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アレックス・タバロック「電気を権利扱いすることの帰結」(2020年3月5日)

[Alex Tabarrok, “The Consequences of Treating Electricity as a Right,” Marginal Revolution, March 5, 2020]

貧しい国々では,電気料金が安い.あまりに安くて,「電気を1単位売るたびに電力事業はお金を損する」ほどだ.その結果として,使用量割り当てや電力不足が日常茶飯事になっている.Journal of Economic Perspective の共著論文で,Burdgess, Greenston, Ryan, Sudarshan はこう論じている――「こうした電力不足は,電気を権利として扱って私的財として扱わないことの帰結として生じる.」

電気を権利として扱うことで,安定した電力供給を誰もが受けられるようにする目的がどのように損なわれうるのだろうか? これには4段階があると本稿は論じる.第一段階では,電気は権利だと考えられるために,助成金・電気窃盗・不払いが広く許容される.コスト・不払い料金・配電網への違法接続をまかないきれない電気料金が,制度の一部として容認されるようになる.第二段階では,電気事業者(配電会社)は,電気を1単位売るたびに損をする.この損は合計で巨額にのぼる.政府は支援を提供するものの,どこかの時点で予算制約を受けるようになる.ようするに,配電会社は製品を売る量を減らそうと試みる.第四段階で,電力供給はもはや市場の要因に支配されなくなる.支払いと供給のつながりが断ち切られる:代金の支払いを回避する人々も,代金を全額払っている人々と同じ質の供給を受ける.支払いと供給のつながりが絶たれることで,第一段階で述べた考え「電気は権利」が強化され,低品質・低料金の均衡にいたる.

Burdges et al. の分析は,ぼくがインドで観察したことと合致している.インドでは,「電線アナーキー」がありふれている(写真を参照).電気が盗まれているのは一目瞭然なのに,誰もこれをどうにかしようとしない.なぜなら,電気は権利だと考えられていて,対策をとろうとした政権は投票によって権力から追いやられるからだ.

電気が盗まれるということは,電気事業者はコストをまかないきれないということだ.政府は助成金を出すけれど,ゼロコストまたは低コストでの受容を満たすのには足りない.このため,事業者は供給割り当てを行う.

電気を使用する人々に生じる帰結は,金持ちと貧者の隔てなく深刻だ.配電網は1つしかなく,料金を払う意欲のある消費者や〔安定供給のために〕ぜひとも支払いたいと考える消費者たちへの供給を増やしたりその品質を高めたりするのは不可能になる.

さらに,問題は貧困そのものではない.

(…)ビハール州の顧客の圧倒的多数は,支払いが期日を過ぎても,配電網に違法に接続しても,メーターを不正改造しても,なんらペナルティを受けない.さらには,支払いを避けるために電気事業の役人を買収しても,ペナルティを受けない.こうした態勢は,同じ消費者たちが携帯電話のような私的財への支払いをどう考えているかと,鮮烈な対比を示している.電気よりも携帯電話の方が重要かどうかは異論の余地があるにせよ,ビハール州では,貧しい人々は電気代に比べて3倍の金額を携帯料金に支払っている(総支出の 1.7パーセント対 0.6パーセント).

Burgess et al. 論文では,この問題を「電気を権利扱いする」問題としてとらえている.しかし,国の徴収能力が低いことと腐敗(とくに盗電汚職)とが組み合わさって生じる均衡としてこれを理解することもできる.盗電汚職では,買い手が検針員に金銭を渡して,メーターに細工をしているあいだ見ない振りをさせて,買収費用を差し引いてもより少ない費用で電気を手に入れる.盗電汚職は強い均衡だ.なぜなら,盗電しない買い手はコストが高くつき市場から追いやられることになるからだ.さらに,窃盗汚職では,買い手と検針員が一致して秘密を守る.どちらも,取引で得をするからだ.Shlieifer & Vishny が述べているように:

この結果からは,汚職を減らす第一歩は,政府からの盗みを防止する会計システムを創出することであるべきことが示唆される.

Burgess et al. 論文もこれに同意して,こう述べている――「改革では,盗電と料金不払いを減らすことを模索するやり方があるかもしれない.」 彼らは,インドとパキスタンで行われているプログラムを引き合いに出している.そうしたプログラムでは,料金が支払われていない地域全体への給電を電気事業者が止められるようにしている.言うまでもなく,そうした強硬な対策をとるには,「料金が支払われたら電気が供給されるし品質水準も上がる」という一定の信頼が必要となる――これは,信頼のある宗教指導者などの権威の源泉が他にもある場合にはより容易になるかもしれない.

つまるところ,問題は,政府が消費者に恩義を受けすぎていることにある.もしも,助成金をまったく出さないか,出すにしてもわずかにとどめる制度を政府が断固として維持できるなら,企業は電気を供給するだろうし,価格は低く品質は高くなるだろう.ところが,いざ必要な電力インフラに企業が投資すると,政府は〔助成金を出さないという〕約束を反故にして一時的に有権者の歓心を買うのに利用する.その結果,消費者はあまり電気を得られなくなる.政府は時間整合性の問題に直面するわけだ.独立した裁判所は政府の手足を縛る助けになるだろう.だが,途上国では,独立した裁判所がない場合がよくある.さらに,保守的な中央銀行家と同じように,電力業界の保守的なドンがいて,政府や有権者と物事の優先順位を共有していない場合もありうる〔電気を安くしてほしい有権者やそれに媚びたい政治家の意向に反して電力業界のトップが電気料金を維持しようとする,ということ〕.ここでも,なんらかの独立性が必要となる.

ようするに,みんなが高品質の電気を利用できるようにするためには,電気を権利にしないと政府が信用できる約束をしなくてはいけないわけだ.


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