スコット・サムナー 「雷に打たれて死ぬ」(2014年1月14日)/ タイラー・コーエン 「雷に打たれて一命は取り留めたけれど・・・」(2014年9月28日)

●Scott Sumner, “About that “struck by lightning” metaphor”(TheMoneyIllusion, January 14, 2014)


「今日を一生懸命に生きなさい。だって、明日トラックに轢(ひ)かれてしまうかもしれないのだから」なんてことがよく言われるが、私としてはそんなことを言われても陰鬱な気分が和(やわ)らいだりはしない。トラックの前を歩く時には用心しようって気を引き締めるくらいだ。では、「雷に打たれて死ぬかもしれないから」なんて言われたらどうかというと、運命というものを思わずにはいられない。仕事のことを考えながら道を歩いている最中に/ゴルフをプレイしている最中に、突然ドカンと大きな音が鳴り響く。青天の霹靂! 気付いたら、あなたはもう死んでいる・・・。

とは言え、激しい雷雨に襲われたって、雷に打たれて死ぬなんてことは実際のところはそんなにない。「雷に打たれて死ぬかもしれない」っていうのは、あくまでも時代を超越するメタファーの一つなのだ。我々人間は、命に限りのある存在であり、運命――あるいは、神(ヤハウェ/ゼウス/ジュピター/トール)の残酷な気まぐれ――に翻弄されざるを得ないか弱き存在なのだということを思い起こさせる、時代を超越するメタファーの一つなのだ。

ところで、1943年のアメリカでは、432名が雷に打たれて命を落としている。落雷による死亡率(全人口のうち、雷に打たれて命を落とした人の割合)が1943年と2013年とで同じだと仮に想定すると、2013年のアメリカで雷に打たれて命を落とした人の数は1000名という計算になる。1000名だ。ところで、フロリダ州やアリゾナ州といった危険な地域(雷がよく落ちる州)で暮らす人の数は、1943年から2013年までの間に大幅に増えている。そのことを踏まえると、2013年のアメリカで雷に打たれて命を落とした人の数は1000名を上回りそう――落雷による死亡率は1943年時点よりも上昇してそう――だ。その一方で、雷に打たれたら全員が全員即死するってわけじゃないし、この間に(1943年から2013年までの間に)医療技術も進歩している。そのことを踏まえると、2013年のアメリカで雷に打たれて命を落とした人の数は1000名を下回りそう――落雷による死亡率は1943年時点よりも低下してそう――だ。

どっちなんだろうか? 2013年のアメリカで雷に打たれて命を落とした人の数は、1000名よりも多いんだろうか、少ないんだろうか?

ヒントを差し上げよう。1943年のアメリカでは、22,727名が交通事故で亡くなっている。2012年のアメリカでは、その数(交通事故で亡くなった人の数)は34,080名だ。数自体は増えているものの、1943年以降にアメリカの人口は倍以上増えているから、死亡率(全人口のうち、交通事故で亡くなった人の割合)で言うと、その値は1943年と比べて35%ほど下落している。1943年以降に走行距離が大幅に伸びていることもあって、1マイル当たりで測った死亡率は1943年と比べて90%近く下落している。

ところで、交通死亡事故を減らすためにできることはたくさんある。自動車の安全性を高めたり(1943年時点では、自動車の窓ガラスにはまだ安全ガラスが使用されていなかった)、高速道路に中央分離帯を設けたり、飲酒運転を法律で厳しく取り締まったり。その一方で、落雷による死亡事故を減らすために何ができるだろうか? ドーンという音(雷鳴)を耳にしてからでは、もう遅すぎる。雷は秒速186,000マイル(およそ30万キロ)くらいのスピードで迫ってくるのだ。

さて、再び質問だ。2013年のアメリカで雷に打たれて命を落とした人の数はどのくらいだろうか? 1000名よりも多いだろうか、少ないだろうか?

答えは、「少ない」。2013年のアメリカで雷に打たれて命を落とした人の数は、23名

(追記)2006年から2012年の間にアメリカで雷に打たれて命を落とした人のうちの82%は男性だという。運命が性差別を働いている(男性に手厳しい)証拠がまた一つ。

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●Tyler Cowen, “What it is like to be struck by lightning”(Marginal Revolution, September 28, 2014)


雷に打たれて一命を取り留めた人たちの中には、雷に打たれた後に特殊能力を手に入れたという話を耳にして、嘘をついてるんじゃないかと訝(いぶか)る者もいる。アトリーもその一人だ。「これまでに雷に3回打たれたことがあると語る人に会ったこともあります。雷に打たれた後に未来が見えるようになっただの、ピアノが弾けるようになっただの、一晩中セックスしていられるようになっただのと語る人にも会ったことがあります。どれもこれもでたらめですよ」とアトリー。

アトリーはそこまで幸運じゃなかったようだ。

退院後のアトリーには、リハビリが待っていた。食物を飲み込んだり、指を動かしたり、歩いたりといった動作を学び直すのに数か月を要したという。しかしながら、リハビリはアトリーの前に立ちはだかる試練の第一関門に過ぎなかった。雷に打たれる前のアトリーは、やり手の株式ブローカーであり、趣味でスキーやウィンドサーフィンを嗜(たしな)んだ。今現在のアトリーはというと、62歳で、ケープコッド(マサチューセッツ州にある半島)で暮らしている。収入は身体障害保険(就業不能保険)頼り。アトリーは語る。「今は働いていません。いや、働けないんです。記憶もあいまいで、かつてのように気力も湧いてきません。(雷に打たれた)1秒の間に30歳も年をとってしまったんですよ。今でも歩きますし、話しますし、ゴルフだってやりますが、よく転びます。体の痛みに耐えてばかりの毎日です。立ち止まらずに100ヤード歩くこともできません。傍(はた)から見たら、酔っ払いみたいに見えるでしょうね」。

全文はこちら。フェリス・ジャブル(Ferris Jabr)の手になる記事だが、最初から最後までずっと興味深い内容になっている。情報を寄せてくれたVic Sarjooに感謝。

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