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ジョセフ・ヒース「『反逆の神話』刊行15周年インタビュー」(2019年5月9日)

[Joseph Health, “The Rebel Sell at 15,” In Due Course, May 9, 2019]

アンドリューとぼくの共著で出した『反逆の神話』でおもしろいのは,スペインでベストセラーになったことだ.この前,刊行15周年で Manuel Mañero にインタビューを受けた:”15 años después, la contracultura gira a la derecha.” 省略なし全文の英語版をこちらに掲載しよう(質問には著者両名が答えた.)

Q. まず,絶対に外せない質問からです:もしも『反逆の神話』を今日あらためて書き直すとしたら,どのアイディアまたは理論から手をつけますか?

A. 質問の意味しだいで違ってきますね.「もしもカウンターカルチャーの批判とそれが21世紀序盤の反消費主義運動にどう影響したかをいま書くとしたらどうするか」という質問だったら,変えるところはそんなにありませんね.ぼくらの意図では,『反逆の神話』はなにより思想史の著作なんですよ――つまり,カウンターカルチャーの概念がどう移り変わってきたか,50年代~60年代にどんな風にして登場し左翼の各種運動と後の若者文化にどう影響してをたどる系譜学の本なんです.ぼくらの議論では2004年現在までの物事を扱っているんで,時間経過のおかげで,当然ながらその後のいろんな展開を受けて議論できそうな部分もあります.でも,この本の核心部分で変更が必要な部分はそんなに見当たりませんね.というか,この本を書くために仕込みをやっていたときに,ぼくら2人で古本屋に行ったんですよ.60年代ペーパーバックの山があって――『スモール・イズ・ビューティフル』とか Growing up Radical とか『去勢された女』とか Black Power とか『正気の社会』とか,ああいう本がうずたかく積まれていて――それを分担して読んでいったんです.ようするに,ぼくらの親世代が信じるようになったアイディア,その文化からぼくらが浸透作用で吸収したアイディアを,はっきりと理論的に述べたかたちにしてみようと試みていたわけです.その議論はいまでもかなり価値があるので,なにか変更すべき点は見当たらないですね.

その問いとは別に,いま現在の『反逆の神話』を書くとしたらどんなアプローチをとるか,という問いもありますね.2000年代序盤という時点に『反逆の神話』でやったことを,いまの時点でやったらどうなるか,ですね.この間,大きな変化がありました.なによりはっきりしている変化は,いまや,反消費主義のレトリックがほぼ見られなくなった点です.「ブランドなんていらない」とか「広告反対」といった旗印は――広告とかブランド化とか「クール」なものの支配とかへの反対は――かつて『反逆の神話』で批判を展開したもともとの動機になっていたんですけど,単純に消え去ってしまいました.長らくこういうアイディアを左派は大真面目に取り扱っていたのに,いまや姿を消してしまっています.なぜそうなったのかという問いに答えようとすれば一筋縄でいきませんけど,ひとつ明らかなのは,カウンターカルチャー政治にとってかわって美徳シグナリング/「覚醒」(woke)/アイデンティティ政治が台頭したということです.その主な触媒・伝播経路となったのは,ソーシャルメディアです.

なので,いま『反逆の神話』スタイルの本を書くとしたら,まず間違いなく,以前と同じ理論的な仮定から出発します:つまり,地位追求・シグナリング・地位財がぼくらの政治姿勢で果たしている役割がひどく過小評価されていることを出発点にします.

Q. 元の『反逆の神話』から,お気に入りの自己成就的な予言を選ぶとしたら?

A. この本でやった中心的な批判のひとつは,こういうものでした――「比較的に重要度が低かったり象徴的な重要性しかない文化問題にばかりやたらと関心を集中させる一方で,誰が国家を支配しているのかといった生活に巨大な影響をもたらす大問題を左派はなおざりにしている.」 出版後に,(スペインにもブックツアーに行きましたけど)カナダ各地でたくさん出版記念トークをやって,大勢の読者から話を聞きました.聞かせてもらった不満点のなかでもとくに読者が憤っていたのは,有機野菜についてぼくらがそっけなく切って捨てていた箇所でした.とくに,有機マンゴーをネタにしたジョークにとてつもなく気を悪くした人は大勢いました.この件は繰り返し不満を聞かされています.また,放し飼いニワトリはそんなに放し飼いじゃないよとほんの短く議論した箇所でも,多くの読者が憤慨しましたね.この論点に対して,ものすごい長文の反駁文を書いてきた人もいます.ともあれ,こうして憤慨した人たちに反論される機会はしょっちゅうあって,よく罵倒を受けます.「有機食品についてなんでこんなひどいことを言えるんだお前らは」とか.ぼくらとしては,「この本でいろんな物事を取り上げているなかで,反論対象に選ぶのがよりによってそれだってこと自体が,ぼくらの中心的な主張の例証になってるんじゃないですか? こちらは《啓蒙》という企図のあり方について主張を立証しようとしてるのに,きみらはマンゴーの話をしてるんだもの」ってところです.

もっと裾野の広い話をすると,こういうなんとも愉快な反応が繰り返し出てきますね.ぼくらに声をかけてきて,だいたいこんなことを言うんですよ:「きみらの本は大好きだし分析も申し分ないよ,ただし X は例外だ.」 その例外というのは,決まって,その人が入れあげていたり紛れもなく政治的だと考えていたりする反逆や地位追求なんですよ.つまり,こんな風に言うわけ――「ツーリズムや有機食品の生産・売買について君らが言ってることには全面的に賛成するよ,でも,パンクロックについては大間違いだ」とか,まあそんな話です.これのなにが愉快かって言うと,自分じしんの動機についていかにみんなが盲目になるかってことがわかるからですよ.他人の行動に地位追求を見て取るのはたやすいけれど,それが我が身のこととなると,ずっと認識しにくくなってしまう.

Q. この本が出版されて以来,アメリカにかぎらず全世界で数回の変化がありました.今日,世界はさまざまな過激派に絡め取られているように見えます.どうして彼らが世を席巻して新聞の見出しに登場するようになっているんでしょうか, もし解決策があるとして,それはなんでしょう?

Q. 『アメリカン・ビューティ』が今年で20周年を迎えます.政府がぼくらを支配するのに使う「ドラッグ」ってなんでしょう?

A. いまの2つの質問への直接の答えにはならないでしょうけど,たぶん,その質問が出てくる根っこの部分には触れられると思います.で,その答えですけども:「2001年以来ぼくらが目の当たりにしてきたのは,カウンターカルチャー運動の中核的な動機のひとつを占める全般的な反制度主義が着実に伸張してきて,いまや権威,専門知識,ひいては事実すら,完全に拒絶するまでに変質を遂げた.これは政治思想の左右全域にまたがっているものの,とくに右派に顕著だ」――これですね.初期の兆候は,9/11陰謀論者やオバマの国籍陰謀論者でしたが,今日では,そこに反ワクチン運動や気候変動否定論,さらにもっと一般的な「代替真実」や「フェイクニュース」を歓迎する動向も加わっています.かつて「主流」と呼ばれていたものは崩壊してしまっていて,人々は自分だけの認識論的な隅っこに逃避しています.まるで,誰もが「他人はみんなマトリックスに生きている」と思っているかのようですけど,マトリックスなんてないんですよね.

もちろん「インターネット」はこれを説明する一因ではありますけど,「インターネット」の具体的になにが関わっているのかとなると,ややこしすぎてここでは語れません.テレビ番組の『ブラック・ミラー』をネタにしたジョークにこんなのがありました.あの番組は毎回プロットをつくる発想が同じで,「もしも携帯電話のある世界をもっと誇張してみたらどうなる?」みたいな感じなんですよね.だから,時代精神に関する多くの説明は,「いままでと同じだけど,そこにソーシャルメディアが加わった」式にしかならなくて,まるで説明の用をなさないんです.

Q. MeToo 運動の支持のうち,何パーセントが本気の支持で,何パーセントがニセモノまたは流行に乗っただけの支持だったと思います?

A. その問いは,がんばって答えようとしても有益じゃないですね.それより,「どうして #metoo が他でもなくああいうタイミングで盛り上がったのか,どうしてあれほど多くの人たちがあれを支持したり賞賛したりしたのか?」という筋から考えていった方が生産的でしょう.なんといっても,あの申し立てには取り立てて新しい部分はなにもなかったわけですよね.個別問題でも(たとえばハーヴェイ・ワインスタインやケヴィン・スペイシー),一般的な問題でも(集団としての有力男性たち),なにか新しいことを言っていたわけじゃないでしょう.ありがちなのは,転換点モデルで考えて通俗的な社会学的説明をあれこれとつける手です:つまり,転換点となる出来事が――ハーヴェイ・ワインスタインをめぐる報道が――「我慢の限界を超える決定打」になったとか,あれでダムが決壊したのだとか,あれでみんながようやく「もうたくさんだ」と言い出したんだとか,そういう説明をつけるわけですよ.でも,この手の説明は役に立ちません.たんに新しい問いをもたらすだけです:〔あれが決定打になったというのなら〕今回はなにがちがっていたのか,これに答えなきゃいけなくなるだけです.#MeToo も #NeverAgain も(これに関連して,パークランド銃乱射事件をきっかけに起きた銃規制運動も),事態の大きな部分を占めているのは,特定の社会規範に起きた急激な変化です.#MeToo の場合,搾取する側の男性たちの行動を前にしても女性たちに沈黙を強いていた規範は急速に消滅しました.

どうして消滅したんでしょうか? キャス・サンスティーンが論文「抑制解除」(“Unleashed“) で,こんな筋書きを述べています:ワインスタインのような男性たちを保護していた支配的規範に反対する少数の「規範の開拓者たち」(“norm entrepreneurs”) が,この支配的規範を変えるよう働きかけることに決めた;これによって,「規範のカスケード」が生じて,ごく短期間のうちに既存の規範を弱体化させ,さらには解体してしまったのだ――.でも,これも同じですよ.「なんでいまなの?」 サンスティーンが論じているように,規範の開拓者が成功するかどうかは,初期条件に大いに左右されます:その開拓者たちが何者で,彼らがどうコミュニケーションをとっていて,彼らがどんな人たちに影響を及ぼせるのか,といった条件がものを言うんです.キャンプファイアを起こすのと似ています:まずは,紙とか小枝みたいに軽くて燃えやすい乾燥した焚きつけから火をおこしていってはじめて,大きな丸太を燃やせるんです.それならいくらか湿気ていても燃えるでしょう.

〔女性たちの申し立てを記事にした〕『ニューヨークタイムズ』や『ニューヨーカー』が出回ると,ワインスタインに対する長年の申し立てに2つの追い風が急に吹き始めます.第一に,こうした刊行物の名声が後ろについてくれたこと.そして第二に,ソーシャルメディアをとおして,告発者たちが関連するコミュニティの全員に同時に話を届けることができたこと.小声で内緒話をするのではなく,彼女たちは公に叫ぶことができました.規範を破る敷居を低く感じる人たちは自分自身の体験談でこれに反応し,これが呼び水になって,敷居をもう少し高く感じる人たちも声なき多数派が本当はどれほど大きいのかを目の当たりにして,さらに自分たちの声を加えはじめ,それがまた……という具合に,小さな火花がごく短期間のうちに猛烈な野火となって広がる――長年ずっと行状をとがめられずにすんでいたハーヴェイ・ワインスタインは,周りに友人もなく我が身を守る手もない状況におかれてしまったわけです(有罪判決は免れるかもしれませんが).ソーシャルメディア,とくにハッシュタグで誰もが自由に特定の話題を追える Twitter は,このプロセスでとてつもない役割を果たしました.

Q. アルカイダの主な目的のひとつは,第一世界〔先進国〕に日常的な恐怖をもたらすことでした.今日の私たちの生活にこの恐怖はどれくらい影響しているでしょうか?

A. 9/11が起きて間もなく『ニューヨーカー』に掲載された漫画にこんなのがありました.バーで連れと飲んでいる男が,こう言うんです:「俺に言わせりゃ,俺が2杯目のマルティーニを飲めないようじゃ,もうテロリストが勝っちまってるんだよ.」 9/11以後になされた体裁だけの保安策をはじめとする役所の物語に対する広範な懐疑の態度には,こういう考え方も含まれていました.いまや,こういう健全な態度は,おおよそ消え去ってしまいました.おそらく,9/11 もずっと昔のことで,〔飛行機に搭乗する前の身体検査で〕靴を脱がずに旅行するのがどんな感じだったのか,みんなもう忘れてしまっているからでしょう.それに,もちろん,ムスリムたちを本物のテロリストではないまでも脅威ではあるとみて標的にするアイロニー抜きの右派ポピュリズムによって,こういう態度はすっかり沈黙させられてしまいました.

Q. イスラームのテロリスト集団やイスラームの名をかたる単独テロリストがいまだに西洋人から多少なりと敬意を払われているのはなぜだと思います?

A. そうした人物がいつも極左から共感を引き寄せているのと同じ理由ですね:共通の敵と戦っているとみられているんです.つまり,資本主義の抑圧だとか,西洋の帝国主義だとか,もっと一般的なところだと西洋消費主義の疎外された個人主義だとか,そういう共通の敵ですね.フランシス・フクヤマですらかつて是認したように,《歴史の終焉》というのは,とてもさびしい場所になりうるんですよ.だから,9/11 以後,イスラーム主義テロリストたちの行動には賛成しないまでも,その主張にかなりの共感を見せるのは,左派の著名な人物たちのあいだでよくあることでした.そこから,アルカイダ構成員とその支持者たちを文化の攪乱者と見るまでは,それほど大きな飛躍じゃないんですよ.

Q. 政治指導者が自国よりも外国でこそ最悪の認識をされる格好の例がトランプだと思います:トランプ当選は世界にどんなメッセージを送ったんでしょうか?

A. アメリカの政治制度について他国で理解されていない部分は多いと思います.トランプ当選を理解するのに関わる部分が,アメリカの外ではあまり理解されていないと思いますね.アメリカ国外の人たちには,状況をごく皮相的にしか読み取っていないようで,ようするに「アメリカ人は馬鹿だな,トランプなんて馬鹿なインチキ野郎なのに,そんなやつを連中は選んじまうんだから」くらいにとらえているんです.もちろん,こういう捉え方にもいくぶんの真理はありますよ.トランプのことを外宇宙から飛来した宇宙人であるかのように扱うアメリカのリベラルには,ぼくもずいぶんうんざりしています.トランプはアメリカに深く根ざした人物で,いろんな点で――トランプを支持する人たちもきらう人たちもひっくるめて――アメリカ人の特質の重要な部分を体現しているのだと彼らは言わない.トランプは,いくつもの点で,アメリカ史上でもとびきりアメリカらしい大統領ですよ.

同時に,ヨーロッパの人たちにとっては,アメリカの政治制度がどれほど深い欠陥を抱えたいらだたしいものなのかを認識するのが重要です.なにより,アメリカの政治制度は本質的に改革困難です.「憲法の拘束」がその理由です.ヨーロッパにこういう国はありません――政治制度の主要部分は改革できます(ここスペインを見てみればいいでしょう).ヨーロッパの民主国家は,アメリカよりはるかに変化に富んでいます.新政党が登場したり旧政党が消え去ったり,などなど.アメリカ合衆国は二大政党でがっちりハンマーロックを固められてしまっていて,他の新しい政党の新規参入は本質的に閉め出されているんです.それで,1世紀以上にわたって,選挙は毎度お決まりの古くからのライバル同士の争いのまま変わっていません.そして最後に,アメリカは他にほぼ類を見ないほど行政の質がおそまつです.行政が法律尊重主義でやたらと高圧的なんですよ.しあわせなヨーロッパの福祉国家に暮らしていれば,政府を愛するのはとてもかんたんです.ところが,アメリカ人にとって自分の政府を愛するのはずっと難しい.そのおかげで,政治制度にはいらだちを覚える点がとてつもなくたくさんあります.有権者にしてみれば,英語の慣用句で言う「瀬戸物屋の雄牛」よろしく,おいそれと動きがとれにくい制度に乱暴者を送り込んでかき回してもらおうという発想,既存のあり方を激しく打ち砕いてしまいそうな人物を送り込んでやろうという発想は,まるっきりどうかした発想というわけでもないんです.トランプの場合はいい考えではないでしょうけど,ただ,申し分なく合理的な人のなかにも,これをいい考えだと考えた人たちは大勢いたわけです.こうした状況には,アメリカの外に対してとりたてて「メッセージ」になるものはありませんし,民主主義の運命にとっての「メッセージ」になるものもありません.たいていの政治事情はその国の政治事情であって,トランプ当選はおおよそアメリカ国内事情への反応でした.

あと,これも言わせてください.もしもヨーロッパがアメリカ並みに大勢の違法移民を抱えていたら,きっと,ヨーロッパ全土はとっくに各地の急進的な孤立主義政党にかっさらわれていたと思いますよ.

Q. 今日の第一世界の主な仮想シナリオはどういうものですか?

A. おそらく,気候変動ですね.ただ,ひとつ留意してもらわないといけないことがあって,それは,左翼を偽善者となじるのは『反逆の神話』のねらいでは *ない* ことを明記していたということです.ぼくらの主張をそんな風に解釈する向きがあって,ぼくらはずっと「そうじゃない」と否定してきました.ぼくらが示そうと試みたのは,カウンターカルチャー左翼はとにかく間違った社会理論に捕らわれてしまっているということだったんです.集団行動の論理によって集団として自滅的な行動にいたってしまう仕組みがあるのに,間違った社会理論を信じているせいで彼らはそれを誤解してしまっているんです.また,たしかにぼくらが気候変動に関してかなり偽善的だという点に疑問はありませんけど,それは問題の原因ではありません.問題は,集団行動問題の自滅的な論理なんです.

Q. 『反逆の神話』は,いかに人々が少数派や包摂的政策に献身しているフリをするか,なりすましをやるかを取り上げた象徴的な本でした.今日についてはどんなことが言えそうですか?

A. アイデンティティ政治がその後どうなっていったかを眺めてみて,カウンターカルチャー左翼がごく最近までやっていた行動がもはや許されなくなっているのに気づくと,興味をそそられますね.とくに,外来の奇異なものをことさらに尊んだり,土着の習慣・営みを採用したり,特権的な白人による抑圧を実態以上に特別視したりするのは,完全に度が外れているとみられるようになりました.ゼロ年代の終わり頃に,「白人が好むモノ」(“Stuff White People Like”) という人気ブログがありました.そこで取り上げられていたのは,実のところ,たんに反逆者風消費主義とカウンターカルチャー運動によくある営為と,真正さを探し求めるポーズのカタログでしかありませんでした.2000~2010年ごろのカウンターカルチャー左翼に特徴的だったものが,そこには集められていたわけです.いまあのブログを読み返してみると,文化の盗用だとかたんに人種差別だといって非難されそうなものがどれくらい見つかるか興味深いですね.

Q. 最後に,もっと具体的に政治的な質問です: 今日,本物のファシズムは左派政党からやってくると思いますか?

A. ぼくら2人のどちらも,左派ファシズムをそんなに心配していないと思います.だからといって,左派の全般的な検閲ぶりにぼくらがひどく困っていないってわけじゃないですし,奇妙なまでに左派がかかりやすいソーシャルメディアによる各種精神病に困惑していないってわけでもありません.ただ,そこから本物のファシズムまでの道のりは遠いんですよ.他方で,年を重ねてきたおかげで,どうして左派の人たちや特定の左派のアイディアを危険だと思う人たちがいるのか,そして,そんな風に思われていることをどうして左派の人たちが理解できないのか,その理由は昔よりよくわかるようになりました.「自分の意図はよいものだ,あるいは社会的な正義・公正を実現しようとしているんだ,だからまさか自分が人に害を及ぼすはずがない」と想像するのは実に魅惑的で,ついついそう思ってしまいやすいんですよ.でも,歴史を見ると――とくに近年の歴史を振り返ると――なんらかの水準ではよいことをしようという意図をもっていながらひどい行いに手を染めた人たちの事例でいっぱいです.

左派が魅了されているあれこれの企てには,「人間本性」とみんながとらえているものをかなり急進的に変革しようとするものがたくさんあります.そのとき,正当化で言われるのがこういう主張です――《「人間本性は固定したものでもなければ変わりようのないものでもない,というか,ホントは社会的な構築物だ.なら,あるかたちで社会的に構築されうるものなら,脱構築してそれとまたちがったかたちに再構築だってできる.》 でも,社会的構築っていうのは,その性質からして,強制的なプロセスですよ.どんな社会学者に聞いても教えてくれることですけど,社会的な規範は〔処罰などの実力をもって〕強制されています [“enforced”].だから,それを変革しようと企てるなら,たんに人々を説得するだけではなくて,それにしたがおうとしない人たちに対するさまざまなかたちの処罰が伴うんです.公式の処罰であれ,非公式の処罰であれね.そこで問題なのは,人間本性のいろんな側面がどれくらい「変化しがたい」のか,どれくらい「構築されている」のか本当のところはよく知らないってことです.社会的構築についていろんな主張がなされていますけど,基本的には教条的です――たとえば,誰かが「性差は『パフォーマンス』に他ならない」と言ったとして,それだけではたんに断定しただけです.あとは論拠として2~3の逸話くらいは挙げてくれるかもしれませんけど,それでは根拠になりません.だから,こういう社会的構築を変えようとしてなにか取り組んだとして,抵抗に出くわしたり,もしかして壁にぶつかってしまうだろうという懸念があるんですよ.その抵抗や壁は,ぼくらが生物として備えている根底的な限界から生まれた帰結です.なのに,左派は総じてこの抵抗を「人間本性」が想像以上に変化させがたい証拠だとは解釈せずに,裏切り者や敵,あるいは社会の変化に抵抗する悪者がいる帰結なんだと解釈してしまうんです.しかも,おうおうにして,同時にこういう要因と目される人たちを見つけ出して処罰しようといっそう攻撃的な試みがなされたりします.こういう事態の誤解は危険ですし,魔女狩りが始まりがちな傾向が左派にある理由の説明にもなっています.

こんな具合に,左派の危険なアイディアを見つけるのはべつに難しくないと思いますよ.ただ,そこから〔「左派のファシズム」みたいな〕暴力的・抑圧的な政治運動までにはずいぶん隔たりがあります――他の条件もそろう必要があります.たしかに左派のあいだでは独善と不寛容が強まってますけど,これまでのところ,その向かうところは主に自己破壊でした.たとえば,アメリカの民主党は,党内部の力関係がはたらいて,有権者の47パーセントくらいを得るのにとるべきポジションにおさまっているように思えます.50パーセント以上をとりそうになると,党内部の力がはたらいて,2パーセントほど失う結果になるんです――ちょうど共和党に僅差で負けるくらいになるんです.で,民主党はそれはゲリマンダリングのせいだと非難するわけです(「なぜって? だって自分たちの失態なわけがあるか,おかしな連中に出し抜かれて翻弄されているのがいけないんだ」).

Q. なにか付け加えたいことがあればご自由にどうぞ:論評でも,『反逆の神話』に関する話でも逸話でも,あるいは訂正したいことや,今日の世界について思うことでも…

A. 『反逆の神話』が出た後の展開でいちばんの驚きは,たぶん,カウンターカルチャーのいろんなアイディアが左派から右派に移ったことですね.露骨なのが,スティーブ・バノンですね.ドナルド・トランプの選挙対策本部長だった人物です.バノンの政治状況分析,左派と右派が追求している戦略の分析は,ぼくらの分析と基本的に同じです.ではなにが大きくちがうかと言うと,文化政治を追求するのを選ぶ際に,左派の方が実はすぐれた戦略を採用していたとバノンの方は考えていた,という点です.「我々はホワイトハウスを占拠したが,かたやリベラルはハリウッドを占拠するのに専心している」と彼は発言しています.つまり,右派は国家を支配しているけれど,左派は文化産出の道具を支配しているというわけです.

ぼくらとバノンで大きくちがうのは,「左派にとってこれは損な買い物だ」とぼくらは主張したのに対して,左派の方がすぐれた戦略を採用していたとバノンは考えたところです.「政治は文化の下流」というスローガンを,バノンは好んで使いました.文化が右派に対してあまりに敵対的なために政治的にとれる戦術の余地が深刻なまでに狭められている,それが問題なのだとバノンは主張していました.だから,左派にとられた領域を奪い返すために,右派は新しい文化政治を採用する必要があるとバノンは考えたわけです.(ちなみに,この分析の多くはゲイの婚姻をめぐる「闘いで負けた」ことに右派が驚いたことから生じています.保守派の多くにとって,あれは衝撃だったんです――この問題をめぐる国民の世論の潮目がいかに急速に変化し,彼らがどれほど政治的に制約を受けたか,これは彼らにとってかなりの驚きでした.)

では,右派によるこの新しい「文化政治」は,どこから出てきたのでしょうか? ここで重要となるのがオルト右翼です.アンジェラ・ネイグルがオルト右翼について良書を書いています(『真人間どもをぶっ殺せ』; Kill All Normies).大半の人たちがオルト右翼についてわかっていないのは,これが本質的にカウンターカルチャー運動だということだと,ネイグルは指摘しています.たぶん,『反逆の神話』でぼくらが指摘しようとした最重要点は,ルールを破るのはそれ自体の性質からして自由につながる解放になるのだと賞賛するという中心的な特徴もふくめて,カウンターカルチャー政治はべつに左翼的な価値をおのずと備えているわけではないという点でしょう.破られるルールが抑圧的なものだったら,それを破るのは進歩的です.でも,破られるルールが人々を危害や抑圧から守るものだったなら,そういうルールを破るのは進歩とは逆方向になりますよね.この分析は,近年の政治の再編成で完全に裏打ちされたと思います.左派のあいだにまた政治的正しさを求める動きが戻ってきたことで,いよいよ,左派は人々の(おおっぴらな)行動にいっそうのルールを押しつけるのに執着しています.一方,これへの反応で生じた部分もありますが,人々の(おおっぴらな)行動をしばるルールを破るのを賞賛するようになったのが,右派です(とくにオンラインでこれは顕著です.左派が定着させたがっているルールはオンラインだと強制が不可能ですからね).これはネイグルが認識している点です――オンラインで目にする人種差別的な攻撃的言動の多く――いまやここまで蔓延するにいたったのが衝撃的ですけれど――ああいう言動はガキどもが本当に人種差別的になったのを反映しているわけではなくて,たんにルールを破っているだけです.たとえば,各地の学校が子供どうしの言葉使いを管理しようと努めれば努めるほどに,子供たちはますます放課後に Xbox ライブでハメをはずす傾向を強めるんです.

ともあれ,こうしたことは完全に予想外の展開でした.少なくとも,2004年当時のぼくらの物の見方にとっては思いもよらない風に変化してきましたね.〔『反逆の神話』で〕カウンターカルチャーについてぼくらが提示していた基本的分析とは完全に整合していると思います.それどころか,ぼくらの論点を証明すらしています.ただ,「右派のカウンターカルチャー」はたんに概念としてありうるものとだけぼくらは思っていました.本当にそんなものが登場するとは,ぼくら2人のどちらも予想していませんでした.この10年間に起きたことについては,新しくまるまる1冊書けてしまいますね.ぼくらはもう年を取り過ぎてて,そんな本は書けません.もうガキどもの感覚と波長が合わなくなっちゃってますから.それぞれの世代が,自分の世代の難題と苦闘するしかありませんね.


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