Paul Krugman “The Temptation to Spend,” The Conscience of a Liberal, November 7, 2014.
[“Why don’t We See More Macroeconomic Populism?,” The Conscience of a Liberal, November 4, 2014]
大衆迎合赤字財政垂れ流しの誘惑?
by ポール・クルーグマン
このところ何度か指摘してるように,日本銀行がもっとお金を刷る政策について,日本国内に反対意見がたくさんある.それに,増税すべしと政府にかかる圧力も大きい.日本以外の先進国で起きてることも,これとそう大差ない:量的緩和を実施してきた中央銀行は,政治的圧力におされてではなくて,これに対抗しながら,実施してきた.それに,財政緊縮はほぼあらゆる国で強いられてきた.
おもしろいのは,低インフレかつ不況下にある経済で金融引き締めと財政緊縮をやるべき根拠を聞いてみると,出発点にあるのはこんな推定だったりする――「お金を刷って赤字財政を支えるのは政治家にとってとてつもない誘惑になるから,ほんのちょっとであろうともこうした中毒性ドラッグの味を占めさせるべきではないんだ」
これは,いかにもすぐれた知恵のような口調で言われることが多いし,歴史が教えてくれる教訓であるかのように伝えられたりもする.
さて,オックスフォードの経済学者サイモン・レン=ルイスがブログで指摘してるように――ぼくも前に書いたことがあるけど――実際に歴史が教えてくれるのは,そんなこととちがう.アメリカでなされてきた財政刺激は,恒久的な実施からほど遠く,いつも決まって早々に終了した.それに,金融の引き締めもあまりに早々に実施されてきた.1970年代に事態が暴走をしたときも,その中身は,保守派がいま好んで語ってるような筋書きとはまるっきりちがってた――保守派の筋書きだと,中央銀行がお金を刷って赤字支出を支えようとしたってことになってる.だけど,実際にはそもそも赤字は大したものじゃなかった.インフレが昂進したのは,石油ショックとマクロ経済の判断ミスのせいだった.大衆迎合の誘惑のせいじゃなかったわけ.
「でも,先進国でそういうことが起こらないと言えるの? なんたって,このアイディアは――人々がもっとお金をすって巨額赤字もどんどんやれって言ったら,大衆迎合の政治家どもは大喜びでやるって話は――いかにもありそうに思えるけど」
たしかに,南米国ではそういうことが起きた――それどころか,ベネズエラとアルゼンチンでは今日でも再び起きてる.じゃあ,アメリカやヨーロッパや日本でも起きておかしくなさそうじゃない? なんで,デフレ圧力がかかってるときに,政界を引き締め路線が席巻してるんだろう?
実のところ,ぼくもわかんない.ただ,これは思案する価値のあるパズルだ.
© The New York Times News Service