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タイラー・コーエン 「電話の歴史が投げかける教訓」(2004年5月10日)/「『The Phone Book』 ~アメリカの大統領の中でホワイトハウスの執務室に電話を初めて持ち込んだのは誰?~」(2010年11月30日)

●Tyler Cowen, “Telephone history: lessons for today”(Marginal Revolution, May 10, 2004)


アメリカがマスメディアやテレコム(遠距離通信)の分野で世界を牽引するリーダー国になった経緯を知りたいと思ったことはあるだろうか? その疑問に真っ向から取り組んでいる出色の一冊がポール・スター(Paul Starr)の手になる『The Creation of the Media』(「メディアの創造」)だ。注目すべき指摘の一例を引用しておこう。

フランス当局による政策は・・・(略)・・・電話の普及に不利に働くものだった。フランス政府は電話という通信インフラの開発に公費を投じるのを嫌がり、その代わりに民間の事業者にわずか5年間という期限付きでの営業許可証を発行するという道を選んだ。1879年のことである。民間部門に新ビジネスに伴うリスクを背負わせておいて様子見をしよう。国でその事業を引き継ぐ(国営化する)だけの価値があるかどうかを5年をかけて見極めようという魂胆だった。民間の資本は損を被る可能性がある一方で、電話というメディアは儲かるということが仮に判明したら政府に横入りされるというわけだ。結果はどうだったかというと、民間による投資は当然のように手控えられることになった。1885年になるとフランス政府は自ら長距離通信網の建設に乗り出したが、設備投資の額は抑えられることになった。整備済みの電信網が陳腐化するのを少しでも遅らせようとしたのである。その4年後には民間の通信業者の国有化に乗り出した。そのような行動に出たのはなぜかというと、電話サービスの改善に向けて国を挙げて取り組むぞという前向きな決意を示すためではなく、国が独占している電信事業の土台が掘り崩されるのを防ごうという後ろ向きの懸念が理由となっていたのである。

・・・(中略)・・・

1895年の段階における電話の普及率を国別に比較すると、アメリカでは208人に一台の割合で電話機が普及していた一方で、・・・(略)・・・フランスでは1216人に一台の割合にとどまっていた。・・・(略)・・・1927年にベル電話会社は長距離電話のタイムラグは平均すると1.5分程度との調査結果をまとめているが、パリ-ベルリン間の長距離電話となるとタイムラグは1時間以上にもなったのである。

結論: 政治家がVoIP(IP電話)の規制について何か言っているようだったら上に引用したエピソードを思い出すべし。

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●Tyler Cowen, “*The Phone Book*”(Marginal Revolution, November 30, 2010)


アメリカの大統領の中でホワイトハウスの執務室に電話を初めて持ち込んだ(執務室にある机の上に電話を設置した)のはハーバート・フーバー。1929年のことである。ホワイトハウスの敷地内に電話が持ち込まれたのはさらに昔に遡る。(第19代アメリカ合衆国大統領である)ラザフォード・ヘイズが国内でもかなり早い段階で1878年に官邸内にある電信室に電話を設置したのがはじまりである。しかしながら、当初のうちはホワイトハウスにある電話が使われることは滅多になかった。(ヘイズの判断で官邸内の電信室に電話が設置された)当時のアメリカでは電話の持ち主はごく少数に限られていたからである。ワシントンD.C.にある世帯を対象として作成された最初の電話帳にもホワイトハウスの電話は登録されているが、シンプルに「No.1」(電話番号は「1」)とだけ記載されている。

先日(2010年11月に)発売されたばかりの興味深い一冊である『The Phone Book: The Curious History of the Book That Everyone Uses But No One Reads』(「電話帳:誰もが利用するが誰も読みはしないかの本の奇妙奇天烈な歴史」)からの引用だ。著者はアモン・シェイ(Ammon Shea)。


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