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Archives for 12月 2015

茂木洋之, 西村仁憲, 寺田和之 「退職と生活習慣の変化」 (2015年9月25日)

Hiroyuki Motegi, Yoshinori Nishimura, Kazuyuki Terada, Retirement and changing lifestyle habts , (VOX, 25 September 2015)


退職が健康に及ぼす影響の良し悪しは、未だ明らかでない。本稿では、それがポジティブなものである可能性が高い事を示す日本発の新たな実証結果を検討する。日本では、高齢者は退職後に飲酒喫煙量を減少させる。それは人びとに同僚と一緒に飲酒喫煙する傾向が有る為で、したがって同結果はその大部分を一種のピア効果に負うものである。

ここ数十年の間に、先進国の多くは出生率低下と人口高齢化の問題に直面してきた。人口の一部が高齢化するにつれ、社会保障および福祉に掛かる費用は増加し、国家予算を侵食するものとなる。日本もこの様な高齢化の進む人口を抱える国の1つである。その為の費用の一部を削減する為に、日本政府は国民基礎年金受給資格年齢を60歳から65歳に引き上げている。しかしながら、多くの企業は60歳前後の定年退職を設けており、その結果、多くの高齢者が年金の受給が始まる前に定年退職の年齢を迎える事になっている。目下日本政府は、企業に定年退職の年齢を既に迎えた高齢者を再雇用するよう、労働市場への介入を通した働き掛けを行っている。

この再雇用促進政策が副次的影響を伴うものとなる事も十分考え得る。考えられる懸念の1つに、定年退職の年齢を迎えた後も労働を継続する事となる高齢者の健康への影響が在る。例えば、労働が高齢者の健康に良いものなら、この一連の動きは医療費の削減にも繋がろう。他方、労働が高齢者の健康に悪い場合には、懸案の副次的影響は 『悪い』 ものとなると考えられるのであり、要するに医療費の増加に繋がることとも成り得る。高齢者が継続して労働する場合の生じてくる健康への影響は重要である。そこで我々は本再雇用促進政策の評価査定を行うことにした。

退職が健康に及ぼす影響

過去数十年の間に、退職と健康の関係を調査する幾つもの研究が現れてきた。しかしながら、退職が健康に及ぼす影響に関しての統一的見解は存在しない。

  • 幾つかの研究は、健康状態へのポジティブな影響を精神的健康または肉体的健康と定義する限り、退職はこれを有するとの結論を出している (Charles 2004、JohnstonとLee 2009)。
  • 他方、退職の影響は全く無い、或いはネガティブなものであると結論付ける研究も存在する (RohwedderとWillis 2010)。

こういった結論の違いは何故生じるのだろうか?

これらの違いを解き明かす鍵は、退職が健康に影響を及ぼす際に辿る経路に在る。退職が健康に及ぼす影響に不均一性が有る [heterogeneous] 事も、十分考え得るのである。そうであれば、こういった研究が異なった結論に至ったのも、高齢者の健康に影響を及ぼしていたファクターが、各研究において、退職後に不均一に変化していた為であるかもしれない。

近時、退職の健康への影響の背後に在るメカニズムを分析するという困難な課題に取り組む者が現れてきたが、その中でもEibichi (2015) は重要な研究成果となった。著者は本論文の中で、退職が健康に影響を与える理由の説明を行っている。本研究はドイツにおける健康行動と時間の使い方の変化を分析したものである。我々もまた、生活習慣の変化 – これには 『健康行動の変化』 (Eibichi 2015) との類似性がある – は、退職が健康に影響を及ぼす際に辿る重要な経路の1つで在ると考える者である [訳注1]。

事実、医療研究によって現在までに健康と生活習慣の関連性が確認されている (Jemalら2008)。これらの研究結果に依れば、もし生活習慣と退職の間に因果関係が在る場合には、前者の変化は後者が健康に影響を及ぼす際に辿る経路の1つであるとも考えられる為、同変化は、退職が健康に及ぼす影響に関して統一的見解が存在しない理由を説明するものなるかも知れないのである (図1を参照)。図1に示したメカニズムの下では、高齢者が退職後に健康行動を変化させる場合には、退職が健康に及ぼす影響も自ずと違ってくるだろう。

図1. 退職・健康間の仮定的関係

仮説・研究設計・研究結果

我々は、健康に影響を与える可能性の有る生活習慣 – 飲酒・喫煙・運動・睡眠など – に対する退職の影響を分析した。退職後の飲酒喫煙の影響 [訳注2] に関して、我々は次の様な2つの仮説を設定した:

  • 第一の仮説は、退職前の人びとは職場でのストレスの為に飲酒や喫煙を行う、というものである。もし職場でのストレスの為にこの様な飲酒喫煙が行われているのならば、退職し、職場のストレスから解放された彼らがこういった行為を行う頻度は低下するものと考えられる。
  •  第二の仮説は、人びとが職場の同僚らと飲酒や喫煙を行うのは、その同僚らがそうしたがるからである、というものである。我々はこれを 『ピア効果』 と呼ぶ事にする。

我々の考えでは、日本においてはこのピア効果こそが、人びとが職場で飲酒や喫煙を行う理由を説明する為の鍵となる。高齢者がもし職場のピア効果の結果として飲酒や喫煙を行っていたのであれば、退職後には飲酒や喫煙の程度を減少させるものと思われる。というのは、高齢者も退職した後には同僚らと顔を合せる機会が無くなると思われるからである。

日本にはビジネス人の間で同僚や取引相手と仕事の後に飲酒を行う慣習が在る。その結果、上記の第二仮説が日本における飲酒行動を繙く上で鍵となる仮説となる。我々の記述統計の結果を見る限り、退職が生活習慣に影響を及ぼす事は十分考えられる事態の様である。

図2. 日毎の平均消費煙草本数・平均アルコール摂取量 (グラム)・ 平均睡眠時間 (時間)

原注: F = 女性; M = 男性.

 

我々は計量経済分析を行い、データの裏付けを得た仮説を明らかにした。退職のもつ生活習慣への影響を分析する為、分析には『くらしと健康の調査 (JSTAR)』 を用いた。これは日本国内の50歳以上の高齢者を対象としたパネル調査であり、諸外国にも、例えば中国の 『健康およびリタイアメントに関する長期調査(CHARLS)』、英国の『英国における高齢化の縦断的研究 (ELSA)』、韓国の『高齢化研究パネル調査 (KLoSA)』、インドの 『インドにおける縦断的高齢者調査 (LASI)』、ヨーロッパの 『欧州における健康、加齢及び退職に関する調査 (SHARE)』 などといった類似調査が在る。以下に我々の調査結果をまとめる:

  • 第一に、高齢者は退職後に喫煙量・アルコールの摂取量を減少させている。

それだけではない。休日における睡眠時間には変化が見られない様だが、週日における高齢者の運動頻度および睡眠は増加を見せている。これは、高齢者が退職後に生活時間の配分を変えた事を示唆するものである。

  • 第二に、職場ストレスの程度などの様々なファクターを考慮し調整を通じて、本ピア効果が、日本では退職後の飲酒や喫煙の程度を減少させる上で重要な役割を果たしている事が判明したのである。したがって、我々は第二仮説の方を支持する事になる。

 高齢者が退職後に生活習慣を変えるに至る経緯は如何なるものか

我々の調査によって、本ピア効果が日本における退職後の生活習慣の変化を説明する上で鍵となるファクターである事が判明した。しかしながら、我々はこの結論が普遍的なものであるとは考えていない。日本以外の多くの国では、ビジネス人が仕事の後で同僚を伴って飲酒する事は、あまり無い。したがって幾つかの国では、退職後も人びとの生活習慣は変化せず、結果として退職後も健康状態に変わりはないかも知れない。こういった可能性が示しているのは、退職が健康に及ぼす影響が様々な研究において一定しない理由を解き明かす上で、生活習慣の変化という経路が重要となるかも知れないという事である。我々は引き続き、退職後の健康に影響を及ぼしている可能性の有る諸経路にみられる行動変化、及び様々な国での退職後の健康変化の態様、これら双方を確認して行きたい。その手始めに、続く研究では、合衆国、欧州、韓国、及び日本で見られる退職後の生活習慣の変化ついて、その比較を試みたい。

参考文献

Charles, K K (2004), “Is Retirement Depressing? Labor Force Inactivity and Psychological Well Being in Later Life,” Research in Labor Economics, 23: 269–299.

Eibich, P (2015), “Understanding the Effect of Retirement on Health: Mechanisms and Heterogeneity,” Journal of Health Economics, 43: 1–12.

Jemal A, M J Thun, L A G Ries, H L Howe, H K Weir, M M Center, E Ward, X-C Wu, C Eheman, R Anderson, U A Ajani, B Kohler and B K Edwards (2008), “Annual Report to The Nation on The Status of Cancer, 1975-2005, Featuring Trends in Lung Cancer, Tobacco Use, and Tobacco Control,” Journal of the National Cancer Institute, 100(23): 1672–94.

Johnston, D W and W S Lee (2009), “Retiring to the Good Life? The Short-term Effects of Retirement on Health,” Economics Letters, 103(1): 8–11.

Motegi, H, Y Nishimura, and K Terada (2015), “Does Retirement Change Lifestyle Habits?” RIETI Discussion Papers 15-E-068

Rohwedder, S and R J Willis (2010), “Mental Retirement,” Journal of Economic Perspectives, 24(1): 119–138.


訳注1: 原文: “…We also consider that the changes in lifestyle habits, which are similar to ‘changes in health behaviour’ (Eibichi 2015), and could be an important channel through which retirement influences health.”

訳注2: 原文: “Regarding the effect of smoking and drinking on retirement, we propose two hypotheses:”。しかし文脈からすると、”..the effect of retirement on smoking and drinking,…” の書き損じかもしれない。その場合翻訳は “退職が飲酒喫煙に及ぼす影響に関して、我々は2つの仮説を設定した。” となる。

 

マーク・ソーマ 「『農民層の政治意識に関するマルクスの見解』」 (2015年10月1日)

Mark Thoma, ‘Marx on Peasant Consciousness‘ (Economist’s View, Thursday, October 01, 2015)


以下は全てDaniel Littleの記事:

農民層の政治意識に関するマルクスの見解: マルクスの政治的著作の中でも重要な部類に属するものに 『ルイ・ボナパルドのブリュメール18日』 (1851) (pdf) が在る。次に挙げるのは、ナポレオン三世の選出に繋がった農民層の政治意識にみられる特質について、それを生み出した諸要因をマルクスが分析したものだ:

小土地所有農民は一個の巨大な集団を形成しており、その成員は類似の状況下に生きているのだが、各々と複層的諸関係を結んではいない。こういった小土地所有農民の生産様式は彼らをお互いから孤立 [isolate] させるものではあっても、彼らをして相互の交流に向かわせるものではないのだ。こうした孤立は、フランスの有するコミュニケーション手段の乏しさ、及び農民の貧困によってさらに押進められている。農民の有する生産の場、すなわち小所有地のことであるが、これは耕作の分業、すなわち科学の応用の余地を残すものでは無く、したがって発展の多岐性、才能の多様性、社会関係の富も残されていない。各々の農家世帯はほぼ自給しており、自らが必要とする消費財を直接に生産し、したがって生活手段の獲得は自然を相手方とした交換で賄う方が、社会との交流を通じて賄う分より多い。一筆の小所有地、それを耕作する農民、そして彼の家族。その隣にはまた別の一筆の小所有地と、別の農民と、その家族。これが数十個集まったものが1個の村を構成し、村が数十個集まると1個の行政区画 [Departement] を構成する。フランス国民という一大集団はかくして相同な多衆の単純な加法によって形成されているのであり、それは恰も1つの袋の中に納まったジャガイモどもが、ジャガイモ1袋を形成するが如くである。何百万という世帯の生活が幾つかの存続条件に晒されており、まさにその存在条件が彼らの生活様式・利害関心・文化を他の諸階級におけるそれから分離し以て彼らをこれら諸階級との敵対的対立状況に置くものである限り、彼らは1階級を形成することになる。しかしこういった小土地所有農民の間に在るものが局地的内部連結に過ぎず、彼らの利害関心の同一性が彼らの間に何らの共同体、何らの国家的紐帯、何らの政治的組織も形成しないのならば、彼らは1階級を構成するものとはならない。したがってその場合彼ら農民は、おのれ自身の名のもとに自らが属する階級の利害関心を主張することが出来ない。国会を介してであれ、大会を介してであれ、同様である。彼らは自らを代表することが出来ないのであるから、彼らは誰かに代表して貰わざるを得ないのである。同時に、その代表者は彼らの主として現れざるを得ない。それは彼らの上に立つ1つの権威、すなわち1個の羈束無き政府権力として現れ、彼らを他の諸階級から保護し、天より雨を下し日を射し給う存在である。したがって小土地所有農民が有する政治的影響力の究極の表現は、社会を自らに従属させる行政権力の姿に見出されることになる。

極めて興味深い、団体の連帯の社会心理分析であり、現代的重要性をも備えている。この論文のおかげで我々は階級意識の形成に関するマルクスの考え方についてかなり知ることができるのだ – それと同じくらい、在郷の人びとの行為主体性に関して、看過し難い誤解が在るにしても。

本論文のいう、フランス小農民階級の限界とは如何なるものだったか? 彼らは孤立し、重労働に苦しみ、世間知らず、粗野であり、政治意識に乏しく、その上周囲を取り巻く彼らより強力な勢力について無知であった。それ故、マルクス曰く、彼らには1つに団結し、かつ目的をもった1個の政治勢力を打ち立てることが出来ないのである。(それからほんの1世紀後に現れたインドシナにおけるベトミン大軍勢の姿によって、こういった考えは葬られることになる。)

我々はこの様に描き出された農民の姿から、集合的連帯の基礎づけに、何が必要になるのかに関してのアイデアを幾つか引き出すことが出来る:

  1. 団体は相互に 『重層的諸関係』 をもっている必要がある。
  2. 単なる地域的交流ではない、隔たった空間 (地域) をつなぐ効果的なコミュニケーション手段・交通手段が必要である。
  3. 一定程度の経済的相互依存性が必要である。
  4. 生産体制における物質的諸条件が共有されていることが必要である。
  5. 社会・経済環境を如才無く把握する能力が必要である。
  6. 共有された政治意識および行動目的を具体化する助けとなる、組織とリーダーシップが必要である。

またマルクスはどうやら、こういった条件と集合意識の間に一種の必要十分関係を想定していたようだ。つまりこれら条件は、1個の拡張された団体における集合意識が存在する為に、複合的に十分 [jointly sufficient] かつ個別的に必要 [individually necessary] であるというのだ。

ここには現在における連帯や社会運動に対する考え方にも生きている幾つかの重要なアイデアがみられる。だから集合意識に関するマルクスの考え方には先見性があったのだ。集合的連帯に関する彼の思想がどこから来たのかを考えてみるのは興味深いことだ。そもそもどんな道筋を辿って、彼は社会運動や連帯の社会心理についてのかくも示唆に富むアイデアの着想に至ったのだろうか? というのも1851年の時点ではこの論題に関する理論や思想の発展史は、未だ蓄積されていなかったのだ。

有りそうな出所は2つ。1つ目は、フランスの社会主義者の思想で、1840年代のマルクスが没頭していたのもこれだ。事実フランス社会主義者の思想家は、如何にして革命精神は人びとの集団に到来するのかという問いに関心を寄せていたのである。そして2つ目は、マルクスが自らの経験を通して見聞を深めた1843年から45年に掛けてのパリにおける労働者だ。彼は労働者らについて自身の目で観察したところを1844年の 『経済学・哲学草稿』 に記している:

共産主義者の職工らがお互いと繋がる [associate] 時、理論構築やプロパガンダ等々が彼らにとっての第一の目標となる。しかし同時にこの繋がりの結果として、彼らは新たな必要を抱えることになる – すなわち社会の必要である。すると、1つの手段に過ぎぬように見えたものが、1つの目標に成り変わる。その実践の過程における最も目を見張る成果は、フランスの社会主義労働者が揃う所に目を向ければ何時でも観察できる。煙草や飲み食い等等といったものは、もはや相互接触の手段ではない、彼らを1つに繋ぐ手段ではない。繋がりと社会と会話、これらもまた繋がりそれ自体を目的とするものであるが、こういったものだけで彼らは十分に満ち足りている。すなわち兄弟愛とは彼らにあっては単なる言葉では無いのだ。それは生の真実である。そして人の高貴の輝きは、労働に鍛えられた彼らの肉体から我々の上に降り注ぐのである。

ここでマルクスは、フランス労働者の階級意識形成の場面では友情や日常的繋がりという実体的諸関係が、共通の物質的利害関心に匹敵する重要性もったと述べているのだ。

農民コミュニティがもつ政治的な能力・意識に関するマルクスの誤解は、農村部における革命の研究に携わる多くの学者から指摘されてきた。かつてジェームズ・スコット (James Scott) がかつて20世紀の革命を論題とする公開講義を行った際には、講義が扱うのは飽くまで当該世紀に起きた農民革命に過ぎない旨を開講の辞として述べたのだった。しかし暫しの沈黙の後に笑い出し、云うのである。実はこれは大した限定にならないのです、何故なら20世紀の革命は全て農民革命だったのだから!、と。 都市労働者のみが革命意識を持ちうるというマルクスの想定は、到来しつつあった反資本主義・反植民地主義の闘争の世紀を深刻に読み違えたものだった。(スコットの農民政治研究に触れた以前の記事はこちら。スコットの見解は 『Weapons of the Weak: Everyday Forms of Peasant Resistance』 や 『The Moral Economy of the Peasant: Rebellion and Subsistence in Southeast Asia』 で見られる。 エリック・ウルフ (Eric Wolf) の 『Peasant Wars of the Twentieth Century』 も類似の論題を取り上げている。)

『ブリュメール18日』 で興味深い他の点に、階級闘争としての歴史における法則に関してエンゲルスが本著作第三版への序文に残した記述がある:

だが、さらにもう1つ別の事情が在った。蓋し、マルクスに於いて初めて歴史運動の偉大な法則の発見と、- この法則に依れば、一切の歴史闘争は、それが政治、宗教、哲学、或いはその他のイデオロギー領域に於いて進行するものであれ変わりなく、また明白さに程度に差はあれども、実際のところ、社会に於ける諸階級の闘争の現れに過ぎないのである -、また他方ではこれら諸階級の存在、並びにそれが為に生ずる衝突でさえも、その経済的地位の進展の程度に因って、すなわちその生産様式ならびにその生産様式が決定する交換様式に因って条件付けられているという事実の発見が為されたのである。この法則、その歴史に於ける重要性は、まさにエネルギー転換の法則が自然科学に於いて有するそれに匹敵するものであるが、本書の著者によるフランス第二共和政史の1つの理解の鍵となったのも、この法則に他ならない。マルクスはこういった歴史的事件を試金石に自らの法則を試験に掛けたのであり、その後33年が経過した現在にあっても我々は尚、同法則が見事に試験に耐えてきたと云わねばならないのである。

エンゲルスがここで、社会の運動法則のアイデア並びに階級闘争のアイデアを歴史変動の主要な原動力として打ち出していることは疑いようがない。「歴史とは畢竟、階級闘争の歴史の謂いである」。となると、偶然や仮定的原因が入り込む余地はあまりなさそうだ! しかしこの点こそマルクス主義者の理論が明らかに誤っているところなのである。歴史理解は、もっと多岐に亘る要素が絡み合いとして、つまり偶然や共起現象そして行為主体性の全てが関係しているという構図で考えた方が、数段優れたものとなる。

マーク・ソーマ 「『ポール・クルーグマン: Wに倍プッシュ』」 (2015年12月28日)

Mark Thoma, “Paul Krugman: Doubling Down on W“, (Economist’s View, Monday, December 28, 2015)


共和党予備選挙に穏健派など存在しないのである”:

Wに倍プッシュ: ポール・クルーグマンの論考 (ニューヨークタイムズ): 2015年がドナルド・トランプの年だったのは間違いなく、彼の隆盛は共和党既成勢力に恐怖を巻き起こす一方、多くの民主党員からも – 我々は認めねばなるまい – 大いなる僥倖として迎えられたのである。『他人のトランプは蜜の味』 という訳だ。だがトランプ主義は或る意味で、古き良き党たる共和党の既成勢力の有利に働いた部分もある。なぜならトランプ主義のおかげで、従来型の共和党立候補者までもがみせ始めた急激な右傾化から政治評論家や新聞社の目を逸らすことに成功しているからだ。しかもその右傾化というのも、少し前だったら全く現実味のなかったようなラディカルさなのである。

結局のところ、ジョージ・W・ブッシュ政権の破綻が…W的政策の見直しを促すのではないかと考えた方もいるかもしれない。しかし我々がいま目の当たりにしているものはなんであろうか。それは見直しどころか、謂わば同政策への倍プッシュ、つまり2001年から2008年のあいだに失敗した事を何でももってきて、もう一度、今度はもっとトコトン突き詰めた形でやってやろうという頑なな態度なのだ。

先ずは数値で把握するのが容易なところから始めよう、つまり減税のことなのだが…、減税政策こそ国家繁栄の鍵であるとの主張は現在になってかつてないほど難しくなっている。…それにも関わらず、マルコ・ルビオやジェブ・ブッシュといった既成勢力側候補者は、かつて某W氏がしたどの提案をもはるかに上回る規模の減税案を提出している。…

他の経済政策はどうなっているだろうか? 銀行規制一切の除去に向けてのブッシュ政権の頑なさは…いま振り返ってみれば極めて酷いものだった。しかし保守勢力は…ドッド・フランク法の撤廃を目指すその断固たる決意を表明するに至った…

W時代の経済イデオロギーからの実質的変化は、唯一金融政策の領域にみられるのみであるが、それも右翼勢力の求めて止まない 『夢の国』 に向けての一歩に過ぎない。…

最後になるが重要な点。そう、外交政策である。イラク戦争の顛末は…軍事を以て政策第一の拠り所とすることの危うさについて幾らかでも教訓となったのではないか、そう考えた方もきっといることだろう。だが 『示威と爆撃』 を前面に出す姿勢はその程度に差が在るにせよ、主要候補者の間に一様にみられるのだ。…

問題は、…主だった競争者がみな…恐ろしいほどラディカルであり、いずれも過去の惨禍から何も学んでいないのではないとしか思えない点にある。

こういった事態は何故重要なのか? 現時点の世間の通説をみるかぎり…Mr.トランプやMr.クルーズが党公認候補者になる公算は五分五分、或いはそれを超えるのではないかと思われる。その公算が現実のものとなれば、誰もが彼らの過激思想を知ることになるだろう。しかし、局外者の失速が、同候補者ほど注目されていない誰かを – 恐らくはMr.ルビオとなろうが – 勝利に導くことになる可能性もまだ十分に在る。

とはいえ、仮にそうした事態となっても、ドナルド・トランプではないという事実は、その人物が穏健派であるとか、それどころか幾らかでも理性的であるとすら全く保証するものではないという点を予め弁えて置くのが重要になってくるだろう。実際のところ、共和党予備選挙には穏健派など存在しないのである。それだけでなく理性的であることは、苟も同党の公認を目指す者に相応しからぬ性質として認識されているようなのだ。

 

 

 

 

 

マーク・ソーマ 「『ポール・クルーグマン: 夢にまで見た空飛ぶ車と同じくらい、祝福すべき事が在る』」 (2015年12月25日)

Mark Thoma, “Paul Krugman: Things to Celebrate, Like Dreams of Flying Cars“, (Economist’s View, Friday, December 25, 2015)


メリークリスマス!:

夢にまで見た空飛ぶ車と同じくらい、祝福すべき事が在る: ポール・クルーグマンの論考 (ニューヨークタイムズ): … 銀河帝国は別にしても、スペースコロニーや無重力ホテルでさえまだまだずっと先の話だ。しかし宇宙テクノロジーは、数十年の停滞期を経たいま、日々躍進をみせている。

素人の私から見ると、こういった事態は或るより大きな潮流の一端を成しているように思えるのだ。そしてこの大きな潮流というのが在るおかげで、私はここ暫く考えていたより未来に希望を抱けるようになっている。

既にお気付きの方もいるだろうが、私が博士号を取ったのは1977年、つまり映画スター・ウォーズ第一作が公開された年であった。要するに私は自らの職業生活全体をテクノロジーに対する失望の時代に過ごしてきたのである。

1970年代になるまでは、テクノロジーの進展はそれが過去に為したことを再び為すだろうと、ほとんどの人が信じていた: 生活のあらゆる場面に、急激かつ見間違いようもない向上をもたらしてくれるだろうと。しかしそうはならなかった。…

いまや情報を処理し伝達する我々の能力は格段の進歩を遂げた。しかし私も猫やコンサートの動画を愛すること余人に劣らぬつもりだが、我々の話題はなお生活のほんの一場面に限られている。…

しかし最近の5、6年の間に、- つまり、少なくとも私にはそう思えるということだが – テクノロジーの進展が再び肌身に感じられるようになってきた。今ひとたび我々は、情報の世界に留まらず、物質の世界における進歩を経験しているのだ。そしてこれは重要なことである。

ロケット技術の進歩は見ているだけでも面白い。しかし本当のビッグニュースはエネルギーに関するもの – そう、ごく最近まで全く失望ばかりであった分野だ。…これまでに現れてきた最大の影響はフラッキング技術に由来するもので、同技術のおかげで 『石油ピーク』 の恐怖を終わらせることが出来ただけでなく、上手に規制してゆけば、もしかしたら気候変動問題解決の為の一助となってくれるかもしれないのだ。というのもフラッキング技術で得られるガスもまた化石燃料ではあるが、燃焼の際に発生する温室効果ガス排出量は、石炭に比べ遙かに少ないのである。だが、さらなる未来の革命は再生可能エネルギーの分野に在りと言わねばならない。風力、また特に太陽光発電のコストの減少は俄かには信じ難い速度で進んでいる。

こういった事態は何故重要なのか?…ご存じの通り、大抵右翼勢力からだが左翼勢力の一部からも、経済成長を諦めない限り、我々は気候問題に対し効果的に対応し得ないのだという主張をいまだに聞かされるのである。…

しかしいまや我々は持続可能・低排出な未来の姿をかなり具体的に知ることができる…勿論、必ずそうなると決まっている訳ではない。けれども、そうならなかったときの問題は政治の側であって、テクノロジーの方ではないだろう。

その通り。私はいまも空飛ぶ車の到来を待ち焦がれている。ハイパードライブ? 言わずもがなである。だが我々は物質テクノロジーにおいて既に十分な進歩を遂げたのだ。そのおかげで世界を破滅から救おうとする試みも、突如としてずっと現実味を帯びてきた。これが祝福すべきことでなくて何であろうか。

 

 

 

タイラー・コーエン 「文化の移り変わり? 記憶違い? 過去の美化?」(2013年9月14日)

●Tyler Cowen, “A change in culture or a failure of memory and a glorification of the past?”(Marginal Revolution, September 14, 2013)


イギリスからこんなニュースが届いた。

一日の終わりの就寝前に子供に本を読み聞かせる。このような伝統は親子の絆を深める習慣の一つとして機能していたが、わずか一世代の間にそのような伝統も急激に衰退する方向に向かっているようだ。

ホームウェアの小売店であるリトルウッズに買い物に訪れていた0歳から7歳までの年頃の子供を持つ母親2000人を対象に行われたアンケート調査の結果がそのことを如実に示している。就寝前に枕元で子供に本を読み聞かせていると答えたのはアンケートに回答した母親全体のうちわずか64%に過ぎなかった。その一方で、自分が子供の頃はどうだったかというと、就寝前に親に本を読んでもらっていたと答えたのは全体の91%に上った。

子供に本を読み聞かせる頻度もこの一世代の間に大きく低下しているようだ。同じくこのアンケート調査の結果によると、子供に「毎晩」本を読み聞かせていると答えたのは全体の13%にしか過ぎなかったが、自分が子供の頃は親から「毎晩」本を読んでもらっていたと記憶を辿って答えたのは全体の75%にも上った。アンケート調査の結果に照らしてその平均を計算すると、現世代の親たちが子供の枕元で本を読み聞かせているのは1週間のうち3日だけということになる。

このアンケート調査では全体の87%の母親が就寝前に子供に本を読み聞かせることは子供の教育や発育にとって重要な役割を果たすと思うと答えているが、そうだとすると子供の枕元で本を読み聞かせる伝統が失われつつあるというのはなおさら驚きだ。

このアンケート調査に応じた母親のうち9%は子供の枕元で本を読み聞かせることには「物凄いストレスを感じる」と答え、13%はそのための時間が確保できないと答えた。

全文はこちらを参照されたい。

アレックス・タバロック 「『ドクター・フー』とともに時を超えた旅へ」(2009年12月4日)

●Alex Tabarrok, “Time Travel with Doctor Who”(Marginal Revolution, December 4, 2009)


私がまだ10歳か11歳のちびっ子だった頃の話だ。その当時私の家族はイングランドにある小さな町に住んでいたのだが、学校から自宅まで続く田舎道をブラックベリーをモグモグしながら下校したことを思い出す。父親と一緒にテレビで『ドクター・フー』(Doctor Who)〔日本語版のウィキペディアはこちら〕を見るのがお決まりになっていたが、それもいい思い出だ。「ドクター」の周りでは毎週のようにミステリー(不思議な出来事)や危険な出来事が巻き起こる。ストーリーの進行につれて徐々に緊迫度が高まり、それとともに私の胸も高鳴るばかり。しかし、「ドクター」の前に突如として憎っくき「サイバーマン」(最悪の場合は「ダーレク」)が立ちはだかるや、私はもう怒り心頭だ。ちょうどそこで番組は終わる(至極当然な話だ)。「なんてこったい!」と頭を抱えてもがき苦しむちびっ子の私。来週まで待つことができず、その日の夜はベッドの中で悶々とする羽目になる。「『ドクター』は果たして無事に生き延びることができるだろうか?」とあれこれ想像をめぐらせながら恐怖で身震いせざるを得ないのだ。tom-baker-postcard-v1-large-213x300

トム・ベイカー(Tom Baker)演じる4代目の「ドクター」が私にとっての「ドクター」(“My Doctor”)だ。彼のトレードマークといえば首に巻かれている物凄く長いスカーフだが、当時の私はすっかりそのスカーフのとりこになってしまった。祖母にそっくりなスカーフを編んでもらってどこに行くにもそのスカーフを首に巻いていたものだ。カナダに引っ越してきて周りが誰も『ドクター・フー』のことなんて知らなくても私の首にはそのスカーフが変わらず巻かれ続けていたものだ。

つい最近になって再び『ドクター・フー』を定期的に見るようになった。最新のシリーズではデイヴィッド・テナント(David Tennant)が10代目の「ドクター」を演じている。私の個人的な意見だが、彼(テナント)はベイカー以後では最もはまり役だと思う。

david-tennant-in-his-doctor-who-role-257x300父親と一緒に『ドクター・フー』を見ていたあの頃から四半世紀以上が経っているわけだが、今度は息子と一緒に『ドクター・フー』を見ている。上のお兄ちゃんは(あの頃の私と同じく)10歳から11歳になる年頃のちびっ子だが、「ドクター」が様々なミステリーや危険な出来事に立ち向かっていく姿を見て胸を高鳴らせている。「ドクター」が絶体絶命のシーンで番組が終わると「なんてこったい!」と椅子から飛び上り(どこかで見た光景だ)、「物事はそんなに簡単じゃない」と自分を落ち着かせている。

最新シーズンの最終回ではかつての仲間だった「サラ・ジェーン」が再登場する。30年近く前に「ドクター」(4代目のドクター) と苦楽をともにしたあの「サラ・ジェーン」が再び「ドクター」(10代目のドクター)の仲間に加わったのだ。それもその「サラ・ジェーン」を演じているのはあの頃と同じ女優(エリザベス・スレイデン)ときている――私と同じだけ年を重ね、あの頃よりは老けているが――。父親と一緒に『ドクター・フー』を見ていたあの頃とそっくりそのままに息子と一緒に『ドクター・フー』を見ていると時間や年齢のことに思いを馳せずにはいられない。子供の頃に抱いていた夢がどれだけ実現しただろうと我が身を省みらずにはいられない。居間は薄暗くされ、部屋の中ではテレビから漏れる光がちらついている。この空間はまるでターディスの内部のようだ。息子と一緒に『ドクター・フー』を見ながら私はタイムマシンに乗って時間旅行に出掛けているのだ。

アラン B. クルーガー 「何が人をテロリストにするのか?」 (2007年11月11日)

Alan B. Krueger, “What makes a terrorist?“, (Vox, 11 September 2007)


経済学者にとって犯罪者とは、機会費用の低く、しかもそもそも当然認められるべき機会もわずかにしか持たない人のことである。テロリズムはそれとはまた別の話だ。テロリストとその組織は政治声明を発信しようとしている。つまりまず深刻な政治的不平不満が在って、しかもそれを申し立てる為の方策が他に無い何も時に、テロリストは決起するのである。

私の級友だったタイラー・コーエン [Tyler Cowen] が私の新刊 『テロの経済学 : 人はなぜテロリストになるのか [What Makes a Terrorist: Economics and the Roots of Terrorism』 の書評の中でこう述べている。「唯一の不満は、本書がそのタイトルについて論じていない点だ。確かに同書は、人をテロリストにする事のないものについては述べている。しかし何が人をテロリストにするのかについては、まだ解らないままだ」。彼はほかにも、本書が 「豊富な第一級の実証研究を含んでおり」、「テロリズムについての数多くの俗説の真偽を明らかにするもの」 だとも記している。彼の二つ目のコメントに関してはかなり同意見なので、本稿は一つ目の論点についての回答に充てようと思う。

弁明にあたって先ず初めに、本タイトルが出版社側からの示唆を受けたものであった点、これを述べて置いても差し支えないだろう。もともと私が本書のタイトルとして考えていたのは “Enlisting Social Science in the War on Terrorism” というものだった。テロリズムとの闘いにおいて実証的研究成果を積み重ねつつ用いて行こうという呼びかけだったわけだ。しかし出版社の提示によるいっそう簡にして要を得たタイトルの方が好ましいと考えた – 出版社の彼がそう考えたように。だから実際のところこの点はあまり弁明にならないのである。

第二の、もっとちゃんとした論点としては、争点を一つ一つ取り除いてゆく方が、一般市民をテロリストに成るよう動機付ける要因の小集合を特定するより容易である事を挙げよう。コーエンも述べているが、本書は 「貧困がテロリズムに養分を与えるものではない事は、一度でもデータを見た者なら誰にでも分かる」 という事実を明らかにしている。それだけでなく、テロリストは十分な教育を受けている階層から徴集される場合の方が、教育を受けておらず文字の読めない大衆層から徴集される場合よりも多い事も示した。さらに、テロリズムがムスリム国家、または一人当たりGDPの低い若しくは幼児死亡率の高い国家において、より顕著にみられる事を示す実証成果は殆ど見出されなかった事も付言して置こう。

第三の論点は、こういった 『無し』 発見からもテロリズムそれ自体について、またテロリストの作られる過程について、実に多くを学べるという点だ。私の主張として (例えば本書51頁を参照されたい)、テロリストは専ら 「地政学的な不平不満に動機付けられている」 旨を述べた。彼らテロリストが、無辜の市民を (時によれば己自身をも) 犠牲にすることを厭わない狂信者となるのは、それが現に存在するにせよ、そう認識されているに過ぎないにせよ、彼らが或る種の不平不満の申立てを熱烈に希求しており、またその不平不満の申し立ての手段として、テロリズムをして取り得る最善の、ないしは唯一のものと見ているからである。本書のもう一つの主題は、テロリストが、表現の自由や集会の権利といった市民的権利および政治的権利を抑圧する社会からやって来る場合が多いという命題だ。テロリストの出身国と、その標的国のデータに対する私の分析結果が本主題の裏付けとなっている。当該国家横断的 [cross-contry] 実証データの1つの読み方として、平和的に抗議を行う伝統が殆ど無い社会で生まれ育った人は、地政学的な目的方針を追究しようとする際に、テロリズムに訴える可能性が高くなる旨を伝えていると解釈できるのだ。

Laurence Iannacconeはこの問題と関連した著作で、人びとが不平不満を抱く背景には多様な理由が在ると主張している。国粋主義的な理由も在れば、領土問題に関するもの、宗教上、或いは環境関連、等々。恐らくこの点こそ、貧困や教育その他の 『お決まりの容疑者 [usual suspects]』 がテロリズムへの加担を予測する場面でどうにも役に立たない理由なのだろう。テロリストに関しては、標準的不平や標準的プロフィールというものは、1つとして存在しないのだ。目的の為には自己犠牲をも厭わない過激派は、恐らく一定の大きさをもった人の集まりであればどこにでも存在する。これが故に、テロリストの予備人員にはかなりの柔軟性が有る。不平不満のソースであると認識されているものを1つ取り除こうと、依然として自らの不平を訴える為に暴力的方策を取るのを厭わない者は他にも大勢いる。だから、有限の 『リソース』 は、卑劣なテロ行為の実行の為に諸々の過激派を繋ぎ合わせる能力をもったテロリスト組織の数、こちらの方がなのだ。私の主張は、こういう環境においてはテロリスト予備軍ではなくテロリスト組織を標的とするのが最善策であり、その為には同組織の能力を削りつつ、その不平不満を適切な形で表現するよう仕向ける事を通じて働き掛けるべきであるというものである。

テロリズムは、心理学的に異常な人間が実行する無作為で予測不能な行為であるとして片づけられるものではない。心理学者Arial Merariは、失敗に終わった襲撃に関与したパレスチナ人テロリストを調査研究したうえで、彼らが心理学的に異常である可能性は小さいと結論した。テロリストによる襲撃のタイミングが示唆しているのは、こういった襲撃が、政治的にも報道の拡散の点でも、その影響を最大化するように選択されている場合が少なくない事である。これは、テロリスト組織がその目的行程を遂行する為、ある意味で合理的に過激派を派遣している事を示唆している。

となると、人をテロリストに変える何かとは、不平不満の申立てを行うべしという熱狂的信念を抱く者の存在であり、これにテロリズムを除いてはその為に取るべき代わりの方策が殆ど無いとの認識が合わさり – そして最後に、テロリスト予備軍を派遣するのを厭わないテロリスト組織ないし細胞の存在、となる。本書の中ではこの説をさらに展開している。貧困、そして教育の欠落 – これこそジョージ・ブッシュをはじめ、アル・ゴアやトニー・ブレアといった政治家がよく引き合いに出す説明因子であるが – これらの要素が果たす役割は、仮にそれが在るとしても、実は極めて小さいのだ。実際のところ、教育は多くの人が考えているのとは反対の効果をもつとも考え得る。何故なら高度教育を受けた者ほど政治と関わろうとする可能性が高く、したがって意見を持ったらそれに固執する可能性が高いからだ。学業経歴の向上が国家国民に諸々恩恵を与える事は間違いないが、それが社会に完全な一致団結をもたらす旨を実証データが示唆しているとは私は考えない。もしテロリズム問題に対する我々の取り組みの一部を教育を通して行うべきだというなら、我々はその教育の中身の方にこそその重点を置くべきで、単に学業経歴のみを重視すべきではない、というのが私の主張である。

多くの人は其れとはなしに、経済学者が犯罪をモデル化するのと同じ遣り方でテロリズムを見ている。機会費用が低く、しかもそもそも当然認められるべき機会もわずかにしか持たない人は、どのみち財物犯に手を染めるものと予見される。こういったモデルは実際にも上手く機能している。けれども本書で私が行うのは、犯罪行為よりも投票行為の方がテロリズムのアナロジーとして優れているという主張だ。時事問題に関心のある者は選挙投票に行く傾向があるが、しかもそれは投票しない者と比べると、彼らの方が時間の機会費用が高いにも関わらずのことなのである。テロリストと、彼らを派遣する組織は政治的声明を発信しようとしている。このようにして、人をテロリストにする何かは、テロリストとその組織が異議を申し立てようとしている政治的不平不満と、こういった不平不満の申立ての為の代替手段に依存しているのだ。本書ではテロリスズムに対するこういった見解を提示した。

本稿はイタリア語でwww.lavoce.info.で公開されたものである。

 

マーク・ソーマ 「『ポール・クルーグマン: ドナルド一派と決定者』」 (2015年12月21日)

Mark Thoma, Paul Krugman: The Donald and the Decider, (Economist’s View, Monday December 21, 2015)


火の無いところに煙は立たず:

『ドナルド一派』 と 『決定者』: ポール・クルーグマンの論考 (ニューヨークタイムズ): ドナルド・トランプが世論調査でジェブ・ブッシュを上回る共和党支持者の支持を獲得してから、もう6ヶ月ほどになる。当時、ほとんどの政治評論家がこのトランプ旋風を一過性の現象に過ぎないとして相手にしなかった… ところがトランプのリードは広まるばかりだった。このうえさらに衝撃的な事態が起きている。Mr.トランプ、ベン・カーソン、テッド・クルーズらの三頭政治が繰り広げる挑発的言論が、いまや予備選挙有権者 [the primary electorate] の約60%から支持を得るまでに至ったのだ。

しかし、どうしてこのような事態が起こるのか? 政策について全く無知である点を別にしても、現在戦局を支配しているこれら反体制側候補者は、虚偽の主張を行いながらその誤りを認めようとしないという一連の振舞がもはや一種の習癖となっている。共和党支持の投票者はこれも意に介さずといった様子なのだが、一体なぜなのだろうか?

その答えには、党が支持者に対し気にしないようにと教育してきたからという部分も有るに違いない。というのも、状況分析の代わりに喧嘩腰の罵詈壮言を用いる、思慮ある対応をみせるべき場面が在れば軽蔑的態度でこれに代え、『リベラル派のメディア』 が報道する不都合な事実には全く取りあわない、とこういった姿勢も実のところこの夏突然共和党の動向に現れてきたものではなく、久しく共和党ブランドの中核を成してきた要素だったのである。そうだとすれば、どこまでを許容範とすべきか有権者はちゃんと知っているなどと、どうして想定できようか?…

ドナルド・トランプを1つの政治現象としてみると、彼は某W氏 [訳注: ジョージ・W・ブッシュ] からペイリン女史を経て脈々と続く流れを色濃く汲んでおり、また多くの点で共和党主流勢力の全面的な体現者であるとさえいえる。例えば、トランプ氏がウラディミール・プーチンへの敬愛の念を表した時にはショックを受けた方もいるだろう。がしかし、彼は単に共和党内部に既に広く共有されていた感慨を改めてはっきりと述べただけなのだ。

視点をかえて、他方の体制側候補者はどのような代替案を提出するべきなのか? 実質的政策? とんでもない。思い出して頂きたいのだが、ジェブ・ブッシュは彼が推定有力候補とされていた頃に、外交政策の 『エキスパート』 から成るチームを招集したのだったが、そこでは…新保守主義の強硬派が支配権を握っていたのだった。彼らは言うなれば、過去数々の失策にも関わらず、『衝撃と畏怖』 作戦があらゆる問題を解決するのだという信条にその身を奉ずる人達である。

換言すれば、Mr.ブッシュが述べていた政策は、いま我々がトランプら一同から聞かされているものとそう変わりはしないのだ。…

まだ腑に落ちないという方がいるかもしれないので申し上げるが、この種のプロセスが民主党サイドに生じたことはいまだかつてないのだ。ヒラリー・クリントンとバーニー・サンダースの討論では…、ちゃんと議論が行われてている…つまりアメリカの政治言論一般の程度が落ちたのではなく、端的に保守陣営がダメになっているのだ。

ここで再び共和党員に目を向けよう。果たしてこういった事態は、Mr.トランプが本当に公認候補者に指名されるだろうことを示唆しているのか? 私には見当もつかない。がしかし、この人物が別の宇宙から突然共和党政治にやってきた闖入者などではないという点をはっきりさせておくのは重要だ。トランプないしその手の輩は、共和党が長きに亘って歩んできた道筋の、行き着く先に他ならないのである。

 

 

ウィレム・トルベッケ 「日本の輸出動向の把握」 (2015年12月21日)

Willem Thorbecke, Understanding the evolution of Japan’s exports , (VOX, 21 December 2015)


近時の輸出動向の確かな把握は貿易政策の確定の要である。本稿では、重力モデルを用いて日本の輸出動向を解析したうえで、結論として中国・ヨーロッパ・韓国への輸出増加を通して輸出の分散化を図ることが日本企業に有益と思われる旨を述べる。

日本の輸出動向にはどのように変転してきたか? 日本は中国の低迷からどの程度の影響を受けているのか? 如何なる貿易政策を取れば日本の輸出をいっそう安定させることが出来るのだろうか? 本稿の目的は、重力モデルを用いてこれらの問題解決に向けての指針を与えることにある。なお同モデルは、経済学が生み出した諸モデルの中でも際立った成功をおさめており、二国間の輸出の流れを予測する際に有用なものである (Anderson, 2011を参照)。

伝統的重力モデルは、二国間の貿易がその二国におけるGDPと正比例し、二国間の距離と反比例するものと想定している。同モデルは、2つの物体間に働く引力がその物体の質量の積と正比例し、その間の距離と反比例する旨を述べるニュートンの万有引力ないしは重力の法則とは類比関係にある訳である。典型的な重力モデルは貿易の流れを説明する際に、二国間貿易コストに影響を与える他の要因、例えば貿易相手国と共通言語ないし自由貿易協定 (FTA) 共有しているか否かといった要因も用いるものである。

Anderson and Van Wincoop (2003) は、二国間の輸出入が同二国間での貿易コストのみならず、第三国との貿易コストの変動にも依存しているという事実を把捉する為に、伝統的重力モデルの修正を推奨している。例を挙げれば、i国からj国への輸出は、i国がk国という第三国と自由貿易協定を結ぶことからも影響され得るというのである。

本稿では、Anderson and Van Wincoop (2003) の推奨に従い、伝統的重力モデルと修正重力モデルの双方を用いて日本の輸出動向の予測を目指す。これらのモデルは、31ヶ国に関する1988年から2013年までのデータを用いて、2つの計量経済学的技法 – パネルOLSとポワソン疑似最尤推定法 – で推定したものである。

重要な結果

幾つかの発見が在った:

  1. 1988年から2006年までの全年度で、日本から合衆国への輸出は正方向での最大の外れ値となっていた。平均すると、この期間中の日本の輸出は、重力モデルの予測値を毎年430億ドル超過していたのである。同輸出の大部分を占めるのは完成製品である。具体的には、消費財が41%、設備および資本財が29%となった。同輸出の多くは自動車部門、電子装置部門、および機械部門に集中していた。一方、2009年から2013年の期間では、日本の合衆国への輸出は、平均すると毎年90億ドル予測値を下回るようになっていた。
  2. 2001年から2005年の期間における日本から中国への輸出は、予測値との比較でいうとかなり急速な成長をみせ、その後も予測値を遙かに上回る水準を維持した。実証データは、2001年から2005年の間にみられたこの輸出の増加が、全面的に 『加工用輸入』 の変化に因るものであったことを示している。なお加工用輸入とは、さらなる高所得国への再輸出に向けた商品を製造する為に中国に送られる部品等をさす。1992年から2008年の間の全年度で、日本の 『通常輸出 [ordinary exports]』、つまり中国国内市場向けの商品であるが、これが負の方向の最大の外れ値であった。2009年から2011年の間に日本から中国への通常輸出は増加したが、その後20%低下している。
  3. 日本から台湾やタイへの輸出も予測をかなり上回るものであった。一方で日本から韓国への輸出は予測をかなり下回った。
  4. 日本からEUへの輸出は年を追う毎に予測値を下回る傾向をみせた。2013年の同輸出は予想より300億ドルも低いものとなっている。

貿易政策への示唆

これらの結果が示しているのは、中国国内市場やEUそして韓国に対する日本の輸出が予測より低いということだ。こういった発見の示唆として、1つには、日本が中国の低迷から受ける影響は – 中国は自国国内市場への輸出を削減するかもしれないのだが -、日本が主要高所得国の低迷から受ける影響ほど大きくない – これら主要高所得国は、目下日本製の部品等を用いて生産されているタブレット型コンピューター、オフィス機器等の精密複雑化した商品の中国からの輸出を削減するかもしれないのだが – 、という点が挙げられる。他にも、日本が北東アジアの近隣諸国およびEUへの輸出拡張を図るのが自然であるとの示唆が得られる。輸出先国を多様化すれば、日本企業が個別の国や地域の低迷に因って被るリスクも減るのである。

自由貿易協定は、中国や韓国に対する日本の輸出を促すものとなるだろうか? 本論文に示した研究結果は、現在のところ当該3国の間に自由貿易協定が一切存在していない事実を踏まえた調整を加えてある。この点の調整を行わない場合、同モデルは、2009年以降の日本から中国への輸出が1年当たり350億ドル高く、また韓国への輸出も1年当たり360億ドル高くなっていると予測するものと考えられる。したがって同結果は、アジア地域における貿易相手国との自由貿易協定締結が有益となろう旨を示す、現在ますます有力となってきた一連の実証成果 (例えば Kawasaki 2014) を裏付けるものとなっている。

グローバルな自由化が、日本にもまたその他の国にも非常に大きな利得を生み出すだろうことは勿論であるけれども、貿易の自由化は特定分野における敗残者をも生み出さざるを得ないのである。したがって、労働力の流動性、並んで不調部門から好調部門への企業の移動を促進する為に、失職者に対しては再雇用トレーニングと付加価値獲得の機会を提供し、また一方で新規企業の参入障壁を除きながら、構造改革を通じて企業撤退を促すことが必要となる。

日本の韓国および中国市場への輸出が予測を下回るなかで、日本の台湾への輸出が予測をかなり上回っているという発見もまた、これら市場における日本に対する認識の差異を反映したものだ。台湾の馬英九総統 [Taiwanese President Ma Ying-jeou] はかつて台湾の日本支配からの解放70周年を記念する日に、日本は占領時に灌漑事業や貯水池建設企画などの良い事もした点を忘れないことが重要であると述べたのだった。中国・韓国ではまだ多くの人が日本に対してネガティブな認識をもっているので、この点対照的である。これらの国では時折反日暴動が勃発し、続いて日本からの輸出が低落するという現象がみられる。

経済的視点に立つと、中国・ヨーロッパ・韓国に対する輸出増加を通して輸出の分散化を図ることが日本企業にとって有益だと思われる。したがって、北東アジアの近隣諸国との自由貿易協定および関係改善が政策課題の重要取組事項となるだろう。

編集者註: 本稿はResearch Institute of Economy, Trade and Industry (RIETI)から許可を得たうえで転載しています。

参考文献

Anderson, J., 2011, “The Gravity Model,” Annual Review of Economics, 3, 133-160.

Anderson, J., and E. van Wincoop, 2003, “Gravity with Gravitas: A Solution to the Border Puzzle,” American Economic Review, 93, 170-192.

Kawasaki, K., 2014, “The Relative Significance of EPAs in Asia-Pacific,” RIETI Discussion Paper No. 14-E-009, Research Institute of Economy, Trade and Industry, Tokyo.

Thorbecke, W., 2015, “Understanding the Evolution of Japan’s Exports,” RIETI Discussion  Paper No. 15-E-131, Research Institute of Economy, Trade and Industry, Tokyo.

 

タイラー・コーエン 「自分の子供にサンタの正体を明かすべきか?」(2014年12月24日)

●Tyler Cowen, “Should you lie to your children about Santa?”(Marginal Revolution, December 24, 2014)


世の親たちは自分の子供にサンタは巷間に流布しているイメージのような人物ではないことを黙っておくべきなのだろうか? サンタの正体を明かすとしたらそれは誰だと伝えるだろうか? ウィル・ウィルキンソン(Will Wilkinson)が次のように語っている

今や我々は神を信じていない。とは言っても、自分の息子を無理矢理無神論者に仕立て上げるつもりはない。息子に特定の思想を押し付けるつもりはなく、そんなことには興味はない。私が育児の面で興味を持っていることと言えば、真実に辿り着く可能性をできるだけ高めるために理性をどう働かせたらよいかを教えることくらいだ。この現実の世界に関する最も興味深い真実の一つというのは、大勢の人々が加担するちょっとした陰謀に支えられるようにして強力な神話の体系が築き上げられていることだ。世の人々は数ある神話の中からどれか一つを選び出して、それを本気で信じ込もうとしているように見える。このような共同幻想のシステムがどのように機能しているかを深く理解するためには自分も実際にその中に参加してみる必要がある。超自然的な存在に関する共同幻想がいかなる社会心理学的なメカニズムによって支えられているかを子供に学ばせる上でサンタクロースというのは比較的害のない格好の入門教材だ。私の息子が将来的にサンタに関する真実を知った暁には幻滅を感じることだろう。しかしながら、それに伴って世間に流布しているその他の超自然的な存在に関する根拠の乏しい信念(神話)一般に対する懐疑心が育まれることにもなるだろう。

私の個人的な意見としては世の親たちは自分の子供をベイズ的な推測の世界に迷い込ませておけばいいのではないかと思うのだが、どうだろうか? 私の両親は息子である私に向かって「サンタはいる(実在している)」とは一度も言わなかった。また、「サンタなんていない(実在しない)」とも決して言わなかった。そこで私はベイズ的な推測を働かせることになったわけだが、かなり潔くと言うべきか「サンタなんていない」という信念の持ち主になるに至ったのだった。だからといって喪失感から幻滅を感じた覚えもないし、「サンタ」からのクリスマスプレゼントもずっと変わらず送り届けられていた。「クリスマスプレゼントのリクエストはどの窓口に出したらいいのだろう?」と頭を悩ますこともなかった。何か問題でもあるだろうか?

それよりも子供たちには早いうちにウォルター・ベンヤミン(Walter Benjamin)の仕事について教えるべきだと思うのだが、どうだろうか?1

99セントを支払えば購入できるアプリの「おしゃべりサンタ」(“Talking Santa”)ではアニメ化されたサンタのキャラクターに話しかけられるだけではなく、雪玉でサンタを押しつぶすこともできれば「バイオレンス」モードに設定してサンタの顔をひっぱたくこともできる。

このアプリはクリスマスの魔力を打ち消してしまう恐れがあると警告を発する社会学者や育児専門家もいる。その言い分はこうだ。子供たちがサンタを学校の友達と同等に扱うようになれば――携帯端末で短いメッセージを頻繁にやり取りしたり、呼び出したり、ツイートを返したりする相手と見なすようになれば――、サンタの特別さ(神秘性)は果たして保たれるだろうか?

アダム・スミスの「ダイヤモンドと水のパラドックス」――実のところは「ダイヤモンドと水のパラドックス」はガリレオ・ガリレイにまで遡れる(pdf)のだが――が思い出されるところだ2

私がまだちびっ子の時の話だが、「サンタ」の膝の上に座った時に「サンタ」の指を見てギョッとした記憶がある。その指には指サックがはめられていたのだ(どうして指サックなんてはめていたのだろうか? 怪我でもしていたのだろうか?) ありがたいことに、そんな日々もとうの昔になりにけり。あの当時「サンタ」と携帯端末でメッセージをやり取りすることができていたとしたら――そんなことが果たして可能な話かは知らないが――喜んでそうしていたことだろう。

  1. 訳注;おそらくは複製技術時代におけるアウラの衰退に関する一連の研究をイメージしているものと思われる。 []
  2. 訳注;「サンタ」のような貴重な存在も(アプリ等を通じて)日常的に簡単に触れ合えるようになると(そこらじゅうに溢れるようになると)その有難味も薄れてしまう(「サンタ」と触れ合うことで得られる限界効用が小さくなる)、という意味。 []