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ブラッドフォード・デロング「大衆政治と『ポピュリズム』:『長い20世紀の経済史』抜粋」(4/6)

[Bradford DeLong, “Mass politics and “populism”: An Outtake from “Slouching Towards Utopia: An Econonmic History of the Long Twentieth Century,” Grasping Reality with at Least Three Hands, August 09, 2018]

5.2.4: シカゴランド(シカゴ都市部): では、最前線で政治と経済はどう相互作用したのだろうか?――第一次世界大戦以前の世界でどこよりも急速に成長し工業化を進めていた場所で、政治と経済はどう相互作用したのだろう? その場所、現代でいえば上海にあたる場所とは、シカゴだ。

1840年、イリノイ・ミシガン運河が開通して、ミシシッピ川と五大湖が結ばれた頃、シカゴの人口は 4,000人だった。1871年、オレアリー夫人の牛がシカゴの 3分の1 を焼く。〔キャサリン・オレアリーが搾乳しようとしたとき牛がランタンを蹴倒して火事が起こったという伝説がある。〕 1885年、シカゴは世界初の鉄骨造の摩天楼を建設する。

1900年には、シカゴの人口は200万人に達していた。市民の70パーセントはアメリカ国外で生まれた人々だった。

1886年5月1日、米国労働総同盟 (American Federation of Labor) が8時間労働を勝ち取るべくゼネストをうつ。5月3日、400名の警官隊がマコーミック農耕具工場の警備につき、ストを解散させようとした警官が発砲、死者6名を出す。翌日、警官の暴力に抗議しスト中の労働者たちを支持するデモ行進のさなかにアナーキストの爆弾が爆発し警官8名が死亡する――警官隊は群衆に発砲し、おそらく20名の死者が出る。その大半は移民、英語を話さない人々だった(数えた人はいないようだ)。カンガルー裁判により、無実の(といまでは信じられている)左翼政治家とストの組織者が殺人で有罪判決を下される。うち5名は絞首刑となった。

1889年、米国労働総同盟の初代会長サミュエル・ゴンパーズが世界社会主義運動――「第2インターナショナル」――に相談をもちかける。1886年にシカゴで起きた警察暴力の犠牲者に追悼の意を表し8時間労働を支持する記念日を毎年5月1日に設けられないだろうか?

1894年、民主党の大統領グローバー・クリーブランドが議会を説得して、アメリカ社会における労働の意義を称える国際的な休日をつくる――1889年のシカゴを追悼する国際労働者の日である5月1日ではなく、日付を固定しない祭日として9月第1月曜が選ばれた。

1856年以来はじめての民主党の知事でありはじめてのシカゴ住民の知事でありはじめての外国生まれの知事だったイリノイ州の新知事ジョン・ピーター・オルトゲルドが、1893年に「ヘイマーケット爆破犯」で存命だった3名に恩赦を与える。爆破事件の真の原因は、マコーミックその他が雇ったピンカートン警備会社による統率を失った暴力だったと知事は語った。

有罪判決を受けたアナーキストに恩赦を与え、中西部の製造業の貴族たちと彼らが雇った武装ヤクザに暴力の責任ありと言ったこのジョン・ピーター・オルトゲルドとはいったい何者なのだろう?

5/6につづく


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