意義の半減期がとても長い宗教的事実はとてもたくさんある.4つの福音書がどうちがっているか勉強したとしようか――すると,今日のキリスト教のいろんな分派やキリスト教神学を理解するのにいまなお意義をもつ.宗教改革について読んだ場合は? 宗教改革と同時代のドイツやスイス内部の政治事情における純粋に世俗的な派閥について読んだ場合にくらべて,いまなお意義をもつ見込みがずっと大きい.
ユダヤ教徒,仏教徒,ヒンドゥー教徒,シーク教徒,イスラム教徒は? 何世紀もまえの事実がいまでも重要かもしれない.さらに,いまから数世紀さきの人たちも,やっぱりモルモン教の起源について読まなきゃいけないはずだ.
過去の事実がこれほど長い間ずっと意義をもちつづける確率が高い分野なんて,他にはそう滅多にない.
経験的な問題として,「合理主義者」はあまり宗教について読まない傾向があるけど,それこそまさに非合理というものだ.
これと逆方向の話も聞きたい向きには,「宗教改革の分派についてそんなに気にかけない人たちが大勢いる」という世論調査がある.じぶんがカソリックなのかプロテスタントなのか正教徒なのか「折衷」なのかはヨーロッパではいまも大いにものを言う.
主な論点については,Bryan Caplan との会話で教わるところ大だった.ただし,ここでぼくが書いた内容の責任は彼にはない.