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スコット・サムナー「60年代との共通点はどこ?」

Scott Sumner “Let’s play 1960s-era Fed” (TheMoneyIllusion, April 2, 2014)


ジャネット・イエレンとマーティン・フェルドシュタインの考え方を比較する良記事をマーカス・ニューンズが書いている。私たちが1960年代の過ちを繰り返しつつあることをフェルドシュタインは心配しているようだ。

過去の経験は、インフレが非常に急速に上昇しうることを示している。1.1%という現在の消費者物価指数は、1960年代前半の平均インフレ率である1.2%と似たようなものだ。その後60年代末にはインフレは5.5%まで急速に上昇し、さらにその後の9年間で9%に達した。

私たちが1960年代のFedの過ちを繰り返しそうにあるのかどうか考えてみる前に、そうした過ちとは実際に何であったのかを正確に復習しておこう。以下は1966年11月のデータだ。

失業率=3.6%、下降中

インフレ率=3.6%(過去12カ月で)。これはさらに12カ月前の1.7%、そのさらに一年前の1.3%からすると大きな上昇だ。「大インフレ」はここで始まったのだ。

フェデラル・ファンド・レートは5.76%だった。

ふむ、このような状況においてFedは何をすべきだろうか。インフレは加速し始めている。失業率は平時としては史上最低に近い。さてさてどんな決断を下すべきか。経済学1011 は履修済みとして、次にするのはなんだろうか。

答えは簡単だ。にもかかわらずFedは経済には緊急かつ大量のイージーマネーというカンフル剤が必要だと判断した。1966年12月までに、フェデラル・ファンド・レートは5.40%へ切り下げられた。1967年1月には4.94%まで下げられた。その4月には4.05%。1967年10月には3.88%となったのだ。1960年代後半をつうじて名目GDPは6%から8%で上昇していたことを頭に入れておいてほしい。「具体的な手段2 」としてマネタリーベースがお好みなのであれば、1960年代が進むにつれてこの指標がずっとより急速に拡大し始めたことも言っておこう。

ここで2008年9月の議事録を読んでみよう。すなわち、金融パニックの胎動の真っただ中においてFedがインフレへの懸念を理由として金利の切り下げを拒否したときのものだ。インフレ連動債(TIPS)のスプレッドはその後5年間でのインフレ率を1.23%と示していたし、商品価格も下落していたのにも関わらずだ。これが果たしてインフレが目標を超えた水準で急上昇しており、失業率が3.6%であるときに金利を引き下げるようなFedと似ていると言えるだろうか。

追記:大インフレはオイルショックやベトナム戦争、財政赤字、労働組合、それ以外の何か意味不明なものによって起こされたのだとアホどもが言ってきたときには、このデータを思い起こすといい。

追追記:経済学者(若干の例外あり)は1966年の犯罪的な所業の共謀者だ。Fedは基本的に、Fedはこうすべきだとコンセンサスが考えることを行う。「最高で最も聡明な人々(best and the brightest)3 」やとても真摯な人たちというわけだ。それでもまだ2008~09年の経済学者全体が私が主張するほどに頭がいかれていたなんてあるわけがない、と考えるかい?50年後において2008年のFedの行動はどのように見られているだろうか。1966年~67年のFedが今日見られているのと同じようなものだと私は思うね。マジで頭がおかしいってことだ。そしてECBなんてものもあるわけだが…。

追追追記:何が起きているかを理解していた経済学者の一人はフリードマンだ。面白いと思うので、下に引用しよう(出典もとはエドワード・ネルソンの論文)。

1966年4月からその年の年末にかけて、金融政策引締めの証拠はマネーサプライの各指標全てに渡って表れ始めたのであり、1966年の「信用収縮(credit crunch)」は他の金融指標においても明らかで、金融引締の期間であると広く認識されている (Romer and Romer, 1993, pp. 76−78)。Fedは1967年になって緩和へと乗り出すことになるのだが、フリードマンはこの緩和を分岐点と捉えた。彼は1967年を物価安定からの大きな逸脱の始まりの年としている。それまでの金融政策は1954年に彼が設定したパターンと物価の安定を調和させていた。上昇傾向を保ちつつインフレは乱高下を行うとともに、金融引締への乗りだしを反映して時折そうした上昇傾向の下へと逸脱したが、そうした引締めはひとたび景気後退が進展すると放棄された。

FOMCはしかしながら、1967年におけるその緩和の大きさをしっかりと理解してはいなかった。高い名目金利を引締め政策と明示的に結び付けつつ、Fedの当局者たちは実質と名目金利の区別を見逃していた。フリードマンはそれとは対照的に、そうした区別の重要性を政策決定者に対して強く強調し、マーティン議長はそうした批判を無視することはできなかった。特に、フリードマンが議会におけるマーティン議長への質問者の関心を集めていたのだからなおさらだった。フリードマンによるフィッシャー効果の復活は、マーティン議長が1968年2月14日の合同経済委員会に出席した際に触れられている。(1968, p. 1980)

サイミングトン上院議員:イージーマネーが金利を幼少させるという理論をとある有名な経済学者が構築した。あなたがこの概念を検討していないというのであれば、職員にそれをさせるつもりはありますか。これは興味深い理論です。私はこれをその経済学者とほんの一週間前に議論したところです。これを誰かに研究させるつもりはありますか。

マーティン議長:喜んでそうさせて頂きます。

「有名な経済学者」というのは、もちろんフリードマンのことだ。

2008年にバーナンキに対して、低金利はしばしば金融政策が引締め気味になっていることの印であるというとある無名のベントレー大学の経済学者4 の理論を研究するよう尋ねた上院議員はいなかった。

  1. 訳注;本サイトの名前でもあるが、元々はアメリカの大学における経済学の入門コースのこと。 []
  2. 訳注;原文は”concrete steppe”となっており、具体的措置”concrete step”とコンクリートの平原”concrete steppe”をひっかけたダジャレになっている。サムナーは別のエントリにおいて、Fedはマネタリーベースをいじっていないから2008年金融危機を起こしたのはFedではないことを主張する人を指して、”people of concrete steppe”と呼んでいる。つまり、マネーサプライを一定(平原=フラット)に保つことを教条的に主張することに皮肉を言っていると思われる。 []
  3. 訳注;もともとはケネディとジョンソン政権の下でベトナム戦争を引き起こした閣僚たちを指した言葉が出典だが、実際大インフレが起きたのもこの時期である。 []
  4. 訳注;もちろん本エントリの筆者、サムナー自身のこと。 []

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