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ノア・スミス「どうしてみんなインフレをいやがるの?」(2021年5月27日)

[Noah Smith, “Why do people hate inflation?” Noahpinion, May 2021-05-27]

1970年代の賃金を考えてみよう.


〔「最重要問題」の主な傾向,1939年~2008年(ギャラップの世論調査)〕

いまインフレでパニックになるべきではないとぼくは思ってる.でも,インフレの話がだんだん世間の主流であらためて議論されはじめてるなかで,次の点は考えておいて損はない:そもそも,なんでインフレを気にするんだろう?

上記の世論調査を見てもらうと(出典はこちら),インフレがすすんでみんながめちゃくちゃ憤慨していたのは,だいたい1974年から1983年ごろのあいだだったのがわかるはずだ.この期間は,アメリカでインフレがほんとに高かった時期とだいたい重なる:


〔あらゆる都市部の消費者を対象に調査した消費者物価指数,グレーの範囲は景気後退期を示す〕

でも,そう言われたって,みんながこれほどインフレに憤慨してた理由の説明にはならない――それに,1970年代にみんなが政策担当者たちになんとかせぇって圧力をかけた理由も,それではわからない.一見すると,答えはわかりきってるように思えるかもしれない.「インフレが進むと,生活コストが上がってしまうじゃないの.それで困らないやつなんていないでしょうに.」

ところが,実をいうと,事態はそれよりずっと込み入ってる.理論上では,インフレがすすむとふつうの人々が抱えてる債務の負担は軽減されうる一方で,購買力は変わらない.だからこそ,昔の経済学者たちは「インフレなんて大した問題じゃない」って考えてたんだ.

お金はただの「ヴェール」? 基本理論のおさらい

以前の記事日本語版〕では,インフレの概念を定義するときに経済学者たちがなにをつかもうとしてるのかを解説した:

ひとつ想像してみよう.ある経済において,あらゆるものの名目価格が2倍になったとする.コストが500ドルだったテレビはいまや1000ドルだし,5万ドル稼いでいた人たちの収入は10万ドルになる,などなど.このとき,相対価格はまったく同じままだ.テレビを買うためにあきらめなきゃいけないピザの量も同じなら,働かなきゃいけない時間も同じだ.典型的に,経済学者たちはこの種の変化は経済の観点ではそんなに重要じゃないと考える.ぼくらの物質的な生活水準はまったく同じままで,たんに物事に割り振られている数字〔名目価格〕だけがちがってる.

この種の変化こそを,「インフレーション」の概念は捉えようとしている.ふだんの言葉づかいでは,「インフレーション」とは「実質の生活費の増加」という意味だと考えがちだけれど,経済学者にとっては,「計算単位をもてあそぶこと」にとどまらないことを意味する.

さて,インフレが本当にこういう風にはたらいていると仮定しよう.あらゆる数字が変化したとして,どれもこれも同じペースで変化しているかぎり,それを気にする人はいるだろうか? 月曜に100ドル稼いで5ドルのサンドイッチを買い,火曜には200ドルを稼いで10ドルのサンドイッチを買う――だからどうだっての?

だからこそ,経済学者たちは「お金はヴェールだ」とときに語ったりするわけだよ.いろんなモノの価格をみんなはドルで考えるけれど,ほんとに気にしてることは,1時間働いたお金でどれだけサンドイッチその他もろもろを買えるのかってことのはずだ.

そして,ときに,ほんとにそういう風になってる場合があったりする.60年代後半にはインフレが加速していき,1970年には 6% 近くにまで達した.でも,賃金も同じペースで上がっていってたんだよ.


〔青い線はあらゆる都市部の消費者を調査した消費者物価指数,赤い線は生産労働者(管理職をのぞく)の平均時給〕

それどころか,初歩の経済理論では,それこそが起こるはずの事態だと考える.インフレ率が高くなっていけば,生活コストのためにとにかく自分たちの賃上げ交渉をするはずだ.初歩の経済理論では,実質賃金,つまりインフレ調整した賃金は,労働者の現実の根本的価値を反映していて,それゆえに労働者当人が払われる金額を決定するのだと考える.もしこのとおりだとしたら――インフレ率が上がってきたときに COLA〔生活コスト〕で交渉できるとしたら――なるほどお金はただのヴェールにすぎないのかもしれない.

さて,インフレに影響をうけるのは,べつに賃金の購買力だけじゃない.貯蓄や債務も影響をうける.ローンを組んだり投資したりするときには,金利もインフレ予想に組み込まれている――物価上昇が急速なほど,名目金利も高くなる.でも,予想外のインフレ率急上昇が起きたら,融資者は貧しくなるし(なにしろ貸し付けたときの金利が低くなりすぎてしまうので),債務を抱えてる人たちは得をする(借りたときの金利が低くなりすぎるので).

というわけで,初歩的な理論では,インフレ率で実質賃金がどうかなったりしないと考える一方で,予想外のインフレが起こると借り手は得をし貸し手は損をすると考える.アメリカの平均的な世帯は,正味でお金をもっている(e.g. 抵当で)勤労者だとすると,その平均的な世帯はインフレを好むはずだ.初歩的な理論どおりなら,そうなると考えられる.実際,いまですら一部の人たちはこの推論を使ってる.

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70年代のインフレはいくつかの理由で不可解だと思う.インフレ率は実のところそんなに高くなかった.まして,「歴史的に記録的水準のインフレ率」を基準に考えたら,確実にそうだった.それに,高インフレは多くの人にとっていいことだった.学資ローンは雲散霧消したし,住宅を所有する人は急増したしね!

こんな風に物事ついて考えることで経済学者たちがとらえようとしてるのは,インフレを人々がきらう理由だ.「もしかして,現金を引き出しにしょっちゅう ATM にいかなきゃいけない手間が問題なんじゃないか」「いや,インフレ率のばらつきが問題なのかもしれないぞ」――などなど.

でも,おそらく,実はもっとずっと単純な理由があるんだろう.かつてみんながインフレを好まなかった理由は,自分の賃金が物価上昇に追いつかないからだった.

インフレ・賃金・貯蓄

さっき載せたグラフを思い出してほしい.あのグラフでは,60年代に賃金はうまくインフレの先を行っていた.70年代には,それが変わってしまう.大違いだ.

これによって,アメリカに暮らす労働者たちの実質購買力が下がる結果になった――本当に,人々が以前より貧しくなってしまったんだ.

これについては,こういう考え方もありうる――「給料を下げる結果につながると経済学者たちが考える普通の要因によって実質賃金が下がった一例なんじゃないか.」 たとえば,もしかすると石油ショックによって労働者たちの生産性が下がり,企業は実質賃金を削減せざるをえなくなったのかもしれない.

でも,他方で,70年代におきたインフレは,賃金が追いつきにくい種類のインフレだったんじゃないか,とも考えうる.60年代後半には,高い総需要が原動力になってインフレ率は押し上げられていたのかもしれない(あの時期の異例なほど低い失業率がその証拠だ).高い総需要は,賃金と物価を同時に押し上げる傾向がある.でも,70年代のインフレの原動力は,「FRB は物価引き下げの行動をとらないだろう」と人々が信じていたのに加えて石油ショックが起きたという組み合わせにあった.

さて,理論上は,そうした状況であっても,物価上昇を相殺するために賃金引き上げの交渉が労働者たちにはできる.でも……現実には交渉が無理だったとしたら? 名目賃金は下方向に動きにくい「硬直性」があるという証拠ならたっぷりある――雇用主たちが実際に賃金を切り下げるのはむずかしい.でも,雇用主たちに異例なほど一気に賃金を上げさせるのが労働者たちにはむずかしい理由があれこれとあったとしたら? この種の「上方向の名目賃金硬直性」がほんとにあると主張する経済学者たちも一部にいる.

また,なにかの要因で名目賃金の伸びが制約されている場合,インフレがすすむと人々がいまより貧しくなりうる.というか,人々がインフレをきらう理由を明らかにしようと1990年代にロバート・シラーが調査したところ,まさにこれこそがその理由なのが見出されている:

インフレーションがもたらすと人々が認識している主なコストをまとめよう.インフレに関して人々が最初に言及する懸念は,インフレによって自分の生活基準が打撃を受けるということだ.世間の人々が抱いているモデルでは,そうした効果がいかにもありそうなことになっている.そうしたモデルでは,一部の行状よろしからざる人々や強欲な人々によって物価が上昇するらしい――そうやって,賃金上昇が追いつけない物価上昇が起こると考えられているのだ.これは,悪玉による賃金硬直性モデルとでも呼べるだろうか.賃金は硬直的だと人々が考えていることは,とくに,[いくつかの]質問で得られた回答結果で支持されている.

こんな具合になると,人々は考えているわけだ.さて,名目賃金のグラフを見てもらうと,インフレはたいして賃金に影響しないように見えるのは認めざるをえない:

いかにゆるやかに変化しているか御覧いただきたい(年率データだといっそうゆるやかに見える).インフレは,70年代みたいに狂ったような変化を見せてはいない.名目賃金も同様だ――労働者たちが支払われているアメリカドルの実際の数字も,ひたすら安定してゆっくり上向きに変化してる.

じゃあ,実質賃金を見るとしよう.なんたって,そこらじゅうで語られてるもんね.インフレ率が上がるとすぐに実質賃金は腰砕けになる:

こうした期間に,労働者たちの本当の市場価値がガックンガックン変化した可能性はあるし,どういうわけか名目賃金がずっと途切れることなくゆるやかに上がり続けたってこともありうる,けれど……ただの偶然の一致じゃないかって思えるよね?

この手のグラフだけを見ていると,たしかに名目賃金は硬直的なように見える.それはつまり,インフレによって――よくない理由でインフレが起きた場合には――労働者たちの賃金と実質の購買力が痛手を受けることもあるってことだ.

「でも,債務の方はどうなの? 予想以上のインフレが起きたら,みんな債務負担が軽くなって助かるんじゃないの?」 それはね…賃金が上がってる場合にかぎられるんだよ.ふつうの人たちは,賃金で債務を返済する.賃金が硬直的だったら,インフレがすすんでも,そういう人たちの債務の価値はじょじょに減っていかない.

ところが,インフレが進むと彼らの貯蓄の価値はじょじょに減っていく.こんな場合を考えてみよう――月曜に100ドル稼いだおかげで,キミは貯金が100ドルできた.債務は200ドル抱えていて,サンドイッチは10ドルする.さて,火曜になって,硬直的な賃金のおかげでキミはあいかわらず100ドルかせぐ(貯金100ドルと債務200ドルは月曜から変わってない).でも,インフレによって,サンドイッチは20ドルになる.月曜にはサンドイッチを10コ買えた貯金が,いまでは5コしか買えなくなってしまってる.でも,債務の方はあいかわらず所得の2倍ある.つまり,硬直的な賃金のおかげで,インフレで貯蓄の値打ちは下がる一方で,債務は同じままになってるわけだよ.

言い換えると,世間の人たちがどうしてインフレをいやがるかっていうと,それはおそらく,名目賃金が上方向に硬直的だからなんだ.だとすると,上方向の名目賃金の硬直性を経済学者たちはもっと研究すべきだってことになるね.どうして生活費の増加について労働者たちが交渉するのがこんなに難しいんだろう? 労働組合がいまよりずっと強かった60年代や70年代ですら,あれほど交渉が難しかったのはどうしてだろう? ぼくらの賃金設定プロセスのどこがおかしくなってるんだろう?

この問いに答えられたら,そこを直す機会がやってくるかもしれない.そして,うまく直せたなら――物価が上がったときに労働者たちがもっとお金を払われるようにする方法をつきとめられたなら――インフレをいまよりずっと恐ろしくないものにできる.


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