economic development,” Population Studies, 29:2, 231–48.
●Yang Jisheng (2012), Tombstone: the great Chinese famine, 1958–62, Farrar, Straus and Giroux.
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