サイモン・レン=ルイス「この10年で最悪の経済政策の失敗」(2018年8月21日)

[Simon Wren-Lewis, “The biggest economic policy mistake of the last decade, and it had nothing to do with academic economists,” Mainly Macro, August 21, 2018]

「この10年で最悪の経済政策の失敗」は,ライアン・クーパーが書いた記事の題名で,ここでいう最悪の失敗とはもちろん緊縮だ.(クーパー記事はもっぱらアメリカの事情に視野を絞っているので,EU離脱は比較対象に含まれていない.) 「緊縮は必要だ」と言った学者たちがどんな理由を挙げていたかクーパーは総ざらいして,彼らの分析がどう瓦解したかを検討している.(こうした著者たちに関するかぎりは,どれくらい瓦解したのかはいまなお論争の対象ではある.)

締めくくりにクーパーはこう述べている:

「ここまで見てきたとおり,ケインジアンの立場を支持する証拠は圧倒的だ.それはつまり,無意味な緊縮が10年続いたことでアメリカ経済が深刻な打撃を被ってきたということでもある――この緊縮によって,それまでの成長トレンドをおそらく3兆ドル下回る結果となっている.悪しき信念・感情に引きずられた推論・まぎれもない無能によって,緊縮主義者たちは,自分たちの緊縮策で回避するつもりだった問題をそっくりそのまま直接につくりだしてしまった.やれやれ.」

この記事についてさらに詳しくあれこれと言えることはあるけれど,この結論は本質部分で正しい.しかも,その本質部分はイギリスやユーロ圏諸国にも少なくとも同程度には当てはまる.富裕層へのトランプ減税は大部分が借り入れによってまかなわれているため,共和党がみんなに「緊縮は必要なんだ」と語ったところでもはや信用はえられない.これと対照的に,欧州の政治的右派はいまなお緊縮に強く熱を上げている.

クーパーの記事を読んでいると,このブログをはじめた当初1~2年のころをあれこれと思い出す.このブログをはじめて,ポール・クルーグマンやブラッド・デロングを中心として緊縮に反対する主にアメリカの主流経済学者たちのブログ界隈に私も仲間入りすることになった.私たちがやろうとしていたのは,学者たちがいう緊縮論をやっつけることだった.そして,それは成功した.クーパー記事からうかがえるように,とくに難しい仕事ではなかった.ときには,もっとよくわかっていてしかるべきとても高名な経済学者たちですら,単純なまちがいをしでかしていた.そうしたまちがいについては,このブログでもとりあげてきた.また,クーパーが論じているように,量的緩和 (QE) によってものすごいインフレが生じるという予測がなされることもあった.ただ,実際に起きた出来事によって,すぐにケインジアンが正しいことが証明された.アレジーナ & アーダグナおよびラインハート & ロゴフの2組がそれぞれに出した研究にかぎっては,結論を批判するのにさらに研究をすすめる必要があった程度だ.

ことケインジアンにかぎって言えば,知識面の格闘はおそくとも2012年には勝利で終わっていた.とくに, Paul De Grauwe は,ユーロ圏諸国が債務危機におちいっている理由について「最後の貸し手」機能が欠落していることを指摘しつつこれを分析して影響力を広げ,「まもなく我が国もギリシャのような事態に陥るぞ」という学者たちの信用を失墜させた.欧州中央銀行が2012年9月に国債直接購入 (OMT) を導入すると,ユーロ圏の債務危機は終熄して,Grauwe が正しかったことが証明された.2013年に,クルーグマンは緊縮についてこう記している:

「〔緊縮を主張する人たちの〕予測は大間違いだと証明された.その基礎になった学術文献はたんに正典としての地位を失ったばかりか,嘲りの的になってしまっている.」

当時まだよくわかっていなかったのは,緊縮の痛手がどれくらい続くのかということだ.これについてもクーパー記事はとりあげている.

クーパー記事が取り上げていない大事な論点を2つ付け足したい.ひとつはこれだ――2013年までに大半の研究者たちは緊縮が失策だったと納得していた(どっちにしろ全体としては少数派だったが)にも関わらず,政党色のないメディアの経済ジャーナリストたちはこれを認識できなかった.政治家たちがなおも緊縮策の実施を続けていたためだ.ロバート・ペストンは2015年にこう言っている:

「ジョージ・オズボーンの主張を放送しただけでも(例によって例のごとく)クルーグマン一派のケインジアン経済学者たちにひどい批判を向けられるだろうが,あらかじめ言っておくと,私は別に,いわゆる財政赤字削減を遅らせる彼らの代替案に比べて,もっと急速に赤字削減を進める案の方が国民の所得や生活水準にもたらす差し引き正味のマイナスの影響は少なくて済む,と言っているわけではない.そうではなくて,それぞれの言い分で論争があると言っているだけだ(もっとも,クルーグマン,レン=ルイス,ポーツはすでに論争に勝ったとすっかり信じているようだ――しかも,彼らの言い分とちがうことを考えている有権者は悪意あるメディアや偏狭なメディアに惑わされた無知な牧羊だという上から目線の見解をとっている.)」

実際に有権者たちは悪意あるメディアや偏狭なメディアによって惑わされていたことが,いまやわかっている.悪意もなく偏狭でもなかったとしても,そうしたメディアは学術論争の結果を伝えるだけの勇気をもちあわせていなかった.

二つ目の論点はこれだ――学術論争は政治家たちにまったく影響を及ぼさなかった.その点で,クーパー記事はもっぱら学術的な事柄だけに終始している.緊縮が始まったのは,べつに,政治家たちが大学のマクロ経済学者に指南を仰いだからではない.それに,ケインジアンが論争に勝ったところで,政治家たちの行動にはなんの影響もなかった.この点で,学術論争は完全に見世物でしかなかった.多くのケインジアン経済学者たちはこの点を理解していたと思う:勝利するしかない闘いではあったけれども,勝利すればなにか変わるだろうという幻想にはとらわれていなかった.2012年に私はこう書いている――「もしも研究者たちが団結すれば国民世論になんらかの影響は及ぼせるかもしれない.」 だが,その幻想も長くは続かなかった.ほどなくしてEU離脱となり,たしかに幻想だったと判明する.

大学の研究者たちになんら影響力がないのを理解していない人は多そうだ.異端派の経済学者たちにとっては,大学の研究者たちがいかにも影響力をもっていそうな振りをするのが都合がいい**.経済学者たちが影響力をもつこともある.ただし,それは政治家たちが耳を貸そうとするときか,メディアが学術的な知識を仕入れて政治家たちと対峙するときにかぎられる.たとえば,さらなる金融危機を回避するために政治家たちがやった対策はおよそ十分というには遠いけれども,べつに経済学者たちがそう助言したからでも対策のやり方を示していないからでもない.政治の事情で対策が阻害されているのだ.

アレジーナやロゴフのような経済学者たちが緊縮論議のあれほど早期に〔メディアに〕大きく取り上げられたのは,べつに彼らが影響力をもっていたからではなくて,右派の政治家たちが追求したがっていた政策に知的なお墨付きを与えるのに好都合だったからだ.彼らの研究がもたらした影響は,学者のあいだでは長続きしなかった.拡張的な緊縮や債務の危険水準といったものはないということを学者の大半は受け入れていた.これと対照的に,緊縮がもたらした打撃は,緊縮を推進した当の政治家たちにはそれほど及んでいないようだ.ひとつには,そうした政治家たちの言い分がもしかしたら正しいかもしれないといまだに大半のメディアが主張し続けているからという部分もあるけれど,彼らがいまだに権力を握っているからというのが主な理由だ.


**[2018/09/01] この箇所の訳文があいまいだというご指摘をいただいてあらためました。ありがとうございました。

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