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タイラー・コーエン 「水爆の原料は何だ? ~アーメン・アルチャンが手掛けた世界初の(そして歴史の闇に葬り去られた)『イベントスタディ』をここに再現~」(2014年5月12日)

●Tyler Cowen, “Nuclear science, event studies, and the other side of Armen Alchian”(Marginal Revolution, May 12, 2014)


この話は知らなかった1

舞台は1954年のランド研究所(RAND Corporation)。その当時ランド研究所に籍を置いていたアーメン・アルチャン(Armen A. Alchian)は世界で初めての「イベントスタディ」に挑んだ。その目的は当時開発中だった水素爆弾の原料に何が使われているかを推測することだった。アルチャンは一般に公けにされている金融データ(株価)だけを頼りにして原料は「リチウム」だと見事に言い当てることに成功したものの、国家の安全を脅かす恐れがあるとの理由から「イベントスタディ」の結果をまとめた覚え書きはたちどころに没収されて破棄されてしまった。アルチャンが世界初の「イベントスタディ」に挑んだ当時は水爆の製造工程は機密扱いだったが、その後一部については機密解除されるに至っている。1950年代初頭における水爆の開発実験はマーケットの効率性――インサイダーしか知り得ない私的な情報を誰もが知る公開情報として素早く普及させるマーケットの効率性――がいかほどのものかを試す格好の機会を提供している。本論文ではアルチャンが手掛けた「イベントスタディ」の再現を試みたが、結論を先取りしておくとアルチャンが辿り着いたのと同様の結果が得られた。アルチャンが手掛けた「イベントスタディ」ではマーシャル諸島で行われた一連の核実験(水爆の爆発実験)――1954年3月1日にビキニ環礁で行われたブラボー実験(これまでにアメリカが行った核実験の中でも最大規模のもの)を手始めとするいわゆる「キャッスル作戦」――に対する株式市場の反応が対象となっている。「キャッスル作戦」は重水素化リチウムを燃料とする水爆の爆発実験としてはアメリカ初の試みであり、爆撃機でも持ち運びが可能な高出力の核兵器の開発に道を開くきっかけとなったものである。当時の株価のデータを詳しく調べると、1954年3月にリチウム・コーポレーション・オブ・アメリカ(LCA)社の株価がその他の企業の株価やダウ・ジョーンズ工業株価平均(DJIA)と比べてもかなり大幅な上昇を記録していることがわかる。ブラボー実験が行われたのは1954年3月1日。水爆の製造工程については国家機密であり、ブラボー実験の成否については科学者の間でも意見が割れ、国民の間では混乱が見られたが、それにもかかわらずブラボー実験が行われて以降の3週間の間にLCA社の株価は(1954年2月26日時点での一株あたり8.875ドルから1954年3月23日時点での13.125ドルへと)48%以上もの上昇を見せ、月最終日の3月31日時点(一株あたり11.375ドル)でも2月26日時点の株価を28%も上回ることになったのである。LCA社の株価は1954年の1年間で(1953年12月31日時点での一株あたり5.125ドルから1954年12月30日時点での28.75ドルへと)実に461%もの上昇を記録したのであった。

以上はジャーナル・オブ・コーポレート・ファイナンスに掲載されたばかりのジョゼフ・ニューハード(Joseph Michael Newhard)の論文のアブストラクトだ(「切れ者」のケヴィン・ルイス(Kevin Lewis)経由で知ったもの)。論文の草稿はこちら(pdf)だ。

  1. 訳注;ちなみに、アルチャン本人はこの件について次のように回想している(“Principles of Professional Advancement”(in 『The Collected Works of Armen A. Alchian(vol. 1)』), pp. xxv~xxvi)。「ひょんなことから1946年にUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の経済学部に籍を置くことになった。その前年の1945年にUCLAの近くのサンタモニカにたまたまランド研究所が設立されたばかりだった。そしてUCLAの同僚のアレン・ウォリスが(ランド研究所の設立に奔走していた)ヘンリー・「ハップ」・アーノルド元帥とどういうわけだか非常に仲がよかった。私が(アレン・ウォリスにそそのかされて)ランド研究所で働くに至るまでにはこういった偶然の積み重ね――ゴルフでバーディーがとれる場合と引けを取らないだけの偶然の積み重ね――があったのだ。・・・(中略)・・・ちょっとばかり自慢させてもらいたいことがある。話は1950年代~1960年代に遡るが、コーポレート・ファイナンスの分野で初めての「イベントスタディ」を手掛けたのだ。水爆が完成する前年のことだ。ランド研究所の経済部門に集った面々は水爆の原料にどんな金属が使われているのだろうと興味津々だった。リチウムだろうか? ベリリウムだろうか? トリウムだろうか? それともそれ以外? ランド研究所で一緒に働いていたエンジニアや物理学者の連中に聞いても何も教えてくれなかった。それももっともである。彼らは機密を保持する義務を負っていたのだから。そこで私は言ってやったものだ。「自力で答えを見つけ出してやるぞ」、と。そこで早速米商務省が発行している会社年鑑を引っ張り出してきて水爆の原料となりそうな金属を製造している会社を何社か選び出した。そして選び出しておいた会社の株価が水爆の実験が成功する前年の下半期を通じてどういう動きを見せるかじっと眺めたのだ。未公開の情報には一切頼らなかった。いやはや驚いたの何のって。記憶の範囲での話になるが、ある会社の株価が8月の時点では一株あたり2ドル~3ドルくらいだったのが12月の時点になると一株あたり13ドルくらいにまで急上昇することになったのだ。その会社というのはリチウム・コーポレーション・オブ・アメリカ社だ。年明けの1月に早速その結果を覚え書きとしてまとめ、“The Stock Market Speaks”(「株式市場は語る」)というタイトルをつけてランド研究所内に配布して回った。それから2日後のことだ。配った覚え書きを残らず全部回収しろと上からのお達しがあったのは。」 []

タイラー・コーエン「実際のところスウェーデンの秩序はどれくらい乱れているの?」

[Tyler Cowen “How disorderly is Sweden really? ” Marginal Revolution, February 21, 2017]

Here is the latest, which is in the media but not being plastered all over my Twitter feed:
最新ニュースはこちら.メディアには出ているけれど,いまのところぼくのツイッターフィードをびっしり埋め尽くすほどの話題にはなっていない:
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タイラー・コーエン「移民同化の真のジレンマ」

[Tyler Cowen, “The real assimilation dilemma,” Marginal Revolution, February 23, 2017.]

移民をめぐる議論は,ラテン系移民の第2世代・第3世代の同化率に関心を集中させていることが多い.だが,いったんこれを脇に置いて,ラテン系以外でアメリカにやってくる人たちを考えてみよう.彼らがいかに急速に同化するかを見ると,ぼくは目を見張る.ここで言ってるのは,カナダ系だけの話じゃない(「このブログの著者2人のどちらが国境の北側出身でしょう」と出し抜けに聞かれて当てられます?) ラテン系以外の移民には,ロシア系もいればイラン系,中国系,インド系などなどいくとおりもある.ムスリム系移民の大半もそうだ.こうした人たちは,アメリカ生まれアメリカ育ちの人と文化的にそっくり同じになりはしない.でも,経済的・社会的な指標で見ると,これ以上望めないほどの実績を示している.

それどころか,同化問題をもたらしているのは,ずっと昔からのアメリカ人たちの方だ.しかも,おうおうにして伝統的なアメリカ人だったりする.彼らの暮らす国は,急激に変わってしまった.そのおかげで,彼らは新しい現実の事情にあまりうまく同化していない.さらに,べつに自ら選んで移民になって「きっと困難が待ち受けているだろう」と思っている人間でもないので,「そういうもんだからしかたない」と受け入れる態度を内面化する方にいつでもかたむくわけでもない.彼らの多くは不平をこぼし,また,職業生活で落伍したり冴えないニッチに落ち着いたりする.

この点で見て,みずから進んでやってくる移民たちにもっとうまく・早く同化するよう促しても,かえって現実の同化問題を悪化させてしまいかねない.自国〔アメリカ〕の文化をいっそう急速に変えることになるからだ.

移民の真の影響は,賃金や選挙結果に表れないこともよくある.むしろ,昔ながらのアメリカ生まれアメリカ育ちの人々の一部に同化の負担がかかることになる.そして,移民たちがいっそう生産的に首尾よくやればやるほど,こうした問題はいっそう深刻になるかもしれない.

この点の議論につきあってくれたケイトー研究所のリバタリアングループに感謝.議論でのやりとりから,Will のものも含めて発言を使わせてもらった.

タイラー・コーエン 「『チューリングの大聖堂』」(2012年3月8日)

●Tyler Cowen, “*Turing’s Cathedral*”(Marginal Revolution, March 8, 2012)


今回のエントリーのタイトルはジョージ・ダイソン(George Dyson)の新著(邦訳『チューリングの大聖堂: コンピュータの創造とデジタル世界の到来』)から拝借したものだ。副題は「デジタル宇宙の起源」。最上級のあっぱれな一冊だ。コンピュータシステムの起源、初期のコンピュータと核兵器システムとのつながり、天才にやる気を出させる術、そしてジョン・フォン・ノイマンの経歴。本書を読むとそういった一連のあれこれについて考え直さざるを得なくなる。ほんの少しだけだが、内容の一部を引用しておこう。機会があればまた話題にするかもしれない。

ビゲロー(Julian Bigelow)は1943年にMIT(マサチューセッツ工科大学)を去り、その後はウォーレン・ウィーバーからの誘いもあって国家防衛研究委員会(NDRC)に設置された応用数学パネル統計研究グループの一員に加わることになる。コロンビア大学の後援を受けたそのグループには全部で18名の学者(数学者および統計学者)―――何名か名前を挙げると、ジェイコブ・ウォルフォウィッツハロルド・ホテリングジョージ・スティグラーエイブラハム・ワルド、そして(しばらくして経済学者に転身することになる)ミルトン・フリードマン――が集った。このグループは戦時下で巻き起こる様々な問題に取り組んだが、例えば次のような質問とともに議論が開始されるのが常だった。「戦闘機に12.7ミリ重機関銃(ブローニングM2重機関銃、通称「キャリバー50」)を8丁搭載するか、それとも20ミリ機関砲を4丁搭載するか。どちらにすべきでしょうか?」

フランシス・スパフォード(Francis Spufford)による書評はこちらだ。お薦めだ。

タイラー・コーエン 「経済学者はいかにして第二次世界大戦でのアメリカの勝利に貢献したか? (その1)」(2011年6月20日、2012年7月15日)

●Tyler Cowen, “*How U.S. Economists Won World War II*”(Marginal Revolution, June 20, 2011)


今回のエントリーのタイトルはジム・レイシー(Jim Lacey)による新著(『Keep from All Thoughtful Men: How U.S. Economists Won World War II』)の副題を拝借したものだ。内容の一部を引用しておこう。

第二次世界大戦が勃発するほんの50年ほど前の段階では米政府内でポストを与えられて働くことが許されていた経済学者はわずか一名しかおらず、その一名は「経済鳥類学者」(“economic ornithologist”)の資格で公職に就いていた。第一次世界大戦を契機としてワシントンにある「政策の現場」で働く経済学者の数はいくらか増えはしたものの、彼ら(政府内で働く経済学者たち)の影響力は依然としてごくごく限られたものだった。価格統制や物資の輸送といった問題についてアドバイスを送る程度の仕事しか与えられておらず、戦時動員計画の立案にはほとんど何の影響も持たなかったのである。何百という単位の(そしてゆくゆくは何千という単位の)数の経済学者の群れがワシントンにある「政策の現場」になだれ込むきっかけを作ったのは大恐慌である。第二次世界大戦が勃発する頃までには、連邦政府内で働く経済学者の数は5000名近くにまで膨れ上がっていたと推計されている。

デビッド・ウォーシュ(David Warsh)による本書の書評はこちらを参照1

個人的には読んでいて退屈に感じる部分もあったが、大いにためになる箇所にも何度もぶつかった。全体的な評価としては「一読の価値あり」ということになるだろう。戦時動員は米国内の消費者に対して意外なほどわずかな負担しかもたらさなかった(その多くは耐久財の購入を先延ばしせざるを得なくさせられるというかたちをとって表れた)、というのが本書でのレイシーの評価だ。この点はヒッグス(Robert Higgs)の評価とは真っ向から対立するところだ。

「経済鳥類学」2の第一人者の簡潔な評伝はこちら(pdf)を参照。私も初耳だったのだが、「経済鳥類学」の実地試験が試みられた前例があるとのことだ。

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●Tyler Cowen, “*Keep from All Thoughtful Men: How U.S. Economists Won World War II*”(Marginal Revolution, July 15, 2012)


クリフトファー・タサヴァ(Christopher Tassava)がレイシーの『Keep from All Thoughtful Men: How U.S. Economists Won World War II』に対する優れた書評を物している。その一部を引用しておこう。

・・・(略)・・・著者のレイシー(元米陸軍将校であり、現在は軍事評論家として活躍中)は本書の中で文民の経済専門家と軍人スタッフとの間で繰り広げられた(官僚機構内での)激しいぶつかり合いを描き出している。ヨーロッパで戦争(第二次世界大戦)の火蓋が切って落とされた段階ではアメリカ経済はまだ戦争の準備ができていなかった。戦争に本気で足を踏み入れるためには軍需品の生産に相当量の資源を振り向ける必要があったが、アメリカ経済を一体どこまでそのような方向に向かわせることができるか? 十分な量の軍需品の生産に漕ぎ着けることが仮に可能だとしてそこまでたどり着くにはどのくらいの時間がかかるか? 文民の経済専門家と軍人スタッフとの間ではこの問題をめぐって激しいぶつかり合いが生じたのである。レイシーが本書で跡付けるストーリーの中心にいるのは3名の経済学者だ(本書の中で明らかにされるように、この3名の経済学者はアメリカ経済が備える軍事への対応力を前もって正確に言い当てていた)。そのうちの一人は有名だ。サイモン・クズネッツ(Simon Kuznets)である。残りの2名はその名もほぼ忘れ去られようとしている。ロバート・ネイサン(Robert Nathan)とステイシー・メイ(Stacy May)である。

レイシーが公文書や二次史料を巧みに駆使して描き出しているように、クズネッツ&ネイサン&メイのトリオは官僚機構の内部に集った少数の文民(の経済専門家)グループの協力を得つつ社会科学の手法(とりわけ統計学的な手法)を使って将来の予測――アメリカ経済の成長余力はどのくらいか? アメリカ経済が成長の限度にまで達するにはどのくらいの時間がかかりそうか? アメリカ経済は米軍や連合軍のために軍需品をどれだけ供給することができそうか?――に乗り出した。「『民主主義の兵器廠』(“arsenal of democracy”)たるアメリカがヨーロッパ戦線に本格的に参戦する上で十分なだけの軍需品の生産に漕ぎ着けることができるのはいつか? それは1944年6月だ3」。レイシーが説得力ある書きぶりで跡付けているように、クズネッツ&ネイサン&メイのトリオは1942年後半の段階――真珠湾攻撃からちょうど1年が経過するよりも前の段階――でそのように予測していたのである。

  1. 訳注;ウォーシュの書評の一部を訳出したのが次の記事。 ●マーク・ソーマ 「経済学者はいかにして第二次世界大戦でのアメリカの勝利に貢献したか? (その2)」経済学101, 2017年2月19日) []
  2. 訳注;「経済鳥類学」というのは鳥が人間社会の日常生活(特に農業や園芸、スポーツなど)といかなる関わりを持っているかを調査する学問分野を指しているようだ。詳しくは(文中で言及されている論文に加えて)次の論文を参照。 ●Theodore S. Palmer, “A Review of Economic Ornithology in the United States”(pdf) []
  3. 訳注;1944年6月というのはノルマンディー上陸作戦が決行されたタイミングにあたる。 []

タイラー・コーエン 「『あなたは私のことをモノ扱いしてるのよ』 ~バレンタインデー当日のとある風景~」(2006年2月15日)

●Tyler Cowen, “Randian Valentine’s day rhetoric”(Marginal Revolution, February 15, 2006)


「あなたは私のことをモノ扱いしてるのよ」。

彼女はそう言い放った。

・・・(略)・・・彼女をモノ扱いする。彼女のことを僕の所有物のように扱う。それって一体どういうことなんだろうか? (自分の所有物に対するのと同じように)彼女のことに気を配り、一生懸命守ろうとする。赤の他人が手にしているモノなんかよりもずっと大事に扱う。そういうことになるんじゃないか?

自然と幸せな気持ちに傾きかけていたその時、彼女の顔を見て気付かされた。彼女の表情から判断するにどうやら僕みたいに幸せじゃないようなのだ。

あっ! そうか! 僕は間違っていたみたいだ。誰もが自己を所有しているのだ。誰もが自己の持ち主なのだ。その点は僕も彼女も同じなんだ。でも、まあそれはそれとして彼女のことをモノ扱いしているという点は受け入れるとしよう。まだ非常に重大な問題が控えているぞ。

そこまで考えを巡らせた末に僕はこう答えた。

「モノというけれど、みんなのモノ(公有財産)っていう意味? それとも誰か一人だけのモノ(私有財産)っていう意味?」

全文はこちらを参照。

タイラーコーエン 「『チョコレート債』はいかが?」(2010年5月26日)/「私を食べて♡」(2013年2月26日)

●Tyler Cowen, “Bond markets in everything”(Marginal Revolution, May 26, 2010)


イギリスの高級チョコレート専門店であるホテル・ショコラ(Hotel Chocolat)――イギリス国内だけにとどまらず中東やアメリカにも進出しており、今のところ世界で40店舗以上が店を構えている――が事業拡張に乗り出す意向を示している。そのために必要となる資金は従来のように銀行や大手投資家から調達するのではなく、同社の顧客に債券を販売することで賄う予定だという。その債券では利息として(現金ではなく)「チョコレート」が支払われることになるという。

今回発行される予定の「チョコレート債」は2種類あり、いずれも利息として同社の箱詰めチョコレートが支払われることになる。額面が2000ポンドの「チョコレート債」の保有者には利息として年あたり6箱の箱詰めチョコレート(ポンドに換算すると、107.70ポンドに相当)が支払われ、額面が4000ポンドの「チョコレート債」の保有者には利息として年あたり13箱の箱詰めチョコレート(ポンドに換算すると、233.35ポンドに相当)が支払われることになる。いずれの債券も年利は5.38%という計算になる。債券が発行されてから3年が経過すると、記念日ごとに債券の買い戻し(元本の償還)に応じるという。3年が経過した後も債券を保有し続けることを選んだ顧客にはそれまで通り(利息として)箱詰めのチョコレートが送り届けられるということだ。

全文はこちらだ。この話を教えてくれたEric John Barkerに感謝。

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●Tyler Cowen, “Markets in everything the culture that is Japan there is no great stagnation”(Marginal Revolution, February 26, 2013)


自分のグミの「レプリカ」(複製)を作ってそれを食べることもできる。味もなかなかおいしそうに見える。

日本(東京都渋谷区)にあるFabCafeでは自分そっくりに見える複製を作るサービスを提供している。お値段はおよそ65ドル(6000円)。3Dスキャナーを使って自分の体の型をとり、その型をもとにしてグミを作る。色付けの選択肢も多彩だ。FabCafeは「自分の顔チョコ」作りのサービスも行っている。自分のレプリカ作りのサービスは元々はホワイトデー用に始められたようだ(アジアの国々ではホワイトデーというのがある。バレンタインデーみたいなものだが、女性が男性にプレゼントを贈るらしい1。驚くばかりだ)。

全文はこちらだ(実物の画像も見れる)。この話を教えてくれたRob Raffetyに感謝。

  1. 訳注;ここは勘違い。言うまでもなく、ホワイトデーには男性が女性にプレゼントを贈る(バレンタインデーのお返しをする)習わしになっている。「アジアの国々ではバレンタインデーの日に女性が男性にプレゼントする決まりになっているらしい」と書くべきだったと思われる(海外だと一部の国を除いて特にそういう決まりはない)。 []

タイラー・コーエン 「『アポロの天使』 ~バレエの盛り上げ役を買って出たケインズ~」(2010年12月18日)

●Tyler Cowen, “*Apollo’s Angels: A History of Ballet*”(Marginal Revolution, December 18, 2010)


ジェニファー・ホーマンズ(Jennifer Homans)による『Apollo’s Angels: A History of Ballet』(『アポロの天使:バレエの歴史』)は今年(2010年)出版されたノンフィクションの中でも最も優れている作品の一つだ。文章も流麗だし、細かいところまでよく調べ尽くされている。経済学者の多くが強く興味を覚えるであろう箇所を以下に引用しておくことにしよう。

ロシアバレエに魅せられた数多くのバレエ愛好家の中でもイギリスのバレエの行く末を左右する上で中心的な役割を果たすことになった人物と言えば、ジョン・メイナード・ケインズをおいて他にないだろう。ケインズと言えば20世紀を代表する傑出した経済学者として人の口に上るのが通常だが、ケインズはクラシックバレエに深い関わりを持った人物でもあった。ケインズはイギリス国内でのバレエの振興に力を注いだキープレーヤーの一人でもあったのだ。

・・・(中略)・・・

ケインズにとっては・・・(略)・・・クラシックバレエは青春時代の彼とともにあった今やもう失われつつある文明を象徴するシンボルとしての意味合いをますます強めるばかりであった。・・・(略)・・・ケインズは妻の(バレリーナでもある)リディアの協力を得ながらオペラや絵画、ダンスの支援のために自らの持てる才能と財力の限りを尽くしたのであった。それも政治・経済問題の解決に向けて世界を舞台に獅子奮迅の働きを見せていた真っ最中にである。

ブルームズベリーにあるケインズ夫妻の住まいは(リディアの友人である)著名なバレリーナが一同に集う集会所のようになっていたが、時とともにバレエをアートとして高く評価するアーティストや知識人たちもその輪に続々と加わるようになっていった。・・・(略)・・・1929年にセルゲイ・ディアギレフが亡くなると、ケインズはバレエ愛好家の仲間たちと一緒になってカマルゴ協会の立ち上げに協力した。カマルゴ協会の目的は二つあった。ディアギレフの功績を後世に伝えること、そして「イギリスバレエ」の創造に貢献することである。カマルゴ協会は短命の組織ではあったものの強い影響力を誇った組織だった。妻のリディアはカマルゴ協会の創設メンバーに名を連ね、協会が制作した作品に何度もバレリーナとして出演した。・・・(略)・・ケインズはカマルゴ協会の名誉会計の地位に就いていた。

ケインズは1930年代半ばにケンブリッジ芸術劇場の建設にも一肌脱いでいる。その建設費用の多くはケインズが私財を投じて賄われたのであった。・・・(略)・・・イギリス経済が不況のどん底であえぐ中、ケインズのアートに対する関心は政治的な色合いをますます強めていくことになる。ケインズは1933年にこう書いている。「戦争(第一次世界大戦)が終わってからこれまでの間に莫大な額の失業手当の支払いを余儀なくされたわけだが、それだけのお金があればイギリスの都市を人類がこれまでに作った作品の中でも世界で最高の作品に仕上げることができたに違いない」。

ところで、つい最近『ブラック・スワン』を映画館で観てきたばかりだ。あれやこれやの作品がごちゃまぜになっている感じがしたし、胸糞が悪くなるような場面もいくつかあった。看過できない間違いも散見された。とは言え、大変面白かった。『ウィンターズ・ボーン』、(イスラエル映画の)『レバノン』 、(エグいところはあるが出来そのものは素晴らしいデンマーク映画の)『ヴァルハラ・ライジング』と並んで今年(2010年)公開された映画の中でも個人的に好きな作品の一つだ。

『白鳥の湖』のCDはミハイル・プレトニョフが指揮してロシア・ナショナル管弦楽団が演奏したものを収録した作品がお気に入りだ(2010年に発売されたクラシックCDの中でも一番のお気に入りだ。このCDは色々と物議を醸しているようだが、とりあえずこちらの優れたレビューを紹介しておこう)。プレトニョフと言えば少年への暴行容疑でタイ警察に捕まっていたが、特に罪に問われることもなく無事に釈放されたようだ。

タイラー・コーエン 「アートの『支援』に力を注いでいる経済学者といえば?」(2012年8月29日)

●Tyler Cowen, “Economists who support the arts”(Marginal Revolution, August 29, 2012)


拝啓 タイラー・コーエン殿(ちなみに、Facebookでは「友達」同士ということになっています)

新しく立ち上げたばかりのブログに投稿する予定のエントリーのために調べ物をしている最中です。そのエントリーではアートの支援に際立ったかたちで力を注いだ経済学者のエピソードを取り上げようと思っています。今のところは4つの例に思い当たってます。一つ目の例は故ノートン・ダッジ(Norton T. Dodge)教授のケースです。彼はロシアの前衛芸術(ロシア・アヴァンギャルド)の支援に力を入れていました。二つの目の例は故アレクサンダー・ガーシェンクロン(Alexander Gershenkron)のケースです。彼はウラジミール・ナボコフによる『エヴゲーニイ・オネーギン』(プーシキンの小説)の滅茶苦茶な英訳に対して大変優れた批評を行っています。三つ目の例はカリフォルニア大学バークレー校に籍を置くグレゴリー・グロスマン(Gregory Grossman)教授のケースです。彼はポーランドの詩人であるアレクサンドル・ヴァット(Aleksander Wat)を支援しておりバークレー校にも呼び寄せています。そしてヴァットがバークレー校に滞在している最中にあの傑作の『My Century』を仕上げる手助けをしています。最後の例はケインズです。ケインズはオペラやバレエ、ダンスの支援に肩入れしていたことは有名です。他に何か適当な例を御存知でしょうか? こういうテーマを扱った論文なり書籍なりに心当たりはないでしょうか? 

敬具

Julian Berengaut

リチャード・ケイブス(Richard Caves)はピカソの絵を蒐集しているし、ウィリアム・ランデス(William Landes)はチャールズ・バーチフィールドの作品を集めている。ウィリアム・ボーモル(William Baumol)は木の彫刻をたくさん集めていたはずだ。今挙げた三人が今も生存している同時代のアーティストの「パトロン」1もしているかどうかまではわからない。アサール・リンドベック(Assar Lindbeck)は自身が絵描きとしても活躍している。ロバート・マンデル(Robert Mundell)も同じくそうだ。スペンサー・マッカラム(Spencer MacCallum)(経済学者ではないが経済問題について意見を数多く発表している一人)はメキシコ産の陶器のパトロンかつ宣伝役として重要な一人だ。かくいう私もメキシコアートのパトロンの一人だが、そのあたりの詳しい話は「メキシコアートの経済学」をテーマとした拙著の中で論じているところだ。

ロデリック・ディーン(Roderick Deane)はニュージーランド在住のビジネスマンであり経済学者でもあるが、同国(ニュージーランド)のアーティストの支援活動に力を入れている。経済学者のマリー=ジョゼ・クラヴィス(Marie-Josée Kravis)は主にカナダのアーティストの支援活動に力を入れている。ジョージズ・メニル(Georges Menil)はパリ在住の経済学者だがアートの蒐集家として名高いあのメニル家の一員だ。ウェイン・コックス(Wayne Cox)は経済学者ではないが税金の問題についてコメントしているのでとりあえず(「経済学者」という)条件はクリアしているということにしておくと、彼はジャマイカの直感アートの支援活動に力を入れている一人であり蒐集家としても重要な人物だ。経済学者のヘンリー・カウフマン(Henry Kaufman)はアートを支援するために多額の寄附をしている。19世紀の話になるが、経済学者でもあったフランシス・ホーマー(Francis Horner)はヘンリー・レイバーンに自分の肖像画を描いてもらっている。しかしながら、レイバーンに報酬を支払ったのはホーマーの弟だったようだ。おそらく兄弟の間でベッカー流というかコース流のやり取りが交わされたのだろう。

リチャード・ボディグ(Richard D. Bodig)は「経済学者」兼「歌手」兼「ルネサンス音楽の研究者」だった。次のようなニュースの見出しがたまたま目に入ったがこれも勘定に入れていいだろうか? 「ジャズ歌手のオレーシャ・ヤクニナが語る。ジャズが経済学徒の未来に控えるキャリアから我が身を解き放ってくれた。それはいかにしてか?」2 (『ヤバい経済学』コンビの片割れである)スティーブン・ダブナーはロックバンドの一員として活躍していた過去がある。

思い付くのはこんなところだ。誰か見落としていないだろうか?

  1. 訳注;この箇所以外にもあちこちで「パトロン」という表現が出てくるが、特定のアーティストの生活費の面倒を見ている(アーティスト本人に直接お金を渡して生活の面倒を見ている)というわけではなく、自分が好きなアート作品を買い揃えているという意味で使われている。 []
  2. 訳注;リンク切れ。 []

タイラー・コーエン 「トーマス・シェリングとスタンリー・キューブリック」(2005年10月17日)/「『Shuga』 ~行動経済学者、ドラマの制作に挑む~」(2015年1月17日)

●Tyler Cowen, “Schelling and Kubrick”(Marginal Revolution, October 17, 2005)


スクープだ。

〔ピーター・ジョージの小説『赤い警報』(邦題『破滅への二時間』)を評したシェリングの論文 “Meteors, Mischief and War”はロンドンで出版されている日曜紙のオブザーバー紙にも掲載される運びとなった〕。オブザーバー紙に掲載されたその記事は映画製作のためにイギリスに滞在していたスタンリー・キューブリック監督の目にも留まるところとなり、キューブリック監督は早速ピーター・ジョージに連絡を取った。『赤い警報』をもとにして映画の脚本を書いてくれないかと依頼するためである。

それからしばらくしてキューブリック監督とピーター・ジョージのタッグはシェリングと面会する機会を持つことになる。その会合には核戦略の専門家であるモートン・ハルペリンとウィリアム・カウフマンも同席することになり、『赤い警報』が抱える「厄介な事情」を切り抜ける術をめぐって昼過ぎから日が暮れるまでじっくりと話し合われることになった。「厄介な事情」というのはこういうことだ。『赤い警報』が書かれたのは1958年のことだが、それ以降に大陸間弾道ミサイルの開発が進んだのである。爆撃機に核兵器を搭載して敵国を襲撃するという『赤い警報』のシナリオが(大陸間弾道ミサイルが核攻撃を行う際の主力として想定されるようになっていた)現実と合わなくなっていたのである。

シェリングは当時のことを思い出して次のように語っている。「(『赤い警報』に描かれているような)忌まわしい戦争が開始されるところまで無理なく話を持っていくにはどうしたらいいだろうとみんなで頭を捻りに捻ったものです。空軍のどこかに頭のネジが飛んでいる異常人物がいないことには戦争が始まるところまで漕ぎ着けることはできない。最終的にそういう結論に至りました。私たちの話を聞いていたキューブリック監督とピーター・ジョージの二人も『悪夢コメディ』(nightmare comedy)というかたちでいくしかないか、と観念したようです」。

シェリングは「真面目な」作品が出来上がることを願っていたようだ。曰く、「『赤い警報』は真剣そのものな作品だったんです。滑稽なところは一切なかったんです」。とは言え、シェリングも映画好きな世代に属する一人。最終的に出来上がった作品(1964年に公開された『博士の異常な愛情』)にはがっかりさせられることもなく楽しく鑑賞できたということだ。

シェリングは語る。「ブラックコメディに仕上げざるを得なくさせてしまった点についてはちょっぴり申し訳なく思っています。でも、そういうかたちにならざるを得なかったというのは真相をうまく捉えているのかもしれません」。

全文はこちらだ。この情報を教えてくれたPaul Jeanneに感謝する。他に何もすることがないようであれば(暇なようなら)、ノーベル賞の受賞対象となった研究の中で映画のネタになるような例が他にないか想像を逞(たくま)しくしてみるのもいいだろう。

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