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ジョセフ・ヒース「私に対するキャンセル・カルチャーについて:BIPOCとFIVMの詳細」(2021年6月10日)

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Posted by Joseph Heath on June 10, 2021 | Uncategorized

5月28日、グローブ&メイル紙に論説〔訳注:日本語の意訳・要約をここで読むことが可能〕を寄稿したが、それに対して生産的な議論もあれば、非生産的な議論や罵倒もいくつか寄せられた。(私は論説で、BIPOC1 という頭字語をカナダで使うことに疑問を呈した。簡単にまとめれば、BIPOCという頭字語は、アメリカでは多様性の重要な側面を捉えるのに十分な役割を果たしているかもしれないが、カナダではその役割を果たしていないと主張したのである)

様々な批判が寄せられたが、ほとんど全てが私の論説をきちんと読んでおらず、見かけるたびに返答したい衝動に駆られたが我慢している。例えば、批判者の大半が、ジョセフ・ヒースはフランス系カナダ人が受けた迫害を、カナダの黒人が受けた迫害より大きいとの奇っ怪な主張を行った、と解釈している。しかし、論説を注意深く読めば、私はそのようなことを言っていないのがすぐ分かるはずだ。イギリスの植民主義によって犠牲になった集団の中で人口的に最も多いのがフランス系カナダ人である、と言っただけである。

ツイッターで一般に向けて、お前らもっときちんと読め、と勧告するのは、大学教授としてはあまりに嫌味ったらしく、究極的にはあまり生産的ではないと思った。しかし昨日、私の論説を批判する公開書簡(というかブログ記事?)〔訳注:日本語の意訳・要約をここで読むことが可能〕を目にした。公開書簡は3人による共著で、追加で大量のトルドー財団奨学生が賛同署名している。知らない人のために解説しておくと、トルドー財団奨学生は、財団による非常に高い選別を受けた奨学金のプログラムを受けている大学院生の集団である(私は財団のフェロー〔特別研究員〕だ)。財団奨学生からの公開書簡を読んで、私は極めて教授的な反応を取ることになった。君らはもう一度論説をきちんと読むべきだ、と。エリートの奨学生を相手だと、読解力の無さを指摘しても、それほど嫌味ではないだろう。

まず、技術的なファウルから見てみよう。この公開書簡では、私の論説から引用したことを示すために、引用符〔“”〕でくくって3つのフレーズが使われている。しかし、この3つの事例全てにおいて、引用符内の言葉は、私の元論説には存在しない。例えば、書簡の執筆者達は序盤で以下のように書いている。

ヒースからすれば、カナダは人種が基盤となっていない“例外的な”歴史によって特徴付けられる国家ということになるのです。

文章において、(“ヒースからすれば~”)と特定話者の主張を表す言葉から始め、続けての文章内でなんらかの言葉を引用符でくくれば、読者は普通、特定話者が実際に論じている文章から直接引用されたと思い込む。ところが、この公開書簡の引用符でくくられたパートは、私の論説には存在していない。私は、元の論説では一度も“例外的”という言葉を使っていないし、ましてやカナダの歴史をそのように表現もしてもいない。実際〔元の論説で〕、私はカナダの歴史において人種が基礎となっているかいないのかについては、一切の言及をしていない。私は、アメリカにおいては現在の黒人人口の圧倒的多数が奴隷制度の子孫だが、カナダはアメリカとは異なり、黒人人口のほとんどが最近やってきた移民とその子孫で構成されている、と言っただけである。(多元主義やマイノリティの権利に関する学術的な文献を読んでいる人からすれば、これに非常に重要な違いがあることを知っているが、700字の論説では当然ながら説明する機会はなかった)。

繰り返させてもらうが、多くの人がネット上で偉そうに話していい気分になっているので、そこに正しくない引用のやり方を指摘して突っ込んだり、誤読を問題視するのは衒学的な態度でしかない。しかし、トルドー財団奨学生の集団を相手にするなら、ある程度の高い基準を課しても妥当だろう。藁人形をでっち上げて、藁人形を叩いて論争の勝利を誇ることは、間違いなく学術的には褒められる行為でないし、論争に勝つために賢明な手段でもない。良くて杜撰な行為であり、悪くて不誠実な行為である。

読解を進めても、書簡の内容は不適切なままである。

ヒースが行った最も不快な提案は、(白人の)フランス系カナダ人の“迫害”を、人種差別を受けた集団の中で特別待遇せよ、というものです。

ここでもまた、対象の文章には実際に存在しない(“迫害”)を引用符で括っている。彼らがこうして引用符を使っているのは、“(白人の)フランス系カナダ人”がこれまでに迫害を受けたことがあるかどうかを問いただすためだと思われる。しかし、そうした場合には、こうした表記は適切ではない、シングルクォーテーション(‘迫害’)、つまり注意喚起の引用符を使うべきある。そうしないと、まるで対象の文章から引用しているかのような誤解を読者に与えてしまう。(ドクター・エビル2 は両手に2本の指立てて注意喚起を表明するが、〔学術文献の〕技術に従うなら1本指でなければいけない。)

繰り返させてもらうが、私は迫害を受けたフランス系カナダ人を“人種差別を受けた集団の中で特別待遇せよ”とは書いていないし、示唆もしていない。私に非があるとされる“不快な提案”は、印象論に基づいており、究極的には不正確な文章の解釈に基づいている。それどころか、私は“被害の主張は相対的なものである”と指摘して、〔特定の集団を優遇するような考えには〕懐疑的な見方を示している。私が判断する限り、この書簡の執筆者達は「BIPOCという頭字語によって階層的な関係を示してはならない」との私の主張には整合的である。アメリカにおいてパターナリスティックに階層を把握する方法は単純な人口統計学的なものとなっており、アメリカの場合は最大のマイノリティ集団は黒人となり、もしそれをカナダに適応するなら黒人ではなくフランス系カナダ人になる、と私は指摘したのだ。

むろん、フランス系カナダ人は、人種的マイノリティではない。私が指摘したかったのがまさにこの点だ。多元主義には様々な側面があり、差別にも様々な形態がある(言語、宗教など)。アメリカの政治的言説で特徴となっているのが、人種への執着である。この執着は、カナダの状況では役に立たない。(インターセクショナリティに関する文献に精通している人なら、この論点を理解するのは難しくないはずだ。)

次には、次のような指摘がおこなわれている。

カナダにおける反黒人主義は、アメリカとの安易な比較――特にヒースやったような奇妙な“苦しみの数字化”に示されているように、アメリカの奴隷制との安易な比較で軽視されています。ヒースの分析からは、アメリカ大陸全体が奴隷制と植民地主義によって疑いようもなく宿命付けられてきたことが省略されているのです。

ここでもまた、私の論説のどこにも存在しない言葉(“苦しみの数字化”)が引用されており、しかもこれは私が擁護した見解ですらない。この文章の最初の方は、何を言おうとしているのかよくわからないが、アメリカの黒人のほとんどが奴隷として強制的に連れてこられた人々の子孫であることを指摘するだけで、カナダの反黒人主義を私が軽視していると解釈するのは意味不明である。大多数の黒人のカナダ人は、大多数の中国系カナダ人、大多数のシーク教徒のカナダ人、大多数のイスラム教徒のカナダ人と同じく、移民としてカナダに来ているか、移民にルーツを持っている。これはアメリカとの決定的な違いとなっている。これらの集団による政治的主張の類型に影響を与えるからだ(現代のマイノリティの権利に関する研究に精通している人なら理解できると思うが、この件についての私の考察はここで読むことができる)。

上記引用の二番目の文で、“アメリカ大陸全体”の経験が言及されている点を着目してほしい。このフレーズは続く文章でも繰り返されている。

BIPOC(またはIBPOC)という用語は、アメリカ大陸全体の黒人、先住民、その他の人種差別された人々の固有の歴史と経験を強調することを目的としており、被差別者を階層化することを目的としていません。

これに、BIPOCという頭字語の使用を擁護する公開書簡を書いた人たちの主な戦略が示されている。彼らの主張は、BIPOCとは、アメリカの政治状況だけを示す表現ではなく、“アメリカ大陸全体 ”の状況を反映したものであるとのことだ。ゆえに、カナダ人はIPOCという頭字語を使うべきであり、アメリカ大陸全体の誰もが使うべきなのだ! とされているわけである。

この提唱がいかに馬鹿げているのかは、少し考えてみればわかるだろう。メキシコででもBIPOCの話をするべきなだろうか? アルゼンチンでも? ジャマイカでも? ボリビアでも? 明らかに違うだろう。これこそまさに、私が批判したアメリカ文化帝国主義の典型例である。この立場に立てば、“アメリカ大陸全体 ”に住むすべての人は、アメリカと同じ問題を抱えていると仮定しなければならず、異なる国家間には異なる違いが存在することがまったく認識されていないことになる。

公開書簡の残りに関しては、言及すべきことはあまりない。私の論説の内容を誤解している部分を除けば、私が指摘した論点とほとんど関係がない内容ばかりとなっている。彼らが、頭字語変更に同意し、IBPOCを提唱している部分には、私の批判を基本的に彼らが認めているので、驚かされてしまう(こうして肯定的に述べているが、私は別に、FIVMを使うべきだとは言っていない。私が言ったのは、「カナダで最重要なマイノリティ集団を識別するのに、頭字語が必要だとしたら、私はFIVMを提案したい」と言っただけである)。実際のところ、こうした頭字語の有用性に関しては非常に疑問を抱いている。IBPOCだと改善されたように思われるが、カナダの状況では、なぜBがPOCから分かれているのかについて、疑問が生じるだろう。例えば、イギリスの場合だと、別の頭字語(BAME3 )があるが、カナダでBAMEを使用しては駄目なのだろうか? マイノリティ集団をVM4 (あるいはME5 )とまとめてしまったほうが、諍いの多くを避けることはできるのではないだろうか? もしくは、こういった頭字語の使用を完全にやめてしまったほうがよいのではないだろうか?

最後に、公開書簡の冒頭には以下のような注記が添えられている。

[この記事は、オンタリオ州ロンドンで起きたイスラム教徒差別主義による襲撃事件を前にして書かれたものです]

これは哀悼でもなんでもなく、ジョセフ・ヒースは右翼野郎だったぜ、と匂わせるために書かれているのではないかと推察される。そして、おそらくそうなのだろう。元論説で私が言いたかったのは、アメリカ人の人種に対する執着、そして「人種のレンズ」を通してすべてを見ることへの執着は、多くの点で非生産的となっており、どのようなケースにおいてもカナダの状況には適応できない、ということである。元論説を執筆中に私が考えていたのは、反イスラム教徒的な不寛容への懸念だった。これは、「人種というレンズ」を通してしまえば見えなくなってしまう。だからこそ、エスニシティという言葉が、カナダの多文化主義政策の中心として伝統的に据えられてきており、これよってあらゆる集団の対立を人種の観点から上書きすることに固執するアメリカの枠組みよりも適切(で成功してきた)のである。

もう一言、最後に据えてく。公開書簡を書いた人らはともかく、これに署名したトルドー財団の奨学金授与者たちのアタマの中はいったいどうなっているかと、私は理解に苦しむ。こうしたネットに転がっているオンライン・ハラスメントに飛びつく衝動は、信用ある学識や合理的な議論から完全に乖離していることに、研究者らはいつになったら気づくのだろうか? 署名者らは、引用箇所を確認したり、書簡と批判対象の論説とを比較する等して、関係性があるかどうか確かめようとはしなかったのだろうか? もしかしたら、彼らは感情的に同調するあまり、細かい箇所など気にしていないのだろうか? それとも、署名を断るのが社会的に気まずく、同胞との間に緊張関係を作りたくないと考えたのだろうか?

これは、人間の弱さ故とすれば理解はできるだろう。しかし、こうして公的な場での表明を決意するのなら、自身をレジスタンスの英雄のように想定すべきではないことをわきまえるのは重要だ。多くの研究者が、批判的思考を、最新の社会科学で正当とされていることを機械的に反復することだと勘違いしている。批判的に考えられる人になるには、自分のアタマで考えないといけない。誰かに公開書簡へのサインを頼まれたら、それを注意深く読み、知的な精確さと完全性を満たしているのかを自分で判断しなければならない。この公開書簡の署名者について言えるとすれば、彼・彼女らはおそらく自分のアタマで考えなかったということである。

  1. 訳注:Black(黒人)、Indigenous(先住民)、People of Color(有色人種)の頭文字を取って作られた頭字語。主にアメリカでマイノリティ集団がアイデンティティ・ポリティクスを行う際の手段として使われている用語である []
  2. 訳注:オースティン・パワーズに登場する悪役 []
  3. 訳注:Black(黒人)、Asian(アジア人)、Minority Ethnic(少数派民族)からなる頭字語 []
  4. 訳注:Visible Minority(可視化マイノリティ)の頭字語 []
  5. 訳注:Minority Ethnic(少数派民族)からなる頭字語 []

Comments

  1. 悪魔博士はおそらくDr.Evil: オースティンパワーズに登場する悪役の名称なのでそのままDr. Evilで良いかと思われます。

    • WARE_bluefield says:

      ありがとうございます。助かりました。
      また何か間違い等あるとご指摘していただけると幸いです。

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