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ジェラール・ロラン「社会主義と体制移行の経済学:コルナイ・ヤーノシュの生涯と研究,1928 – 2021」(2021年10月23日)

[Gérard Roland, “Economics of socialism and transition: The life and work of János Kornai, 1928-2021,” VoxEU, October 23, 2021]

ハンガリーの偉大な経済学者コルナイ・ヤーノシュが,2021年10月に死去した.不足の分析,社会主義経済,市場経済への体制移行の経済学分析を開拓した研究者だった.本コラムでは,コルナイが20世紀屈指の重要な知識人となった概略を述べる.

  • 著者情報: ジェラール・ロラン (Gérard Roland) は,カリフォルニア大学バークレー校の経済学・政治学教授.


著名なハンガリーの経済学者コルナイ・ヤーノシュが亡くなった.コルナイは,20世紀屈指の重要な知識人だった.ナチズムと共産主義という20世紀の2大全体主義体制の双方で,コルナイは苦難を味わった.ブダペストで若いユダヤ人として育つなかで,彼は父親と兄弟の1人をナチのために失った.ホロコーストを生き延びた中欧の若いユダヤ人たちの多くがそうだったように,彼もまた,ナチズムの大敵である共産主義を2年ほど熱烈に支持した時期があった.わずか数年のにちにコルナイは共産主義に幻滅する.とくに,1950年代序盤のハンガリーにおけるスターリニストの粛正について知ったことが大きかった.コルナイは,その頃にジャーナリストになっていた.

コルナイの経済学博士学位論文「経済運営における過剰中央集権」には,中央計画の欠陥に関するあまたの事実が満ち満ちている.この論文は,当時の知識人たちの雰囲気吹き込んでいた新鮮な空気の代表例だった.コルナイが博士論文審査の公聴会にのぞんでまもなく,1956年にハンガリー革命をソビエトが弾圧する.彼の博士論文公聴会には多くの群衆が集まり,その年に起きた知識人界隈の出来事でも指折りに重要なものとなった.弾圧がはじまると,その博士論文がとりわけ目立っていたために,コルナイは経済学研究所での職を失う(同研究所は,のちに改革の思想的な温床となる),さらに査問にかけられ,やがて末端の仕事を得るにいたる.最初は産業計画局で,そしてのちに織物産業研究所で,コルナイは勤務した.

失意に陥ることも冷笑的になることもなく,コルナイはこうした末端の仕事で手にした自由な時間を使って,経済学の研究に真剣に取り組んだ.これにより,「鉄のカーテン」の向こうにある西側で行われていた経済学研究の知見をコルナイはいっそう深めた.2段階計画に関する Tamás Lipták との共同研究は Econometrica に掲載され,計画の経済学に関する研究文献のなかで重要論文となった.これをきっかけにコルナイは当時のトップ経済学者たちに名を知られるようになった:ケネス・アロー,レオニード・ハーヴィッツ,チャリング・クープマンス,エドモンド・マランヴォーといった人々だ.ハンガリー当局は他の共産主義体制の国々に比べて自由を尊重する傾向があり,西側のカンファレンスに参加するための渡航をコルナイに許可すらした.ただし,秘密警察による厳重な監視のもとに,ではあったが.

コルナイは,「たんに」中欧・東欧のトップ経済学者になっただけではなかった(コルナイよりさらに年長で線形計画法を考案した1975年ノーベル経済学賞受賞者レオニート・カントロヴィチと並ぶトップ経済学者だっただけではなかった).1971年に,『反均衡』という物議を醸すタイトルを冠した著作をコルナイは世に送り出した.同書は,経済理論の宝玉ともいうべき一般均衡理論の意義を徹底的に批判する内容だった.また,『反均衡』では,こんなことも提案されている――経済の情報圏 [information sphere] に関連した各種の考慮事項を加えること,情報の非対称・交渉・慣習・ルーチーン・野心といった主題の理解を進めること――こうした主題は,のちに他の経済学者たちの手によって発展をとげてゆく.

同書でもっとも発展されていた説は,こういうものだ――資本制経済はつねに供給超過(過剰生産)の状態にあるのに対して,中央計画経済はつねに需要超過(生産不足)の状態にある.コルナイは,この分析から導かれる事柄を細やかに述べている.大学で一般均衡の講義を受けていたときに,この本の論証を引いて議論を仕掛けたのを覚えている.当然ながら,教授は困惑していた.オリヴィエ・ブランシャールが,かつて同じような体験を語ってくれたことがある.世界を変えたいとのぞむ若い反抗的な経済学徒たちのあいだで,コルナイの本はきわめて人気が高かった.

1980年にコルナイの大著『不足の経済学』が世に出た.計画運営の経済学に関するコルナイのそれまでの研究は,大半が理論的なものだった(現実の計画立案・運営のあり方からそうした文献の内容はものすごくかけ離れていた).一方,同書は社会主義経済が実際にどういう仕組みで動いているかを系統的かつ力強く分析した内容だった.柔らかな予算制約(社会主義経済の国有企業は損失を出していても決して倒産しない)という概念から出発して,ここからどのようにして企業による需要引き上げにつながり,それにともなって価格変動に企業がほとんど反応しなくなるのかをコルナイは説明した.そうやって需要が引き上げられると,全般的な不足にいたり,これが企業経営陣・消費者・計画担当者の行動に深く影響を及ぼす.

数百ページもの紙幅を割いてこれほど包括的に不足の各種影響を分析した本は,他に類がなかった.コルナイによる分析は,『社会主義体制:共産主義の政治経済』(1992年)でいっそう包括的に繰り返された.〔ソ連崩壊後に刊行された〕同書では,自己検閲を課すことなく,社会主義経済の制度的機構で共産党が果たす役割を明快に説明できている.

1989年後半にベルリンの壁が崩れ各国の共産主義体制が次々に瓦解していった時期に,コルナイは小著を出している.『自由経済への道』と題されたその本では,市場経済への経済的な移行のはっきりしたプログラムの概略が提示されていた.私も含めて他の多くの経済学者たちと同じく,コルナイも大規模な私有化・民営化には反対で,民間部門の有機的な発展の方が好ましいと考えていた.体制移行に関するコルナイの見解は,その後,大半が正しかったと判明する.

その後も体制移行や改革についてコルナイは影響力の大きな論文を書き続け,健康状態がしだいに悪化するなか,90代でも執筆をやめることはなかった.2年前,中国の共産党体制に助言をしたために「フランケンシュタイン」を生み出してしまったと後悔の気持ちを表明して物議を呼んだことがある――「フランケンシュタイン」とは,共産党体制のもとで非常に成功した資本主義経済が成立し,しかもその体制がますます力をつけ覇権の野心を膨らませて今日の世界で自由を脅かすもっとも重大な存在となっていることを指している.

体制移行の過程のはじめから終わりまで,コルナイはつねに「辞書式選好」を主張しつづけた:すなわち,経済成長や物質的なしあわせよりも自由・人権・民主制が先に来るという優先順位だ.ナチズムと共産主義をくぐり抜けて生きながらえたあと,人生の終盤にいたってハンガリーのオルバーン体制によって民主制が掘り崩されていく様を目の当たりにして,コルナイは悲しんでいた.

私のよき友人たちの多くとちがって――とくに Yingyi Qian や Chenggang Xu といった共著者たちとちがって――私はコルナイに師事したことはない.だが,彼の著した本は,経済学者としての私の考え方に深い影響を及ぼしたし,いまもなお,影響を及ぼしつづけている.私がコルナイとはじめて顔を合わせたのは 1987年の欧州経済学会の会長にコルナイが選出されたときのことで,当時,私は大学院生だった.いうまでもなく,私はコルナイに非常に圧倒されて,研究について話をするために彼に近寄るのにもずいぶんと勇気を振り絞らなくてはならなかった.

1992年に,ブダペスト先端研究所 (Collegium Budapest) で一月すごす機会を得たときには,体制移行についてもっと多く語らうことができた.2002年にコルナイがハーバードを退職すると,すばらしい配偶者 Zsuzsa をともなって彼はバークレーまで私を訪ねてきてくれた.アメリカ各地の大学を回る「お別れツアー」の一環だという.その後も,よく連絡をとりあい, Eric Maskin との共著で Journal of Economic Literature に論文を書いた.柔らかな予算制約に関する研究文献のサーベイ論文だ.

1999年にノーベル財団からオリヴィエ・ブランシャールと私に問い合わせがあった.体制移行の経済学を主題にノーベル・シンポジウムを組織したいのだという.もちろん,コルナイはシンポジウムの大英雄だった.こうしたシンポジウムは,よく,ノーベル賞の予告だと見なされている.この数十年というもの,社会主義経済に関する彼の研究を称えてノーベル経済学賞がコルナイに与えられるのではないかという話はよくもちあがっていたとはいえ,そのシンポジウムはそういう趣旨ではなかった.

ブダにあった彼のアパートメントからドナウ川を見下ろしながら幾度となくコルナイと顔を合わせられたことが,私には喜ばしい.有名なレストランのひとつ,Sipos の Óbuda で会食したものだ.コルナイは自分の国を深く愛していたし,ハンガリーに深く根を下ろしていた.コルナイの英語には非の打ち所がなかったものの,彼本人はいつも本や論文をまずハンガリー語で執筆していた.コルナイのおかげで,彼が敬愛する Imre Kertész などのハンガリー作家たちを発見できた.コルナイは,もはや私たちのもとを去ってしまった.それでも,他のあまたの研究者たちと同じく,これからも私を触発し続けてくれることだろう.コルナイは,真の知的英雄だった.


参照文献

  • Blanchard, O (1999), “An Interview with János Kornai”, Macroeconomic Dynamics 3: 427-50.
  • Kornai, J (1959), Overcentralization in Economic Administration: A critical analysis based on experience in Hungarian light industry, Oxford University Press.
  • Kornai, J (1971), Anti-Equilibrium: On economic systems theory and the tasks of research, North-Holland.
  • Kornai, J (1986), “The Soft Budget Constraint”, Kyklos 39(1): 3-30.
  • Kornai, J (1980), Economics of Shortage, North-Holland.
  • Kornai, J (1990), The Road to a Free Economy: Shifting from a socialist system – the example of Hungary, Norton.
  • Kornai, J (1992), The Socialist System: The political economy of communism, Clarendon Press.
  • Kornai, J (2008), By Force of Thought: Irregular memoirs of an intellectual journey, MIT Press.
  • Kornai, J, and T Lipták (1965), “Two-Level Planning”, Econometrica 33(1): 141-69.
  • Kornai, J, E Maskin and G Roland (2003), “Understanding the soft budget constraint”, Journal of Economic Literature 41: 1095–1136
  • Roland, G (2008), “A Review of János Kornai’s By Force of Thought: Irregular memoirs of an intellectual journey”, Journal of Economic Literature 46(1): 145-50.

Comments

  1. 山形浩生 says:

    making them barely responsive to price variationsは、「価格のバリエーションに企業がかろうじて反応する」ではなく、「価格変動に企業がほとんど反応しなくなる」で、ニュアンスがいささか逆です。

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