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タイラー・コーエン 「奇跡は至る所にある?」(2004年7月13日)

●Tyler Cowen, “Miracles are Everywhere?”(Marginal Revolution, July 13, 2004)


普通の生活を過ごしていれば、大体1カ月1に1回のペースで、奇跡を体験することになる。・・・(略)・・・目が覚めている人間がはっきりと意識をもって過ごしているのは1日のうちでおよそ8時間で、その間は、1秒あたり1回のペースで何らかの出来事を見聞きしていると言われる。ということは、我々が1日のうちで遭遇する出来事の数は、およそ3万。1カ月だと、およそ100万だ。ほんのわずかの例外を除いて、我々が体験する出来事は取るに足らないものであり、奇跡と呼ぶには程遠い。奇跡というのは、100万回に1回の確率で起こる出来事だ。1ヶ月のうちに遭遇する出来事の数はおよそ100万なわけだから、平均すると、大体1カ月に1回は奇跡にめぐり合う可能性があるわけだ2

奇跡的と思えるような体験をした記憶はおあり? そう、それが1カ月に1回の奇跡だ。

滅多にない体験をする機会が巡ってきたら、この計算のことを思い出すといい。

お前はどうなのかって? 騙されてるような気がしないでもない。先月はどうだったかというと、満足のいく日々を過ごせはしたが、奇跡というほどではない。そう言えば、先々月も奇跡は起こらなかった。こんなに続けて奇跡にめぐり合わないことがかつてあっただろうか。1カ月に1回は奇跡が起こるという計算からすると、こんなにも長らく奇跡を体験していないこと自体が奇跡だと言える。・・・お、何だか気分が晴れてきたような気がする。

冒頭に引用したのは、物理学者のフリーマン・ダイソン(Freeman Dyson)の発言だ。Scientific American誌(2004年)8月号の記事(pp.32)3で紹介されていたのを転載させてもらった。手に入るようであれば、是非とも一読あれ。当該誌の今年のベスト記事の一つだ。

(追記)チャールズ・マーティン(Charles Martin)も指摘しているように、奇跡にめぐり合えるかどうかは、あらかじめ何が起こると想定していたかに依存する面がある。今日の朝に大学の研究室に到着した時に時計の針が指している時刻を見ても奇跡とも何とも思わなかったが、この時刻に到着すると前もって予測することはできなかったことだろう。つまりは、起き得る出来事の範囲を広く想定しておけば、奇跡の数を減らすことができるわけだ。その反対に、起き得る出来事の範囲を狭く絞り込んでおけば、奇跡の数を増やすことができるわけだ。

  1. 訳注;35日 []
  2. 訳注;最初にこのことを唱えた数学者のジョン・リトルウッド(John Edensor Littlewood)にちなんで、「リトルウッドの法則」と呼ばれることもある。 []
  3. 訳注;おそらく、次の記事がそれ。 ●Michael Shermer (2004), “Miracle on Probability Street” []

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