経済学101は主に皆様の寄付によって賄われています。温かい支援をお待ちしています

スコット・サムナー 「劉暁波と零八憲章」(2010年10月8日)

●Scott Sumner, “Congratulations to Liu Xiaobo”(TheMoneyIllusion, October 08, 2010)


劉暁波(リウ・シャオポー)に今年度(2010年度)のノーベル平和賞が授与される運びとなったが、実は私は劉暁波および(彼が中心となってその起草にあたった)零八憲章の大ファンの一人だ。零八憲章では主に政治的自由の拡大が求められているわけだが、以下の引用1をご覧いただければわかるように経済政策と関わりのある記述もいくらか目に付く。

8. 都市と農村との間における平等の確保: 現行の二元的な戸籍制度は撤廃すべきである。現行の戸籍制度は都市の居住者(都市戸籍の持ち主)に有利に働く一方で、農村の居住者(農村戸籍の持ち主)には不利に働く格好となっている。すべての国民に同等の憲法上の権利を保障して誰もが同じように居住移転の自由を享受できる制度への転換を図るべきである。

14. 私的財産の保護: 私的財産に対する所有権(私的所有権)を確立・保護し、自由で開かれた市場に基づく経済制度の発展を促すべきである。商工業の国家独占は取り止め、創業の自由を保障すべきである。立法機関(議会)に対して報告義務を負う国有財産管理委員会を設置して国営事業の民営化(国有財産の民間への委譲)が公平かつ開かれた条件の下で混乱なく進むように監視すべきである。土地の私有化を促すとともに土地を自由に売買する権利を保障するために土地改革にも乗り出すべきであり、そうすることで私的財産(土地)の価値が市場で適切に評価される(市場価格に的確に反映される)ように図るべきである。

15. 財政・税制改革: 行政府が国民に対して説明責任を負う民主的なコントロールの行き届いた財政制度を確立して納税者の権利を保障すべきである2。さらには、(租税の賦課・徴収をはじめとした)財政上の決定は(国民の代表によって構成される)立法機関(議会)が定めた法律に則って行われるべきである3。中央政府と地方政府(省、地区級市、県、鎮、郷)との間で財政運営を分担し、それぞれの政府に帰属する税収の使い道はそれぞれの政府が各自の判断で自由に決められるようにすべきである4。大規模な税制改革を通じて税率の軽減、税制の簡素化、税負担の公平性の担保を図るべきである。議会での審議や議会の同意もなしに税金が引き上げられたり新税が導入されるようなことがあってはならない。金融業への新規参入を後押しして金融機関相互間での競争を促すべきである。そのために所有権制度の改革に乗り出すべきである。

16. 社会保障制度の整備: 国民全体をカバーする公平で適切な社会保障制度を整備して教育や医療、年金、失業保険といった基本的な社会保障サービスを誰もが享受できるように図るべきである。

(追記)コメントを少々。ノーベル「平和」賞という賞自体に賛成する気はない。というのも、ノーベル平和賞は世界平和の推進ということとはほとんど何の関係もないことは明らかだからだ。劉暁波にノーベル平和賞が授与されることによって零八憲章の存在が広く知れ渡ることになる。今回の決定が持つ意味はむしろその点にこそあると言えるだろう。零八憲章は古典的自由主義の最良の部分を体現したものだというのが私なりの見立てだ。零八憲章にはエコノミスト誌に見られるようなプラグマティックな新自由主義イデオロギーが反映されているのだ。今回の決定にはおかしなところがあるかもしれないが、仮にそうであったとしても零八憲章のいい宣伝にはなるだろう。

  1. 訳注;零八憲章の英訳は複数出回っているようだが、サムナーはペリー・リンク(Perry Link)の英訳から引用している。基本的にはリンクの英訳に照らして和訳を試みたが、所々その他の英訳(例えばこちら)も参考にしつつ訳してあることを断っておく。 []
  2. 訳注;いわゆる「財政民主主義」の要求 []
  3. 訳注;いわゆる「租税法律主義」の要求 []
  4. 訳注;いわゆる「財政連邦主義」の要求 []

スコット・サムナー 「『誰かを讃える』ってどういう意味?」(2015年2月15日)

●Scott Sumner, “What does it mean to admire someone?”(TheMoneyIllusion, February 15, 2015)


本当にひどい日曜日だ。あと18インチほど雪かきをしなければいけない(その他にも強風に極寒に屋根が凍結して水漏れがしてと問題は山積している)のだがちょいと一休みしてタイラー・コーエンのつい最近のブログエントリー〔拙訳はこちら〕に絡めて私見を述べさせてもらうとしよう。存命中の人物のうちでこの人をこそ讃えるべきだ。そういう人物は誰だろうか? コーエンはそのように問いかけているわけだが、私としては「誰かを讃える」とはどういう意味なのかという点にまずもって興味が惹かれる。「誰か」とはどういう意味なのかという点についても同じく気になるところだ。

「私」の腕だとか「私」の腎臓だとか「私」の左足だとかと言われるが、そのように語られる背後では腕だとか腎臓だとかといったパーツを所有する何かしらの一つの人格――「私」――の存在が暗黙のうちに想定されている。話は体のパーツ(部位)だけに限られない。手で触れることのできない属性にしてもそうだ。例えば、ポール・クルーグマンの鋭敏な分析力、トム・クルーズのカリスマ性、ラッセル・ウェストブルックの身体能力(運動神経)。私の記憶や私の意識などなど。つまりは、体のパーツだとか手で触れることのできない属性だとかのすべてを束ねる核となる人格の存在が想定されているわけだが、個人的にはそのような見方には懐疑的だ。一人ひとりの人間は色んな属性の単なる寄せ集めでしかないのではないかというのが私の考えだ。さらには、どこまでが「スコット・サムナー」であり、どこからが「スコット・サムナー以外」のはじまりなのかさえはっきりしないところがある。歯の詰め物は私の一部なのだろうか? 仮に義肢をはめているとしたら義肢はどうなのだろうか? 私の一部なのだろうか? ゆくゆくは私の脳にマイクロチップが埋め込まれることになるかもしれない。そうなったとしたらマイクロチップは私の一部と言えるのだろうか? 身に着けている衣服はどうなのだろうか?

コーエンの問いかけに対する一般読者の反応を眺めていると一つのことに気付かされる。多くの人々は「勇気」や「勤勉さ」といった多大な自己犠牲が伴うように思える属性の持ち主を讃えるのにはこれといって抵抗を感じないようなのだが、アーティストやアスリートとしての優れたスキルのような遺伝的な面をある程度備えている属性の持ち主を讃えるのには少々気が進まないところがあるようなのだ。「勇気」にしても「勤勉さ」にしても遺伝的な面をある程度備えている可能性はもちろんあるのだが、どうやらそのようなのだ。

他にも気になることがある。誰か(何か)について詳しくなればなるほどその誰か(何か)を称賛したくなる(非難したくなる)気持ちは弱まっていく。そうなる可能性は果たしてあるだろうか? 稀代の善人(例えば、ガンジー)や稀代の悪漢(例えば、ヒトラー)の振る舞いにはミステリアスな(謎めいた)ところがあるように思えるが、実のところは誰もがそうあって欲しいと願っているのではないか。私にはそう思える。古い格言に「すべてを知る(理解する)ことはすべてを許すことになる」(“to understand all is to forgive all”)というのがある。「ヒトラーのあの時の感情は私にもわかる」。誰もそう言えるようになりたくはないだろう。ヒトラーを許したくなんかないからだ。誰かの良さ(邪悪さ)に詳しくなるとその良さ(邪悪さ)は褪せてしまうかのように考えるのは筋の通らないところがあるのは確かにその通りだが、多くの人々はどうもそのような見方をしているように私には思えるのだ。

今回の件に関しては天邪鬼(あまのじゃく)的な態度を貫きたいと思う。どういうことかというと、自由意志の存在は信じてはいないのだが、善人は褒め称えて悪人は貶すべきだと思うのだ。それもこれも人はインセンティブに反応するからというのが理由だ。善い行いに身を捧げる人物を褒め称えることによって(称賛という名の非金銭的なインセンティブが誘い水となって)善い行いが引き出されることになるわけだ。多くの人々は本音のところではトム・クルーズに張り切ってもらう(笑顔を振りまく時にカリスマ性を発揮してもらう)よりはアウンサンスーチーに張り切ってもらう(ミャンマーの地に自由をもたらすために戦ってもらう)ためにこそ一段の後押しをすべきだと感じているのだろう。その結果として(アーティストやアスリートといった「皮相的」に見える活動に従事している面々が我々を楽しませてくれている度合いを過小評価することになるおそれはあっても)アウンサンスーチーのような英雄こそが誰にもまして称賛を受けるにふさわしいとの考えに傾くことになるのであろう。 [Read more…]

スコット・サムナー「デイヴィッド・ベックワースのクルーグマンインタビュー」

[Scott Sumner, “David Beckworth interviews Paul Krugman,” TheMoneyIllusion, May 16, 2017]

好きな人だろうと嫌いな人だろうと,クルーグマンがすぐれた経済学者だというのは否定しようがない.デイヴィッド・ベックワースによるクルーグマンのインタビューはこのシリーズでいまのところお気に入りの回だ.もっとも,以前に登場したバラードのようなインタビュー対象の方が政策問題については同意するところが多いけれど.(おもしろいことに,この2人は政治のスペクトラムでは遠くかけ離れているけれど,いくつもの点で同じ見解をとっている.)
[Read more…]

スコット・サムナー「日本の名目GDP上昇イコール雇用,雇用,さらなる雇用」

[Scott Sumner, “Rising NGDP in Japan equals jobs, jobs, and more jobs,” MoneyIllusion, May 18, 2017]

今度でてきた日本の労働市場データは見どころ満載だ.最新データを見ると,失業率は 2.8% にまで下がっている.この数十年で最低の率だ:

Screen-Shot-2017-05-18-at-9.21.23-AM-e1495113750152

アメリカのデータに関して主張されているのとちがって,これはたんに人々が就労をあきらめているためだけではない.まずアメリカと対比される点として,人口に占める就労者の割合がかつてないほど高い水準に急上昇している.下記は,マット・オブライエンの『ワシントンポスト』記事からの引用だ:
[Read more…]

スコット・サムナー「言語と失業の件の追記」

[Scott Sumner, “A follow-up on language and unemployment,” MoneyIllusion, May 3, 2017]

前記事に Vaidas Urba がこんなコメントをつけてくれた:

もう1つデータポイントを増やしてみよう――ドイツ語が主流をしめるイタリアの南チロル自治州 (アルト・アディジェ自治州)はこの地図では青くなっている.

http://names.mongabay.com/ancestry/st-German.html
これをきっけかに,この問題に関わる他の証拠について疑問がわいてきた.そこで,ドイツ系の祖先をもつ住人が占める割合を州べつに調べてみた.上位10州はこうなってる:
[Read more…]

スコット・サムナー「言語と失業」

[Scott Sumner, “Language and unemployment,” Money Illusion, May 2, 2017]

地図はぼくの好物だ.先日,ランディ・オルセンがヨーロッパの失業を示すおもしろい地図にリンクを貼っていた:

Screen-Shot-2017-05-01-at-9.24.57-PM-e1493688405321

この地図を見る前から,フランスよりドイツの方が失業率が低いのは知っていた.そしてやっぱり,失業率は両国の境界で劇的な変化を見せている――ライン川流域がそれだ.
[Read more…]

スコット・サムナー 「影響の不安 ~誰かに『影響』を与える(誰かの『影響』を受ける)ということ~」(2012年9月18日)

●Scott Sumner, “The anxiety of influence”(TheMoneyIllusion, September 18, 2012)1


名目GDP目標というアイデアの影響経路――名目GDP目標というアイデアは誰から誰にどのようにして伝わったのか?――を探る試みが盛んなようだ。ビル・ウールジー(Bill Woolsey)ライアン・アヴェント(Ryan Avent)も詮索に乗り出しているが、どちらの記事も必読だ。私としても二人の意見2にこれといって異論は無い。ところで、この種の話題(誰が誰に影響を与えたか?)については個人的に思うところがある。あのボブ・ディランでさえもが「盗作」の疑いで批判されねばならない社会というのは「オリジナリティ」(独創性)というものへのこだわりがあまりにもいきすぎてしまっている社会なのではないかと思われるのだ。ディランと声を揃えて言いたいものだ。「オリジナリティ」は過大評価されている、と。

「歌詞の一部を盗作しているのではないか?」との批判の声に対してボブ・ディランは怒りも露に反論を加えた。「盗作だ!」と糾弾してくる相手を「腰抜け連中と子猫ちゃんたち」と呼びつけた上でディランは語る。音楽の流用は「フォークの伝統の一部だ」。

1980年代のことだ。俄かに「ニュー・マネタリー・エコノミクス」を名乗る一団(中心人物はフィッシャー・ブラックにユージン・ファーマ、グリーンフィールド&イェーガー、ロバート・ホール、アール・トンプソンら)が台頭してきて金融政策に対するまったく新しいアプローチ(に見えたもの)(「価格」アプローチ)3を打ち出した。しかしながら、しばらくして先行者がいたことが明らかになった。アーヴィング・フィッシャーが1913年に“A Compensated Dollar”(補正ドル案)の中でまったく同じアイデアを開陳していたのだ。物価の安定を図るために金(ゴールド)の公定価格をその都度変更すればいいというのがフィッシャーの案であり、フィッシャーは「この案は自分のオリジナルだ」と思っていた。しかし、知り合いの一人に「アナイリン・ウィリアムズが1892年にエコノミック・ジャーナル誌に寄稿した論文の中で似たようなアイデアを語っていますよ」と教えられる。そう伝えられたフィッシャーは他にも先行者がいないか調査に乗り出し、ウィリアムズよりも前の1800年代初頭の段階で同様のアイデアを述べている先行者(トマス・アトウッドやジョン・ルークら)がいることを突き止める。やがてフィッシャーはその調査の結果を一冊の本に纏める。『Stable Money: A History of the Movement』がそれだ。数多くの先行者がいたわけだが、その大半はお互いの業績を知らずに独力で同じアイデアに辿り着いていたのだった。 [Read more…]

  1. 訳注;原エントリーのタイトルの“The anxiety of influence”(「影響の不安」)はハロルド・ブルームの同名の本からとられたもの。 []
  2. 訳注;「サムナー⇒タイラー・コーエン⇒ブラッド・デロング⇒クルーグマン⇒ゴールドマン・サックス⇒クリスティーナ・ローマー」という影響経路に加えて、「サムナー⇒マイケル・ウッドフォード」という影響関係も(ウッドフォード自身は否定しているものの)あるのではないか、との見解。 []
  3. 訳注;金融政策というのは「金利」を操作するのでも「貨幣集計量」を操作するのでもなく、「貨幣の価格」を操作することにあり、との立場。 []

スコット・サムナー「2パーセント目標の超過より3パーセント目標未達の方がのぞましい」

[Scott Sumner, “Better to undershoot a 3% target than overshoot a 2% target,” TheMoneyIllusion, January 1, 2016]

金融政策について,ぼくはライアン・アヴェントとよく似た見解をとっている.でも,次の点について,ちょっとばかり細かい文句をつけておこう.

同時に,連銀の2パーセント目標をインフレ率が上回っている期間には,中央銀行が政策金利を上げる余地がもっと大きくなる.長期的名目金利の水準が高ければ高いほど,次に問題が生じたときに金利をゼロまで下げねばならなくなる見込みは薄くなる.

2009年,2010年,2011年だったら,2パーセントインフレ目標を超過しようとするのは意味があっただろう.でも,失業率が 4.6 パーセントになっている今日では話がちがう.経済が堅調なときにインフレ率を2パーセントを超えるところまで押し上げれば,経済が低調になったときに2パーセントインフレ率の下を狙わなければならなくなる.次にゼロまで引き下げねばならなくなる見込みはむしろ強まる.

というか,これこそ,2008年に間違ってしまったことだ.住宅ブームのあいだにインフレ率は2パーセントを超過していた.このため,2008年に政策を積極的に緩和する手をうつ必要が生じたとき,(2008年のあいだ2パーセントを超えていた)インフレの昂進を恐れて連銀は手控えてしまった.景気過熱期に2パーセントインフレを下回っていて,景気後退局面で2パーセントインフレを上回るのなら,理にかなっている.

ライアンはもっと高いインフレ率を支持する力のこもった論証を他にも提示しているけれど,インフレ目標の変更という観点でとらえた方がもっと有効だろうと思う.2パーセント目標を 0.5 パーセント超過するのを支持するかわりに,もっと高い3パーセントインフレ目標を 0.5 パーセント下回るのを求める方が理にかなう.インフレ目標を3パーセントまで引き上げることで,次に景気後退が訪れたときに連銀が金利を引き下げられる余地は大きくなる.2パーセント目標の超過では,そうはいかない.それに加えて,景気過熱期に目標未達でいる方が,ライアンも以前から支持している名目GDP 目標の精神と整合する.

こういう話は,意味のない難癖に思えるかもしれない.「2.5パーセントインフレ率になるんだったら,〔超過か未達かで〕目標をどうするかって話になんかちがいがでてくるの」と思うかもしれない.ごく短期的には,なんのちがいもないかもしれない.でも,明確に定義された政策レジームの文脈で金融政策の意思決定をしなかったら,経済は安定しなくなる見込みが大きい.とくに,景気循環のターニングポイントに達したときにはなおさらだ.

例によって,この3パーセントインフレ目標はぼくが優先する選択肢ではない(ぼくが推すのは名目GDP水準目標だ).ここでは,たんに「ハト派的」とでも言えそうな現行の政策論をとる人たちにとっていちばん有益な選択肢だとじぶんが考えるものを例解しようと試みてるにすぎない.

スコット・サムナー「弱者に同情しすぎる保守派」

[Scott Sumner, “Bleeding heart conservatives,” TheMoneyIllusion, December 30, 2016]

長年,やたら弱者に同情するリベラルに悩んできた.彼らは,社会の底辺で苦しむ人たちを美化する傾向がある.もちろん,右派はこれと真逆の間違いをおかして,底辺の人たちを邪悪な人間だと考えた.適正な態度は,冷静な功利的現実主義だ――彼らは犠牲者でもないし悪漢でもない.さて,道徳心の見せびらかしにやっかいな新しい傾向がでてきているようだ――弱者に同情しすぎる保守派という新しい傾向がある.
[Read more…]

スコット・サムナー「炭鉱の雇用を奪ったのはオートメーションであって貿易ではない」

[Scott Sumner, “Coal jobs were lost to automation, not trade,” TheMoneyIllusion, December 21, 2016]

dwb というコメンターがこんなコメントを残している:

炭鉱の雇用をつぶした「技術変化」は安い天然ガスと電力需要の低迷とオバマによる化石燃料撲滅キャンペーンの 1-2-3 パンチだよ

この人は,少なくとも貿易を悪者にはしていない.それでも,基本的にはまちがってる――ごく最近まで,石炭の雇用を奪っていたのはオートメーションだ.石炭産業の雇用はこうなってる:

screen-shot-2016-12-21-at-12-03-08-pm-e1482339825967

実は見かけよりなおわるい.1973年にオフィスでの雇用が加えられたおかげで,データで人為的な急増が生じているからだ.実際の炭鉱夫たちを数えたなら,雇用喪失はグラフよりはるかにひどいものになる.ただ,このグラフですら,87万人から約11万人へと雇用が失われている.鉄鋼業よりほんのわずかにわるい.

すると,石炭産業は輸入に圧倒されてしまったんだろうと決めてかかる人がいるかもしれない.でもちがう.過去5年というもの,石炭は純輸出になっている.全生産量の 7% から 12% の範囲だ.

「輸入ではないとすると,じゃあ石油やガスとの競争で生産がたたきのめされたんだよね?」と言うかもしれない.そうでもない.以下のグラフをみてもらうとわかるように,石炭産業はこの数十年にわたって生産を増やしている.石油やガスとの競争が実際に生産を食いはじめたのはこの数年になってのことだ.

screen-shot-2016-12-21-at-12-08-16-pm-e1482340150949

じゃあ,どうしてこれほど多くの石炭産業の雇用が消えてしまったんだろう? 答えは単純,「オートメーション」だ.ぼくが若かった頃とくらべて,いまの生産量は2倍近くまで増えている.そして,はるかに少ない労働者で回している.

コメンターのなかには,「オートメーションによる雇用喪失は貿易による雇用喪失より痛みがかるい」と思う人がいるかもしれない.実際には,痛みは同等だ.オートメーションで失われる雇用は,人員削減によって時間をかけて徐々に起きるわけではなく,波となって生じる.しかも,景気後退のさなかに起こることもよくある.たとえば鉄鋼業では,USスチールとベツレヘムスチールが旧式の工場を閉鎖したとき数千の雇用が失われ,ニューコアとチャパラルは別の地域にもっと効率のいい新式工場をつくった.ピッツバーグで多くの鉄鋼業雇用が失われる一方で,その分を置き換えたのはテキサスのもっと少ない人員だった.

似たことが石炭業でも起きる.ワイオミングの新しい巨大露天掘り炭鉱は巨大ショベルカーを使う.ウェストバージニア州の閉鎖炭鉱の従業員100名がこれで置き換えられてしまう.

screen-shot-2016-12-21-at-12-14-21-pm-e1482340516411

ワイオミングが外国だったら,ウェストバージニア州の炭坑夫たちは議員たちに怒鳴り声を上げて,自分たちは安いワイオミングの輸入から「保護」される必要があると訴えるところだろう.だが,ワイオミングもアップルパイなみにアメリカなので,誰も関税を主張なんかしない.それでも,かりにオハイオ州の鉄鋼が中国からの輸入に影響を受けた場合と,経済問題はそっくり同じだ.

オハイオ州の鉄鋼労働者やウェストバージニア州の石炭鉱夫の苦しみにもっと注目すべきだという聖人ぶった論評がメディアで騒々しく飛び交っているのをみかける.なるほど,でもそうした評論家たちの何人が,この2つのグループの利害が真っ向から衝突しているのを認識してるんだろう? トランプが鉄鋼を助けるべく保護主義政策を追求したら,それによってアメリカの石炭輸出は打撃を受ける.TPP はウェストバージニアの景気をよくするだろうけれど,一方でオハイオの製造業を脅かす.

だが,もっと深い水準では,石炭と鉄鋼が直面する問題はそっくり同じだ.アメリカでは,というかほぼ世界のいたるところで,オートメーションが急速に鉱山業や製造業の雇用を削減していっている.この問題が消えてなくなることはなさそうだ.それどころか,ロボット工学の進展にともなって,事態はいっそうわるくなるだろう.トランプはいくらか象徴的な動きこそ見せられるだろう(空調設備企業 Carrier の件や環境保護法の緩和など).それで救われるのは一握りの雇用だ.そして,世間には見えない他の雇用が失われる.だが,根本のところではなにも変わらない.たんに,いまより薄汚くて暑い地球をもたらすだけだ.そして,そんときにもラストベルトの労働者たちはあいかわらず怒っているだろう.

自分たちの苦しみは外国人のせいだとデマを吹聴するのはいつだって心地いいものだ.でも,その外国人も同じことをやる――彼らにとっての外国人がわるいと責めるだろう.その外国人にはぼくらも含まれる.