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サイモン・レン=ルイス「COVID-19パンデミック下とその後の財政政策」(2020年12月1日)

[Simon Wren-Lewis, “Fiscal policy during and after the coronavirus pandemic,” Mainly Macro, December 1, 2020]

先日行われたこのセミナーに触発されたのもこの記事を書こうと思ったきっかけだが,同時に,The Resolution Foundation から出たこの見事な論文にも触発された.長文失礼.だが,とりあげるべき事柄が多いのだ.

この記事は5パートにわかれる.最初のパートでは,過去10数年に財政政策の理解がどう発展してきたかに目を向ける.パンデミック下で財政政策をどう実施すべきかを考えるのに,この点は必須の背景知識だ.2つ目のパートでは,パンデミック下の財政政策支援に目を向ける.3つ目のパートでは,大衆がワクチンを接種した結果としてパンデミックが実質的に終わったときから,経済が完全に回復するまでのごく短期間にできることを考える.4つ目のパートでは,ひとたび経済が完全に回復したあと,徐々に対 GDP 比の債務を減らしていくよう試みるべきかどうかを考える.最後のパートでは,イギリス財務大臣の近年の行動とそのメディア報道のあり方に目を向ける.

背景知識

グローバル金融危機 (GFC) がはじまる直前に,私は金融政策と財政政策の「政策割り当ての共通見解」について語った.その導入部から一節を引こう.

「題名にもある「共通見解での政策割り当て」とは,次のような考えを差す.すなわち,金融政策(閉鎖経済または変動為替制度がある小さな開放経済における金融政策)は,通常,景気の変動の安定化とインフレ制御に傾注すべきであり,他方で,財政政策(マクロ水準での財政政策)は政府の債務や赤字の制御に傾注すべきである,という考えだ.この伝統的な政策割り当てでは,金融政策がなんらかのかたちで制約を受けている状況下で財政政策を使えるかどうかは未決のままになっている.その理由は,設計によるものであったり(たとえば非対称なショックに影響を受けやすい金融連合の加盟国〔共通通貨をもっているEUの加盟国〕,あるいは,不運によるものであったりする(金利がゼロ下限に達している状況).金融政策が景気循環を安定化させる能力に制約がかかっていない状況に当てはめる場合にのみ,この割り当ては共通見解となっている.」

当時,私はわかっていなかったが,金利の下限に関するこの注意事項は,共通見解での政策割り当てにとって,アキレス腱になろうとしていた.

上記のパラグラフを書いたあと,グローバル金融危機のさなかに各国が金利の下限に達したときになって,あの景気後退からの回復を加速させるのに財政刺激が不可欠なのは私の目には明白だった.

グローバル金融危機後の数年のあいだに,グローバル金融危機だけが例外的に金利を下限においやるのではなさそうだということを,多くの大学マクロ経済学者ははっきりと悟った.いわゆる長期停滞とは,基底にある実質金利または均衡実質金利があまりに低いために景気が下降するとすばしば金利が下限に達してしまう現象だ.いざそうした状況になると,私がいう共通見解での政策割り当ては変わらざるを得ない.

私見では―――そしてますます多くの研究者たちの見解でも―――少なくとも時と場合によっては財政政策での安定化を含む新たな政策割り当てが必要だ.MMT(現代貨幣理論)の学派は,旧来の枠組みを反転させて,いつでも財政政策を需要の安定化に用いることを提案している.だが,これはグローバル金融危機以前の歴史を無視しているように思える.かつて,国内でインフレ目標を超えるインフレ期待が産み出されるのを金融政策がきわめて首尾よく抑止してきた歴史がある.

これに代わる案を筆者は近年「状態依存型の割り当て」(state dependent assignment) と呼んでいる.この政策割り当てでは,景気後退の安定化を助けるのに財政政策を用い,インフレの安定化を助けるのに金融政策を用いる.景気後退の対処に財政政策が用いられているとき,財政政策担当者は政府の債務や赤字の状況について完全に無頓着になるべきだ.財政政策担当者が債務や赤字に関心を集中すべき時とは,景気後退からおおよそ回復しおえた時だ.財政政策が経済の安定化から債務の安定化に切り替わるべき時は,金利がもはや下限になくなった時だ.(財政政策の意思決定が下される時点と金利が下限になくなっている時点とにラグがあるために,いざ実際にこの切り替えの時点を決めるのは単純ではありえない.だが,ここで重要ポイントを思い出してほしい.財政刺激が多すぎた場合のコストは,財政刺激が少なすぎた場合のコストに比べてはるかに小さいのだ.)

今回のパンデミック下の財政政策

経済が大きな需要ショックで苦しんでいるとき,財政刺激は切実に必要となる.パンデミックは需要ショックなのか供給ショックなのかをめぐってマクロ経済学者たちは終わりのない議論を重ねている.10年以上前に公共医療の専門家たちと私がインフルエンザ・パンデミックの経済的影響を検討しはじめたとき(論文はこちら),当初はパンデミックは供給ショックだと考えていたが,その後,深刻なパンデミックは主に需要ショックとなるという認識にいたった.

深刻でないインフルエンザ・パンデミックの場合,経済に及ぼす主な影響は供給側のもので,たとえば人々が仕事を2週間ほど休むといった影響が生じる.だが,深刻なパンデミックの場合,人々は能動的に対応して,ウイルスに感染しないよう対策をとる.それはつまり,さまざまな社交消費を切り詰めたり,さらには完全にやめてしまったりするということだ:つまり,店舗・パブ・レストランに出かけるのをやめたり,スポーツ観戦や文化的催しに出かけるのをやめたり,といった対応をとるようになる.深刻なパンデミックで生じる需要低下の度合いについて考えてみて驚いたのは,社交消費が消費全体の実に3分の1を占めているという点だった.

こうした事情から,大規模な財政刺激が必要だという結論は導かれるだろうか? イエスであり,ノーでもある.まずは,イエスの方を述べよう.ウイルス〔の感染規模〕を小さくするものは,どんなものであれ,短期にとどまらず経済もよいという点ははっきり押さえていくべきだ.ウイルスに感染するリスクが顕著だと人々が認識しているあいだは,とにかく経済は回復しない.なぜなら,社交消費が落ち込んだままになるからだ.ウイルスを一掃するのを助けるうえで財政政策が役に立ちうる最重要のポイントは,社交消費の減少で苦しむ労働者や企業に支援を提供するという方法だ.不完全な類推ではあるが,通常の景気後退で機能する自動安定化装置にこれをなぞらえてもよい.

一方,ノーの方について述べると,これは金利の下限ですでに供給されている以上の実質的な刺激が追加で必要とされるかどうかに関連している.前節ではっきりさせておいたように,通常の景気後退では,追加刺激が不可欠だ.だが,パンデミックは通常の景気後退とはちがう.これには2つの理由がある.第一に,需要ショックが特定部門に限定されているということ.減税のような標準的な財政刺激は,ウイルスに打撃を受けていない部門の需要を増やす見込みが大きい.

これを回避するには,部門を限定した刺激策を打つ方法があるだろう.だが,その場合には第二の問題にぶつかる.それは,刺激策が有効であるほど,パンデミックをいっそう悪化させるという問題だ.財務大臣〔リシ・スナック〕の「外食して支えよう」支援策 (“Eat Out to Help Out”) が迎えた結末は,まさにこれだった.結論は,こうならざるをえない―――「財政支援策が包括的である場合には,大規模な追加財政刺激の論拠は弱い」(より形式的な分析は,ウッドフォード論文とその参照文献をみられたい).財政支援策が包括的ではない場合や,合衆国のようにおおよそ不在である場合には,失業率を下げる刺激策をとるべき論拠はもっと強くなる.

パンデミックが収まったとき

財務大臣は,ひとたびパンデミックが収まったときに経済を活発化させる方策を検討する用意があるという姿勢を見せている.社交消費を再開してもかなり安全なのに消費者たちが及び腰であれば,これは理にかなっているだろう.経済ばかりかパンデミックまでも(短期的にだけであっても)刺激してしまうのを財務大臣が避けたいと望んでいるなら,この条件は決定的に重要だ.

だが,消費者たちが全体として過剰に用心深くふるまうだろうか.10年前に私がインフルエンザ・パンデミックを検討した研究では,パンデミックがひとたび収まれば消費者たちはある程度まで社交消費に大盤振る舞いするかもしれないと仮定した.なにより,〔パンデミック下でも〕仕事を続けた労働者や財政支援で便益を得た労働者たちは,パンデミックのあいだに社交消費をやめることで大きく財産を殖やしていると見込まれる.消費の現実的モデルでは,パンデミックが終わったときに,消費者たちはその〔社交消費を控えていた〕分のいくらかを巻き返しはじめる.

だとすると,景気回復局面での財政刺激は民間部門ではなく公共部門,とくに公共投資に絞るべきだと示唆される.パンデミックがどれほどの永続的な傷跡を残したのかを後になってとやかく言っても意味はない.前述のように,需要ギャップがあると想定しておく方がいつでも上策だ.なぜなら,その想定が間違っていた場合のコスト(短期的なインフレ率の急上昇)は,潜在的な産出が実態より低いと想定した場合のコストよりもずっと小さいからだ.

はっきりしているのは,公共投資が切実に必要とされているという点だ.〔イギリスの〕政府は,差し引きの正味で見て毎年 GDP の 3% 弱に相当する投資を計画している.これは近年の歴史的な基準にてらせば高率ではある.だが,気候変動の度合いを減らす必要や,気候変動から生じる各種のリスクを減らす必要を考えれば,これはおそらく不十分だろう.それ以外にも,公共投資が必要な分野はたくさんある.

経済が回復したとき

ここまで,政府債務や財政赤字に触れてこなかった.景気後退では債務や財政赤字に意義がないというまっとうな理由があるからだ.2010年以降でイギリスの政策がおかした失敗を,二度と繰り返すべきでない.だが,景気回復が完了して明瞭なインフレ圧力ゆえに短期金利が顕著に上がったときには,金融の安定化に切り替えて,財政政策は政府債務に傾注するべきだ.

ジョナサン・ポーツと私の共著論文では,平時には中期的に繰り越し型赤字目標を設定すべきだと論じた.その狙いは,対GDP比で見た政府債務の長期的な軌跡を達成することにある.だが,前述の実質的な政府投資を行う必要を考えれば,〔債務比の目標に比べて〕よりよい数値は,対GDP比で見た政府の純資産(自己資本)かもしれない.パンデミック前に比べて,パンデミック後の政府純資産の水準は大幅に低くなっていることだろう.そこで,時間をかけて非常にゆっくりと元のGDP比にもどすよう財政赤字を設定すべき理由がある.そのために財政再建が必要とされる場合,そのための方法は歳出削減ではなく増税にすべきだという論拠は圧倒的に強い.事実,いくつもの分野で,政府の経常支出を増やすべきという論拠は強い.ひとたび景気後退が終わり,国内で生じたインフレが永続的にインフレ目標を超過する見込みが大きくなったために金利が下限から大きく離れたときには,政府支出増加に合わせて税率も引き上げる必要がある.

だが,パンデミックで生じた景気後退から経済が回復をとげたときですら,まだ平時にはなっていないだろう.人間の活動で生じた気候変動の脅威は,非常に差し迫っている.すでに述べたように,あらゆる公共投資と同様に,炭素排出量目標を達成するための公共投資はいかなる財政ルールによっても制限されるべきでない.「公害を出している者が支払う」という論証が成り立っていることに変わりはない.ゆえに,炭素排出と炭素利用を抑制する税制が不可欠だ.

以上の議論は,政府純資産の〔対GDP〕比率を徐々に増やすことと完璧に両立する.それどころか,炭素税はこの点で助けになるはずだ.ここで生じるかもしれない政治問題,2008年の「グリーンニューディール」で予見されていた政治問題として,「各種の財政的リベートで補うことなしに,こうした必須の税制を実施するのは政治的に不可能かもしれない」という問題がある.我々が暮らしているのは不完全情報の世界,もっと正確に言えば誤情報の世界だ.その結果,各種の政治勢力のなかには,「気候変動を防ぐ対策はなんらのコストなしに達成できる」と欺いたり,さらに悪くすればこの問題が差し迫っていることを否認する誘惑に駆られる者たちすらいるだろう.

もしそうなったとしたら,純資産の比率を上げたり対GDP比の政府債務を減らしたりする目標の重要度はなにより低くなる.気候変動への対応に失敗すれば,50年後に我々の子供や孫たちは顕著な地球温暖化のさまざまな帰結に苦しむことになる.そのとき,国の財政に「責任がある」からといって必要なことをしなかった我々を,彼らは赦さないだろう.

緊縮の再来?

ここまでつとめて強調してきたように,パンデミック下で人々を支え,経済の完全回復をなしとげ,気候変動に対処するという最優先問題に比べれば,国の財政は二の次の問題だ.学術系のマクロ経済学者たちの大半は,この点に同意するだろう.IMF も,これには同意している

だが,イギリス財務大臣の言動や,メディア報道の多くからは,これがわからないだろう.「政府の財政は家計のようなものだ」という考えは,2010年緊縮の惨状のあと完全に埋葬されてしかるべきだった.だが,放送メディアで目にする政治ジャーナリストの多くのあいだで,そうした考えは健在だ.(2010年とちがい,いまは少数ながら例外もある.)

緊縮が繰り返されうるのではないかと語るとき,その意味するところに注意を払わなくてはいけない.2010年~18年になされたもともとの政府支出削減は,いまにいたるまで部分的にしか巻き返されていない.そのため,世に言う緊縮の第二弾とは,支出のさらなる削減やさらなる増税を意味する.緊縮の第一期が悲惨なものになったのには,2つの理由がある.第一に,公共支出の供給が削減されるさいに,公共サービスの需要を減らす試みはなされなかった.そのため,医療・福祉・刑務所・警察・司法制度などのサービスが支障を来すのは不可避だった.こうしたサービス提供で大幅な効率改善があるという考えは,大半が空論だったと判明している.

緊縮第一期が悲惨だった第二の理由は,マクロ経済的なものだ.需要不足による景気後退では,金利が下限に達しているときに経済からいっそう需要をなくせば,事態がいっそう悪化するほかない.(もし需要が不足していなければ金利は下限からずっと上になるだろう.したがって,金利引き下げは需要を強化し,財政再建が需要に及ぼす影響を相殺できるだろう.) 需要不足のなかで緊縮を何年も継続すれば,その結果として産出が永続的に低下する顕著な危険がある.

こうしたことを踏まえると,パンデミックに対処しているさなかになぜイギリスの財務大臣は緊縮の論議を仕向けているのだろうか? すぐに思いつく答えはこういうものだ―――「防衛支出を増やす一方で公共部門の従業員たちの実質賃金を切り下げたり援助予算を削減したりといった本質的に政治的な意志決定の隠れ蓑を緊縮論議がもたらしてくれる.」 これが隠れ蓑になるのは,メディアが(私の言うメディアマクロが)大部分においていまだに政府債務に関して家計との類推を用いているからだ.

これに劣らず深刻な問題がある.それは,イギリスにおける政治的なサイクルにより,時宜を得ないときに意志決定がなされやすいという問題だ.増税する必要があるなら,景気回復が完了したあとではじめてなされなくてはならない.それは,2023年かもしれないし,2024年かもしれない.そのときようやく,インフレ率の上昇が永続化するのを防ぐべく金利が顕著に上昇していることで,景気回復が完了したとわかるのだ.財務大臣と政権は,「そのタイミングでは自分たちの再選の見込みが危うくなる」と考えるかもしれない.そのため,増税が(さらに悪くすれば公共支出削減が)時期尚早になされる危険が残る.これは景気回復に打撃を与える.これに代わる案は,選挙がもたらす経済的コストがずっと小さくなる後まで増税を延期するというものだ.


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