タイラー・コーエン「寄付は分散するべき?」/「寄付は非効率なのか」

寄付は分散するべき?

Tyler Cowen “Should we diversify our charitable giving?” (Marginal Revolution, October 16, 2006)

スティーブ・ランズバーグを引用しつつ、ティム・ハーフォードは次のように述べている

100ドルを寄付しようとしている人が価値ある大義に満ちている世界にいるのであれば、最も価値ある大義を選んで小切手を切るべきだ [1]訳注;寄付の効果を最大化しようとするなら、一番効果の大きいものに全額を投入するべしという意味。 。でも私たちはそうはしない。その代わり私たちは、5ドルでリブストロング [2]訳注;がん患者支援の団体で、リストバンドのキャンペーンで有名。 のリストバンドを購入し、25ドルをセイブ・ザ・チルドレン [3]訳注;開発途上国の子供を支援することを目的とするNGO。 に約束し、さらに25ドルをAIDS研究へ寄付し等々といったことをする。しかし25ドルはAIDSの治療法を見つけるためのものではない。これが一番の大義で100ドル全てを受けるに値するかもしれないし、そうではなくて他の大義がそれに値するのかもしれない。乱れ撃ち的なやり方は、私たちは善行を積むことよりも良い気分になることに関心があるのだということを分かりやすく証明している。

この議論はスティーブン・ランズバーグに依っているのだが、多くの人々は金融投資を(グーグルの下部に少しとエクソンにも少しといったように)分散させることや自分の選択を(バニラアイスとバナナといったように)多様化させることに馴染んでいて、これに納得しない。しかしこうした直観的なやり方は利己的なものだ。人々はグーグルやエクソンに利益をもたらそうとしてるわけではないし、アイスクリーム会社やバナナ生産者に対してもそうだ。しかし慈善行為においては論理が異なるのであり、真に無私の寄付者は歯を食いしばって我慢しつつ、全ての寄付金をひとつの大義に向けるだろう。世界を意識的に無私の視点から眺めるということが私たちにとってどれだけ難しいかということを示すものを、さらにもう一つだけ想像するのは非常に難しい。

慈善事業の期待収益は少なくとも事前的には、連続的に並んでいると考えることができる。最も高収益の事業は、ほんのちょっぴりとだけ2番目のものよりも優れているだけだ。こうした設定においては常に、財産の分配を変えることによる効率面での結果を評価することは難しい。しかしロールズ的な考え、つまり自分が最終的にどのグループに所属するかを知らない場合に貧しい人は何を望むかという点からいくと、この貧しい人はどんな個別の寄付も分散化されるほうがよいと思うだろう。ドルでの収益率が少々下がるとしても、この寄付の保険価値は上昇する。

一度の寄付は一度の寄付機会というわけではなく、それ自体いくつもの事業を支援しているのであということは頭に入れておくべきだ。(真に専門化した寄付とはどんなものだろうか。)

私はハーフォードの指摘について別の点から同意する。寄付を遂行することの固定費用は比較的高く、それは単にその慈善事業がより多くのお金を求めてさらに手紙を送るからというだけでもそうだ。こうした理由から、寄付は一つの慈善事業に集中するほうが良いのだと言えるのかもしれない。


寄付は非効率なのか

Tyler Cowen “Is charity a major source of deadweight loss?” (MarginalRevolution, February 24, 2012)

以下は、ステファノ・デラヴィナ、ジョン・リスト、ウルリケ・マルメンディエの素晴らしい論文からの引用だ。

毎年、90%のアメリカ人が慈善事業に寄付をしている。このような寛大さは、寄付者の厚生を必ず強化するものなのだろうか。私たちは、2種類の動機を区別する理論的枠組みを提示する。すなわち、たとえば利他主義や温情といった理由から寄付を行いたいと考える個人と、できれば寄付をしたくないとは考えているが社会的圧力などのせいでノーとは言いたくないという個人である。私たちは戸別訪問式の募金集めを設計し、その際に一部の家庭はドアノブに掛けられたチラシによって、募金を依頼しにくる正確な時間を知らされるという形をとった。つまり、彼らは募金集めを待ち構えたり、避けたりすることができるのである。私たちは、チラシによって家庭がドアを開ける確率は9%下落して25%となり、チラシに訪問お断りのチェックボックス欄を設けた場合、寄付をしてくれる確率は28%下落して42% [4]訳注;これらの数値はungated版と異なるが、日付からすると本文が参照している論文のほうが日付が新しいため、特に変更はしなかった。 となることを見出した。後者の下落は10ドル未満の寄付に集中している。これらの結果は、社会的圧力が戸別訪問形式の募金では重要な決定要因であることを示唆している。このデータと補完的な実地実験によるデータを組み合わせることにより、私たちはモデルを構造的に推定した。募金のお願いに対してノーというための社会的圧力の費用は、州内の慈善事業の場合は3.80ドル、州外の慈善事業の場合は1.40ドルとなった。私たちが厚生の計算を行ったところ、個別訪問方式の募金運動は平均的には潜在的な募金者の効用を減少させることが示唆された。

素晴らしい研究設計なので、是非全文を読んでほしい。人間の活動のうち何パーセントが、これと同じような仮説でうまく記述できる可能性があるだろうか。

慈善事業に関するジョン・リストの業績について、2006年のニューヨーク・タイムスに書いた私のコラムはこちら。彼は現在もっとも勢いのある経済学者の一人だ。


(訳者後記:私は経済学101の運営とは無関係ですが、読者の皆様が経済学的な判断に基づいて経済学101を応援して頂けるのであれば、それ以上の幸せはありません。)

References

References
1 訳注;寄付の効果を最大化しようとするなら、一番効果の大きいものに全額を投入するべしという意味。
2 訳注;がん患者支援の団体で、リストバンドのキャンペーンで有名。
3 訳注;開発途上国の子供を支援することを目的とするNGO。
4 訳注;これらの数値はungated版と異なるが、日付からすると本文が参照している論文のほうが日付が新しいため、特に変更はしなかった。
Total
0
Shares

コメントを残す

Related Posts