教育のシグナリング説をとびきり熱狂的に支持している面々のひとりに,ブライアン・カプランがいる.シグナリング説は彼の新著『反教育論』(The Case Against Education) で重要な役どころを担っている.でも,この説にはいくつもの難点があるとぼくはかねがね考えている.それに,教育問題への応用にも問題は多い.先日,『ブルームバーグ・ビュー』に書いた記事では,ブライアンが『アトランティック』に掲載したエッセイへの反論を述べた.このエッセイは,『反教育論』の一部を抜粋したものだ.さて,ブライアンはぼくの文章に反論している.彼はいくつも面白い論点を立てているけれど,ここでは1つの問題だけをとりあげたい――「羊革効果」と,それをどのモデルが支持するのか,という問題だ.〔ここでいう「羊革」(sheepskin) は「大卒」という意味で,「羊の皮をかぶったオオカミ」の比喩とは別物.いちおう,原文にそって「羊革」と訳しておく〕
ブライアンとの論争で,羊革効果は中心を占めている.かいつまんで言うと,羊革効果とは,卒業直前(e.g. 最終学期)に中退してしまった場合,〔大学教育を受けたことの〕賃金プレミアムはあらかた消失してしまうことをいう.ブライアンをはじめ,大勢のシグナリング・モデル支持者に言わせると,この羊革効果は「大学の目的の大半はシグナリング」という主張を支持する強固な証拠だ.一方,ぼくに言わせれば,羊革効果はシグナリング・モデルを否定する強固な証拠だし,教育の人的資本論と整合している.
なんで羊革効果はシグナリング・モデルを否定する証拠になるの?まず,どうして羊革効果はシグナリング・モデルを否定する証拠になるんだろう? 答えは単純: シグナリング・モデルでは,シグナルはコスト高でなくてはいけないからだ.もしシグナルがコスト高でなかったら,〔資質におうじてシグナルが異なる〕分離均衡やハイブリッド均衡がありえない.分離均衡(あるいはハイブリッド均衡)がなければ,シグナルをおくったところでリターンは得られない.このモデルで考えると,低位タイプのエージェント〔e.g.あまり賢くない子や勤勉でない子〕はシグナルをおくる選択をしない.送っても費用便益テストに通らないからだ.
言い換えると,大学の最終学期がとても難しいなら,大卒の賃金プレミアムをシグナリング・モデルで説明できるコスト高シグナルになれる.でも,〔4年生の最後に〕それまでどおりの1学期をまたひとつやり遂げるのがそれほど難しくないなら,シグナリング・モデルはそこで起きていることを記述できない.
大学最終学期をやりとげるのはどれくらい難しいだろうか? 人によっては,すごくすごく難しいだろう――けど,そうした人たちは,そもそもそれまでの学期を通過できていない見込みが大きい.7学期ほどやり遂げてきた人にとって,あともう1学期やり抜く程度はそんなにむずかしくないはずだ.
また,エージェントたちがいっそう合理的であれば――シグナリング・モデルが仮定している程度に合理的であれば――いよいよ最後の最後でつまづいてしまうとわかっていて7学期も大学に通い続けたりしないだろう.そんな行動は最適行動からめちゃくちゃ遠い――4年も時間と労力を費やすうえに,その間に稼げただろうお金もあきらめることになる.学費がかかるのはいうまでもない.
カプランはこう書いている:
ノアは,ダメな学生の視点から学校がどう見えるかわかっていない.あっさりと1学期やり遂げてしまえるぼくらみたいな人間にとっては,なるほどあともう1学期やるのなんてなんてことないように思えるかもしれない.でも,授業なんてたいくつでわけわからんと感じている学生たちにとって,大学の勉強をあともう1学期耐えきるなんて,考えるだけでもしんどいことなのだ.
なるほど「しんどい」ですか.でも,それまでの7学期よりもずっと「しんどい」ものだろうか? それに,事実上なんの見返りもないのに,どうして合理的なエージェントが7学期もしんどい思いを耐え忍んだりするんだろう(その間に稼ぎ損ねた所得や天井知らずの学費だってあるのに)?
というわけで,羊革効果はシグナリング・モデルと整合しない.
羊革効果が人的資本モデルと整合する理由「いったいどうして,大学の最終学期の方が,それまでの7学期よりずっと人的資本の構築にとって重大になりうるっての?」 なりえないよ.「じゃあどうして羊革効果が教育の人的資本モデルと整合しうるっていうの?」 解説しよう.
実証的な学術業界語で,教育のことを「処置」という.大学の人的資本モデルでは,この処置は人それぞれにちがった効果をもたらす――勤勉に勉強してものの見方を大いに広げたりひらけた精神で人脈を築いたり学んだりする人たちもいるし,かと思えば,パーティに明け暮れたりダラけたりTwitterなんかで時間を無駄遣いして勉強し損なったりする.
従業員を雇う側は,この処置が機能したかどうかを見抜こうとする.たとえば GPA を見たり.でも,大学がもたらす人的資本の便益の多くが成績から生じるのではなく人脈や個人的な成長などなどから生じるのだとしたら,GPA では処置が機能したかどうかについて知るべき事柄がいまひとつわからない.そこで,雇う側では大学で学生が伸びたかどうかを示すほかの手がかりに目を向ける.
学校中退は,そういう手がかりだ.中退したってことは,付き合いをつづけるほど大事な人的ネットワークをその人がつくれなかったってことかもしれない.情動面でなにか問題をかかえているってことかもしれない.だとすると,たいていの人たちとちがって大学ではこの学生が情動的に成熟しなかったということかもしれない.つまり,たいてい処置は機能しているとしても,中退(卒業寸前の場合も含めて)したということから,処置がこの学生には機能しなかったということがわかるかもしれない.
『ブルームバーグ・ビュー』記事でこのアイディアを説明するのに使ったアナロジーをブライアンはお気に召さなかったので,もっといいやつ(しかももっと楽しいやつ)を使おう.〔マーヴェルのドラマシリーズ『エージェント・オブ・シールド』の〕S.H.I.E.L.D. のエージェントになろうと大勢の人たちが応募しているとしよう.S.H.I.E.L.D. のエージェントになるには,スーパーヒーローになる特殊血清を摂取しないといけない.でも,この結成は誰にでも効果を発揮するわけじゃない――ひとによっては,アレルギー反応によって劇的に弱くなってしまう.さて,20名が血清を摂取したとしよう.ニック・フューリー長官が各人を調べてみたところ,全員が大丈夫そうに見え…たかと思ったら,2人が卒倒して気を失ってしまう.当然ながら,この2人は S.H.I.E.L.D. に採用されず,残り18名が雇われる.
この例では,特殊血清はまさに人的資本をつくっている一方で,検査で気を失ってしまうことはちょうど卒業直前に中退してしまうのに似ている.
「シグナリング」というゆるい用語「でもねえ,ノアくん」――と質問の声が上がりそうだ――「君が言う『手がかり』とか『しるし』ってのは『シグナル』の同義語じゃないの?」
こういう混同が生じてしまうのは,「シグナリング」という言葉がゆるゆるな使われ方をしているせいだ.〔マイケル・〕スペンスのシグナリング・モデルの話をしているんだろうか,それとも「なんらかの情報」という意味で「シグナル」と言っているんだろうか? スペンスのシグナリング・モデルの声望と威光を使って大学教育についての自説を支持したいと思ってるなら,ブレずにあのモデルだけを使った方がいいと思うよ.
また,さっきのセクションで述べた「シグナル」は,大学の価値が100パーセント人的資本であったとしても,それと整合する.大学制度を悪しざまに言うカプランその他の人たちは,「シグナリング」と「人的資本」を相互排他的なものと扱っている――大学からなにか人的資本を引き出したかどうかをしめす(コストゼロの)シグナルに中退がなっているとして,この場合に人的資本モデルは正しいんだよ.
「いやまあ,それも *なんらかの* シグナルだよ」と言ってこの単語のいろんな用法に寄りかかりながらモデルがうまくいっているか注意深く考察するのを避けているばかりでは,ちゃんとした経済学にはならない.じぶんの効用関数に対する私的な確率的ショックを学生が受けるモデルにおいて,羊革効果は真実を伝える均衡によく似ているようにみえる.
羊革効果と,大学の消費/選別モデル大卒の賃金プレミアムが大卒の利益を100パーセント反映しているとは思わない――その何割かが能力選別の分に当たるのだろう.それに,大学に通うために学生が払う価格の100パーセントが投資に当たるとも思わない――その何割かが消費の分に当たるのだろう,と思う.大学はたのしい.大学はいくらか人的資本をつくるけれど,大学という場所には,ハーバードの超絶かしこいガキどもがいっしょにパーティやったりオハイオ州立大学のそこそこかしこいガキどもがいっしょにパーティやったりするのにお金を払っている部分がある.
これが大学に関する3つ目のモデル,大学の消費/選別モデルだ.人的資本モデルとこの消費/選別モデルが合わされば,大学の価格と大卒賃金プレミアムの大半が説明されるとぼくは考えてる.
羊革効果は,消費/選別モデルと整合する.人を雇う側は,応募者の大学を能力の代理指標に使う.でも,卒業間際に中退している場合,それは相手の能力について追加のもっと詳細な情報を雇う側に提供する.賢いけれど情動面に問題のある人物だということを示しているのかもしれないし,意欲に問題があるのかもしれないし,法的な問題があったのかもしれない.言い換えると,出身大学と GPA というノイズまじりの代理指標だけを頼りにせず,さらに求人応募者の能力に関する情報の精度を改善する役に立つわけだ.
ここでも,羊革効果が通常の意味での「シグナル」に該当しつつもスペンス・モデルでいう「シグナル」ではないことにこの説明は依存している.
結論として,羊革効果は大学の人的資本モデルと消費/選別モデルとは整合するけれど,シグナリング・モデルとは整合しない.