タイラー・コーエン「イギリスで産業革命が起きなかったとしたら他の産業革命までどれくらいかかっただろう?」

[Tyler Cowen, “How long until another Industrial Revolution would have taken place?” Marginal Revolution, May 9, 2017]

こう仮定してみよう.どういうわけか,イギリスが産業革命の好機をのがしたか(しなくていい戦争で負けたとか),あるいはそもそも産業革命を起こす状況にいたらなかったとする(メキシコ湾流がなかったとか).その世界では,いったいいつ産業革命が起きただろうか? お忘れなきように――中国の宋はなんらかの突破口を開くのに比較的に近いところまで行ったけれど,産業革命を起こすにはいたらなかった.ローマ帝国についても同じことを言う評論家たちがいる.

こう問いを立ててみてとりあえずぼくなりの推定を言ってみると,「諸産業革命」は――こうして複数形にしてもよいなら――おどろくほど実現にもっていきにくい.いくつか論点を書いておこう:

1. 人類は10万年ほどかけて進歩してはじめてシュメールやメソポタミアの文明に到達した.その過程で,人々は火の使いこなし方や石器や金属器の使い方を発見したけれど,そうやって長い苦心惨憺の果てに到達した地点ですら,産業革命にいたるまでにはまだまだ6000年ほど遠い.

2. 世界史を見ると,そもそもなんらかの産業革命を起こす状況にある地域はたった2つしかない.1つはローマとその末裔,もう1つは中国だ.落胆する話ではある.とくに,どちらもかなり広大でそれなりに統合された版図を必要としたという点を踏まえると,いっそうのぞみは薄まる.(余談だけど,「中国はどうやってあれほどすばやくあれほど巨大になったのか?」という問いは世界史で議論の足りていない論点の1つだとぼくは思ってる.暇を見つけて考えてみて欲しい.トランプや健康保険制度について議論するよりもマシだ.)

2b. 実際のところ,ローマ帝国や中国は独立の出来事だったんだろうか?

3. ぼくが言う「ジェイムズ・C・スコット袋小路」があるんじゃないかと思う.なんのことかと言うと,多くの領土は強固な「国家規模への抵抗」となるまとまりを発達させてしまうので,政治的なまとまりの規模で中国やローマに相当する国が他にもさらに実現しにくくなるんじゃないかってことだ.ラオスやタイ北部のような世界を想像してみてほしい.もしかすると,読者は「それって『山脈効果』でしょ」と思うかもしれないけれど,大草原地帯もアフリカもかつて中国やローマのような国を発展させたことがないし,とても大きな政治的単位や実効的な政治的単位を生み出す過程に入ったこともない.ところで,ジェイムズ・C・スコットの次の本っていつ出るんだろうね?

4. また,「エネルギー袋小路」もあるんじゃないかと思う.アステカ帝国やその前身はすばらしい時代をつくりだした.その大半は,バイオテクノロジーによるものだ――アステカは価値のない雑草からトウモロコシを育種した.人類最高の偉業の1つだ.しかも研究助成金ももらわずに.テノチティトランは,ヨーロッパのどんな都市よりも大きくて見事だったかもしれないし,住人たちはきっともっといい食生活を送っていたはずだ.でも,彼らは子供のおもちゃにしか車輪を使っていなかったし,もっと重要な点として,太陽光のエネルギーを直接使い続けていた.化石燃料の活用にわずかでも近づいていたことを示す証拠はない.たしかに石炭を燃料に使ってこそいたし,装飾にも利用していたけれど,あれこれと組み合わせて石炭をエネルギー源にして強力な機械を動かす方法はまったく知らなかったようだ.彼らのいろんな目的には,たいてい太陽光エネルギーでおどろくほどうまく間に合っていたらしい.そして,メキシコには太陽光があふれていた.太陽が食べ物を育て,人々を暖めてくれていた.s

5. 経済史家の R.C.アレンは,イギリス産業革命で石炭が果たした役割を過大評価していた.この過大評価によって,多くの人はいまも #4 がわからずにいる.産業革命をもたらした唯一にして重大な原因が石炭だと考えてはいけない.そうではなく,n個の要因がからむモデルを考えて,石炭はその n個の制約のうちの1つと見るんだ.2017年現在でも,そうした要因は健在だ.ちなみに,ここからアレンが産業革命のイギリスらしさを論じたエッセイを読める.このブログ記事に密接につながる話だ.エッセイの一文ずつをとりあげるかぎりではその大半に賛成するけれど,もっと大きな見取り図でエネルギー以外の要因をアレンは大幅に過小評価してしまっている.

6. Tインカ人も,おどろくほど進んだ文明をもっていた.一部の先進地域はヨーロッパ人の先を行っていたし,最盛期には国家の限界容量は巨大でかなり広大な地理的領域に文明は広がっていた.インカ人たちも産業革命に関して袋小路に入っていたようだ.ここでもいまわかるかぎりではエネルギーはせいぜい〔他にいろんな要因があるなかの〕一要因でしかない.

7. イギリス以外の場所では内輪もめの戦争のせいで産業革命が阻まれたのではないかと考える人は多い.たしかにそれも一因ではあるけれど,ぼくは「ジェイムズ・C・スコット袋小路」と「エネルギー袋小路」の方がもっと重要なんじゃないかとみている.他に考えうる袋小路にはどんなものがあるだろう?

8. ヨーロッパ/イギリスの産業革命が「確実」になったのはどの時点だったんだろう? 1740年? 1600年? 1050年? もしもイギリス人たちが失敗していたとしたら,どの時点で日本やボヘミアがボールを引き継いで産業革命をやり遂げただろう? 70年後だろうか? それとも300年後? それとも実現しないままだったろうか?

9. 美術史を学ぶと,楽観的な視野がひらける.この見方だと,ヨーロッパ文化は小さな産業革命の連続であって,中世後期にはじまって絵画・彫刻・遠近法・製本技術・金細工・楽器・音楽記法・製紙技術など多くの分野で急速に進歩が加速していったのが見えてくる.こうした進歩の大半はイタリア北部やフランス-フランドル地方で生まれ,少し遅れてドイツもこれに加わる.バッハはイギリス「産業革命」より先に登場した.彼の天才にもいろんな先行条件がある.イギリス産業革命の「特殊」なところはマルサスの想定をくつがえした点だけれど,生産の投入・入力がどう産出・出力に関係していて,いかに多くの新規で複雑な発明が一度に起こりうるかという点を理解する視点で考えるなら,おそらくこの特殊事情は副次的なものだろう.石炭じゃなくてモンテヴェルディを学ぶべし!

Industrial-revolution

この記事に関して,先日ジョン・ナイ,ブライアン・カプラン,ロビン・ハンソンと交わした昼食のおしゃべりに感謝したい.もちろん,彼らはこうした見解をとっているわけではないのはお察しのとおりだ.ちなみにいちばんぼくと意見が対立したのは誰かわかるかかな?

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