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タイラー・コーエン 「映画が原作の本?」(2008年11月28日)

●Tyler Cowen, “Questions that are rarely asked”(Marginal Revolution, November 28, 2008)


リチャード・グリーン(Richard Green)から次のような疑問が寄せられた。

文学としては平凡な作品が例えばヒッチコックのような監督の手によって一級品の映画に生まれ変わることがあり得るのだとしたらその逆もまたあり得るんだろうかというのが私の疑問です。映画としては平凡な作品が一級品の文学として生まれ変わることは果たしてあり得るのかどうか。

平凡な映画が原作となっている優れた文学作品のリスト(一覧)を知りたいということではなく(候補となる作品がいくつか頭に浮かんでいる人もいるだろうけれど)、表現媒体としての文学について何かしら学べることはないだろうかというのがグリーンの疑問の要点だ。グリーンは続けて次のように述べている。

・・・(略)・・・映画が原作の文学作品はそのほとんど(事を荒立てないためにあえて「ほとんど」という表現を使いましたが、本音では「100%」と言いたいところです)がやっつけ仕事で文壇でも軽んじられています。・・・(略)・・・それはなぜなのでしょうか? 文学は数ある表現媒体の中でも歴史が古くて地位も高く、そのことが枷(かせ)となって(プライドが邪魔をして)他の表現媒体に助けを請う(他の表現媒体に対して下手に出る)妨げとなっているのでしょうか? あるいは、大人数が関わる共同作業とならざるを得ない映画に比べると文学は作家個人による「個の営み」という面が強く、それがために作家としても他人の成果を自分の作品の内部に取り込むのに抵抗を感じてしまうのでしょうか?

映画には物語を構成する出来事(事件)だったり台本だったりが(最低限)必要となるが、そのようなインプット(生産要素)は本から拝借してくることができる。そして結果として生み出される(本から拝借してきたインプットをもとにして制作される)アウトプット(完成した作品)の質も様々であり得る。それでは優れた小説を生み出す上で必要となる稀少なインプットは何かという話になると正直言って私にはよくわからない。「新しい世界」や「新しい言語」(が登場する独創的な映画)はプロの作家にとって援軍となるだろうか? 『スター・トレック』だとかが原作の同人小説はごまんとあるが、その列に加わっているプロの作家はほとんどいないようだ。

「映画は本よりも強力でリアルだ」というシンプルな仮説をとりあえずのたたき台として出発してみるといいだろう。「映画は本よりも強力でリアル」なために、映画(本が原作の映画)は必ずしも原作に負けてしまう(圧倒される)とは限らない一方で、本(映画が原作の本)は原作に負けてしまう(圧倒されてしまう)恐れがある。口承がもとになっている本はたくさんあるが、そのことを踏まえると物語に「映像(画)」が付け加わる結果として映画には本を圧倒するだけの力が備わることになるのかもしれない。そう言えば、絵画が原作の本(絵画に触発されて書かれた本)も個人的にはほんの数冊――その中でも特筆すべき一冊はゲルト・ホフマン(Gert Hofmann)の『Der Blindensturz』(英訳『The Parable of the Blind』)――しか知らないものだ。


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