ベン・バーナンキ 「金融政策と世界経済」

●Ben Bernanke, “Monetary Policy and the Global Economy”(At the Department of Economics and STICERD (Suntory and Toyota International Centres for Economics and Related Disciplines) Public Discussion in Association with the Bank of England, London School of Economics, London, United Kingdom, March 25, 2013)/【訳者による付記】バーナンキがFRB議長時代の2013年3月に行ったスピーチの翻訳。このスピーチが行われたのは今からちょうど1年ほど前になりますが、その当時は主要先進各国の中央銀行が歩調を合わせるようにして金融緩和に乗り出す構えを見せており、そのような動きを受けて「通貨安競争だ」「近隣窮乏化政策だ」といった批判の声がメディアを度々賑やかせていたものです。バーナンキのこのスピーチは、そのような批判に対する応答を意図したものであり、1930年代の大恐慌の教訓を振り返りつつ、次のような結論が導き出されています。「現在先進各国で同時に進行中の金融緩和策は、『近隣窮乏化』ではなく、ポジティブ・サムな『近隣富裕化』をもたらすと考えられるのです」。このスピーチが行われてからすでに1年が経過しており、時事性に欠けるきらいがあるのは否めませんが、大恐慌という歴史的な事件に関する要を得た解釈として、さらには将来再び似たような状況が生じた際の参考資料として、それなりに意義を持ち得るのではないかと思われます。また、このスピーチでは、FRBの金融政策が新興各国に及ぼす影響についても話題にされており、(方向性は反対ですが)FRBによるテイパー(量的緩和の縮小)が新興各国に及ぼす影響を考える上でも有用な示唆を得ることができるかもしれません。なお、このバーナンキのスピーチは、本サイトでも訳出されている次の論説 “メンジー・チン 「近隣富裕化政策としての世界同時リフレ ~回復スピードが二極化する世界におけるリフレーションと支出転換~」”でも話題にされています。あわせて参照していただければ幸いです。


古き良き友人であるマーヴィン・キング(Mervyn King)を称えるカンファレンスにこうして参加することができ、大変嬉しく思います。つい最近彼もニューヨークでの講演で触れていましたが [1] 原註1;Mervyn A. King (2012), “Talk to the Economic Club of New York(pdf)”(ニューヨーク経済クラブでの講演、2012年12月10日) 、経済学の研究者に成り立ての頃、彼と私とはMIT(マサチューセッツ工科大学)の同僚であり、研究室も隣同士でした。あれから30年経った今も同僚のままである――とは言っても、現在ともに同じセントラルバンカーであるという意味でですが――とは想像だにしませんでした。研究者仲間であった当時もそうでしたが、今も変わらず彼のアドバイスや洞察には敬意を払っています。

さて、このセッションでは「金融危機の教訓」を主題として議論することになっています。私の個人的な意見では、今回の危機に関する中心的な洞察は次のようになると思われます。それは、今回の危機はこれまでにない風変わりな特徴を数多く備えていることは確かですが、その本質において古典的な金融パニックと変わるところはない、ということです。すなわち、突如としてその価値に疑いが生じた資産から「ホットマネー」(”hot money”) が一挙に流出(逃避)することで生じた現象だと考えられるのです。そういった意味で、今回の危機は過去数世紀を通じて各国の政府と中央銀行――その中には世界で最も尊敬すべき中央銀行であるイングランド銀行も含まれます――が直面してきた他の多くの金融危機と似たものだと言えるでしょう。 また、各国による危機への対応も古典的な処方箋に沿ったものでした。金融システムに対する積極的な流動性の供給にはじまり、債務の保証、資産価値の再評価や資産の処分、そして必要とあらば特定の金融機関に対して資本注入がなされたのです。このように今回の危機は古典的な金融パニックと似通った特徴を備えていると考えられるわけですが、危機が勃発した制度的な文脈がかなり目新しいものであったために、状況の診断とそれへの対応に伴う困難の度は一層増す結果となりました。例えばアメリカの場合、ホットマネーの標的となったのは銀行預金ではなく担保付の機関投資家向けファンド(collateralized wholesale funding)であり、 それゆえ銀行だけにととまらずそれ以外の多様な機関(ストラクチャード・インベストメント・ビークル(SIV)など)もまた取り付けの圧力に晒されるかたちとなりました。さらには、世界中の金融機関や各国のマーケットの間での資金面でのつながりがかなりの規模に上っているばかりかそのつながりが複雑であるために、危機がこの先どのように波及するかを予測し、事態への対応を巡って各国の政策当局者の間で協調を図ることは困難を極める作業となりました。今指摘したような困難を抱えていたにもかかわらず、世界各国の政策当局者――その中にはイングランド銀行やFRBも含まれます――の間で危機への対応を巡って驚くほど緊密な協調が保たれることになりましたが、この事実は今回のエピソードに伴ういくつかのポジティブな側面のうちの一つだと言えるでしょう。

これまで触れてきたテーマについては他の機会に詳細に語ってきましたので [2]原註2;例えば、Ben S. Bernanke (2009), “Reflections on a Year of Crisis“(カンザスシティー連銀主催のジャクソンホールシンポジウム 「Financial Stability … Continue reading、本日は別の話題、特に、金融危機後に持ち上がり、ここ最近になって注目を集めるようになっている話題について論じてみたいと思います。その話題というのは、現在世界各国で同時に進められている金融緩和政策は通貨安競争を意味するのではないか、という話題です。今回の危機の他の側面についてと同じように、「通貨安競争」(competitive depreciation of exchange rates)の話題についても1930年代の世界大恐慌(global Great Depression)という重要な歴史上の前例が引き合いに出されます。そこでまずは大恐慌に関するこれまでの議論の進展を簡単に振り返ってみることにしましょう。

会場にお集まりの皆さんはご存知のように、大恐慌が発生する直前の時期までは大半の国の為替レートは国際金本位制――専門的には、金為替本位制と呼ばれています。当時は金だけではなく外貨(主にドルとスターリング・ポンド)も対外準備として保有されていました――のルールを通じて決定されていました。金本位制は第一次世界大戦中に一時的に停止されていましたが、1920年代に入ると多くの努力を費やした上で再建されるに至りました。しかしながら、不運なことに、そのようにして再建された金本位制は深刻な問題をいくつか抱えていました。例えば、1920年代に金本位制に復帰した国の中には第一次世界大戦前と同じ平価(金と自国通貨との交換比率)での復帰を選択したケースがありましたが、そういった国々では平価から決まる為替レートが貿易収支や国際収支の均衡をもたらす上で必要な水準から大きく外れていた事実を挙げることができます。具体的な例としては、ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes)がかの有名なパンフレット「チャーチル氏の経済的帰結」の中でも指摘していることですが [3] 原註3;John Maynard Keynes (1925), The Economic Consequences of Mr. Churchill (London: Hogarth Press) 、再建金本位制の下でのイギリスポンドは割高な水準に固定されることになり、そのためにイギリスの輸出は不振に喘ぎ、1920年代後半のイギリス経済は低迷を続ける結果となりました。マーヴィン・キングの前任者にあたる当時のイングランド銀行総裁モンタギュー・ノーマン(Montagu Norman)――イギリスの金本位制復帰の決定もその後の再離脱の決定も彼が主導したものでした――は不運な結果をもたらすことになった平価の選択を巡る決定について後々次のように振り返っています。「金とポンドとの交換比率(平価)が正しい水準であったかどうかは神のみぞ知り得た問題だ」。この発言に対してあるコメンテーターは次のように付け加えています。「しかしながら、神が経済学者ではない可能性も当然考慮しなければならない」、と [4]原註4;この一連のコメントは、D.E. Moggridge著『British Monetary Policy 1924-1931: The Norman Conquest of $4.86』に対するC.A.E. Goodhartの書評論文(Economica, vol. 39, … Continue reading

世界経済の低迷が続き、金融市場の脆弱化が進む中で、再建された金本位制が抱えるまた別の問題も徐々に明らかになっていきました。その問題というのは、固定為替相場制度――金本位制の下では為替レートは一定の水準に固定されることになります――が抱える問題、すなわち、投機アタックの標的になりやすい、ということです。1930年代初頭に入ると、投機アタックに晒された結果として――中には自発的な選択の結果としてというケースもありましたが――多くの国々が金本位制から離脱する格好となりましたが、中でも1931年9月にイギリスが投機アタックの餌食となって金本位制からの離脱を余儀なくされた際には世界中の金融界は根底から揺さぶられるほどのショックを受けることになりました――当時のイギリスは国際金本位制の事実上の中心地でした――。イギリスが金本位制から離脱して以降の5年間のうちに主要各国はすべて金本位制から離脱することになります――法律の改正を伴う場合もあれば、事実上の離脱というかたちをとる場合もありました――。金本位制から離脱した国ではその後為替の減価――時に大幅な減価――が生じることになりました。

このように1930年代初頭に各国がそれぞれバラバラのタイミングで相次いで金本位制から離脱していくことになったわけですが、そのような状況を受けて「近隣窮乏化」(”beggar-thy-neighbor”)政策というアイデアがにわかに語られ始めることになりました。このアイデアによると――このアイデアは、ジョーン・ロビンソン(Joan Robinson)をはじめとした当時の重要な経済学者らによって唱えられました――、為替の減価は他国と貿易で競争する上で有利に働き、そのことを通じて(為替の減価が生じた国の)景気の回復に貢献することになると考えられます [5] 原註5;Joan Robinson (1947), “Beggar-My-Neighbour Remedies for Unemployment,” in Essays in the Theory of Employment, 2nd ed. (Oxford, U.K.: Basil Blackwell), pp. 156-70. 。実際のところ、1931年以降に進んだポンド安に伴ってイギリス経済は大恐慌から比較的早めの回復を経験することになりましたが、その理由の一部は輸出の持ち直しに求めることができます。しかし、「近隣窮乏化」のアイデアによると、為替の減価を経験した国が手にする便益は、貿易上不利な立場に立たされることになる貿易相手国が被る損失によって帳消しにされるか凌駕されてしまう、と見なされます。そういった意味で、「近隣窮乏化」というわけです。アメリカでスムート・ホーリー法が成立して以降、各国間で関税引き上げ競争が繰り広げられることになりましたが、その後歴史家の間ではいわゆる通貨安競争と関税引き上げ競争とを結び付けて論じる傾向が生まれることになりました。通貨安競争も関税引き上げ競争もともに、縮小を続ける世界市場を巡って無益で破壊的な争いを招き、最終的に貿易の崩壊をもたらすことで大恐慌を長引かせた、とのかどで非難の対象となったのでした――テキストの中には今でもそのような非難を行っているものもあります――。

スムート・ホーリー法とそれに続く関税引き上げ競争は極めて有害な効果をもたらし、大恐慌の一層の深刻化と長期化に手を貸す格好となった、という点については今現在も経済学者の間で同意が得られています。しかしながら、大恐慌に関する現代の研究――その流れを生むきっかけとなったのは、バリー・アイケングリーン(Barry Eichengreen)とジェフリー・サックス(Jeffrey Sachs)が共同で執筆した1985年の記念碑的な論文です [6] 原註6;Barry Eichengreen and Jeffrey Sachs (1985), “Exchange Rates and Economic Recovery in the 1930s,” Journal of Economic History, vol. 45 (December), pp. 925-46. ――は、金本位制からの離脱に伴う効果に関して、従来の考え方に変更を迫る格好となりました。金本位制から離脱するのに伴って為替が減価し、そのおかげで一時的に貿易上有利な立場を手にすることになったケースもあることは確かですが、大恐慌に関する現代の研究によると、金本位制からの離脱に伴う主要な便益は、各国が自ら適切だと思うやり方で、自由に金融緩和を実施できるようになったことに求められています。実質的にすべての主要各国が1935年ないしは1936年までに金本位制から離脱することになりましたが、それに伴って、為替レートの水準が市場で自由に決定されるようになると、為替レートの変化を通じて貿易が刺激される効果は、ごく些細なものに過ぎなくなりました。しかしながら、主要各国が金本位制から離脱して以降の世界経済は、1931年時点よりもずっと底堅い成長を遂げました。その理由は、金本位制の拘束衣を脱ぎ去ったことにより、それぞれの国が国内における完全雇用を達成するためにふさわしいやり方で、自由に金融政策を実施することができるようになったからでした。さらには、貿易相手国の景気が上向くことによって、輸出の増加というかたちで恩恵が生じた点も重要です。要するに、関税引き上げ競争とは対照的に、1930年代に断行された金融政策を通じたリフレーションは、為替レートの変更に伴う貿易転換(純輸出の増加)を通じてではなく、主要各国における内需(国内需要)を喚起することを増加を通じて、ポジティブ・サムの結果をもたらすことになったのです。

このことが現在の状況に対して持つ教訓は明らかです。目下のところ、先進国経済の大半は、この度の大不況(Great Recession)から回復しつつあるとは言え――その程度は国ごとに違いがありますが――、そのペースは遅々としたものにとどまっています。概してインフレが安定していることを受けて、各国の中央銀行は、景気回復を下支えするために金融緩和を推し進めている最中ですが、かような状況を指して「通貨切り下げ競争」(competitive devaluations)と呼ぶことは適当でしょうか? 答えは「ノー」です。それはなぜかというと、先進国経済の大多数で同時に金融緩和が推し進められているので、先進国間での為替レートはそこまで劇的に変化することもなければ、変化するにしてもそう長続きしないと予想されるからです。主要な先進国で同時進行中の金融緩和がもたらす便益は、為替レートの変化を通じてではなく、それぞれの国内の総需要が下支えされることを通じて生み出されると考えられるのです。さらには、各国の景気が上向くことになれば、それに伴って、貿易相手国に(輸出の増加というかたちで;訳者挿入)好ましいスピルオーバーが及ぶことにもなるでしょう。つまりは、先進各国で同時進行中の金融緩和策は、「近隣窮乏化」(”beggar-thy-neighbor”)ではなく、ポジティブ・サムな「近隣富裕化」(”enrich-thy-neighbor”)という特徴を備えていると考えられるのです。

繰り返しになりますが、国内的な目標の達成を目指した金融政策と貿易転換を目指した(為替レートの人為的な減価をはじめとした)保護主義的な手段とを区別することは極めて重要です。前者は関係する当事国すべてに利益をもたらし得ますが、後者はそうではありません。去る2月のG7(主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議)で発表された声明もまさにこのような理解に基づいています。G7声明では、為替の人為的な減価を通じて貿易上有利な立場を得ようとする試みは控えるとともに、財政政策や金融政策といった国内的な手段は国内的な目標の達成に向けて行使されるべきことが確認されています [7] 原註7;G7声明の全文に関しては次のリンクを参照してください。Bank of England (2013), “G7 Statement“(プレスリリース、2013年2月12日)

先進国の間では金融緩和がお互いの利益となることは明白です。一方で、新興国への影響ということになると事情はやや複雑です。おおざっぱにまとめると、目下のところ先進国の最大の関心は、物価の安定と完全雇用の達成をもたらす上で適当な水準に国内の総需要を維持することにあります。他方で、多くの新興国の関心は、国内の総需要を一定の(雇用とインフレに関する目標を達成する上で必要な)水準に保つことだけではなく、それ以外のところにもある可能性があります。なぜそう言えるかというと、まず第一に、この数十年間にわたって新興国の多くは工業化の達成に向けて輸出主導の発展戦略を推し進めてきましたが、まさにそのために先進国が金融緩和を進めることには疑いの目を向ける可能性があります。というのも、他の事情を一定とすると、先進国が金融緩和に乗り出すことで新興国の為替に増価圧力がかかり、その結果として輸出に歯止めがかかる格好となってしまうかもしれないからです。第二に、多くの新興国の金融部門はその規模が小さかったり、国際的な基準に照らすとまだ発展途上の段階にありますが、海外の投資家に対して広く門戸が開かれています。先進国での金融緩和(特に低金利)が一因となって自国に向けて大量の短期資本が流入し、資産バブルや金融面での不均衡が生み出される結果となってしまうのではないか、と新興国の多くは懸念を抱いているかもしれません。

こういった問題の重要性に関しては私も同意します。しかし、ここでいくつか指摘させていただきたいポイントがあります。まずは先進国での金融緩和が新興国の為替や貿易に及ぼす影響についてですが、新興国の実質実効為替レートはいくつかの例外を除いては金融危機が激化する直前(2008年後半)の水準と比べてそれほど大きくは変化していません。加えて、仮に先進国が金融緩和を進めることで新興国の為替レートが大きく増価したとしても、価格競争の面で貿易上不利な立場に立たされることのネガティブな効果と先進国の景気が上向くことに伴うプラスの効果(先進国における輸入需要の増加)とを比較してみる必要があります。これら2つの効果のうちどちらが大きいかは実証的な問題です。FRBが開発した世界経済に関するマクロ計量モデルのシミュレーション結果では、これら2つの効果はほぼ打ち消し合い、それゆえ先進国での金融緩和は差し引きすると新興国の生産や輸出を抑制することはないと示唆されています [8]原註8;先進国での金融緩和は新興国に対してネガティブな効果を及ぼさないとの発見を支持する研究は他にもあります。例えば、Bennett T. McCallum … Continue reading。先進国が堅調な成長軌道に戻ることになれば、結局のところは先進国のみならず新興国にとってもプラスに働くことでしょう。

次に資本移動の話題についていくつか指摘させていただきます。投資家はより高いリターンを求めて行動することを考えますと、各国の金融政策の違いに伴って生じる各国間での金利差が国境を超えた資本移動を促す要因となり得るというのは確かにその通りでしょう。 しかしながら、私なりに最近の研究を調べたところ、果たして各国の金融政策の違いが新興国への資本流入を促している主要な要因と言えるのかと疑わしく感じるに至りました。各国間の今後の成長見通しの違いや投資家のリスク選好の変動の方がもっと大きな役割を果たしているように思われるのです [9]原註9;例えば、Fratzscher, Lo Duca, and Straub (2012), “A Global Monetary Tsunami? On the Spillovers of US Quantitative Easing“(Centre for Economic Policy and Research, … Continue reading。加えて、新興国の中には人為的な通貨安政策を採っている国がありますが、そのような政策は「為替レートは今後増価するに違いない」との期待を人々の間で醸成することで投機的な資本流入を促している可能性があります。

どのような理由で資本流入が生じているかにかかわらず、大量の資本流入と資本移動の変動の激しさは新興国の政策当局者にとって厄介な問題であることに変わりはありません。とは言っても、政策当局者には打つ手が無いというわけではありません。ここのところ新興各国ではいわゆるマクロ・プルーデンス政策を通じて自国の金融システムの強化や不動産市場をはじめとした特定の経済部門の過熱の抑制が図られています。さらには、様々な形態の資本規制(国境を越えた資本の流出入に対する規制)も試みられています。資本規制はその有効性や実施に要するコスト、ミクロ経済的な歪みを生み出す可能性などを巡って多くの問題を抱えていますが、つい最近のIMF(国際通貨基金)の研究によると、極めて限られた特定の状況においては資本規制は有用なツールとなり得ることが示唆されています [10] … Continue reading

本日の話をまとめると、こういうことになります。目下のところ、先進各国では金融緩和策が推し進められている最中ですが、それぞれの国内の景気回復を促すためにも、物価の安定を保つためにも、適切な措置だと言えます。大恐慌に関する現代の研究が明らかにしているように、先進各国で同時進行中の金融緩和策は、世界経済全体に対して、差し引きしてプラスの便益をもたらすことでしょう。先進各国で同時進行中の金融緩和策をゼロ・サムないしはネガティブ・サムな貿易転換政策と同一視すべきではありません。その実、先進各国で同時進行中の金融緩和策は、互いに補強し合うことで、関係するすべての国に便益をもたらす可能性があるのです。

講演の導入においてと同様に、マーヴィン・キングへの敬意の言葉をもって本日の講演を締め括らせていただきたいと思います。彼がイングランド銀行の総裁を務めた期間はセントラルバンカーにとって非常に困難な期間となりましたが、そんな中にあって彼はセントラルバンカーのコミュニティーにおけるリーダー的な存在の一人としてその手腕を発揮しました。この先に待っている新たなキャリアでも彼がこの上ない成功を収めることを願っています。

References

References
1 原註1;Mervyn A. King (2012), “Talk to the Economic Club of New York(pdf)”(ニューヨーク経済クラブでの講演、2012年12月10日)
2 原註2;例えば、Ben S. Bernanke (2009), “Reflections on a Year of Crisis“(カンザスシティー連銀主催のジャクソンホールシンポジウム 「Financial Stability and Macroeconomic Policy」での講演、2009年8月20-22日)や Ben S. Bernanke (2012), “Some Reflections on the Crisis and the Policy Response“(ラッセルセージ財団・センチュリー財団共催のカンファレンス 「Rethinking Finance: Perspectives on the Crisis」での講演、2012年4月13日)を参照してください。また、Ben S. Bernanke (2010), “Causes of the Recent Financial and Economic Crisis“(金融危機調査委員会での証言、2010年9月2日)もあわせて参照してください。 
3 原註3;John Maynard Keynes (1925), The Economic Consequences of Mr. Churchill (London: Hogarth Press)
4 原註4;この一連のコメントは、D.E. Moggridge著『British Monetary Policy 1924-1931: The Norman Conquest of $4.86』に対するC.A.E. Goodhartの書評論文(Economica, vol. 39, November 1972, pp. 450)の中で引用されているものです。
5 原註5;Joan Robinson (1947), “Beggar-My-Neighbour Remedies for Unemployment,” in Essays in the Theory of Employment, 2nd ed. (Oxford, U.K.: Basil Blackwell), pp. 156-70.
6 原註6;Barry Eichengreen and Jeffrey Sachs (1985), “Exchange Rates and Economic Recovery in the 1930s,” Journal of Economic History, vol. 45 (December), pp. 925-46.
7 原註7;G7声明の全文に関しては次のリンクを参照してください。Bank of England (2013), “G7 Statement“(プレスリリース、2013年2月12日)
8 原註8;先進国での金融緩和は新興国に対してネガティブな効果を及ぼさないとの発見を支持する研究は他にもあります。例えば、Bennett T. McCallum (2003), “Japanese Monetary Policy, 1991-2001(pdf)”(Federal Reserve Bank of Richmond, Economic Quarterly, vol. 89 (Winter), pp. 1-31)では、先進国での金融緩和が新興国に対して強力なプラスの効果をもたらすことが見出されています。
9 原註9;例えば、Fratzscher, Lo Duca, and Straub (2012), “A Global Monetary Tsunami? On the Spillovers of US Quantitative Easing“(Centre for Economic Policy and Research, Discussion Paper Number 9195, London: CEPR, October)では、新興国への資本流入を促す上ではアメリカの金融政策以外の要因の方がずっと重要な役割を果たしていることが見出されています。Atish R. Ghosh, Jun Kim, Mahvash S. Qureshi, and Juan Zalduendo (2012), “Surges(pdf)”(IMF Working Paper WP/12/22, Washington: International Monetary Fund, January)や International Monetary Fund; Strategy, Policy, and Review Department (2011), “Recent Experiences in Managing Capital Inflow–Cross-Cutting Themes and Possible Policy Framework(pdf)” (Washington: IMF, February)もあわせて参照してください。
10 原註10;IMFの研究では、為替レートの伸縮性の増大をはじめとしたその他のマクロ経済政策面での必要な調整を避けるために資本規制に訴えるということはすべきではないと指摘されていますが、この点は重要です。詳細は以下を参照してください。International Monetary Fund (2012), “The Liberalization and Management of Capital Flows: An Institutional View(pdf)” (Washington: International Monetary Fund)
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