タイラー・コーエン「ノーベル賞はリチャード・セイラーに」

Tyler Cowen “Nobel Prize awarded to Richard ThalerMarginal Revolution, October 9, 2017


この授賞は納得だね。これは行動経済学,経済的意思決定における心理学の現在の重要性,そしてキャス・サンスティーンとの共著による彼の名高いベストセラー「実践 行動経済学 健康,富,幸福への聡明な選択(原題:Nudge)」への授与だ。

セイラーに関する過去記事はこちら。僕らはこれまでも彼の研究を何度も取り上げてきている。彼のTwitterアカウントはこれグーグルスカラーはこちらノーベル賞の記者発表はこれで,ここにはたくさんのエッセイや諸々も載っている。キャス・サンスティーンによるセイラーの業績の概説はこちら

多くの人は知らないかもしれないけど,最も被引用数の多いセイラーの論文は株式市場は過剰反応するかというものだ。セイラーは心理学的理由からこれがありうると述べた。またこの論文は,今や克服された株式利回りにおける1月効果,つまり一時期株式市場の1月の調子がとても良かったという現象(この効果は発見されると消え去った)に肯定的ないくつかの重要な証拠も発見した。金融に関するセイラーの別の優れた論文は,シュライファーとリーとの共著によるもので,クローズドエンド型投資信託がなぜ本当の資産価値から乖離した販売がなされるかに関するものだ。これは,異なる二つの非裁定的な市場では,同じ「資産パッケージ」が大きく異なる価格,時にはプレミア付きで,大抵は割引されて売られることがありえるというもので,これも市場心理と感情に関係がある可能性が高い。これは効率的市場仮説に対する初期の比較的影響力のある批判だった。
別のセイラーの初期の論文としては,「心の会計(mental accounting)」として知られる現象に関するものがある。たとえば,自分のポケットに入っているお金と銀行口座に入っているお金を違った風に取り扱うことがある。あるいは,自分で稼いだお金はただラッキーで手に入れたお金や朝に株式市場で儲けたお金なんかとは違った扱いをされたりする。これは貯蓄と支出に関する消費者の意思決定の予測にとても大きな意味をもっている。というのも,経済学者はただ単純に所得を計測してはならず,そのお金がどこから来て消費者がそれをどのように見なしているか,つまりは資金についての心の会計を考慮しなければならないということだ。自分がそんなにも多くのお金を使うということを踏まえた上でバカンスに出かけ,それらすべての支出をだいたいのところはもともと決めていた範囲内におさめたことはあるだろうか?この論点に関するこの初期の論文はマーケティング学会誌に掲載され,愉快な用語を使っているので,この研究がどれだけ主流からほど遠いものだったかがわかる。それでもこれは素晴らしい論文だ。セイラーによる心の会計についてもっと知りたい場合はこちら

セイラーは,カーネマンとクネッチとともに,「保有効果(endowment effect)」の発見と計測の立役者の一人だ。保有効果とは,自分が何かを所有するとその価値をずっと高く評価してしまうって現象だ。これにより3倍から4倍,時にはそれ以上にも高く評価してしまうってことが起きたりする。おかげで政策評価が難しくなる。というのも,経済学者たる僕らとしては,現状をどれだけ優遇すべきか分からないからだ。僕らは「支払う意志」,自分が今は保有していないもののためにどれだけ支払うかという意志を計測すべきだろうか。あるいは,「支払われる意志」,つまりはどれだけ支払われれば自分が既に保有しているものを諦められるかを計測すべきだろうか。後者の価値がとても大きいため,この場合焦点となっている資産はずっと高く評価されることになる。ちなみに,政治やその他人生の様々な局面での現状バイアスについてはこれが説明の一助になる。人々は何かを自分のものと見なした途端,それにとても高い価値を付けるようになるんだ。

この現象はコースの定理をやっかいなものにもする。最終的な資源の配分は初期の所有権がどのように割り当てられるかに非常に大きく依存しうるからだ。これは初期の割当てによる所得効果がとても小さいものに見える場合であっても当てはまる。このセイラーのクネッチとの共著論文を見てほしい。これはつまり,所有権を割当ててあとは自由に取引をさせれば万事よしということではなく,あらかじめどのような所有権の割当てを行うかによって保有効果を生み出され,それが最終的に結ばれる契約にも大きな影響を及ぼすということだ。

ジョールとサンスティーンとの共著で,セイラーが法と経済学への行動的アプローチをとった論文はこちら。これは長文のサーベイってだけでなく建設的な論文で,大きな流行になってその後数十年の法と経済学を形作った。セイラーは多くの業績を重ねてまさに途方もない範囲に影響を与えた。これはひとつふたつの分野だけに留まらない。

セイラーの「ナッジ [1]訳注;邦訳書「実践 行動経済学 健康,富,幸福への聡明な選択」の原題で,ちょっとした促しという意味。 」という考えは,キャス・サンスティーンとの共著書籍やいくつかの共著論文を通して形成されたもので,このおかげでより良い制度を設計するために世界中の政策決定者が「選択設計(choice architecture)」に焦点を当てることにつながっている。イギリスでは「ナッジ部門」を立ち上げるまでになってる。一例を挙げると,貯蓄を促す方法のひとつは,しなければならない選択をみんなに主体的にやらせるのではなく,従業員のために各人の負担額の初期設定を上限いっぱいに設定した年金システムを作るというものだ。これは時に「柔らかいパターナリズム」とか「自由主義パターナリズム」とも言われる。この場合でも選択肢は自分の前に用意されているからだ。ナッジの考えに対する自由主義からの批判へのセイラーの返答はこちら

僕がセイラーの論文に最初に出会ったのは大学院のときで,1980年代半ば,Journal of Economic Behavior and Organization誌に掲載されたいくつかの論文だった。消費者選択についてどのように考えるか,1980年代初頭に彼が出した宣言はこちら。僕は「こりゃえらいこっちゃ」と思って,これをむさぼるよう読んだ。そのときトーマス・シェリングから受けていた教えともぴたりと当てはまったし,1981年のセイラーのシェフリンとの自制の経済学に関する共著論文はとりわけで,これはパターナリズムに関する後年の議論の基盤ともなった。それと同時に僕は「この研究が主流になることはないという恥ずかしさ」も覚えた。当時はそういう時代だったんだ。彼の研究は奇妙で注目も浴びず,掲載されるのも一流論文誌ではないことが多かった。一時期セイラーはコーネル大学で教えていた。コーネルはとても良い大学だけど,ハーバードやシカゴ大学,MITといったほかのノーベル賞受賞者だったら教えていたような超一流校じゃあない。セイラーが最終的にシカゴ大学ビジネススクールから招待を受けたときはみんなが驚いた。経済学部じゃないんだもの。間違いなく今回の授賞は,セイラーがとうとう非常に高い水準の評価を受けるようになったことの証左だ。セイラーは遅くとも2010年くらいからはノーベル賞の最有力候補の一人とされていたことも書いておこう。ダニエル・カーネマンが授賞してセイラーが授賞しなかったとき,多くの人が「あーこりゃセイラーの授賞の芽はなくなったな」と思った。セイラーの最も有名な論文の多くがカーネマンとの共著だったからだ。しかし時は過ぎてセイラーの研究が正しかったことが分かり,その影響力が広い範囲に広がったことで,彼は明らかに授賞するだろう候補という地位までに登り詰めた。

行動経済学の立上げに関するセイラーの本についての過去記事はこちら。次はその本からの引用。

私の論文指導官だったシャーウィン・ローゼンによる大学院生としての私の将来について次のように評価した。「彼には多くは望めないね。」

最近セイラーはTwitterで便乗値上げに関する鋭い考察をいくつか行っている。これによれば,何をもって顧客が公正と考えるかについても考慮しなければならないということが示唆される。公正による制約に関するセイラーの初期の論文はこちら。これすら古いものだけど。

セイラーはニューヨーク・タイムズで多くのコラムを書いている。これは医療アクセスを高めることについてもっと多くのコラムはここから読める。これは「あなたがスポックでない限り無関係な出来事が投資行動に重要」というコラム。「良民たるをおもしろく」というコラムはこれ。セイラーはNFLのドラフト指名のトレードが割に合わないものだということも教えてくれている。

セイラーは政策経済学者として過小評価されている。健康保険の「パブリックオプション」についての素晴らしいニューヨーク・タイムズのコラムはこちら。曰く「(略)パブリックオプションを導入するかどうかを議論するのではなく,基本原則について議論しよう」

彼のノーベル賞受賞前の最後のツイートは「@Expediaのウェブサイトはたくさんの#sludge(かす)を使っている。表示価格はポイントの利用を含めてあり,悪いキャンセルポリシーは目立たないようになっている…」

今回の授賞は当然のもので,比較的説明もしやすい。セイラーの研究のほとんどは経済学者でなくても読みやすい。セイラーは彼のファンですら実感が及ばないほどに多くのことを成し遂げてきたと強調しておきたい。

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1 訳注;邦訳書「実践 行動経済学 健康,富,幸福への聡明な選択」の原題で,ちょっとした促しという意味。
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