ノア・スミス「ニューヨークタイムズのMMT記事は悪質な提灯記事だ」(2022年2月7日)

Noah Smith “The NYT article on MMT is really bad – The fringe ideology’s star is falling, and puff pieces will not resuscitate it-Noahpinion, February 7, 2022

"I MMT"

ニューヨークタイムズがMMTを持ち上げる長文記事を出した。その名も「勝利への階段を登る時*」だ。この記事はTwitter上にいるほとんどすべてのマクロ経済学者の怒りを引き起こしたけれど、それも無理なからぬ話。この記事は、今俎上に上がっている論点や政策議論の現状についてほとんど理解していないことが丸わかりだし、美麗字句を並び立てることで、それが占めてもおらず見合いもしない重要で中心的な位置へと異端イデオロギーを持ち上げているんだ。

MMTについて書く前にマクロ経済学者に訊いてください!

このMMTに関するニューヨークタイムズの記事はジェアンナ・スミアレクによるもので、ほとんどはMMTで一番の有名人のステファニー・ケルトンの提灯記事だ。褒めたたえるような調子で、ケルトンの服、オフィス、家、近隣地区、ブログ、話し方、身の上話等々を並び立てて、彼女を「勝利への階段の途上にある運動のスター建築家」と称している。マクロ経済学議論の背景についてはほとんど書かれていないし、それが書かれている部分も大きな疑問符がつくものだ。

経済学には、「淡水派」としばしば呼ばれる思想学派がある。これは1970年代に合理的市場と景気後退と戦うための政府介入への限定的な捉え方を採用することで、内陸部の大学で流行した一連の考えである。「海水派」と呼ばれる考えもあり、これはケインズ主義を現代流にしたもので、政府は場合に応じて経済を活性化させる必要があると主張するものだ。この考えは伝統的にアイビーリーグや海岸部にあるその他のトップスクールで支持されてきた。

イースト川に注ぐ湾からケルトン女史が広めているこの思想学派は、汽水経済学と呼べるのかもしれない。

淡水派と海水派経済学についての簡単な説明はよしとしよう。でもMMTを「汽水」、つまりは淡水と海水のある種の合体か妥協点かのように言うのは馬鹿げてる。MMTはこのどちらの学派からも着想を得ちゃいない。MMTの考え(とでも言えるようなものがあればだけど)は機能的財政論ポストケインズ主義経済学に根差したもので、ポストケインズ主義が主流派から分かれたのは淡水派と海水派に分かれるよりもずっと前のことだ。MMTは淡水派と海水派の経済学がやるような(あるいはポストケインズ主義マクロ経済学がやるような)経済の定式化した数学モデルを使ってすらいないから、これらの思想学派と比較するのはまったくもって不可能だ。政策の処方箋という観点では、MMTは政府借入について淡水派と海水派のどちらよりもずっとずっと楽観的だ。

これに続いて記事は、何がMMTと主流派の考えとを分かつのかについてもほとんど認識していないことを示している。

MMT理論家は目標のために利用可能な資源があるかぎり、目標達成のために支出を行うことができることを社会は気付くべきだと主張する。赤字支出は景気後退の時だけに制約される必要はない、これは理論の上においてもそうだ。橋を建設したい?大丈夫、アスファルトと建設労働者があるかぎりは。子供たちに無料で昼食を与えたい?それも大丈夫、食料と食堂従業員があるかぎりは。

実のところ、これは淡水派と海水派の全ての経済モデルの特徴でもある。これらのモデルは、アスファルト、建設労働者、食料、食堂従業員等々といった実物変数だけを扱っている。実のところ、こうしたモデルがあらゆる類の金融政策への注意を欠いていたことこそ、大不況の予測に失敗した原因にほかならない。

こうした経緯や、非MMTの理論、研究、考えへの言及が全くないということを踏まえると、こうした話題全てについてのスミアレクの主な情報源がケルトン自身だったことは明らかだ。記事ではハーバード大学の経済学者でオバマ政権時の経済諮問委員会委員長だったジェーソン・ファーマンが短く引用されている。

「MMTは元より取るに足らないものだった」とハーバード大学の経済学者であるジェーソン・ファーマンは述べ、彼の考えでは、ほとんどの政策決定者と有力な学者はもはや無視していると指摘する。パンデミックにおける政策が、支出に対して支払う必要はないとの考えを事実上採用したにしても、彼に言わせればそうした考えはケインズ主義でもあるという。

それにMMTの連中は、FEDの役割を認めない一方で、どうやってインフレを抑え込むかについて明確かつはっきりとした実用的な考えを示していないとファーマンは主張し、「偏見無くMMTを見てみると、より一層信用ならないと思うようになるよ」と付け加えた。

でもMMTとケインズ主義の違いのポイントをケルトンがてんで説明できてないとファーマンが言ってるのに、このニューヨークタイムズ紙の記者はそこを一切深堀りしない。彼女はMMTがほかの類の経済学思想と実際のところどう違うかを明らかにしようとは一切しない。ほかのマクロ経済学者の引用も全くない。

このことは重要だ。というのも、MMTの実際の中身に取り組もうすると、興味深いことにそんな中身なんてものがないことにすぐ気づくからだ。MMTの有名人は、経済がどのように動くと考えているかについて、自分の考えを正確かつ具体的に説明することをほとんどいつも拒否する。彼らは政策処方箋を一揃え提示するけれど、そうした政策処方箋はMMTの有名人自身に尋ねなければ明らかにならない。モデルが一切ないからだ。方程式やきちんと定式化された主張もないから、導師に直接助けを求めないことには一般信徒はMMT政策処方箋を自分自身で生み出すことが出来ない。

MMTの文献に真剣に取り組もうした経済学者の全てが同じことを言ってる。フランス銀行のドルメッツ・フランソワーズとフィステル・クリスティアンがケルトンの本を読んでMMTの神髄を掴もうとしたとき、彼らの結論はこうだった。

全体として、MMTは時代遅れの経済学アプローチに基づいていて、MMTの意義は純粋な経済理論というよりは政治マニフェストのようだ(略)Hartley (2020)が指摘するとおり、MMTは「反証可能な科学理論ではなく、むしろ進歩的な目的を達成するための無制限の政府支出の正義と実現可能性を信じる人たちによる政治的・倫理的な主張である」

MMTを分析したワーキング・ペーパーで、経済学者のジャコモ・ロンディナは次のように書いている。

私が思うに、MMT研究者の大きな功績は、厚生、豊かさ、社会正義が最後にはすべての人の手に届く社会を約束するというリベラルなナラティブを押し出すことで、経済政策に対する「その財源は?」という防衛線に大きな亀裂を入れたことだろう。彼らの努力は尊敬するし、称賛を送りたい。

それと同時に、MMTの学術文献を読んだところでは、MMTは純粋に興味を抱いている主流派経済学者や政策決定者を説得しうるような政府介入のマクロ経済学に関する完全に一貫した理論を提示できていないように見える。私の知る限り、関係する経済主体の行動による反応を考慮しつつ、価格決定の透明性あるメカニズムを特定した上で、公共部門の赤字(民間部門の黒字)が厚生改善となりうるはっきりとした仮定と明確な結果を示した研究はない。結果として、MMTを「隙間から覗き見ている」マクロ経済学実践者の多くは、これがどのような仕組みで動くかの理解にいら立ちを覚えざるを得ないのだ。そのせいで建設的な進展をするための共通基盤を見つけるのが困難になっているように思う。

一方で、ポストケインズ主義マクロ経済学者のトーマス・パレ―は、MMTの文献についてかなり詳細な批判を何年にもわたっていら立ちながら書いてきている。正統と異端を分かつ壁の異端側に寄って立つ人で、正統派のモデルや仮定に全く拠らないMMTの批判的分析を読んでみたいのであれば、パレーの論文を読むことを強くお勧めしよう。

ほとんどのMMT批判は経済が実際にどのように動くかについての考えを具体的に記述できてないことを指摘する。ごくまれにそうした記述がなされることもあるけれど、そうした場合にはMMTの有名人は自分が話している概念すら理解していないんじゃないかと真剣に疑わしくなってしまう始末だ。例えば、2019年に僕はきちんとしたモデルを入れたMMTの論文を見つけたんだけど、しっかり検討してみると、A)モデルの過程がかなり馬鹿げたもので、B)その政策処方箋は植民地化されたアフリカの強制労働に明らかに基づいていた。一方スコット・サムナーがMMT文献を読んだ際には、彼らの「貯蓄」の定義は標準的な定義と全く違ったもので、実のところほとんど理解できないようなものだったことが分かった。

なので、MMTの人たちが経済をモデルに落とし込まないのは彼らにはそれができないからなのかもしれない。フランソワーズも、クリスティアンも、ロンディアナも、パレーも、他の人たちも、MMTは経済がどのように動くかの理論というよりは、赤字支出を増やすよう主張する政治的ミームの集まりだと結論づけているからだ。

スミアレクがMMTの一番の有名人から直接情報をとるのでなく、MMTについてもっと深く検討していたら多分このことに気づいてただろうね!

MMTとインフレ

スミアレクの記事には、とても穏当かつ気を使った上でMMTへの懐疑の余地も残している(なのでタイトルにアスタリスクが付いてる)。この懐疑はこれまでに書いたような基本的な問題点じゃなく、MMTがインフレについてほとんど何も言っていないことへの不安に基づいている。

悪いニュース:一部の経済学者は、現在の急速な価格の上昇はパンデミックにおける大規模支出のせいだと非難している。政府は最新の消費者物価指数データを今週発表予定だが、1982年以来最も急速なインフレが進行中であることが示されると見られている(略)

インフレ率が上昇するにつれ、MMT理論の「勝利」を宣言する見出しにはいくらかの注意書きが必要になっている(略)主流派でもMMTでも、多くの経済学者は2021年3月の財政支出パッケージがインフレを引き起こすものだとは考えなかった(略)

ワシントンでは、(MMTの)一連の考えは明らかに揺り戻しを受けている。赤字への心配が復活した(略)「議会はMMTの「実験」をしたのか、このインフレの上昇はMMTの「失敗」を意味するのか」との疑問が出ている。

でも最後のところで、この記事はこうした懸念を払しょくしているのだけれど、それはステファニー・ケルトン個人の信念の力以上のものじゃない。

MMTの実験は失敗したのだろうか。「その答えは」とそれは太字で宣言している。「間違いなくノーである」と。

自分自身でナラティブを作ることができるのに、他人任せにすることなどあるだろうか。

僕の心に浮かんだ真の疑問は、なんでニューヨークタイムズはMMTの擁護者にナラティブを作るのを全任せしてるんだろうかということだ。

事実なのは、MMTはスターが既に地に落ちているミームで、それはほとんど間違いなくインフレが理由だってことだ。MMTについてのGoogle検索は2021年6月以降落ち込んでいる。

関心が高まったのは2019年に当初のグリーン・ニューディールの起草者たちが新たな支出すべてについて支払い手段を示さないことを正当化する理由としてMMTを使ったときで、その後、思想の左右を問わない経済ライター達(バーニー・サンダースの運動に密接に関係した強硬な社会主義者も含め)が、世界に対してこの考えへの警鐘を発するために立ち上がったことで関心は落ち込んだ。サンダースはおそらく既にケルトンと袂を分かっているし、このひと悶着の後、アレクサンドラ・オカシオ=コルテスとその仲間たちもこの考えを擁護しなくなった。

でもMMTの潜在的な害、つまり際限のない赤字拡大がハイパーインフレを引き起こしかねないことへの経済ライター達による警鐘は、この時はちょっと行き過ぎだったように思う。インフレ率はまだとても低くて、2009年の財政刺激と何回もの減税にもかかわらず低いままだったからだ。金利が上がったのは2020年にコロナ対策支出が爆発的に増えたときだった。

その後2021年春になって、過去数十年見たことのないレベルまでインフレ率が上がり始めて、その夏までにはこれが単なる一過性のものでないことが明らかになってきた。

このインフレ率の上昇はサプライチェーンの非効率さと混乱のせいで拍車がかかったけれど、ある程度まではコロナ対策支出とFEDのとてつもなく緩和的な金融政策によって促されたものであることはほとんど間違いない。このことは総需要には限界がある、つまり財政政策や金融政策で経済を大きく押し上げられるのは、費用が生じ始める前までだけだということを思い出させるものだった。(こうした費用は、正統派マクロ理論が言うように、政府の資金調達とは全く関係なく、経済の実物的制約、すなわち利用可能な実物資源の限界によるものだ)。

MMTはもっと多くの赤字支出を主張するための一揃えの政治ミームであると正しく認識しているほとんどの人にとって、このインフレはMMTそれ自体への熱を冷ます理由になる。僕らはとうとう限界に到達してしまったみたいだ。財政緊縮や金融政策のどちらかあるいは両方を支持する人たちは、アメリカがこれまでとってきた政策を示す簡略記号として「MMT」を使い始めている

もちろんMMT支持者たち自身はそうは考えてない。彼らは実際に勝利への階段登ろうとした。でもそれは何につけても彼らが常にやることだ!コロナ対策がインフレを生み出すには至らなかったら、彼らは勝利の階段を登り始めてただろう。アメリカ政府債券の金利が上がって、経済活動の縮小を引き起こしてたら、彼らは勝利の階段を登り始めてただろう。Fedは金融政策を使って金利を下げるべきだったって主張しながらね。たとえアメリカ政府が自国債務のデフォルトをして経済を混乱の中に投げ込んだとしても、MMTの人たちは勝利の階段を登り始めていただろう。これは間違いだって主張しながらね。

つまり、この宇宙においてMMTの人々が勝利の階段を上らないなんてことは考えもつかないことだった。彼らは一日中、雨が降ろうが晴れてようが、いつも勝利の階段を上るんだ。具体的で反証可能な理論の代わりに反証不可能なミームの複合体を持っていれば、自分の考えは間違いないと主張するのは簡単だ。その考えは役に立たないに違いないけど。

でも世界のそれ以外の人たちにとって、インフレは今よりも多くの赤字支出を常に支持するMMTに懐疑的になるいい理由になった。それによってMMTのスターに陰りが見え始めた。このニューヨークタイムズの提灯記事は、下降を始めた運命を再び甦らそうとするMMT連中の試みだ。この試みは失敗に終わりそうな感じだ。ジェーソン・ファーマンが最近スレッドに書いていたように、MMTが自分たちの教義に帰依するようアメリカの左派政治家すら説得できなかったことは、彼らの将来をなにがしか匂わせている。

(訳:MMTが政治システムに比較的影響ないことに驚いた。たとえばバーニー・サンダースとエリザベス・ウォレンの二人とも自分たちの支出策について財源を提案している(数字が加算されたかは別問題)。)

つまるところ、主要紙に載った提灯記事も激しいツイッターバトルも実際の政治には大きく影響はしないんだ。MMTの人たちは経済理論っぽく聞こえる言葉で人々の目をくらます夢見がちな新たな擁護者を見つけ続けるだろう。それにソーシャルメディア上でちょっとした怒りが発生すると、それに逆上して敵意にまみれた攻撃が少数ながらとても活発なMMTのソーシャルメディア軍から巻き起こるだろう。そこに至って新たにMMTに熱中した人たちのほとんどは、そこは「そこ」じゃない、つまりは彼らが単なる注記に過ぎないと思った問題こそ実際は問題のすべてなんだって気づいて、静かに距離をとることだろう。

(訳:@Noahpinion MMTを見つけて、ケルトンの本を読んだりしてとても興奮したんだ。しだいに、とてもゆっくりとだけど、的外れどころか現実の的ですらないことに気づいたよ。)

締めくくりとして、アメリカのマクロ経済政策に対する恐るべき脅威はMMTからやってくるのではなく、今この瞬間においては緊縮の再来からくるものでもないってことを指摘しておくべきだろう。それは価格統制支持者からやってくるんだ。一部の、主流派であることは疑いようのない経済学者、テキサス大学オースティン校のジェームズ K.ガルブレイス、ルーズベルト研究所のトッド・タッカー、ルーズベルト研究所のJ.W.メイソンとローレン・メロディアたち、この4人以外にもまだまだいるけど、彼らはインフレ対策の手段に価格統制を追加するよう主張している。その道具に効果があると考える理由なんてほとんどないoptical_frog氏による和訳)ことを理論と歴史の両方が示しているのにも関わらずだ。実際、金融・財政政策に基づく需要コントロールレジームから価格統制と産業への直接介入に基づく体制への移行は、ベネズエラのチャベスとマデューロの下で起きたように制御不能なインフレを引き起こしてしまう。バイデン政権は今のところ価格統制に乗り出してはいないけれど、インフレを有力企業の正だと非難しようとしていて、政権の人たちがそうした考えを持っていることを匂わせている。

だからMMTについて議論するのは爽快感を生むかもしれないけど、それによって権力の中枢に入り込む可能性のあるそれ以外のたちの悪いマクロ経済的考えに抵抗する必要性から目を離すことがあってはならないんだ。

追記:この記事を読んだツイッター上のある人が、そもそも政府債務の規模は重要だと考えているのかと聞いてきた。そう、あるひとつの理由によってこれは重要だ。その理由は財政支配と呼ばれるものだ。政府債務のストックが多いと金融政策が制約される。というのも、インフレを抑制しようと中央銀行が金利を上げようとすると、国家債務のうち借り換えをする部分について財政当局(アメリカの場合は議会だ)が支払うべき利子の額も必ず上がってしまうからだ。財政手段を通じてより高額の利払い費用を支払うには緊縮が必要になり、それは経済にとってとても悪いことだ。もう一つのありうる政策は政府がデフォルトをすることだけど、これも経済にとってとても悪いことだ。つまり、大量に積み重なった政府債務は中央銀行に手枷をはめてしまい、必要な時にインフレに対応する能力が低くなってしまう。デビッド・アンドルファットはセントルイス連銀に向けて書いた最近の小論でこのことを説明してる。いずれにせよ、こういったことは経済について実際に紙に書き下ろすことのできる理論を持つことの重要性を示している。アンドルファットはそうした理論を持っていて、だから彼は金融支配がどのようにして問題になるのかを人に説明できる。MMTの人たちは、明確であいまいさのない用語で理論を書くことがないから、彼らが言ったことが全てとなってしまうんだ。

追記その2:このニューヨークタイムズの記事を書いたジェアンナ・スミアレクがツイッターでこの記事に反応している。

(訳:@Noahpinion この記事はマクロ経済学者がMMTについてどう考えてるかについて文献をレビューしたものじゃない。あれはMMTの主張の多くがインフレの予測に拠って立っている中で、インフレを予測するのが信じられないほど難しいことが分かったという事実についてMMTがどう取り組んでるのかに関する特集記事よ。)

でも僕が思うにそれこそ問題の全てだ。MMTのような考えについて、それをある程度評価しないできちんと書くことはできない。何人かのウイルス学者に電話してワクチンは本当に効果があるのかと確認する手間すらかけずに、有名な反ワクチン主義者を聖人化するような英雄譚を書いたらどうなるだろうか。そんな記事を書いたら世界に対して間違った情報を与えてしまうだろう。このMMTの記事がやったのはまさにそういうことだ。この記事は、MMTになにか実質的な功績があるのかについてきちんと取材もせず、MMTがどうやって世界と交わったかというナラティブを述べている。それはニューヨークタイムズの読者に間違った情報を与えるものだと思う。(ところで、最初にこの記事を書いたときにジェアンナの名前をタイポしてしまった。それについてはごめんなさい。)

追記その3:Axiosの記事が、僕がMMTを批判したのはケルトンが女性だからだって断言した上に、リサ・クックがFRB理事候補になったことへの最近の批判に僕も関係していると文字の上から匂わせている。実のところ、僕は(ブラッド・デロング)とても優秀なリサ・クックを誹謗中傷する全ての人に対して彼女を強く擁護するポッドキャストのエピソードをちょうど配信したところだ。というわけで彼らはさっさと記事を更新してこのことをはっきりさせてほしい。僕がMMT、その代表的な有名人のほとんどは実のところランダル・レイ、ウォーレン・モズラー、ビル・ミッチェル、ネイサン・タンカス、ローハン・グレイのように白人男性だけれど、を批判したのはケルトンが女性だからじゃない。MMT事態が反証不可能な似非理論で、それに見合わない政治的影響力を求めて画策しているからだ。実際、経済学にはセクシズムの問題はある。僕が何度何度何度何度も書いてきたとおりだ。でもMMTに過ぎた信用と権力を与えることはこの問題の解決にはならないと保証しよう。真剣でとても能力のあるリサ・クックみたいな女性経済学者こそ解決策のひとつだ。

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