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Nick Rowe: 金融政策は利子率政策ではない(日本版)

Monetary policy is not interest rate policy – Japanese version” by Nick Rowe from Worthwhile Canadian Initiative (24 May, 2013)の訳です。文中の「何で買うか」という点について、このあたりの一連のポストなども合わせて読まれるのもいいかもしれません。
追記:コメント欄に本ポストに関するサムナーのコメントと、それに対するニック・ロウの返答を追記して頂きましたので、そちらも合わせてご参照ください。


現在と将来の双方において、ある資産を買い入れると僕が宣言してみたとしよう。そしてみんながその宣言を信じたとする。もしこの宣言がその資産の価格の下落を引き起こしたら、不可解な話だ。僕がその資産の価格を上昇させようとして買い入れをしていると言っていたら、これはさらに不可解な話になる。これが現在日本で起こっていることだ。債券価格は下落を続けている(よって債券イールドは上昇している)。(おそらくは)アベノミクスによって。

こうしたパラドックスを引き起こすかもしれないケースはいくつかある。

僕は、いつも資金を失ってしまう全く出来の悪い投資家として評判なのかもしれない。だから、僕が不動産を買っているのを見たら、みんなは持っている不動産を売ることに決めてしまう。

僕が資産を持っているという情報自体が、資産の価値を薄れさせてしまうのかもしれない。僕が相当に流行遅れなので、もし僕がバーバリーの水着を買ったら、他のみんなはバーバリーを買うのをやめてしまう。

それか、僕は新品の自転車を支払うことでタクシーの免許証を買っているのかもしれない。市場に溢れる自転車によって、タクシーに乗ろうという人は少なくなり、免許証は無駄になってしまう。

最後の例は、現在の日本のケースに一番近い。何を買うかというだけでなく、何で買うかということだ。現在と将来双方における道を走る(in circulation)自転車のストックの上昇は、タクシーの免許証の需要に影響を及ぼす。現在と将来双方における流通する(in circulation)貨幣ストックの上昇は、債券の需要に影響を及ぼす。期待される将来の物価水準と将来の実質所得の両方、あるいはどちらか一方を引き上げ、それらが債券需要を減少させるからだ。

金融政策とは利子率政策だと考えてしまうと、このパラドックスから抜け出すことは難しい。これは、メカニックが車のハンドルの制御配線を左右反対に繋げてしまったようなものだ。だから右に曲がろうとしてハンドルを右に切ると、ハンドルがおかしくなったと思って驚いてしまうが、実際には反対にハンドルを切っているのであって、車は左に曲がる。何が起こっているのかが分かった後には、それに慣れてうまくハンドルを切れるようになるかもしれない。でも英語という言語は、そんなハンドルを切っているときにどうやって運転しているかを、明確に説明するのに向いているだろうか。「どっちの方向にハンドルを切ろうとしている(trying; 訳注:以下「」内やイタリックの”~ようとする”は全てtryもしくはその活用形)んだ?」。僕は日本語にも同じような問題があるだろうと考えている。

貨幣を増発し、債券の購入をすることで債券イールドを押し下げ「ようとする」ことが実質上経済の回復をもたらし、回復への期待が投資の増加、貯蓄の減少、流動性や政府債券の安全さへの需要の減少を引き起こし、そしてそれが債券イールドの上昇を起こすこということを知っていた上で、経済回復による副作用として債券イールドの上昇を受け入れると意思がある場合、債券イールドを押し下げようとしていると真実本当に言えるだろうか。うん、イエスでもあり、ノーでもある。でも、債券イールドの上昇は政策の失敗したことを意味しない。それどころか、政策がうまくいっていることを意味するんだ。

日銀は債券イールドを押し下げようとしているだろうか。うん、イエスでもあり、ノーでもある。日銀が債券イールドを押し下げようと奮闘しているという意味ではイエスといえるけど、この闘いは経済の回復というもっと広い戦争の一部だ。そして日銀が経済回復のための戦争に勝利した暁には、彼らは債券イールドを押し下げるという闘いには負けることになる。だから日銀としては、債券イールドを押し下げるという闘いには負けたいんだ。

リチャード・クーが次のように言ったとアンブローズ・エヴァン・プリチャードが伝えている

昨夜伝えたとおり、クー氏は貨幣的なリフレというアベノミクスの狙いは狂っていると考えている。「インフレへの懸念が起こり始めてしまったら、どれだけ債券を購入したとしても日銀はイールドの上昇を抑えられなくなる。」そしてこれは「日本政府への信認の喪失」をもたらし、そして「日本経済の終わりの始まりとなる。」

はいはいそうですね。日本経済がデフレと不景気から十分に回復したときには、日銀は債券イールドの上昇を抑えられなくなる。強くそれを抑え「ようとすれ」ばみるほど、イールドの均衡は上昇するからだ。でも、回復が十分力強いものに見えたときには、日銀は債券イールドを抑え「ようとする」ことをやめ、これらの債券イールドが上昇をやめるところまで、それを上昇させ「ようとする」ことになる。

アンブローズはリチャード・クーが「…日本のもっとも著名な経済学者で極端なケインジアン(arch-Keynesian)」とも伝えている。「極端」という点がメインであり、「極端なケインジアン」という意味はあんまりない。ポール・クルーグマンはケインジアンだけれど、アベノミクスがうまく債券イールドを上昇させたとして、彼がそれを問題視することはないと思う。彼は債券イールドの上昇を喜んで、日銀は流動性の罠を抜け出して金融政策の「とっかかり(traction)」を取り戻したと言うだろう。リチャード・クーはケインジアンだろうか。それとも彼はただの財務屋で、マクロや貨幣を本当のところは分かってないんだろうか。(僕はその答えを持たない。)

これは日本経済の「終わりの始まり」なんかじゃない。その代わり、そして僕が望むように、これは日本の長きにわたる不景気の終わりの始まりになるかもしれないんだ。

そして、もしこれが日本の長期にわたる不景気の終わりであるなら、これは金融政策はバランスシート不況においては役に立たず、財政政策だけが民間部門のデレバレッジを相殺することができるというリチャード・クーの論文の終わりの始まりにもなる。そして僕らは、日本が何年も前にこれをやらなかったおかげで、これまでの年月を無駄にして、日本政府が債務GDP比率を悪化させるのを許すがままにしたことだけを悔やむことになる。なぜなら、高い債務GDP比率だけが、日本の経済回復を願っているかもしれない一方で、回復に伴う金利の上昇は望まないという人がいる理由だからだ。そしてこれは、回復を止めようとする理由にはならない。アベノミクスみたいなことを何故もっとずっと早くやってなかったんだ、ということを悔やむもう一つの理由ではあるけどね。


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