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ブランコ・ミラノヴィッチ「民主主義サミットは(世界に)害悪を与えるアイデアである」(2021年12月7日)

The Summit of Democracies is a wrong idea (for the world)
Tuesday, December 7, 2021
Posted by Branko Milanovic

12月9~10日に開催される「民主主義サミット」は、100カ国以上から大統領、首相、国王の出席が予定されている。このサミットは、民主主義の原則が国政に適用されている(あるいは表向き適用されている)ことが参加条件となっている歴史上初の国際会議だ。

このサミットに関しては、3つの見解が寄せられている。ナイーブな見解では、集まった国々が自国内での民主主義の原則の適用を改善するため互いに学び合うことに関心をもって皆で集まる会合である、というものだ。(もっとも、そういった場は他にもたくさんあり、新たに創設する必要はなかったのだが…)。もっとリアリスティックな見解では、国連人権保障として具現化されている野心的な理想を適応する前提に立ち、自国の〔民主主義の〕統治モデルをグローバルに推し進めようとする国家間の穏やかな連合体を創設する試みである、というものだ。しかし、最もリアリスティック見解に立てば、中国やロシアとの地政学的対立が激化する渦中に、アメリカがイデオロギー的闘争を先導するための利用手段として、なりふり構わわない国家の連合体を創設する序曲である、と見做すことだろう。

故に、このサミットは、グローバル・コスモポリタン的観点からすれば(あるいはそれを標榜しているふりをしているため)、完全に間違えているのである。このサミットは、世界を2つの相容れない陣営に分断させ、交流と相互理解を不可能とさせるものだ。論理的な帰結は、不可避の衝突に至らざえるをえない。

中国とアメリカの衝突を引き起こしたものは、中国が相対的に力を増大させ、東アジアにおける歴史的な優位性と再確認を試みている、という地政学的な考察が可能だ。民主主義は一切関係ない。

この米中の衝突は、互いに「自国のシステムこそが、世界にとって不可欠である」と主張しあう、イデオロギー的対立の側面を持つに至っている。中国は、人民の要求に効率的に応えることができる官僚主義的なシステムを推しており、アメリカは人民の民主的な参加を推している。

しかし、地政学的・イデオロギー的な衝突は、価値観の領域に移行すると、真に危険な段階に突入する。地政学的な衝突は、歴史において何度も行われてきており、パワーバランスに基づいた様々な方法によって解決が可能となっている。イデオロギーや経済で2つのシステムが競争する場合でも、同じことが言えるだろう。互いが、相手を上回ろうとすることは、貧困撲滅、移民、気候変動、パンデミックなどのグローバルな問題に双方が注意を向けることになり、全世界にとって有益ですらあるかもしれない。

しかし、一方が、自身の具現化している価値観を、相手の価値観と正反対であると信奉するに至った場合、長期的に見て、紛争は不可避となる。異なる利害関係者の間だと妥協は可能だ。しかし異なる価値観の間での妥協は不可能なのである。アメリカ型システムと中国型システムの間に価値観の不一致があるとの見解を強調し、定着するような団体を創設することは、本来は利害の対立でしかない衝突を、妥協をほとんど不可能なレベルまで高めることに繋がる。

「紛争の形式化」は、あらゆる国に、好むと好まざるをえずに、どちらかのシステムを選択することを強いる。このような〔アメリカ主導の〕同盟プロジェクトは、米中がその衝突を全世界に拡散し、事態が悪化していることを示唆している。

米ソの第一次冷戦から学ぶべき教訓は、世界を絶対的に対立する2陣営に分割することを拒否することの重要性である。この拒否こそが、米ソ間の激しい衝突を緩和させ、おそらくは局地的な戦争の多くを防ぐことができたのだ。拒否によって、「衝突の緩和」は達成された。しかし、今やこれは不可能となっている。第3の道は存在していない。民主的サミットの論理に言わせると、「こちらに付くか、相手に付くかの二択しかない」のだ。

マニ教的な善と悪の戦いの論理が、今日の西洋のメディアや政治家の姿勢に浸透しきっている。これらの多くは、自身が天使の側にいると本気で信じているか、そう洗脳されている可能性がある。しかし、そうなってしまえば、歴史の非常なる利己的読み解きに加担することになり、全世界規模での紛争に至ることに、気付いていない。実際、彼らがやっていることは、平和の追求、システムや国家間の妥協点の模索、コスモポリタン的アプローチとは真逆のものである。

あらゆる巨大な紛争は、イデオロギーの偉大化・正当化から始まる。十字軍は、イエス・キリストの墓を「異教徒」から奪うことを目的に始まった。このことは、キリスト・イスラムを問わず双方の社会を破壊し、略奪する遠征軍に変貌した。ヨーロッパの植民地主義は、宗教的(「異教徒」への福音)、あるいは文化的観点によって正当化されていた。それらは、ラテンアメリカでの奴隷労働、アフリカ人の奴隷化、その他地域(インド、エジプト、中国、アフリカの大部分)の内政を支配するシステムの煙幕となっていた。第一次世界大戦後のウッドロー・ウィルソンによる誇大妄想的なプロジェクトも、これらとなんら変わらないものであった。民族自決と民主主義という大原則に従うポーズを取りながらも、それは「保護国」や「委任統治」の名の下での植民地支配の強要、卑劣な領土取引へと堕落していった。

今回の新しいプロジェクトがよしんば生き残ったとしても、似たような結末(見え透いた目的のための薄っぺらい隠蔽工作)に至るであろう。だからこそ、私は望む、今回の民主主義サミットが最初にして最後なるべきだ、と。


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