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サイモン・レン=ルイス「人々の量的緩和,コービンの量的緩和」(2015年8月16日)

[Simon Wren-Lewis, “People’s QE and Corbyn’s QE,” Mainly Macro, August 16, 2015]

政治家たちは,いかにも魅力的に聞こえる言葉を我田引水して巧みに利用することがある.しかも,言葉の意味を歪めながら利用してしまう.実際には最低賃金の部分的ながら大幅に引き上げることを,オズボーンは「生活賃金」と称した.これは実にあくどい命名だった.実際の生活賃金では税額控除も計算に入れているのに,オズボーンは同時にそちらを引き下げようとしていたのだ.

労働党党首候補〔当時〕のジェレミー・コービンが言う「人々の量的緩和」(People’s QE) は,これと同種なのだろうか? ひとつ間違いなく確かなのは,私も含めて一部のマクロ経済学者たちがこの用語をコービンの考えとちがうかたちで使ってきたという点だ.私たちマクロ経済学者にとって,人々の量的緩和とはたんにヘリコプターマネーの別名でしかない.「ヘリコプターマネー」という言葉を最初に使ったのは,かの有名な急進派ミルトン・フリードマンだった.この場合のヘリコプターマネーでは,中央銀行がお金を創出し,なんらかの手段でこれを人々に直接分配する.これは,中央銀行が需要を大きくする確実な方法だ [1]: 経済学者のあいだでは,ときに,お金そのものを財源にした財政刺激策と呼ばれることもある.

この考えは最近になって息を吹き返した.イギリス国内でとりわけ目立つ例を挙げれば,アデア・ターナーがそうだ.ターナーがこれを言い出した理由は,伝統的な金融政策(金利の操作)では大不況をすぐに収束させられなかったからだった.そして,なぜすぐに大不況を収束させられなかったかといえば,政府が財政刺激策を打つどころか財政緊縮策を実施していたからだ.これと対照的に,日本・アメリカ・イギリス,さらにいまやユーロ圏も,お金を創出して金融資産を購入している(主に政府債券).これを「量的緩和」(Quantitative Easing; QE) と呼ぶ.だから,人々の量的緩和とはヘリコプターマネーのことだ.中央銀行がお金を創出して資産を購入するのではなく,人々の量的緩和ではお金を創出してこれを人々に与える.

コービンの量的緩和の素性は,これとずいぶんちがうようだ.コービンの諮問役リチャード・マーフィーは,かつて,「グリーン・インフラストラクチャ量的緩和」を提案していた.彼によると,「新しい[量的緩和]プログラムが各種の債権を購入する.グリーン投資銀行が債券のかたちで新規債権を発行して持続可能エネルギーの資金としたり,地方当局が発行した債権を購入して新規住宅への支払いを行なったり,NHS 信託が発行した債権を購入して新しく病院を建てたり,教育当局が発行した債権を購入して学校を建てたりする」のだという.これは,2つの考えに関連している:第一に,「金利が低くて労働力が安いときには,公共部門によるインフラへの投資は縮小させず拡大させるべきだ」というマクロ経済学者のあいだでほぼ異論のない見解.そして第二に,国立投資銀行 (National Investment Bank; NIB) を設立すれば,民間部門の投資を促進する一助として有用かもしれないという考え.(たとえば,LSE の経済成長委員会による提言を参照).

すると,ヘリコプターマネーとコービンの量的緩和のどこが主に異なるかというと,中央銀行によって創出されたお金がどこに向かうかという点のように思える:中央銀行から小切手のかたちで個々人にお金が渡るのか,それとも,投資プロジェクトの財源になるのか,というところが主にちがうように思える.だが,それは間違いだと私は思う.そのわけを理解するには,おのずと浮かんでくる問いに答える必要がある:この政策は,なにを達成するよう設計されているのだろうか? 混乱が生じるのは,まさにこの点なのだろう.

さっき述べたように,ヘリコプターマネーのねらいは,金利操作がもはや可能でなかったり効果的でなかったりするときに中央銀行が使えるツールを提供することにある.独立した中央銀行がある場合には,それはすなわち政府ではなく中央銀行がヘリコプターマネーが生じるタイミングを決めるということだ.これと対照的に,公共部門または民間部門(または両方)の投資を長期間にわたって増やすことが目標なら,そのタイミングと量は政府の決定事項に属すべきだ.量的緩和は異例でまれなことだろうしそうであった方がいい.ところが,投資銀行の目標は一般的にもっと長期にわたるものと考えられていて,深刻な景気後退のときに限定されてはいない.

このため,コービンの量的緩和はいかにも一石二鳥になりそうだから上っ面は魅力的な考えに見える.だが,よく考えてみると,実はダメな考えなのがわかる.中央銀行を独立させたままにしておきたいなら,さらなる投資を求める政府が中央銀行に量的緩和をうながす圧力をかけていてはいけない.そして,投資が増えていない場合に中央銀行が追加の投資を生じさせるかどうかを決めるのものぞましくない.実際,ヘリコプターマネーの考えを忌まわしく思っている向きからは,コービンの量的緩和をやり玉にあげて「だからヘリコプターマネーはいずれ中央銀行の独立性を終わらせる《すべりやすい斜面》だと言ったろうに」という声もすでに上がっている.

ただ,量的緩和ではなくもっと伝統的な財源を使って国立投資銀行が創設されたと仮定しよう.(政府がこれを後押ししたいなら,たんに伝統的な借り入れで資金を用意して直接の助成をすればいい.赤字悪玉論でこれを躊躇してはいけない) また,ヘリコプターマネーの構想をみんなが気に入ったとしよう――いますぐの話ではなくて,次に金利が下限に行き着いて中央銀行がさらなる刺激策をもとめるようになったときの話だ.そうした状況では,個々人に小切手を送りつけるだけでなく,国立投資銀行によって資金調達した投資を実行したり国が直に資金を与えた公共部門の投資を実行したりするのにヘリコプターマネーを利用するのは理にかなうだろう.こうした投資プロジェクトがすばやく軌道に乗って,しかも他のタイミングでプロジェクトが始動しないという大事な条件もクリアしているなら,私が別の機会に「民主的ヘリコプターマネー」と呼んだものも意味をなすはずだ [2].なぜかと言えば,〔需要側だけでなく〕供給側も強化する投資は,個々人に小切手を送るのよりもはるかに効果的な刺激策になる見込みが大きいからだ.

いつの日か,コービンの量的緩和がこのかたちをとって実現するかもしれない.ただ,まずはヘリコプターマネーの考えそのものを理解し,さらに公共投資と国立投資銀行を必要とする理由をそれ自体として理解する必要がある.この2つの考えをいま合体させるのは的外れだし,それぞれに長所を秘めている考えの信用をそこなってしまう恐れがある.


原註 [1]: 完全なリカードの等価定理を信じているのでないかぎり.

原註 [2]: ここでティム・ハーフォードに「民主的ヘリコプターマネー」の考えを提起したとき,ティムにはこう評価された――これまでティムが検討したなかでもいちばん過激で政治的に実現しそうにない考えだそうだ.もしコービンが勝ったなら,ティムにこの一件を思い出してもらう楽しみができそうだ.


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