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フランシス・ウーリー 「聖金曜日に考えたこと」(2011年4月22日)

●Frances Woolley, “Musings on Good Friday”(Worthwhile Canadian Initiative, April 22, 2011)


本日は聖金曜日。キリスト教の慣わしである四旬節(レント)〔日本語版のウィキペディアはこちら〕――断食ないしは償いに励む期間――の最終日だ。かつてのヨーロッパでは、四旬節の間は畜産物を口にしないのがしきたりとなっていた。

四旬節の最中に口にされずにいる畜産物は、イースター(復活祭)に食される代表的な料理(食べ物)の素材となる。四旬節の最終日である本日は、ホットクロスバン――スパイシーで、フルーティーで、甘いパン――を食卓に準備して祝うことになる。その一方で、四旬節が始まる前には、パンケーキが食卓に用意されて祝われたことだろう。ホットクロスバンにしても、パンケーキにしても、まったく同じ機能を果たしている。四旬節の間は口にできない、あれやこれ――バターや卵、ミルクなど――を使い切るという機能を果たしているのだ(「マルディグラ」――謝肉の火曜日――の起源は、四旬節に入る前の火曜日に、肉類が食べ尽くされてしまっていたことに求められる)。

晩冬から早春にかけての時期に断食期間を設けるというのは、名案と言えるかもしれない。その理由を説明するのは容易い。四旬節の最中に卵を食べずに我慢することで、イースターにはチキンが食べられるようになる。断食=強制的な貯蓄(ないしは投資)の一種、というわけだ。食材が不足しがちな時期に断食を促す社会規範というのは、トウモロコシの種なり、種芋なりであったりに、手を付けさせないようにする機能を果たしていると言えるのかもしれない。

個人的な話になるが、今年の四旬節は、何も食べずに我慢するということがなかった。聖木曜日〔日本語版のウィキペディアはこちら〕――施しが与えられる日――も、気付いたら、いつの間にか過ぎ去っていたものだ。

物質的な豊かさに囲まれているというのは、素晴らしいことだ。飢えを耐え忍ぶ必要がないというのは、素晴らしいことなのだ。

しかしながら、ふと疑問に思うこともある。40日間にわたる緊縮生活(質素な日々)を乗り切った暁に食するホットクロスバンというのは、一体どんな味わいがするのだろう? 四旬節に食事を節制するという慣わしから足を洗った現代人は、空腹の末に口にするホットクロスバンの味の他に、何を失ってしまったのだろう? そんな疑問が頭をよぎるのだ。


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