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ジョセフ・ヒース「文字通りの意味でのファシスト」(2016年3月1日)

Fascist in the literal sense of the term
Posted by Joseph Heath on March 1, 2016

何年か前のトロント市議選の際だが、何者かが、市内のあちこちの新聞受けや電信柱に「警官が市長を選ぼう!」と書かれたステッカーを貼り回っていた。そのステッカーを見て、私が思ったのが「わぁ、こりゃ、マジもんのファシストだ。単なる比喩的や表現や、誤用・乱用なんかじゃない。文字通りのファシストじゃないか」だった。(ステッカーを見たのは、ロブ・フォードが市長に当選した時の選挙だった思うが、ちょっと自信がない)

むろんここで問題になっているのは、「ファシズム」が、(特に60年代に)政治用語として大々的に誤用・乱用され、効力を完全に失ってしまっていることにある。私たちは、人がやりたくないことをやらされているように見えた時、それを「ファシスト」と呼ぶのに慣れ親しみすぎている。結果、私たちは「ファシスト」という言葉の本来を意味を把握できなくなっている。(我々大学教授も、学生にファシストの政治思想については何も教えない傾向にあるので、ほとんどの人は、「ファシズム」を、ナチズムであったり、人種差別と軍国主義を結びつけたものとして、単に連想するだけである。)

実際、トロント市内の新聞受けにステッカーを貼り回っていた人達は、「イェーイ、俺たちゃファシストだぜ」とはおそらく思っていなかっただろう。実際に「お前らはファシストだ」と指摘されたら、たぶんブチ切れただろう。しかし、考えてみれば、「警官が市長を選ぶべきだ」と提案するのは、いったい何を意味しているのだろう? 三権分立と法の支配を解体し、行政に議会の支配権を付与するとの意味ではどう見ても反民主主義的であり、反自由主義的でもある。警察は究極的には、国家による国民への武力行使能力の観点では、その頂点にいるのを忘れてはならない。実際、警察はまさに国内での武力行使に特化された機関であり、故に、警察は立法と司法両者の監督下で運営されるよう、常に最新の注意が払われているのだ。これら全てを逆転させて、「武力行使機関に立法府を支配させるべきだ」との考えは、まあ、ファシストである。

私がこの件を思い出したのは、ドナルド・トランプ現象を消化しようとしているアメリカの評論家達が、トランプの権威主義的な性格を理解しようと、第1世代フランクフルト学派を持ち出しているからだ。数人の政治学者が、「トランプの権威主義的パーソナリティの特徴こそが、トランプが支持されていることの、唯一にして最も強力な判断材料である」との主張を行った。この主張が幅広く喧伝された後、今の現状に至っている。(この〔フランクフルト学派関係の〕文献に詳しくない人のために説明しておくと、〔フランクフルト学派では〕「“権威主義的パーソナリティ”の保持は、「一個人が権威主義であること」とはイコールではないとされている。これは、60年代以来の、広範な大衆的解釈――例えば映画『アメリカン・ビューティ』とは真逆である。1このドナルド・トランプ現象には様々な理由があると思う。リーダーシップとして「強い男」を求めるのは、制度的な手詰まり状態に対処するためには、極めて自然な反応なのだ。ロブ・フォード2 が、トロントで市民に愛されていた理由の一つである。例えば、トロント市営住宅システムは、完全に混乱している――文字通り数十億ドルもの修理が履行されず待機状態となっており、修理を行うには(非常に高額の報酬を伴った)労働者を割り当てねばならず、信じられないほど複雑な一連の手続きがある。ところが、ロブ・フォードは、プライベートの電話番号を公表しているので、不満を抱えた市営住宅の入居者は、直接フォードへの電話が可能となっていた。そして、フォードは不満の電話に出て、〔市の〕指揮系統のずっと下のほう誰かに連絡して、「ミセスXの家に行って、台所の流し台を修理してこい!」と命令する。こうすることで、フォードは半ダースの規則を破り、おそらくいくつかの組合の苦情を引き起こすだろうが、ミセスXの流し台は修理される。これは、制度的なレベルにおける正身の影響では、むろん大混乱に陥っている。しかし、過程を十全に経験したミセスXからすれば、「この街には、ロブ・フォードのような人がもっと必要ね」と思い込むのは無理もない。システムの内部では働く人は、システムに備わっている制約や拒否権の膨大さを考慮すれば、ほとんと何もすることができない。なので、一般人は「こんなシステムなんてくそくらえだ」と言う人を希求し始める。

むろん、トロントの市営住宅が破綻していると考えるなら、アメリカの政治システムは、その10倍は破綻しているだろう。故に、アメリカの有権者からしてみれば、「この破綻しているシステム内で働きます」と公約している候補者に熱意を持てないのも当然である。

しかし、「アメリカにおける権威主義の台頭」と呼ばれる現象には、もう一つ別の側面がある。それは、アメリカ人は「ファシストによるプロパガンダ」と言っても過言ではないものに、絶えず苛まされている事実だ。このプロパガンダまた、狭義の文字通りの「ファシスト」である。ファシスト思想の中心的テーマの一つが、(民主的な)立法府が絶望的に分裂してる場合、軍によって目的や意志を統一しないと、〔国家が〕弱体化してしまう、いうものだ。したがって、この衰退を逆転させる方法は、軍に国家の支配権を付与させることになる。

この考え方は、ベトナム戦争の敗北に対する多くのアメリカ人の反応として、大衆意識の中に深く根付いており、大衆娯楽の中での非常に一般的なテーマとなる効果をもたらした。(政治家のせいで「戦争に負けた」とそれとなく暗示するのがお馴染みの見解になっている。軍は仕事をやり遂げる能力を保持していたのに、ひ弱な政治家達が必要な選択をする決意を欠いていたのだ、というやつだ。) ベトナムを舞台にした作品で、この事例にそっくり当てはまるものは何十作品もある(例えば『ランボー』)が、最近のベンガジ事件3 を扱った映画でも目立ったテーマとなっている。(一連の作品では、敵に戦いを挑もうとするのは傭兵だけで、CIAを含むアメリカ政府は(不可解にも)戦意を欠いていると描写されている)。何にせよ、こういった作品に対する批判するのに、過度にヒステリックに聞こえず、ファシストであるのを示す良い方法があればよいと私は思う。また、民主主義社会において、ファシストによるこの手のプロパガンダは、あまり賢明な考えではなく、広範に大衆が定常的に飯の種にすれば、民主主義を弱体化させる効果があるかもしれない、との件もヒステリックに聞こえず伝える良い方法があれば良いとも思う。むろん、そうすれば致命的な出来事を避けられるわけではない――映画の1作は単に1作の映画にすぎないし、民主主義は比較的堅固である。それでも、累積的な影響があったとしても、あまり驚くべきではない。

  1. 訳注:いわゆる「エルサレムのアイヒマン」的解釈のことと思われる。第1世代フランクフルト学派では、ファシズムの権威主義性は、個人の権威主義的なパーソナリティに由来するのではなく、凡人が官僚主義等によってファシズム的言動に至る、との考え方 []
  2. 訳注:カナダのドナルド・トランプに例えられる、旧トロント市長。様々な奇矯な振る舞いやポピュリズム的な政策で有権者の注目を集めた。 []
  3. 2012年に起こった「アメリカ在外公館襲撃事件)のこと。アメリカ国内で製作されたムハンマドを侮辱する小規模ドキュメンタリー映画への反発として、エジプトやリビアのアメリカ在外公館が現地の民衆に襲撃されアメリカ人外交官が殺害された事件。 []

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