主に経済学者向けの話.
このところ,こんな気持ちが強まってきた――私がいう「ミクロ的基礎づけヘゲモニー」を論じたときに,経済学と医学の類推をもっとやっておいた方がよかったんじゃないか.ミクロ的基礎づけのヘゲモニーとは,「あらゆる方程式が首尾一貫してミクロ経済理論から導き出されていているモデルだけがマクロ経済のモデルとして『妥当』だ」という考え方のことだ.ここで私が思い描いているのはどんな類推かというと,一方では〔医学における〕生物学が〔経済学における〕ミクロ的基礎に対応し,他方ではたとえば喫煙と肺がんを結びつける統計分析がミクロ的基礎をもたないモデルに対応する,そういう類推だ.(この類推はべつの文脈でも使ったことがある.)
ちょうど書き終えたばかりの論文の文脈で,この類推のことを考えていた.その論文では,Adrian Pagan がマクロ経済モデルのいろんなタイプを記述するのに使った図を借用していた.
以前のポストでも引用したこの図では,「実証的な首尾一貫性の度合い」と「理論的な首尾一貫性の度合い」が2つの軸をなしている.個別のマクロ経済モデルは,この2軸でできた空間のどこかに位置する.いちばん理論的な首尾一貫性が高くてしかも実証的な首尾一貫性が低いのが,ミクロ的基礎づけのある DSGE モデルが,一方の極端を占める.その反対の極端を占めるのが VAR(ベクトル自己回帰分析),すなわち,なんら理論にもとづかない理論上の制限が課されたいろんなマクロ変数どうしの統計的相関だ.両者の中間に位置するのが,私のいう「構造的経済モデル」であり,ブランシャールのいう「政策モデル」だ.こちらは,理論と計量経済学的な証拠の折衷的な混合でできている.
自然科学系の単純な見方をしている人には,この図式はなんとも奇妙に映ることだろう.「理論は事実に合致するかしないかだろ.」 だけど,医者や医学生なら,生物学(たとえば細胞がどう機能していろんな化学物質とどう相互作用するかといったこと) にもとづく医療と疫学研究にもとづく医療をのことを思い浮かべて,きっと腑に落ちるはずだ.理想の上では,両者がいっしょにはたらく方がいい.だけど,どの時点をとってみても,医療に関わるいろんな考えは,生物学の比重が大きかったり疫学の比重が大きかったりとまちまちになっているものだ.とくに統計的研究は,明瞭な生物学的な説明がしっかり確立していないつながりをあれこれを世に送り出してくる.
さて,マクロ経済学におけるミクロ的基礎づけを医療に当てはめたらどうなるか想像してみよう.1950年代に行われた長期にわたる統計研究により,喫煙と肺がんにつながりがあるのがわかったものの,当時,そこにどういう生物学的な仕組みがはたらいているのかはよくわかっていなかった.この例にミクロ的基礎づけヘゲモニーを当てはめると,医者はこう主張することになる――「そうした生物学的な仕組みがはっきりと確立されるまで,統計的な結果は無視すべし.そうした仕組みをさぐる研究が最優先の研究対象であることに変わりはないものの,さしあたっては患者は喫煙を続けるべきである.」
まあ,これはちょっぴりいじわるな言い方かもしれない.だけど,あくまで「ちょっぴり」だ.「目に見えることじゃなくてミクロ的基礎づけができるものに基づいてモデル化して政策提言したまえ」とマクロ経済学者の一部(私のいう「ミクロ的基礎づけ純粋主義者」)が口にできるなんて,どんな科学哲学者も(まずはひとしきり笑ったあとで)真に受けてくれるところが想像できない.