タイラー・コーエン 「日本のテレビ番組に見る『ただ乗り問題』 ~三銃士 vs 50人の素人集団~」(2014年5月7日)

●Tyler Cowen, “The free rider problem as illustrated by a Japanese fencing video”(Marginal Revolution, May 7, 2014)


ジェイソン・コッキー(Jason Kottke)のブログより。

日本のテレビ番組で、少々風変わりなフェンシングの試合が組まれた。3名のプロ選手――「三銃士」――が50人の素人集団を相手に試合を行ったのである。

正直言って、あんなに面白い展開になるなんて思いもしなかった。①素人集団が束になってかかって、三銃士があっという間にやられてしまうか、②試合が30秒を超える長期戦になって、三銃士が素人を手際よく次々と始末していくか、のどちらかになるだろうなって予想していたのだ。しかしながら、待っていた結果は何とも興味深いものだった。

50人の素人集団は、やるべきことをやらなかった。試合が始まるや、我が身を顧みずに一気に束になって三銃士に襲いかかり、即座に決着をつけてしまうべきだったのに、そうしなかったのだ。その代わり、どの素人もプロ選手に一対一の勝負を挑んだのである。三銃士に次々と倒されていく素人たち。素人集団の数が少なくなるにつれて、素人を倒すのも容易になっていく・・・かと思いきや、そうはならなかった。三銃士は、素人を退治するのにますます手を焼くようになったのだ。それというのも、残された人数が少なくなるにつれて、素人たちが結束を強めるようになった(束になってかかるようになった)だけでなく、「適者生存」の法則が働くことにもなったからだ [1] 訳注;「適者生存」の法則が働く=素人の中でも実力のある人物が残ることになった、ということ。三銃士の動きは次第に鈍っていき、疲労の色も徐々に濃くなっていく。ちょっとした過信もあったのかもしれない。そして、試合は、何ともショッキングな結末を迎えることになったのであった [2] … Continue reading

References

References
1 訳注;「適者生存」の法則が働く=素人の中でも実力のある人物が残ることになった、ということ
2 訳注;コーエンがブログのタイトルに「ただ乗り問題」という表現を用いている理由は、次のところにあるものと思われる。50人の素人集団にとっての目的は、三銃士を倒すことにあるわけだが、集団の成員一人ひとりの立場からすると、集団としての目的を達成するために他の成員の努力に「ただ乗り」しようとするインセンティブがある。自分はできるだけ努力せずに(三銃士から討ち取られる危険は冒さずに)、他の成員の努力にただ乗りして成果(三銃士を倒す)だけを手に入れたいと望む傾向があると考えられるわけである。そして、他人の努力にただ乗りしようとするインセンティブは、集団の規模(集団を構成するメンバーの数)が大きくなるほど強くなると予想されるわけだが、「三銃士 vs 50人の素人集団」の試合もその予想通りの展開を見せたようだ。「ただ乗りのインセンティブ」と「集団の規模」との関係をはじめとして、「ただ乗り問題」についての詳細は、例えば次の本を参照されたい。 ●マンサー・オルソン(著)/依田博(訳) 『集合行為論
Total
0
Shares

コメントを残す

Related Posts