ピーター・ターチン「実質賃金の上昇が止まった理由Ⅲ:非市場影響要因の代替値」(2013年4月11日)

前回までの一連のエントリで、なぜ実質賃金は1970年代に上昇が止まったのか、そして労働需要と労働供給の長期の動向はこの疑問に応えることができるかどうかを問うてみた。このエントリでは、経済的影響要因より定量化が困難な「経済の領域外」(非市場)の影響要因に目を向けてみたい。

非市場的影響要因は、実質賃金へ潜在的に影響を与えている、多量のメカニズムから成り立っている。1つ挙げるなら、国家の経済統制(一部の人に言わせれば、国家による干渉)を起因とする政治的要因である。様々な関係者間の権力勾配の存在が影響をもたらしている。政治・立法的環境が労働組合に有利ならば、労働者は雇用者と団体交渉が可能になり、権力を得ることになる。逆の場合は、雇用者が優勢となる。

さらに、人間は完全な合理的行動主体ではない――合理的行動主体から程遠いほどだ!(神に感謝)。善悪についての我々の考え方は、売り買いの意思決定に影響を与える可能性があり、実際に影響を与えている。労働は、文化的態度――社会の規範と価値観――が特に重要な商品の一つだ。

最後に、これらの政治的・文化的影響要因の全ては、複雑に絡み合っている。労働賃金がどの水準だと「公正」なのかの考えは、統治に携わっているエリートが、労働組合を支持する意図を持っているのか、それとも抑圧する意図を持っているかに伴って変化するだろう。文化的影響要因(私はここでは包括的な分類として“文化”使っている)は、労働の需要・供給の領域にも波及する。例えば、世論は移民の流入を支持するかもしれないし、反対するかもしれない。これは、労働供給の動向に明白に影響をもたらすことになる。女性が働くことが適切かどうかについての考え方は、労働力人口に女性が参入する公算に影響を与えるだろう。

多くの要因が互いに影響を与え合っているこの複雑性を、どう扱えばよいだろう? 私のやり方は、可能な限り単純な単一のモデルから始めるべきである(ただアインシュタインの有名な言葉にあるように「単純にしすぎてはいけない」)、というものだ。社会と文化の傾向の変化を最適に把握するための「代替」変数を1つ探し出して、うまく機能しているか観察してみる。もしその代替変数がうまく機能していなければ、他のものを試してみよう。

この考察をもっと具体化してみよう。アメリカ労働史の文脈において、(広い意味での)「文化的」影響要因は、時には賃金の上昇を後押しすることもあれば、時には押し下げることもあった。例えば、大恐慌期初期には、労働者の賃金を下げるべきではない、との幅広いコンセンサスが政治・財界のエリート間に存在していた。1929年12月にフーバー大統領は、財界の主要構成員400人に、賃金をカットしないよう要請する演説を行った。主導的な財界首脳は1929~30年に、利益を犠牲にしても賃金を維持すると誓約し、大統領の要請に応じている。この結果、実質賃金は1929年から1941年の間に、物価の下落も相まって、極めて急速に上昇することになった。

一方、第二次世界大戦中には、何百万人ものアメリカ人が徴兵され、海外戦地に派遣された。労働供給は(多くの女性が初めて労働力人口に参入することになったにも関わらず)下落することになった。同時に、戦時需要は巨大に膨れ上がっている。この期間中、労働賃金は上昇したが、労働需要と供給に応じた純粋な経済学的な影響要因で促進されたと推計した場合より相当に低くなっている。この理由は、政府が(1942年にルーズベルト大統領によって創設された国家戦争委員会を通じて)積極的に労働争議に介入し賃金上昇を抑制したからだ。

全体的に、ニューディールから偉大な社会 [1]訳注:1965年にリンドン・ジョンソン大統領によって打ち出された政策構想。 までの期間は、政府が労働組合を優遇し、組合の組織化を抑圧するために設計された様々な商慣行に打ち破るために、法規制を行っていたことに特徴がある。その結果、労働者の組合員割合が増加した。全国労働関連法(NLRA) [2]訳注:労働者の団結権や交渉権が認められた法律。 が可決される1935年以前だと、労働者はわずか7~8%しか組合に加入していない。1945年には、組合加入割合は25%を超え、1960年代後半まではこの水準で上下している。

〔上記図は〕労働組合の動態である。曲線は、1930~2010年の期間、労働組合に加入していた労働者の割合を示したものだ。棒グラフは、1951~2007年期間、労働組合選出選挙 [3]訳注:労働者が産業別労働組合に加入して、組合の役職を決める選挙活動等に参加すること に従事していた組合支持の労働者が不当解雇された割合を示したものだ。出典: union coverage (Mayer 2004), supplemented by BLS data; illegal firing (Schmitt and Zipperer 2009).

1970年代には、労働組合の加入率は低下を始めている。現在は12%台だ。民間部門の組合員数の減少はよりいっそう明確であり、1950年代の35%から2008年には7.6%になっている。

この組合加入率の低下に関して、様々な研究解釈が提示されている。最近シュミットとジッペラーは、この様々な先行研究の解釈をまとめて、拡張した研究を2009年に論文として発表している。この論文では、組合加入率の低下の最重要な要因は、企業が組合結成を阻害する活動に取り組むことである、とされている。企業による組合活動を無効化する手段の一つとして、NLRAでは違法とされている、組合員贔屓労働者の解雇処置がある。組合選挙活動中に、雇用者が〔労働者を〕分裂・威圧させる戦略として不法解雇を行った頻度は、1970年代に増加し、1980年代初期にピークに達している。この時期には、組合の組織化活動のおよそ1/3が、不法解雇によって毀損されている(上図の棒グラフ)。

組合加入の低下が、賃金の低迷に寄与しているかどうかについては、経済学者の間ではコンセンサスが得られていない。労働組合は組合加入の労働者の賃金を間違いなく(推定で平均10~15%)引き上げている。一方で、労働組合は組合非加入労働者から組合加加入労働者へ賃金を分配しているだけで、実質賃金全体への影響は取るに足らないと、経済学者のほとんどは信じている(これは例えば、ポール・サミュエルソンとウィリアム・ノードハウスによる影響力がある経済学の教科書で主張されている)。この評価が正しかろうと、なかろうと、アメリカのエリート層の労働組合(そしてより一般的には労使協調)への社会的意向は、1970年代に激変したのは紛れのない事実である。

この〔エリート層の社会的意向の〕転換や、その有力な原因については、このエントリでは説明しないつもりだ――代わりに、イオンマガジンのわたしの論文を読むことを薦める。手短に説明するなら、1970年代後半に、新しい世代の政治家や財界首脳が権力の座についたことだ。1980年のロナルド・レーガンの大統領選出と「レーガノミクス」の始まりは、この転換の最も目に付きやすい象徴的な政策表明だが、実際の文化的な変化はその数年前に起こっている。リチャード・ニクソン大統領の政策は、リンドン・ジョンソン期の「偉大な社会」政策を引き継いだ一方で、ジミー・カーター政権下での政策方針は、後のレーガン政権期と非常に似通ったものだった。

この文化的な情勢変化の最適な証言はおそらく、全米自動車労組(UAW)のダグラス・フレイザー会長が労使団体に宛てた有名な辞表だ。

アメリカの産業界、商業界、金融界のリーダー達は、過去の成長と発展に期間に存在していた、壊れやすく・非成文化されていた協定を破って廃棄しているのです。

すると、この文化的な転換を(統計的に分析するのに必要な)数値として把握するにはどうしたらよいのだろう? どんな種類の代替値が使えるのだろう?

別の図表を参照してみよう。最低賃金の動向を示している――賃金と所得の低迷に関する議論を追ってきた人なら誰でも知っている。

緑色の曲線は実質最低賃金の変動を追いかけたものだ:最低賃金の名目額が増えると曲線は上昇し、インフレによって実質価値が毀損されると曲線は下落する。茶色の曲線は、平滑化した全体的動向を描いたものだ。1960年代後半までは全般的に増加し、その後1970年代から1980年代には減少している。

実質最低賃金の平滑化した動向は、我々が探している文化転換という定量化するには難しい変数の素晴らしい代替値である、と私は提唱したい。最低賃金はどのようなものであるべきだろう? 最低賃金で保障すべきは、必要最低限な生活費まで? それとも日々の生計費まで? それよりさらに保障すべきなのか? この争点に対する文化的態度は、地域によって異なり(例えばインドとノルウェーは対極にある)、時代によっても異なっている(アメリカ人が19世紀に受け入れてていたものが、今日では受け入れられないかもしれない)。さらに、この代替値の実質価値は、相対する2つの影響要因が争う政治的プロセスによって規定されている。1つ目の影響要因は、インフレよりも最低賃金を速く上げさせたものだ。これはニューディールから偉大な社会の期間には優勢だった。2つ目は、対立する影響要因だ。こちらはインフレの結果として最低賃金を低下させたもので、1970年代後半に優位に立っている。

主要な点は、実質最低賃金の現在の価格は、政治・経済・文化的影響が複合した結果として決まっていることだ。これは、我々が定量化しなければならない変数において、有力な最適代替値になっているように思える。さらに最適なのが、我々が狙いを定め、モデル化し、理解しようとしている数〔実質賃金指数〕と同じ単位(インフレ調整後の単位労働時間当たりのドル換算)として既に表されていることだ。

強調しなければいけないが、私は、最低賃金の総賃金への直接的な影響については論じていない。私は最低賃金を、複合的な非市場的影響要因の代替値として扱っている。最低賃金は総賃金に、ほとんど直接的な影響力がないと確証できる複数の論拠がある。最低賃金はアメリカの総人口の小さな割合にしか影響を与えていない(多くの州が、最低賃金を連邦政府の水準以上に設定しているため、影響はより小さくなっている)からだ。

ここまでで、我々は全ての定量化された構成要素――1人当たりのGDP、労働需要/労働供給の比率、非市場的影響要因の代替値を入手した。次の手順は、この3つの要因が実質賃金の動向に及ぼしている影響を統計分析で全てまとめてみることだ。

続く

〔アイキャッチ画像引用元
A Proxy for Non-Market Forces (Why Real Wages Stopped Growing III)
April 11, 2013
by Peter Turchin
labor, norms, structural-demographic〕

References

References
1 訳注:1965年にリンドン・ジョンソン大統領によって打ち出された政策構想。
2 訳注:労働者の団結権や交渉権が認められた法律。
3 訳注:労働者が産業別労働組合に加入して、組合の役職を決める選挙活動等に参加すること
Total
3
Shares
0 comments

コメントを残す

Related Posts