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ジョセフ・ヒース 「偽善」についてのメモ (2014年12月12日)

A note on hypocrisyIn Due Course, December 12, 2014)

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この件は昔から個人的なイライラの元なのです。偽善とは何かということについて、とても多くのジャーナリストたちさえ明瞭な理解をしてないように感じられるのです。簡単のため、日常的な偽善の定義、「していることが言っていることと違う」という定義で話を進めましょう。これは立派な定義なのですが一つ問題があって、誰かを偽善だとして咎めようとするときに相手が言っていることを注意深く観察することが重要になります。特に、ルール一般がどうあってほしいかの話なのか、それとも、所与のルールの下でどんな行動をとりたいのかの話なのかの区別に注意を払うことが大事です。(Viktor Vanberg と James Buchanan は「構造的選好」(constitutional preferences)、「行動の選好」(action preferences)という語を導入しこの二つを区別しました。この呼び方はベストではないかもしれませんが、この区別に関する彼らの議論は重要なものです)。

具体例を挙げましょう。先日私は、ビル・ゲイツが選んだ2014年の5冊 についての小さな記事を読みました。うち一冊はトマ・ピケティの「21世紀の資本」だったのはウケました。ゲイツはこう言ったそうです。「著者のいちばん重要な結論に賛成だ。不平等の問題はますます大きくなっており、政府はこれを緩和する役割を果たすべきだ。著者の業績を称えるとともに、これが賢人たちが不平等の原因を探求したり解決するためのきっかけになることを期待する。」と。

こう言うと決まって「偽善だ!本当に不平等を解決する気があるなら自分の金をばらまくんじゃないのか?」という反応がありますね。知っての通りゲイツは自分の巨額のお金を—あなたや私が稼いだ以上の額を—ばらまいてきましたし、彼の子供たちに残す額にも厳しい上限を設定しています。しかしそれでもまだ彼はクロイソス級のリッチマンですし、彼があと20億ドルもばらまけば不平等をそれだけ緩和することになるのも確実です。さて、では彼自身が自分のお金でもっとできることがあるのに、政府に対して不平等の緩和のためより積極的な役割を果たすよう求めるのは、果たして「していることが言っていることと違う」ということになるのでしょうか。

答えは「ノー」。その理由は「構造的選好」と 「行動の選好」 の区別にあります。
ほとんどの人は、ある問題について自分個人がどれだけの義務を負うのかは、他の人々がどれくらいのことをしているかにある程度依存していると考えています。その人は同時に、他の人々がもっと多くのことをすればよいのにと思っているかもしれないし、また、他の人がそうするなら自分も喜んでそうするつもりもある、という場合もあります。つまり、自分を含む全員がXをするというルールに変えることを常に支持するけれども、同時に、そのようなルールがまだないのであれば自発的にXをすることはしない、ということがあり得るわけです。これは単純明快なポイントなのですが、公共の議論においてしばしば無視されています。(ジェラルド・コーエンの著書、『あなたが平等主義者なら、どうしてそんなにお金持ちなのですか』はこの単純なポイントに焦点を当てていればはるかに短い本にできたといつも思うのですが、考えてみればそれができないことがコーエンのこの仕事の欠点の一つなのでしょう。)

さて私は、税はあと1%高い方がいいと考えているのですが、かと言って自発的に余分に払うことはしていません。私のずる賢い会計士は私の税負担を減らすために様々な手法を駆使しています。大学教授はもっと授業をするべきだと考えていますが、自発的にクラスを増やしたりはしません。気候変動と戦うために私たちはあらゆる手段を講じるべきだと考えますが、私自身は明らかにサステナブルな水準以上の炭素エネルギーを消費しています。それでも私が偽善ということにはなりません。

とは言え、「みんなだってそうしている」、「みんながやるなら喜んでやるけれど」という言い訳を余りにも利己的に使いすぎる人のことを、何か一つの言葉で記述しようという考えが間違っているというわけではありません。たとえば、気候変動に対してのカナダの態度ですが、「構造的な」水準で言えば炭素使用量緩和の枠組みを決めたいと私たちは皆が思っていますが、個々の行動の水準においては、全員が計画に同意できるまで何も実行する準備がないわけです。個人レベルのアナロジーで言えば、「皆が正直に税を払うべきだと思う」と言いながら、どこかの誰かが税を回避しているということを知ると「なんで自分が払わなければならない?」と言って、あらゆるスレスレの税回避手段を駆使するような人。

一般化するとこういうことです。ある行動Xは全員の義務であるべきという構造的選好を持っているような人であっても、それが全員の義務になっていない状況においては行動Xをとる義務はありません。とは言え構造的選好はあなたの行動を緩やかに制限するはずです。つまりXと正反対のことは選択すべきではない、というように。これを犯してしまう不道徳にも名前があれば良いですね —「偽善」は明らかにこれを表現するための適切な言葉ではないので。

そうそう、偽善の正当な例をお望みでしたら、こういうのがそうでしょう。

ジョセフ・ヒース 「規範的な社会学(normative sociology)」の問題について (2015年6月16日)

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先週のエントリでは、昨今のアカデミアで見られる複合的な振る舞いについてジャーナリストたちが「ポリティカル・コレクトネス」という意味未分化な単語で描写しがちであることへの不満を述べました。「古典的な」ポリティカル・コレクトネス-たとえば言葉狩り-の問題はすっかり廃れているのですが、それとは別の困った傾向が潮流として存在することを述べたのです。今週はその続きとして、私たち(物事を分類するのが大好きなのです)が「規範的な社会学(normative sociology)」と呼んでいる、やはり少々問題がある慣習について書こうと思います。

この「規範的な社会学」というコンセプトの由来は、ロバート・ノージックが「アナーキー・国家・ユートピア」の中で軽い調子で書いたジョークです。「規範的社会学、つまり『何が問題を引き起こしている”べき”なのか』、の学問がわれわれ全員を魅了する」。これはカジュアルな発言ながら鋭い観察です。社会問題の研究にはほとんど抗い難い誘惑があります。それは自分がその問題の原因であってほしいものを研究してしまい(その理由は何であれ)、本当の原因を無視してしまうことです。これを修正しないまま続けていくと、さまざまな社会問題についての「”政治的に正しい”説明現象」が起こります。つまり、AがBを引き起こしているかどうかに関してしっかりした証拠はないのに、どういう訳か、AはBの原因であるべきだと考えてしまうという現象です。さらに、AがBを引き起こすという関係を否定することは道徳的な非難を受けるという状況に至り、この関係は証拠を調べることによってではなく、「そうあるべきだと思うから」という理由で支持されるようになります。

話を進めるために一例を挙げましょう。「人種差別」に関して、証拠が示すところをはるかに超えた強い因果関係の主張がなされているのをしばしば耳にします。その中には正しい主張もあるでしょうけれど、そこには聖なる道徳の印が刻まれており疑わしい因果関係が仮定されています。これは倒錯です。何が何を引き起こしているかという問題は純粋に実証的であるべきだからです。

その因果のつながりを問うことはしかし「人種差別を小さく見積もる」方向になりがちです。(実際、上の二つのセンテンスを読んで「オーマイガッ、この筆者は人種差別を小さく見積もろうとしているな」と思いはじめる人がほとんどでしょう)。また、人種差別はとても悪しき事であるがゆえに、それが他の多くの悪しき事をも引き起こしているに違いない、という感覚もあるようです。しかしこの直感は道徳的なものであり、非論理的です。一般に、(本質的に)極端に悪い事象なり、非常に一般的な事象であっても、因果の論理という面では特段重要ではないということなど幾らでもあり得ます。

この種の道徳と因果関係の間の倒錯はしばしば起こっていると感じます。さらに言えば、この問題は「定性的な」社会科学の領域で特に大きな悪さをしていると考えます(私はこの分野に強い共感を抱くものではありますが)。実は、社会科学の定量的アプローチの大きな利点の一つは、規範的な社会学をすることだけで済ますことを不可能にするところにあります。

なお「規範的な社会学」に左翼バイアスがあるというわけではなく、保守側の事例も多くあります(例えば離婚率の上昇は同性愛の受容が関係している、とか、婚外児の出産は福祉制度によって引き起こされている、など)。ただ、左の人々は社会問題を解決することに熱心であることが多く、それゆえ具体的な関心がより強いため判断に強いバイアスがかかりがちなのです。これは非常に苛立たしい状況です。原因を攻めることによって社会問題を解決しようとするためには因果関係を正しく把握しなければなりません。さもなくば介入が役に立たないどころか、逆効果になりさえします。

これは「反逆の神話」の中で消費主義について書いたときに考えていたことです。この本でアンドリューと私が示したかったことの一つは次のようなことです。左翼は「過剰生産による恐慌は資本主義の宿命である」というマルクスの古い思想を基本的に受け入れて、何が消費主義を引き起こしたかの理論を打ち立てそれに固執しました。そして、消費主義に関連するさまざまな現象(公告、計画的な陳腐化、不足感を煽り続けること)は、過剰生産の問題を何とかする試みであるとして説明しようとしたのです。こうして時間をかけ、精巧な建造物がこのたった一つの根拠の薄い主張の上に構築されて行きました。この主張は実証的に検証されることもなく、しかも少し詳細に分析すれば意味すらなさないものだったのにもかかわらずです。資本主義には「矛盾」がビルトインされていると信じたかったのです。かくして、活動家たちは本来解決しようとしていた問題とは関係のないものを変えようとし、とりわけ消費主義の問題ではむしろ事態を悪化させる「解決策」を推し進めようとし、結果として膨大なエネルギーを浪費することになりました。

私はそのように考えていたので、ロバート・フランクの著書「Choosing the Right Pond」の次の箇所には感銘を受けました。以下の箇所で彼は上に書いた左翼の傾向について不満を正確に述べています。

左の批評家たちは歪んだレンズを通して市場を見ている。彼らはまず、市場の中に強者が弱者を搾取するシステムを見る。市場支配力がある企業は、機会が限られている労働者たちよりも不当に有利な立場にあると。左の批評家たちはさらに、市場は社会のニーズのない製品を売ることを促しており、市場はこれに立脚してすらいると見る。彼らは巧みな広告を見て、環境は汚染され、子供たちの読むべき良い本がない状況なのにもかかわらず、引っ込み式のヘッドライトを備えた燃費の悪い車に所得を吐き出させるように人々を誘惑するものだと捉える。そして最終的には、市場システムにおける報酬は、必要性にもまたメリットにさえも比例しないとする。ほんの少し才能や能力が違うだけで、しばしば収入が劇的に変わるというわけだ。報酬は行われた仕事の社会的価値とほとんど関係がない:法人顧客が税の抜け穴を利用するのを手伝う弁護士が年数十万ドルの収入を得るのに対し、苦労して8年生に数学を教える自分たちはわずかしかもらえない(162)。

ここまではお馴染みの話ですが、ここからもっと面白くなります。

ほとんどの人は当然ながら、政治的スペクトルの両極端に位置しているわけではない。市場システムについて両端の勢力が主張している見方の中間のどこかを真実と見ているだろう。本章において、一番実りの多い解釈は市場が両端の主張の中間地点に領域にあると安易に捉えることではないということを述べる。ここで描写される市場は、擁護者が主張している肯定的な諸価値と、批判されている欠陥を網羅したものになるだろう。但し、左翼が市場がうまくいっていない理由として指摘しているものはほとんど例外なく間違いであることについても述べよう。(162-3)ほとんど関係がない:法人顧客が税の抜け穴を利用するのを手伝う弁護士が年数十万ドルの収入を得るのに対し、苦労して8年生に数学を教える自分たちはわずかしかもらえない(162)。

この章の締めくくりは控えめな勝利宣言です。

左翼は、実際の問題を特定しながらそれを間違った原因に帰着させてしまったため、政策としての解決策を提示することが難しいということになったのだ。(177)

このような意見表明を聞くことは滅多にありませんので読んで驚いたものです。左翼は常に正しく問題を捉え、しかし説明を間違え(そして間違いと判明してからも長い間それに執着し)、そのため何ら実効性のあることができていません。

「規範的な社会学」はいろいろな意味でこのことと関係していると思います。また、ざっくり見たところ(社会問題を批評する人の言うことを何百時間も聞いてきた経験から)次のような四種類があります。

1.政策手段を求めて

そもそも未解決の社会問題が未解決になっているのは、その問題が直ちに法的な判断が下せる領域の外で起こっているからです。それは私的領域での問題だったり(たとえば家族内でのジェンダーの分業)、個人の自主性の行使と関係するものだったりします(たとえば高校からの落ちこぼれ)。従って問題を簡単に解決できる明確な政策手段は存在しません。国は単純にこれらの分野に直接介入する権威(あるいは権力)を持っていないのです。

よって、それらの問題の解決を望んで問題分析に取り組む人にとっては、何か別の政府が政策手段を確かに持っている領域が、対象と因果関係を持つと考えたくなるという、非常に強い誘惑が存在するわけです。この傾向がいちばん明確に表れているのは不平等からの因果関係を過大視する傾向だと思います。なるほど富の再配分は政府がコントロールすることができます。なのでもし「厄介な社会問題A」が「集団Bの貧困」によって引き起こされているということを示すことができれば、政府に問題Aの解決手段が与えられることになります。集団Bに富を再配分することは常に可能なのですから。

具体的な例として、昨今よく耳にする「社会的健康勾配(social health gradient)」というものがあります。健康状態とSES(socio-economic status: 社会経済的地位)の間には驚くほどの強い相関があります。対して医療リソースの分布は比較的公平なのです。SESは、富と社会的地位の不平等を統合して表すようにデザインされた複合概念です。当然のことですが、国からすれば富は容易に再分配することができるものである一方、社会的地位の方の扱いはかなり難しく、そのヒエラルキーに介入したり、ましてや改良したりする力は国にもほとんどありません(富の再分配よって間接的に介入することはあり得るでしょう。しかし、その受益者は給付を受けるという正にそのことよって社会的地位を失ってしまうという、意図と逆の結果に終わることが多いのです)。このように地位の不平等に関連する社会的健康勾配に対しては、国にできることが事実上何もないのです。公衆衛生に関してのこんなプレゼンテーションは、これまで幾つ聴いて来たかわかりません。SESの話から始まるのですが、富の不平等の話に微妙にずれて行き、何らかの所得再分配を推奨して終わるというような。

2.「被害者を非難してしまう」心配

この道徳と因果関係との間のいちばん良くある錯誤は、人々が「責任」を考え始めるときに発生します。X氏がAを引き起こした時に、Aの責任はX氏が負うと考える傾向はものすごく強いものがあります。そのため、あなたがAの責任X氏に負わせることを望まない時には、 X氏の選択ないし行為がAを引き起こしたことを示唆するものすべてに抵抗したくなる強い誘因を覚えることになるわけです。これはもちろん錯誤です。なぜなら、X氏がAを引き起こしたのかどうかは単に事実の問題であって、責任の問題を判定するものではないからです。ところが、学者がある社会問題の原因について単に実証的な結論を述べた際に、「被害者を非難するのか?」と攻撃される話をしばしば耳にするわけです。道徳が無関係なところに侵入しているのです。この種の推論に従ってしまうと、私たちは「本当の原因そのもの」についてではなく、「本当の原因であってほしいもの」について語ることにのみ終始するようになります。

もう少し説明しましょう。ある結果に対する責任を誰かに割り当てるとき、原因(因果関係)はその目的のための必要条件ですが、十分条件ではない場合もむしろ多くあります。「『多すぎる原因』現象」と呼ばれるものがあるのです。たとえば私がビール瓶を窓から戸外に放り投げたとして、下の通行人がケガをしたら、ケガを引き起こしたのは私であることは明白です。ただ、他にもその人がその瞬間に私の家の前を散歩しようと思い立ったこともまたケガを引き起こしています。同様に、その場所での散歩が禁じられていないということや、酒屋が私にビールを売ったことなど、寄与していたことはいくらでもあるのです。このように「誰の責任であるか」は因果とは別の問題です。「何が何を引き起こしたという話」と「誰の責任なのかという問題」とは完全に切り離されるべきなのです。もちろんたいていの場合前者は後者のための議論ですが、前者の議論に後者への関心を持ち込むことは厳に避けられるべきです。

この問題がはっきり出ている例を一つ挙げましょう。貧しい国々の開発が遅れている原因として地域事情があることを認めることに対する非常に強い抵抗です。貧困は金持ち国によってもたらされている害悪であるとか、あるいは金持ち国の過去の罪のせい(たとえば植民地主義の遺産)であるとして取り扱うための圧力が存在します。そうなってしまうのは、説得力のあるメカニズムを想定することによって、と言うより、「被害者を非難」したり貧しい国々の人々自身の状況のせいにすることを避けるために、という方がむしろ適切です。

3.相関の片側を強調

これは微妙な問題です。統計分析ではよく二つの事柄間の相関関係を明らかにするのですが、誰もが知っているように相関関係は因果関係を意味しません。AがBと相関する場合には次の可能性があります。1)AがBを引き起こしているか、2)BがAを引き起こしているか、3)互いに補強し合っているか、4)別のCがAとBの両方を引き起こしているか。にもかかわらず統計的相関が因果関係として報道されることなどしょっちゅうです。(例えば、医療報道でも大きな問題です。私の母は大人になっても、アルツハイマー病患者の脳にアルミニウムが存在していたという研究の報道に影響され、アルミニウム鍋での調理や抗発汗剤の使用を恐れていました。しかしこの研究が正しいとしても、アルミニウムへの暴露がアルツハイマー病を引き起こしているとする理由はなく、話しは逆で病気がアルミニウムの蓄積を引き起こした可能性もあります。)このような思考の転倒はいつでも起こり得るもので、AがBを引き起こしていると考えたい人が、相関関係の証拠に過ぎないものを自分の見解を立証するものと見なしてしまうのは自然なことです。

上記三つの傾向を全部含んだ格好の例を提供してくれるのが、所謂「貧困の文化(culture of poverty)」についての議論です。貧困には、自己弱体化とでも言うべきさまざまな行動(十代の妊娠、家族崩壊、麻薬中毒、ドメスティックバイオレンスなど)が伴うということが(統計的に)はっきりしています。これを踏まえてステレオタイプの保守派はこう言います。「彼らが貧しいのも無理はない。彼らが自身が間違った選択をしたのだから。」同じものを見てステレオタイプのリベラルはこう言います。「彼らが悪い選択をしてしまったのは無理もない。彼らはとても貧しいのだから。」実際には両方が相互に補強し合っているとするのが妥当な場合が多いのですが、因果関係の片方向を抽出し、そちらだけに集中するというのが、むしろよく見られるイデオロギー的反応です。

リベラルのこの振る舞いは上記の「政策手段を求めて」とみなすこともできます。「貧困の文化」と説明はされますが、誰もそれを変えるアイデアを持っていません – 聖職者の説法を聴けば少しは良くなるというものでもないでしょう。ところがお金の再配分なら実行可能です。また同じく上記の「犠牲者を非難する」のを避けようとする欲望も明らかに発動しています。悪い文化的傾向を「前提と考える」のは、何らかの形で個々に責任を負わせていると見られることになってしまいます。しかしお金を配れば良いとするならばその心配がありません。)

4.道徳的畏敬

先にも少し書いたのですが、ある種の行動やエピソードについては道徳的畏敬(the moral awfulness)により重大な帰結が要請されている、ということがしばしばあります。そこからは容易に、この帰結を認めない者はある意味で道徳的畏敬を軽視しているという認識が導かれます。(誰もが道徳的な帰結主義者であるならばこの問題はありません。道徳的畏敬が純粋に効果にだけ向けられるのであれば、効果が小さければ畏敬もわずかで済みます。しかしほとんどの人は帰結主義者ではないのです。)

近年の議論におけるこの一つの良い例は、不平等の広がりに対する態度です。ほとんどの人は不平等はとても悪しき事と考えています。そして、とても悪しき事はさらに多くの別の悪いことを引き起こしているに違いないと考えたくなります(リチャード・ウィルキンソン とケイト・ピケットによる「平等社会」やジョセフ・スティグリッツの「世界の99%を貧困にする経済」がこの傾向のよい例です)。また、政情不安や革命は貧困と不平等によって引き起こされると考える欲望にも根強いものがあります。しかし証拠からは、むしろ不平等は「原因になっていない」ことが示唆されています(実は重要なのは「期待の高まり」なのです)。こうして不平等からのそのような連鎖を認めない人であっても、その言い訳をしようとしがちになります。(ここではクルーグマンがスティグリッツの文章に対して興味深いコメントをしているのですが、わざわざ自分が不平等を批判するものであることを強調していることに注目しましょう)

追記:アレックスさん、貴重なご指摘どうもありがとう。二点。第一に、社会学者の一部はこの問題に敏感になりつつあります。誤解を招かないように言いますが、この話は実際の社会学についてのものではありません。次のジョークの中で”社会学”という単語が使われているということです。「社会学者は社会の問題(たとえば、何だか変な風習)の原因を研究する人々です。規範的社会学者は何が原因であるべきかを研究する人々です(よほど変!)。」私自身は、実際の社会学者に対してではなく、第一に哲学および政治理論畑の人々に適用するものとしてこの言葉を使います。第二に、「お前こそ主張をサポートする証拠を示していないではないか」との指摘に対しては「ええと、これはブログエントリなのですが」と。もしあなたが規範的社会学がなされるのを一度も見たことがないとおっしゃるなら、ご同慶の至りです。あなたは私が参加してきた会議よりもまともな会議に出て来られたのでしょう。

ジョセフ・ヒース 「『じぶん学』の問題」(2015年5月30日)

The problem of “me” studies

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大学での「ポリティカル・コレクトネス」の問題についていろいろ言うジャーナリストがたくさんいるのだが、言っていることはたいてい古臭いか、どこか的外れに思われるものばかりだ。私が自分が見るところ、ポリティカル・コレクトネスの盛り上がりは90年代初頭に最高水位に達したが、そのあとはずっと凋落傾向にある(少なくとも教員の間での話で学生については別の問題だ)。この認知相違の一因は、不正確な語法にありそうだ。大学外の人々はポリティカル・コレクトネスという言葉の下にたくさんの別のものをまとめてしまうのだが、大学ではそれぞれ別の言葉が使われている。今日ここで書きたいのは、しばしばポリティカル・コレクトネスとされてしまうが、正確には「“じぶん”学」の問題として知られている、ある困った状況、傾向についてだ。

まず、ポリティカル・コレクトネスが凋落傾向にあるとはどういうことのが説明が要るだろう。ジャーナリストがこれを口にするときにたいてい思い描いているのは、あの古臭い「言葉狩り」だ。もちろん、いまだに大学でこれが発生していることは認めざるを得ない。先日も大学のある人が、私が出した本のカバーに書かれた「この二十年で、西側諸国の政治システムはますます分断されつつある。右と左にではなく、気違いと非気違いに」という文に異議を挟んできた。「気違い」という言葉を使うことを非難するのだ。明らかにこれは「差別」だから。

つまり、そういうことは今もある。ただ、それはもはや深刻な問題とは受け取られていないのだ。この種の言葉狩りは大学ではバカバカしいネタで、誰もがそれをどうやればいいか知っていて、しかも、学部を終える頃までには卒業するものだ。いろいろな人がいる集団の中でこのような言葉を使えば周囲は呆れて目を回す。そんなことをすれば「お仲間」以外の人たちからは話をまともに扱ってはもらえなくなる、ということに普通はなっている。。

他方、もっと深い問題がしっかり残っている。「“じぶん”学」と呼ばれる現象だ。学生に対し私たちはしょっちゅうこう言う。「長い目で成功するためには、自分が深い興味を持つことができ真に情熱を持てるテーマを選ぶことだ。」当然ながら一番情熱と関心を持てるテーマとは・・・まさに自分自身、となる。この瞬間に地上で起こってい事柄の中で自分の生活こそが最も興味を惹かれるものだと考えるのは圧倒的で当たり前の傾向だ。人生は自分のためのものなのだから!

というわけで「自分の情熱に従いなさい」という助言に従い、本質的に自分自身についてのテーマからの招待に応じる人々がいる。一例として、モントリオールで人類学を学んでいた私の古い友人の修士論文なのだが、タイトルを正確には思い出せないが、確か「モントリオールのプラト―地区におけるケベック人-ユダヤ人カップルの違いの埋め方」というようなものだった。彼女は当時ユダヤ人若者と一緒に、ご想像通り、プラトー地区に住んでいた。そう、彼女の修士論文のテーマは自分の関係性に関する問題だった。この例は、クラシックな 「“じぶん”学」。

今の例は、害はないが、少し歪んだものではある。なぜなら、基本的に人文学の広い意味での目的を転倒させている。人文学の本来の目的は、歴史的また文化的にすさまじいまでに多様な形をとる人間経験というものについての理解を深めることだ。基本的に、異なる人々は異なるやり方で世界を理解し評価しているということを深く理解するためだ。それゆえ自分自身を研究することに時間をかけることは、ある意味専門知識としては良くないということになる。もちろん全ての人がよい専門知識を持たなければならないということでもない。

ただ「“じぶん”学」は、「自分自身そのもの」ではなく「自分が抑圧されているもの」を学ぼうとする場合に、問題をはらむものになりやすい。もちろん抑圧自体は完全に正当な探求テーマであり、形態も多様がある。実際、20世紀を通して私たちが消し去ろうとした様々な社会的不公平は、その努力もむなしく、非常に御しがたいものだとわかっただけに過ぎない。

なにしろ、不公平を無くすのが難しい理由を示すことだけでも驚異的にチャレンジングな冒険だ。(一例として、男女の給与格差を挙げる。この格差がどうして生まれるのかは全くわかっていないし、これまでに明らかになっている諸理論も問題全体の断片に過ぎないということは少し論文に当たるだけでわかるだろう。解決が待たれる社会科学上の重要問題が居座っている。)

それにしても、多様な形をとる抑圧というものを学ぶのに最もふさわしいのはどのような人だろうか。立ち止まって考えてみるとこの問題の扱いはむつかしい。いちばんふさわしい位置にいるのは実際に抑圧されているに人だろうか、それともそうでない人だろうか。どちらも理想的とは言えない。理論構築のどこかの水準で自己利益か自己弁護のどちらかのバイアスがかかるだろうからだ。

これに対しては、たくさんの人が同じ問題を研究しロバストなディベートを積み重ねればバイアスは修正されていくだろう、という議論がある。しかし残念ながら、実際にはなかなかそうはならないのだ。抑圧についての学問は、その抑圧に関連する苦しみを負った人ばかりを過剰なまでに惹きつけてしまう面がある。 そもそも「“じぶん”学」は個人的な野心や不満に訴えかけるものであるから、そういう人はそこに強い関心を持っている。このことは、この抑圧をべつだん受けていないような人たちを締め出す力学を生み出す。

学問の質という面で、これでは悲惨なことになる。「批判研究」といったものを専門にしている人が、批判的な思索からは驚くほど遠い人だったという経験をしたことがこれまで何回あったかわからない。彼らには、批判的な思索にとって最重要なスキルであるところの「自己批判」、自分の見方に疑問を持ったり自分のバイアスを修正したりする技術が欠落している。彼らがそうなるのは、自分の見方を深刻に揺るがす挑戦を受けた経験がないからだ。(最初から自己批判に長けた人はいない。上達のためのたった一つの方法とは、自分に賛成しない他人からの挑戦を受けることだ。)

ある研究対象が研究者自身のかかわる抑圧で、同時にその研究者が抑圧される側に属していることがはっきりわかっているようなとき、同情はするけれど意見には賛成しない人たちは挑戦してこない。そういう問題だ。挑戦することにより、同情していないかのように見えてしまうことを避けるからだ。そして特にあなたに同情しない多くの人々もまた、何も言わないだろう。彼らだって同情していないことをわざわざ示そうとは思わない。かくして、聞こえてくる意見は次の二種類の人々からだけということになっていく。一つはあなたに同情し、かつ、あなた以上にラジカルなスタンスな人たち。もう一つは非同情的で、同時に、どういうわけか他人にどう思われるかを気にしない人たちだ。

これについて私は下のようなイメージを持っている。まず、人をその抑圧を悪いと考える人とそうでない人のグループに分ける。不公平かもしれないが人間性というものに敬意を表して、前者の方が多いとしよう。さらに、同情的かどうかと、その抑圧に対してどのような態度を採るかの基準を考えよう。まず、ラジカルで極端な見方を持つ人がいるだろう(例えば、この問題を改善するために社会秩序のすべてをひっくり返せば良いと考える)。中庸の人もいて、保守的な人(改善策はほとんどないし、改善の試みがかえって状況を悪くしかねないと考える)もいるだろう。

無題J

あなたのポジションは「中庸」と「ラディカル」の間の位置だとして、自分の見解についてプレゼンするとする。挑戦してくるのは誰だろうか。それは基本的にあなたよりよりもラディカルな見方をする左側の人たちと、はるか遠くの右端にいる人たちだろう。前者は、発言があなたに同情的ではないと受け取られられてしまうという心配がないゆえに自説を主張する。後者は、まさに同情的ではないゆえに、また、周囲にそう受け取られることも気にしないがゆえに。

実際、プレゼンの質問時間が次のようになったのにを何回立ち会わされたからわからない。プレゼンで発表者が大多数の人々の考えは間違った方向を向いているという見方を示していた。次のようなことは誰も言おうと思わない。「その指摘に意味があるとは思えない」、「その主張の根拠を言っていないようだが」、「その政治的提言は利己的すぎる」、というような。他方、出てくる質問は次のような二種類の質問だけだ。「その分析はで、本当に社会的開放の実践に繋がっていくのかが心配だ」(つまり「あなたは左翼として甘い」)というタイプ。もう一つ、「あなたたちはいつだって自分の問題の不平をいう」(つまり「自分は無神経な “jerk” だ」)というタイプ。

そして、多くの人はプレゼンの後、会場の外で本当はどう考えるかを語る。さまざまな形の理性的な批評は全部ここでなされるだろう。もしプレゼン者が彼らと交流していたら真に有意義なものになったであろうような指摘がなされるだろう。というわけで、「“じぶん”学」の実践者は基本的に両極端の人々からだけしか真摯なフィードバックを得られないので、研究の質の向上という意味において、初めから巨大なハンディキャップがある。

さらに悪いことに、上のシナリオと同じ出来事が繰り返されることにより、議論はますますねじ曲がっていく。何故か。プレゼンターの右側に位置する人のうち大声で発言しようとするのが、言ってみれば、プレゼンターから見て道義的に間違っている見方をする人々のみだ。するとプレゼンターは「自分に賛成しない人たちは全員が道徳的に怪しい」と感じるようになりがちになる。つまり 「“じぶん”学」の実践者から見て、「自分に賛成しない人々」と「道徳的に非難されるべき見方をしている人たち」とが強く相関しているように感じられる。こうして、理性的な不同意が存在する可能性を簡単に見失ってしまう。ここで理性的な不同意とは、道徳的信念をおおむね共有しつつも、すべきことは何か、また改善のために必要な正義は何かという点では賛成でなかったり、その問題は道徳とは関係ないプラクティカルなものだと考えていたりすることだ。

以上のメカニズムは、どうしてあれほど多くの「“じぶん”学」実践者たちが、リアクションに対しあれほどまでに応報的に対応するようになったかをかなり説明できているだろう。彼らは、自分の見解に対する「すべての」批評が、道徳的に疑問がある動機からなされていると考え始める。これはポリティカル・コレクトネスと呼ばれているところの、はっきり言えば、全ての反論を教化しようとする傾向となり、知的な批判にも知的には対応せず、ただ応戦するようになる。

こうして全ては悪循環になる。どんな批評に対しても激怒するものだから、同情的な批評はますます得られなくなってしまい、 コメントはとうとう”jerk” か極端な左翼からのものだけになる。こうして反論への応戦という対応を生み出した認知がさらに強化されるというわけだ。そうなると救いようがなくなる。

学問の世界にいて30年、この力学の具体例を数ダースは挙げることができる。問題に嵌ってしまった人たち。ちょくちょく話題になるようにはなったが、誰も大衆に問いかけようとは思わないような変な考え方。この特殊世界の人々は、私に対しても怒りを向けるようになる。これに対し私はいつも黙るだけだ。私が何を考えているかを知りたいならば質問すれば良い。彼らから質問されたことは一度もないけれども。

スコット・サムナー 「三つの10月」

●Scott Sumner, “Three Octobers”(TheMoneyIllusion, March 8, 2009)

表題の「三つの10月」というのは1929年(の10月)、1937年(の10月)、2008年(の10月)のことを指している。いずれもコモディティ(一次産品)価格の下落を伴う株価の急落に見舞われた年だ。迂遠なようだが一歩引いて過去の例(1929年10月と1937年10月のエピソード)を振り返ることで昨今の危機をより深く理解できるようになるだろう。というのも、これら三つのエピソードの間には興味深い類似点があるからだ。

これらの三つのエピソードはいずれも広い意味での「貨幣的な」(monetary)問題を根っこに抱えていると言えるが、現代の金融理論をもってしては簡単に説明し尽くすことのできない面を持っている。その一方で、私が前回のエントリー〔邦訳はこちら〕で描写したモデルに照らして考えるなら、これら三つのエピソードを通じて経済を深刻な不況へと押しやった力が何だったのかを説明することができる。例えば、私自身のモデルに照らせば、1929年に関しては中央銀行による金(ゴールド)の退蔵(溜め込み)が問題の元凶であり、1937年に関しては民間部門による金の退蔵(溜め込み)が問題の元凶であり、そして2008年に関しては民間銀行による準備預金の溜め込みが問題の元凶であったという結論が得られるのだ。

これら三つのエピソードの間には重要な相違点もある。1929年には純然たる需要ショックが発生したが、金融システムや供給サイドではこれといって大きな問題は起こらなかった。1937年には金融システムは安定していたが、経済は強烈な賃金ショックに見舞われることになった。そして2008年は強烈なオイルショックと厳しい金融危機に襲われた。

これら三つのエピソードに関して私がとりわけ興味を惹かれるのは、金融系のメディアの当時の報道を眺めていると(株価暴落に見舞われた)10月前後の時期にいずれのケースでも劇的に期待が変化したという強い「感じ」(the strong sense)が読み取れることである。投資家たちが名目GDP成長率の向こう2、3年先の見通しを突然劇的に引き下げたという「感じ」が読み取れるのだ。もちろん今も昔も新聞で「名目GDP」について言及されることは滅多に無いが、いずれのケースでも10月にインフレ期待と実質成長期待が急落したことを示す明らかな「感じ」があるのだ。例えば、1929年の半ばにおいては経済は力強いブームの最中にあったのに、12月に入ると状況は一変して今回の不況はいつになく厳しくなるだろうという不吉なレポートがたくさん出回るようになり、鉱工業生産は第4四半期に極端な勢いで下落したのであった。1937年と2008年のケースではいずれも株価が急落し、それと同時にコモディティ市場(そこでも価格が急落していた)や債券市場(短期金利はゼロ%に近い水準にまで下落した)から非常に弱気なニュースが流れ込んできたのであった。それに加えて、1929年のケースと同様に、1937年のケースでも2008年のケースでも生産はいつになく極端な勢いで減少することになったのである。

これら三つのエピソードのいずれでも株価暴落がそれに続く不景気の引き金となったのではないかと考えたくなるかもしれない。しかし私はそうではないと思っている。1987年の10月(また10月!)にもこれら三つのエピソードに引けを取らないほどの株価暴落が発生したが、その後に不況どころか景気のマイルドな減速すら起こらなかったのである。もちろん個々の事例はそれぞれ事情が異なるとは言え、株価暴落がそれ自体として経済成長に強い影響を及ぼすだけの力を持っているのだとすれば、1987年のケースでも株価暴落の直後にちょっとくらいは景気が落ち込んでもいいはずだろう。

 

1929年10月

現在私は大恐慌をテーマとした本を執筆している最中なのだが、正直言ってその本の中でも1929年の株価暴落を完全に説明できるかどうか心許ないのだが、部分的な説明ならできると思っている。鍵は金融政策だ。当時は言うまでもなく金本位制下にあったわけだが、金本位制下で真に外生的な政策ツールと呼べるものは金準備率(中央銀行が準備として保有する金とマネタリーベースとの比率)だけである。フランスが金本位制に復帰した1926年12月から1929年10月までの間に世界全体で金準備率は年率2.5%のペースで上昇したが、これはマイルドなデフレーション政策であったと言える。実際にもこの間に世界全体の物価水準はやや下落傾向にあったのである。

金準備率はその後の12ヶ月の間にさらに9.6%もの急上昇を見せ、ほとんどの先進国は厳しいデフレーションと不況に陥ることになった。前回のエントリー〔邦訳はこちら〕を見逃した読者のために説明しておくと、中央銀行が金を退蔵する(金準備の保有量を増やす)と金の実質価値が高まることになる。金本位制下では金は価値尺度(the medium of account)の役割を果たしており、価値尺度である金の実質価値(もしくは購買力)が高まるということは物価の下落(デフレ)を意味することになるのだ。

金準備率が上昇した原因についてはここで説明するには複雑すぎる。果たしてマーケットが事態を正確に理解できていたかどうかも微妙なところだ。ただし、マーケットは金準備率に異変が起こっていることをはっきりと意識してはいなくとも、中央銀行が知らず知らずのうちに誤って非常にデフレ的な政策スタンスをとっていることを直観レベルで理解していたのではないかというのが私の意見だ。1930~38年の期間においては株式市場の動きと金融政策との間の関連を容易に見い出せるのだが、こと今回(1929年10月)のケースに関しては金融引き締めが株価暴落を引き起こしたことを示す「決定的な」証拠がなかなか見当たらないのも事実だ。しかし、大恐慌の引き金を引いた過度に緊縮的な金融政策がこの10月の株価暴落の付近で既に始まっていたように見受けられるのは興味深いことだ。金融引き締めと株価暴落との間のつながりを示す証拠を見つけ出せたとしたら私が一番乗りということになるだろう。

1929年10月の株価暴落を引き起こしたと思われる要因は4つある。重要な順に挙げると次のようになるだろう。

1.  とりわけ米国、フランス、英国において世界全体の金準備率を大きく上昇させるような金融政策のスタンスが採用されたこと。

2.  株価暴落と同じ時期にニューヨーク・タイムズ紙の見出しを賑わせることになったスムート・ホーリー法をめぐる激しい議会闘争。ジュード・ワニスキー(Jude Wanniski)もこの説を採っているが、私が考える理由は彼とはやや異なる。

3.  10月初めに ドイツの政治家シュトレーゼマンが死亡し、10月下旬に入ってドイツの政治情勢が不透明化したこと(右翼ナショナリスト政党が勢力を強め、直前に成立していたドイツの戦後賠償問題を巡る国際合意(いわゆるヤング案)に対する反対運動がドイツ国内で巻き起こることになった)。

4.  10月26日に企業間の合併に対する取り締まりを強化する方針(反トラスト法の厳格な適用)が政府によって決定されたこと。ジョージ・ビトリングメイヤー(George Bittlingmayer)によると、政府が反トラスト法の厳格な適用に動くとの噂が数日前にマーケットに伝わっていた可能性があるということだ。

これらの要因が1929年10月段階の株式市場でどの程度重要な役割を果たしたかについてははっきりとはわからない面もあるが、事が起こった後の時点から振り返って考えてみると最初の三つの要因(1~3)は非常に重要な役割を果たしたと言えるだろう。金融引き締めは1933年3月までにわたって景気の停滞をもたらすことになった。1930年の春に入って再びスムート・ホーリー法を巡る激しい議会闘争が繰り広げられることになったが、それが主な原因となってその後の5月~6月に株価の急落が引き起こされたことは疑いない。そして1931年半ばから1932年終わりまでの期間に関しては米国の株式市場の低迷をもたらした主な原因はドイツにおける政情不安にあったと思われるのだ。

 

1937年10月

1937年10月の株価暴落(1929年と2008年に関しても言えることだが、株価の暴落は(10月だけに限定されていたわけではなく)正確には9月から11月までの期間に及んでいる)も1929年とケースと同じくらい興味深いが、より複雑だ。まずは基本的な事実をいくつか抑えておく必要があるだろう。

1.  米国は1937年に金本位制に復帰した。とは言え、37年の段階では金本位制はもはや国際標準の通貨制度とは言えなくなっており(わずか数カ国だけが金本位制を採用していたに過ぎなかった)、米国内では金の個人所有が禁じられていた(建前はそうだったが、ロンドンの銀行に金を預けていた個人もいた)。しかしながら、金の国際市場に生じるショックによって米国の金融政策が翻弄された点はかつてと変わるところがなかった。例えば、1936年半ばから1937年半ばの期間は米国は不況に襲われたにもかかわらず、国際市場で金を放出する動きが強まった結果、米国の卸売物価指数(WPI)はおよそ10%も押し上げられることになった。そしてその後の1937年半ばから1938年半ばまでの間に卸売物価は同じ規模だけ下落することになった。卸売物価の動きだけを見ていると1936年末から1937年初めまでは力強い経済成長の期間であり、その後はマイルドな景気後退に移行したように見えるが、実際のところはそうではなかった。1936年には力強く成長していた鉱工業生産も拡張的な金融政策が実施されたにもかかわらず1937年春には踊り場に入ることになったのである。

2. ルーズベルト大統領(FDR)による5つの賃金ショックのうち第3のものがこの時期に発生した。この第3の賃金ショックは5つのショックの中では政府の政策と最も関係が薄いものだ。1936年の終わりから1937年の大部分の期間を通じて労働組合の加入者が急増したが、その原因は1935年に制定されたワグナー法によって労働組合の組織が容易になったことに加えてルーズベルト大統領が1936年の大統領選で圧勝したためである。ルーズベルト大統領の圧勝を目の当たりにした労働組合の指導者たちがワシントンは自分達の味方だと確信するようになったのである。こうして発生した賃金ショックは卸売物価に生じたショックとかなり似た動きを見せたが、名目賃金の動きは卸売物価の動きよりも半年だけ後ろにずれていた。名目賃金は卸売物価の後を追うようにして上昇を始め、卸売物価よりも後にピークを付け、卸売物価よりも後になって下落を始めたのである。さらには、名目賃金は卸売物価ほどには下落しなかったのであった。1937年の初頭に生産が伸び悩んだ理由もコモディティ価格の下落に端を発する景気後退が本来であればマイルドなもので済んでいたはずがⅠ920-21年の景気後退に匹敵するほどの深刻な不況にまで発展した理由もここ(訳注;実質賃金が高止まりしたこと)にある。

実質賃金(名目賃金÷卸売物価)は1930年代を通じて月次の鉱工業生産と密接に連動しており、1936-38年に関してもその例外ではなかった(実質賃金は反循環的な動きを見せているので鉱工業生産との連動を捉えるにはデータを反転させる必要がある)。(卸売物価が名目賃金よりも速いペースで上昇したために)実質賃金が低下した場合には景気は上向き、その反対に名目賃金が卸売物価よりも速いペースで上昇した(それゆえ実質賃金が上昇した)場合には景気は低迷したのである。そして実質賃金が一定の水準で変わらない期間はそれなりの経済成長が発生した。というわけで、1936-38年の期間は景気循環に関する私のモデルがよく当てはまるわけだ。さて、そこで残された問題はこの間における名目賃金と卸売物価の動きをどう説明するかだ。かつてのエントリーで論じたように、名目賃金に影響を及ぼした外生的な要因はニューディール政策を通じた5つの賃金ショックだったと思われる。そして卸売物価の動きは平価(金とドルの兌換レート)が固定されていた1929-33年および1934-40年の時期に関しては金の国際市場の動向によって説明できるし、1933-34年の時期に関しては――ジョージ・ウォーレン(George Warren)に関するエントリー〔邦訳はこちら〕で詳しく論じたように――平価の変更によって説明できるだろう。

それでは1936-37年の時期に卸売物価を押し上げた要因は何だったのだろうか? それは全部で3つある。一つ目の要因は1936年の後半に入ってフランスをはじめとした国々が金本位制を離脱し、それにあわせて金本位制を離脱した国の中央銀行が金を放出したことである。二つ目の要因はロシアによる金の輸出(販売)が増加し、今後ロシアからもっと大量の金が売り出されるのではないかとの(間違った)予想が広まったことである。そしてこの誤った予想が民間部門における金の放出を招くことになる。これが三つ目の要因である。ヨーロッパで各国が金本位制から離脱したために将来の平価切り下げに備えて金を溜め込んでおく必要が無くなったことに加えて、米国に大量の金が流入してインフレになればルーズベルト大統領もドルの切り上げを強いられるのではないかとの恐れが広がったことも民間部門における金の放出に油を注ぐ格好となったのであった。この点についてはかつてのエントリーで引用したポール・アインチッヒ(Paul Einzig)の言葉をご覧いただきたい。

色々な要因が複雑に絡み合ってこのプロセス(民間部門における金の放出に向けた動き)は1937年半ばに入って反転し始めることになる。実質賃金の上昇を受けて米国経済の減速がはっきりし始めるや、ドルが切り上げられるのではないかとの恐怖は消え失せることになり、ロシアからもっと大量の金が売り出されるのではないかとの噂も噂に過ぎなかった。米国が再び不況に戻るのではないか、ルーズベルト大統領が1933年と同じように新たなる金融「カンフル剤」を打つのではないかとの思惑が広がるにつれて、民間部門では金の放出から金の退蔵へ向けて潮目が変わり始めることになる。秋頃になるとドルが切り下げられるのではないかとの恐れが急速に広がり、金を退蔵する動きが加速することになった。そして米国への金の流入はほとんどストップすることになった。名目賃金が高止まりする一方で卸売物価の急激な下落に見舞われた米国は深い不況に落ち込み、株価とコモディティ価格は急落することになったのであった。

1937年と2008年との間にはいくつかの興味深い共通点がある。どちらの年も世界各地におけるコモディティ価格の急騰で始まり、そしてそれと同じくらい急速なペースでのコモディティ価格の急落で1年を終えたのである。相違点もある。1936-37年のコモディティ価格のブーム(高騰)は純然たる貨幣的な要因によるものだったが――その一方で実体経済は停滞していた――、2007-08年のコモディティ価格のブーム(高騰)は途上国の力強い成長に牽引されたものだった。

どちらの年も中期的な成長期待およびインフレ期待の急反転に見舞われたというかなり興味深い共通点もある。1937年の前半においては米国が保有する金準備が増大するのではないかという予想もあって金融市場もマスコミも明らかにインフレが続くと予想していた。しかしながら、1937年の終わりになるとそのような予想は180度変わって今後は長いデフレが待っているのではないかとの見方が広がるようになったのである(そしてそれは現実のものとなった)。1937年半ばから1940年半ばにかけて卸売物価は下落の一途を辿ることになったのだ。

2008年の10月にこれと似た期待の急反転が起こった時、私はすぐに1937年の出来事のことを思い出し、Fedが迅速かつ効果的な行動に打って出ない限りは名目GDP成長率がそれまでの標準的な値である5%をはるかに下回ることになってしまうのではないかと心配になり始めた。確かにFedはその後素早く行動したが、残念なことに間違った問題――金融システムの安定化――に目を奪われてしまったのである。

共通点はまだある。Fedは1936-37年の時期に三段階にわけて預金準備率を引き上げた(最終的に預金準備率はそれまでの2倍の水準に上昇することになった)。つい最近Fedが準備預金に付利を行った(これは民間銀行による準備預金の需要を増やすことになる)ことに対して私が折に触れて批判している様子を見て、「なるほど。サムナーは預金準備率の引き上げが1937-38年の不況の原因だと考えているのか」と判断する読者もいるかもしれない。しかし事はそんな簡単ではない。預金準備率の引き上げが発表された当初はFedがそれを本当に実行するとは信頼されておらず、投資家たちも当初のうちはFedのこの決定にほとんど注意を払っていなかったのだ。当時の金融系のメディアではFedは大量に流入してくる金をすべて不胎化することなどできないとの意見が大勢であり、投機家たちもFedがマネーサプライの増加を抑えることはできないと予想してコモディティの積極的な購入に回ったのである(その結果、コモディティ価格は急騰した)。

Fedが大きな過ちを犯したのは1937年の暮れのことである。金の国際市場で期待が反転した直後に十分積極的な行動を採らなかったのだ。しかしながら、1929年のケースとは違って1937年の不況に関しては金融政策(の失敗)だけにその責任があるわけではなく、賃金ショックも重要な役割を果たしたのである。

当時の財政政策についてはどう考えているのかとの意見もあることだろう。1937年に給与税が導入されることになったが、規模的には大したことはなかった。とは言え、給与税は労働者を雇用するコストの増大を意味しており、穏やかではあるが賃金ショックの一つとして働いた可能性はある。しかしながら、その点を除けば当時の財政政策は全体としてマイナーな役割しか果たさなかったということになるだろう。1937-38年の不況の原因は総需要の不足にあると考えたとして、便宜上そのうちの半分は名目賃金の高止まりのせいであり、残りの半分は物価の下落(デフレーション)のせいだとすると、どれだけ高く見積もっても財政政策はごくマイナーな役割しか果たさなかったと考えられるのだ。1937-38年の急激なデフレーションは――直前の1936-37年のインフレーションもそうだったように――明らかに世界全体の金市場の反転とリンクしている(大きな関わりがある)のだ。財政政策が不況の原因だとするにはタイミングがことごとく合わないのだ。通常のマネタリストの面々もそうなのだが、ケインジアンに共感を寄せる経済史家の面々も政策上の失敗と当時の出来事――コモディティ市場、株式市場、債券市場の値動き――とがどのように結び付いているかについて十分に注意を払っているとは言えない。その点にまで細かく配慮した上で大恐慌を包括的に分析しているのは私だけだと言うと言い過ぎだろうか。

 

2008年10月

2008年の秋に株式市場やコモディティ市場、鉱工業生産、債券利回りの急落を引き起こした原因は金融政策の失敗にあるが、それでは金融政策の失敗を引き起こした要因は何なのだろうか? その要因は数多くあるが、その中でも最も重要なものはコモディティ価格のブーム(高騰)と金融危機の二つということになるだろう。

コモディティ価格のブームや金融危機が総需要の下落を引き起こしたとは言っていないことに注意していただきたい。コモディティ価格のブームや金融危機はあくまでも金融政策の失敗を招いたのであって、総需要の下落を引き起こしたのは金融政策の失敗である。2008年の半ばまでは経済はそこそこのプラス成長を記録していた。株価もしぶとさを見せており、7月初旬の段階でも最高値から約10%の乖離幅に収まっていた。世界経済は米国経済を上回るほどの力強さで拡大を続け、それに支えられるかたちで7月まで異常なコモディティ価格のブームが続くことになったのである。大きな過ちが犯されたのは2008年の後半に入ってからのことだ。第3四半期と第4四半期をそれぞれ区別した上で政策上の失敗を2つのタイプに分けて整理するとわかりやすいことだろう。

2008年第3四半期における金融政策はラース・スヴェンソン(Lars Svensson)がお好みの尺度に照らせば最適であったという評価になるだろう。つまりは、Fed自身による名目GDP成長率の見通し(予測)がFedの目標とほぼ一致していたのである。このことは9月16日に開催されたFOMC(連邦公開市場委員会)でインフレと不況のリスクがおおむね均衡していると判断され、その判断を受けて金融政策が変更されなかった(現状維持に保たれた)事実によく表れている。しかしながら、どうやら民間部門はFedに先んじるかたちで事の次第を理解していたようである。今となっては明らかだが、名目GDP成長率は第3四半期の段階で既に急落を始めていた。住宅不況が発生してから二年間はどうにか持ちこたえてきた鉱工業生産も8月には急落し始めていたのだ。第3四半期においてFedは二つの失敗を犯した。一つ目の失敗は自らの見通し(予測)を重視し過ぎてマーケットの予測に十分注意を払わなかったこと。そして二つ目の失敗はインフレ率の動きにばかり囚われて名目GDP成長率の動きに十分注意を払わなかったことである(インフレ率よりも名目GDPの方が政策当局者に対して一貫して優れたシグナルを送っている事実はいくら強調してもしすぎることはないだろう。例えば、2004-06年の住宅バブルの時のことを思い出すといい)。

2008年の第4四半期に入ると事態は急速な勢いで悪化の一途を辿ることになった。スヴェンソン好みの(それも甘めの)尺度に照らしても10月半ばまでに金融政策は信用を失ってしまっていることが私の目には(おそらくほとんどの人にとっても)明らかだった。つまりは、Fed自身による(名目GDP成長率の)見通しでさえも政策目標をはるかに下回る状況になっていたのだ。さらに不味いことには、金利がゼロ%に近づきつつあり、米国はいとも簡単に日本のような状況に陥ってそこからしばらく抜け出せないかもしれないとマーケットが気付き始めたのである。そのような危険な状況に陥らないための唯一の方法は非伝統的な金融政策を通じて積極的な行動に踏み出すことにあっただろう。短期国債を購入する通常の金融緩和ではおそらくもう手遅れだっただろう。

残念ながらFedはこの時二つの大きな失敗を犯した。一つ目の失敗はその後5ヶ月間にわたって金利を引き下げず、そればかりか準備預金に付利を行うという極めてデフレ的な政策を採用し、ベースマネーの拡大に伴う緩和効果を打ち消すことになってしまったことである。二つ目の失敗はさらに不味い。Fedの当局者たちは金融危機こそが「真の問題」であり、金融危機が解決されない限りは総需要を刺激することはできないとの間違った前提に飛びつき、そのために「真の問題」から目を逸らすことになってしまったのだ。しかし、この失敗は理解できないこともない。というのは、2008年10月の段階で「真の問題」は貨幣的なものであり金融危機ではないと懸念を表明していたのは私を含めてごく少数の限られた経済学者だけだったからだ。確かに金融危機は今回の不況の過程で重要な役割を演じた。しかし、通常理解されているのとは異なる次の二つの経路を通じてそのような役割を演じたのである。

1.  金融危機は政策当局者の注目を「真の問題」から逸らせることになった

2.  金融危機は自然利子率の下落をもたらした

金融危機は信用に対する需要(資金の借り入れ需要)を急減させ、その結果「流動性の罠」に嵌ってしまうのではないかとの恐れが広まることになった。金融危機自体が総需要の急落を引き起こしたわけではないが、Fedの仕事を難しくしたとは言えるだろう。しかし、Fedは物価と生産の安定を図ることが自らの使命だと宣言しており、貨幣需要(あるいは貨幣の流通速度)に生じたショックを相殺するのが自らの義務だとも語っている。それだけではなく、とりわけデフレの恐れがある時には先回りして行動するのが自らに課せられた責任だと認めており、マーケットの指標は政策を決める上で有用なシグナルの一つだと語った前例もある。かつてバーナンキは短期金利がゼロ%に達しても金融政策は依然として有効であり得ると論文ではっきりと書いている。果たして今の現実はどうなっているだろうか? 今のFedは自らが掲げた尺度に照らしても失敗していると評価せざるを得ないのだ。

今回のエントリーは簡潔なまとめのようなものであり重要な細部をたくさん省略してしまっている。大恐慌をテーマとした本を執筆中であることは既に触れたが、1929-30年の時期をカバーしている章は大体40ページくらいになる予定だ。1937-38年の時期は2つの章にわたって取り上げる予定だが分量的にはずっと多い。今のところ全体で14章構成になる予定だ。今回のエントリーを読んだそこのあなたも本を買わずに済ますわけにはいかないというわけだ(あくまでも出版してもいいと名乗りを上げる出版社が見つかればの話だが)。

今後もこのブログでは大恐慌について様々な観点から話題にしていくつもりだ。

 


 

(本翻訳は以前某所にアップしたものを今回、常連翻訳者のhicksianさんに全面的に見直しいただいたものです)

スコット・サムナー 「ホットポテト効果、説明!」

[この記事の原文:Scott Sumner, “The “hot potato effect” explained”  The Money Illusion, 2013年9月1日]


私にとってはマクロ経済学の核心である「ホットポテト効果」なのだが、これに手を焼いている人は多い。これを理解しないなら何も理解していないということなのに。人々は個人行動の水準で理解できるような説明を求める。しかしこの場合それはうまく行かない。問題の一端は、実質から名目への伝達メカニズムを考えがちなことだ。価格硬直性のある世界ではその経路が自然に見えるのだ。「ジョーはなぜ新車を買うのか?」と聞いても仕方がない。それはデッドエンドだ。

これまで私はリンゴ市場の喩えでこのホットポテト効果を説明しようとしてきたのだが、もっといい喩えがあることに気が付いた。金である。金はリンゴに比べて貨幣に似た性質が多い。もっと良いことには、かつてそれは実際に貨幣だった!

ではホットポテト効果をステップバイステップで説明して行くが、もしどこかで躓いたらその個所を教えてほしい。

1. 金が1200ドルで売られているとする。金利は低く、従って将来の予測価格はおおむね同じか少し高い状態だ。ここである企業が世界の金産出量を急増させるほどの巨大な金鉱を発見したとする。この新しい産出により金の価格は数年かけて半分に下がる。しかしそれはなぜか? まずこの金鉱が発見される前、人々はその時点の価格なら持っていたいと思っていた量の金を実際に持っていることで価格が均衡していた。新発見の金は、人々が持ちたくない「ホットポテト」のようなものとして働く。もちろん投げ捨てたりはしない。売って手放すのだ。しかしそれは個人個人の水準の話で、全体としてはそうならない(手放すことができない)ことに注意しよう。余分な金を誰かが持っている。(このことこそが代表的消費者の水準で貨幣を理解しようとしてもうまく行かない理由だ)。社会全体としてこの超過の金を処分する道は、人々が持っていたいと思う価格になるまで価格が下がっていくこと以外にない。こうして金の価格が下落して半分になったとしよう。これは金の価値が他のモノやサービスに対して半分になったことをも意味している。

2. ではこの会社が金の発見をアナウンスしただけだとしたら。ただし会社は信用できる。アナウンスによって金貨価格は急落するだろう。

3. ではこの会社が金の埋蔵をレーダーで確認し、これを掘り出すのに二年かかるだろうとアナウンスした場合。同じく金価格は直ちに下落するだろう。2の事例とほとんど同じ割合で。(ここまでは誰でも理解してくれると思う。経済学入門レベルだ。)

4. では金が会計媒体であるとして上の話を考えてみよう。どこが変わるだろうか。明らかに、金価格が急騰したりはしない。会計媒体の価格は定義により固定だから。しかし金の価値は、他のモノとサービスの価格が上昇することで急落するだろう。ここで非常に重要な相違点がある。上の1-3のケースでは金の価値はほとんど瞬時だった。今度は金(会計媒体)の価値の変化は、物価の粘着性により緩やかなものになるだろう。ただし長期的な影響は変わらない。ここまでよろしいか? とても頭が良いが最終段階では私と意見を異にする人々(ジョン・コクランのような)もここまでは意見が一致する。コクランは商品貨幣システムの議論では本質的に「マーケットマネタリスト」だと思う。

注目してほしいのは、ここまでこの変化をマクロ経済学の基本原則だけを使って説明できていることである。たとえば金利などの「伝達メカニズム」を用いる必要はない。ただ需要と供給だけ。ただし重要なことがある。物価は粘着的なので、物価水準が完全に調整されるまでの間は金市場の短期的な均衡を実現するために「他のあれこれ」が変化する。金利は明らかにこの「他のあれこれ」の一つだ。他にも資産価格の変化や実質産出の変化が「他のあれこれ」に含まれる。

しかしこれら「他のあれこれ」の要因がどんなに重要であるにせよ、ホットポテト効果こそが第一義的なのだ。金の量の増加が長期的な金の価値に影響を与えることを説明するのはホットポテト効果に他ならない。ここまだまだ経済学入門レベル。それ以外の効果は我々を最終的な均衡へと動かすのを助ける副次的効果に過ぎない。

5. いよいよ会計媒体を金から現金に置き換えよう。本質的には何も変わらない。三つのケースに分ける。

a. 金利がプラスの状態の場合: 上の金の例とちょうど同じく貨幣ベースがホットポテトになる。準備預金への付利のために事情がやや異なるが、それは読者が考えるほどのことではない。準備預金付利があってもなお、長期的な貨幣数量理論が成立することをピーター・アイルランドが示している。私の表現では次のようになる。準備金付利があってもなお、ベース貨幣の一度かつ永続的な増加は、長期的な物価水準に比例的な増加をもたらす。貨幣はどこまでも中立的だ。  T

b. 名目金利がゼロで、かつ永遠にゼロと予測されている場合。このとき公開市場操作に意味はなくなる。利子が支払われない国債は本質的に現金と等価となり、公開市場操作がただの両替と同じなる。財政政策は強力なはずだが、政府負債が小さいなら(訳者補足:名目金利が永遠にゼロと予測されるほどに小さいなら)効率的ではない。

c. 名目金利がゼロだが、将来はプラスだと予測されている場合。この場合、掘り出すのに二年かかる金の場合で論じたのと同じ理由から、貨幣ベースの永続的な増加がインフレ効果を持つ。では一時的なベースの増加だったら? 効果はほとんどない。それは金利がプラスの場合も同じだ。

6. では、現金と準備金の合計が会計媒体である場合。まったく同じだ。準備金もまたホットポテトである。実際100年前、準備金はすべて現金だった。

7. では準備金が100%会計媒体であるキャッシュレス経済を想定する。やはり同じく準備金はホットポテトだ。上で述べたように準備金金利は本質的ではない。銀行はX%の準備金金利の下でYの準備金を需要する。準備金金利をX%としたままで準備金の量を二倍にすれば、銀行は直ちに準備金を増やす。ホットポテト効果が発動! ゼロ制約? 5の例を見よ。

QED

マーケットマネタリストに開眼への列車から落ちこぼれた人はいるかな? 何人かのMMT論者は溝に落ちて頭を悩ませていると思うけれど。

スコット・サムナー 「イングランド銀行は名目GDP目標擁護の主張を無視している」

[この記事の原文:Scott Sumner, “The BoE ignores the arguments for NGDP targeting”  The Money Illusion, 2013年8月7日]


ロンドンのJames氏がイングランド銀行の新政策文書を送ってくれた。その23-26頁で名目GDP目標に対する賛否両論が議論されている。しかし両者ともに名目GDP目標の議論を理解していないか、あるいは意図的に無視することにしたかのどちらかしかありえない。彼らは生産性成長の変化が名目GDP目標に問題を引き起こすかのように言うが、当然ながらこの点は名目GDP目標論の核心部分だ。生産性にショックがあったときにインフレ目標に固執すると景気循環が引き起こされてしまう。そう、名目GDP目標の下ではインフレ率は変動するが、それは好ましいことなのだ。インフレ率を安定させるのは良くない。

他の論点もやはり間違っている。人々がインフレ目標を理解しているという主張は、今の英国の文脈を見ればほとんど爆笑ものだ。インフレ率はもう何年も目標を上回っているのにイングランド銀行はQEのような政策でさらにこれを上げようとしている。これって「理解できる」ものだろうか? 米国のインフレ率が1%になりバーナンキがインフレ率を目標まで引き上げようとした時、人々は大騒ぎしたものだ。インフレ目標を理解している人などほとんどいない。「生活費が上がるのが良いことのはずがないだろう?」。しかしもしイングランド人の総所得を安定的に毎年4.5%上げたいのだと言ったなら、人々はその目的を少なくとも理解はするだろう。

中央銀行は見通しを目標にすべきなのであるから、この新しい文書はレッド・ヘリング(予備目論見書)ということになる。

がっかりだ。