ノア・スミス「同質性にいざなうセイレーンの歌」(#4)

[Noah Smith, “The siren song of homogeneity,” Noahpinion, April 30, 2017]

〔数回にわけて掲載しています.前回はこちら

同質的な社会に暮らしてみたぼくの経験

いつもこのブログを読んでくれてる人なら知ってるとおり,ぼくは日本に暮らしたことがある(合計で3年半くらい).もちろんぼくは日本人じゃないけれど,日本暮らしの経験で,日本の人たちがどんな風に暮らしてどんな風に考えるのかずいぶんわかった.おかげで,間近で見た同質的な社会のいい具体例を少なくとも1つは観察できたわけだ.

第一に言っておきたいのは,もしも「日本人はみんな同じ民族だから仲間意識や一体感を共有しているんだろう」と思っているなら,考え直してみてほしいってこと.日本は同質だから大半の日本人にとって民族はまるで顕著な事柄になっていない――日本人がべつの日本人に出会っても,「日本人だ」とは思わない.たんに「人だ」と思うだけだ.民族的なアイデンティティがまるで意識されていない.

このため,民族的な同質性は日本の日常生活にほんのわずかしか連帯感をつくりだしてはいない.日本人は総じてよそ者との会話を切り出すのに躊躇しがちだ――人種がちがうアメリカ人どうしが会話を切り出すときよりも用心深いように思う.私人どうしで略式の取引をする Craigslist みたいなサービスは,めったに利用されていない――日本人に「どうしてなの?」と質問してみたら,「あかの他人は信頼できないからね」という話だった.日本人のなかには,「日本人どうしで話すよりも外国人と話す方がはるかに気後れしない」と語った人たちもいた.

多くのオルト右翼白人が他のオルト右翼に覚える民族的な連帯感は,少数派に特有なんじゃないかとぼくは見ている.いつも圧倒的な多数派の一員として過ごしている人たちは,そんなに民族性について考えたりしないので,なんらかの連帯をつくりだすこともないんだろう――外国との戦争みたいな極端な状況を例外として.

いろんな調査研究が,この直感を裏付けている.これまでずっと,日本は対人信頼度が相対的に低いと報告されている――最近まで,アメリカよりも大幅に低かった:

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【▲「たいていの人は信頼できる」と思うか尋ねた調査結果.上が日本で下がアメリカ】

ここで留意点が1つある.低いのは信頼であって,実際に信頼できるかどうかは別物だという点だ.概して,ぼくがこれまでに会った人たちのなかで,日本人はきまじめなまでに抜群に正直な人たちだ.道を歩いていたら,年配の女性が追いかけてきたことがある.ぼくが落とした1円玉を手渡すためにだ.道にけっこうな額のお金を落としてしまったときなんて,落としましたよと教えてくれたのはヤクザのボディガードだった.日本人は総じて大いに信頼できる.でも,だからといって日本人どうしがお互いを大いに信頼することにはつながっていない.

都市部の日本人も,「近隣でのつきあい」の伝統をほとんど持ち合わせていないようにぼくには思える(小さな街だと事情はきっと違うだろうけれど,日本はすごく都市化がすすんだ国だ).ご近所さんに「こんにちは」と言う人たちはめったに見かけない.ぼくの知ってる日本人はご近所さんにあいさつする人だったけれど,変人だと思われていた.

こんなわけで,同質的な社会なら人々は路上で挨拶するし同じ人種だから仲良しになると思っている人は,考え直してみるといい.

ただ,日本の文化には不文律もかなりあって,ほぼ誰もがそれにしたがっている.そういう不文律には,会話の規則も含まれる――かの有名な日本の「丁寧表現」だ.仕事に関する不文律もある――有名な日本の「企業文化」だ.レストランやお店でのサービスに関する規則もあるし,他にもいろんな規則がある.

ときに「順応性」と誤解されているこうした規則は,多様なアメリカでは誰もに当てはまる規範になりにくい.外国人や,国内の他の地域から来た人たちは,規則がまるでわからないかもしれない.それに,特定の民族的背景をもつ人たちは,他の民族的背景をもつ人たちによるそうした規則にしたがう圧力を受けるのを恨めしく思うかもしれない.どんな社会規範であれ,それにしたがう人が少ないほど,じぶんがしたがうインセンティブは弱まる.

こうして見ると,日本は同質であることで,みんなが日々かわすささいなやりとりが〔アメリカよりも〕少しばかり予想しやすくなっているように思える.

政治の方はどうだろう? 日本は長らく一党支配(自民党) が続いていて,伝統的に政治は与党内のいろんな派閥をとおして行われている.一党支配をもたらすいろんな原因の1つに同質性があるのは,ぼくの頭のなかではほとんど疑問がない――野党の中核を形成するほどの民族的少数派はいない.

これはどういう結果につながっているんだろう? 日本の政治が機能不全を起こしているのはよく知られている――債務は制御不能になっているし,利益誘導型政治がはびこり,慢性的に指導力が不足している.この点は,今日と同じくらい第二次世界大戦前の日本にも当てはまる――30年代の日本は頻発するクーデターの試みにさいなまれ,多方面での破滅的な戦争へとはまりこんでいった.今日,日本政治の機能不全は,無駄な政府支出と必要な経済的改革の妨害というかたちをとって現れやすい.

ただ,ここで留意しておくといいのは,他国とちがって日本は「ポピュリスト反動」を経験していないという点だ.安倍晋三はまぎれもなくナショナリストの指導者で,しかも責任感ある指導者だ.日本にもたしかに存在する少数派に対する人種差別が噴出すると彼はすぐさまこれを鎮めにかかったし,総じてかなり進歩的な政策目標をもっている.また,全体として日本人は(これまでのところ)安倍にかなり満足している.安倍は,トランプやルペンやエルドアンやチャベスのような人物像からかけ離れている.だから,同質性が日本政治に安定化効果をもたらしていて周期的に狂気が噴出するのを妨げている一方で平時にはたしかな反対勢力がいないために機敏さに欠けている,ということはありうる.

犯罪について言えば,日本が抜群に安全な国だというのは誰もが知っているとおりだ.日本に暮らしたことがない人たちには,この国の安全さはどうしても理解しづらい――主要都市で夜中に10代の女の子が制服姿で通りを出歩いても,まるっきりなんの恐れも抱かないでいいなんて,暮らしてみないとなかなかピンとこない.同質性のおかげで,日本はこんなにも安全なんだろうか? これはどうともいえない.アメリカでは,移民は――たいていは白人でない移民が――犯罪を減らす傾向にある.とてつもなく多様なニューヨークシティとロサンゼルスは,アメリカでもとりわけ犯罪の少ない都市だ.また,日本にもほんのわずかながらとても多様な地域があって,そこもかなり安全だ.こうして見ると,ぼくの直観としては,日本を安全にしている秘訣は同質性とはちがう要因のような気がする.でも,本当のところはわからない.

全体として,日本に暮らしてみた経験からなにか結論を引き出すとすれば,同質性には長所も短所もあるけれど,突き詰めるとよいのかわるいのかははっきりしない.これまでぼくが訪れた土地のなかでも,日本は最高にすばらしくてすてきな土地の1つだけれど,同じくらいすばらしい他の土地には,バンクーバー,オースティン,サンフランシスコのベイエリアみたいな多様なところもある.

(余談.かりにぼくが政策立案する立場なら,日本には大量移民を受け入れないよう推奨する.日本の社会は大量移民にうまく対処できるかもしれないし,できないかもしれない――でも,うまくいってる現状に余計な手出しをする必要はないだろう.ただ,同時に,これはアメリカやカナダが多くの移民を受け入れるよう推奨する理由でもある――日本とはちがうかたちでぼくらはうまくいっている.ともあれ,これはぼくの直観だけど.)

#5 に続く

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