※訳者の註記: この記事は,VoxEU が出版した電子書籍『コロナウイルス経済危機の軽減:なすべきことは迅速になんでもすべし』の序文です.同書の PDF は,VoxEU のウェブサイトで無料で公開・配布されており,アカウントをつくれば誰でも閲覧できます.同書に収録されている論文を日本語で要約した文書は,こちらで利用できます(山形浩生さん作成)
2020年3月9日に,COVID-19 に関する我々の初の VoxEU/CEPR 電子書籍『コロナウイルス感染拡大時の経済学』を公開した〔序文の日本語訳〕.その後,世界は異様な様相を呈している.COVID-19 の感染事例と死者数は全世界で急増している.いまやヨーロッパはパンデミックの中心地となっている.そればかりか,合衆国も,巨大な人口(3億3000万人)をかかえている上に〔大統領や連邦政府に〕国の指導力が欠如しているために,次のパンデミック中心地となりつつある.株式市場の変動は激しく,1日に 5%〜10% も動いている.ときに値上がりはするものの,その変動の大半は下落だ.他の金融市場も同様に急激に変動している.ヨーロッパ諸国の政府は,他の状況下であれば行き過ぎに思われるだろう公衆衛生上のさまざまな封じ込め策を強制的に敷いている.合衆国では,〔大統領・連邦政府の〕指導力が空白ななかで,各地の都市や州どうしの連携も一貫性もなく,さまざまな封じ込め政策が広まっている.だが,なにもかもが不確実さを増しているわけではない.
COVID-19 危機は,ある意味で予測しやすくなっている.かつては広く「中国問題」ととらえられ,いまは「イタリア問題」ととらえられている問題は,「みんなの問題」になっている.ごくわずかな例外をのぞいて,世界各国の政府は,当初,この感染症を軽く見ていたが,やがて継続的に地域内での感染が広まると,そうした政府も厳格な対応を取り始めた.対人距離をとるよう強制したり,学校の休校や職場の休業といった措置をとったりといった対応だ.こうした対応は,必然的に,ほぼ直後から経済的な苦難を人々にもたらす.すると,今度は各国政府が景気後退にますます強固な対抗策を提案するようになる.ヨーロッパではこのパターンで事態は進展した.合衆国をはじめ,他の多くの国々でもこのパターンで進展しそうに見える.これはひとえに,今回のウイルスが非常に感染しやすく,その感染症の「加速フェイズ」に爆発的に感染が拡大することから避けがたく生じる帰結による.
この eBook では,今後なすべきことについて,先進的な経済学者たちの知見を集めることを試みている.急速に展開しつつある各種の政策反応の分析に寄与するばかりでなく,この eBook では,各国が先手を打って対応を取る助けになりたいと願っている――本書は,各国が必要とするだろう医療政策・経済政策を先読みする助けになりたい.ここに集めた著者たちの知見は,今回の危機がもつ別の重大な側面にも注意を向けている.注意を払わなければ,あるひとまとまりの経済問題に対して一部の国々が打った解決策が,回り回って,金融危機・債務危機・外国為替危機に転じかねない.一時的な解決策が決して長期的に継続する問題をつくりだすことのないよう,細心の注意を払わなくてはならない.
この経済的打撃の規模がどれくらいになるのか,いまも非常に不確実だ.とはいえ,大きなものになるのは間違いない.各国政府は,この打撃を和らげることに傾注する必要がある.いまこそ,巨大カノン砲を放つべきときだ.小ぢんまりと,おずおずすべきときではない.なすべきことはなんでも,迅速にすべきだ.
問題は何か? 医療ショックと経済ショックCOVID-19 は独特な感染症だ.きわめて感染しやすい一方で,特に致死率が高いわけではない――健康で若い人々にとってはとくにそうだ.この感染症の異例なところは,世界の主要な経済大国を同時に襲っている点にある.この惑星の産出と所得の 2/3 を超える国々が,平時であれば行き過ぎと思われるだろう封じ込め政策をとっている.だが,いまは平時ではない.
COVID-19 は経済に対する医療ショックはじまりは,中国で2020年1月9日に出た1人目の死者だった.だが,そこからの拡大は急速に進んだ.中国の外で最初に出た感染例は,1月13日に確認された(タイにて).G7 諸国はもれなく,1月末までに第1号の感染例を確認している(例外はカナダで,最初の感染例は2月7日だった).2月末(イタリア),あるいは3月はじめに,G7 諸国は「疫学的曲線」が加速的局面を迎えている(図1 は新規感染事例の数を時系列に沿ってプロットしている).
▼図1 典型的な流行曲線の期間(インターバル)または局面(フェイズ)
公衆衛生の担当者たちに広く使われているこの流行曲線は,指数関数的な曲線ではないものの,加速的な局面にあるものに似ている(こちらを参照).
医療について回るランダム性や計測問題・報告問題ゆえに,この流行曲線こと「エピチャート」にはノイズが混じっている.医療ショックの規模は,これと別の曲線を見たほうがわかりやすい.これを,COVID 軌跡チャートと呼ぶ(図2). COVID 軌跡チャートでは,縦軸に対数で累積事例数をとり,横軸にその国が(いくぶん恣意的な線引きながら)100事例の敷居を超えた日からの経過日数をとる.「対数尺度」なので,このチャートでの直線は一定の伸び率で事例数(累積数)が増加していることを意味する.エピカーブの性質ゆえに,直線の傾きは加速期に入るにつれて傾きが激しくなり,その後,国々が減速期に入るとともに平坦になってゆく.流行曲線と軌跡曲線の関係は,囲み記事1の解説を参照されたい.
図2 にはっきりみてとれるように,中国も G7 諸国も,ひとたびこの感染症が定着すると,同様の展開を辿っている.日本は,G7 諸国で唯一の例外だ.
囲み記事1: 流行曲線と軌跡曲線
流行曲線は,感染事例の増加をプロットする.つまり,1日あたりの新規事例数をプロットする.一方,軌跡曲線は累積事例数を示し,増加がたどった道筋をはっきりさせるために,累積事例数の対数をプロットする.では,この2種類の曲線どうしには,どんな関係があるのだろうか?
図3 には,中国についてこの2種類の曲線を示してある――中国は,減速期を過ぎたところにある.単純に言えば,流行曲線は事例数の日々の変化を表すのに対して,軌跡曲線は累積数を表す.流行曲線は凸型になるため,軌跡曲線は「ゆるいS字」すなわちロジスティックスの形状をとる.
図2 には,COVID-19 がかなり予測されるとおりの経路をおおむねたどっているのを示してある.コロナウイルスのショックは1月に中国を直撃し,その4週後にイタリアに,5週後にドイツ・フランスに,6週後にイギリスに到来した.何週間にもわたって,一部の政府はこの事態が他人事であるかのようにふるまったが,2020年3月17日の時点で,極端な封じ込め策をすぐさまとらないかぎり今後なにが起こることになるのかを,あらゆる政府が理解している.
マクロ水準で見れば,こうした曲線は似たり寄ったりに見える.だが,封じ込め政策を実施した国々では,感染拡大を遅らせるのに対策が大きな影響を及ぼしている.これは,日本の軌跡にはっきりと出ている.シンガポールと香港(図中にはない)も,感染爆発をここまでどうにか回避できている.当然,ここにはさまざまな教訓がある.公衆衛生面の教訓もあるが,ここでは経済的な側面に話を限定しよう.経済の切り口でみると,公衆衛生での封じ込め政策は,経済的影響と切り離せない.
第二波?
感染の拡大は一度きりでなく,第二波,第三波がやってくる危険がある.たとえば「スペイン風邪」は,1918年から1920年にかけて3度の波にわかれて大半の国を襲った.イギリスのインペリアル・カレッジの疫学者たちが最近出した COVID-19 のシミュレーション研究でも,同様の状況を示唆している.シミュレーション分析をもちいて,この疫学者チームは,イギリスにおいて,なんら封じ込め政策がとられなかった場合と,さまざまな公衆衛生的な封じ込め策がとられた場合とを予想している.
▼図4: さまざまな封じ込め戦略のもとで COVID-19 の流行曲線がどうなるかを予想したインペリアル・カレッジ版のシミュレーション
図4 の黒い曲線は,公衆衛生的な管理対応がまったくなされなかった場合に感染拡大がたどるだろう経路を示している――数値は,入院患者数を示す〔10万人当たりの人数〕.他の色の曲線は,それぞれ,異なる管理対応ごとに,感染拡大がたどりうる経路を例示している.横にまっすぐ走っている赤線は,病床数の制約を示す〔救急救命治療の病床数,10万人当たり8床〕.同研究では,アメリカについてもこれと同じ数値を提示している(ここでは示していない).
明らかに,中国政府は感染拡大の第二波を懸念している(本書の Yi Huang et al. 論文と Shang-Jin Wei 論文を参照).合衆国やオーストラリアその他の国々が中国からの旅行者の入国を制限したとき,中国はこれを侮辱ととらえた.だが,いまや入国制限は逆方向に向かっているように見えるかもしれない.Shang-Jin Wei 論文が述べるように:「いまや,こうした国々でのコントロールが効果をあげていないように見えるなかで,中国はこうした国々からの渡航をすぐには再開したがらないかもしれない.」
シンガポールも,第二波を懸念している.シンガポールは,ほぼ1ヶ月にわたって感染事例を 100未満に抑えるのに成功した―――厳格な検査・追跡・隔離を用いての成功だ.だが,最近になって,シンガポールでは感染の加速が見られる.感染事例の多くは,あらたに発生した感染中心地から輸入されたものだ.これに対応して,シンガポール政府は今週になって渡航制限の段階を引き上げ,帰国者に14日間の自宅待機を義務づけた.ここで重要なのは,「中国の事態をもとに多くの人が最初に考えていたのとちがって,このショックはつかの間のことではないかもしれない」という可能性をシンガポール政府がおおやけに伝達している点だ.各種の公衆衛生政策は,長きにわたって実施されたままになるかもしれない.シンガポールの外相は CNBC でこう発言している:「我々は,最善の場合をのぞみつつも,最悪の場合を想定すべきです.」
感染拡大の速度を落とす
感染をコントロールするには,「流行曲線を平坦に近づける」ことになる.それには,感染率を下げるべく,たとえば休業や休校・旅行禁止(「人どうしの隔たり維持」(“social distancing”))をとおして対面接触を全体的に減らすといった方策が採られる.これは武漢でとられたアプローチで,いまではヨーロッパや合衆国でもとられつつある.この他に,感染した人々を検疫により同定して隔離するというアプローチもある.
人どうしの隔たり維持政策は,意図的に経済の減速を引き起こす方策だ.COVID-19 のようなパンデミックは,その性質から自明な理由によって,経済の産出に急激な影響をおよぼす.だが,封じ込め政策は,この経済の減速・後退を悪化させる.
この策をとるときに政府が考えていることはなんだろうか? 要点は,単純だ:曲線を平坦にすれば人命を救える.その論理は次のとおり.ウイルスと戦う21世紀型のツールがないとき,カギを握るのは「流行曲線を平坦にする」ことで医療システムのボトルネックがつまるのを避けることだ.もし医療システムのボトルネックが詰まれば,最適に届かない治療がなされることになる〔e.g.人工呼吸器や病床が足りなくなって見捨てるしかない患者が出てくるなど〕.感染の加速期に,入院を必要とする人々の数は飛躍的に増加する―――増加があまりに急激で,国内の医療システムが許容できなくなりうる.まさにいま,これがイタリアで起きている.武漢でも起きた.
今日,病院で「戦時トリアージ」のような事態を減らしたいと望むからこそ,多くの人には行き過ぎにも思える対応策をイタリアではとっている.扱えきれる許容量を超えてしまい,この感染症にかかった人々が生き延びるのに必要な医療を病院が提供できなくなるという悪夢のような選択肢に比べれば,こうした対応策も行きすぎではない.すでに感染している人たちが感染しうる人たちに接触する頻度を下げることで,封じ込め政策はこの感染症が広まる速度を落とす.感染拡大の速度を落とすと,入院治療を求める人たちの流れも遅くなる.ここで目標となるのは,医療システムが新規入院を受け付けられる収容能力の限度内に重症患者の一日ごとの流入数をとどめ続けることだ.この「曲線を平坦に近づける」ポイントを,図5 で図解している.
▼図5: 流行曲線を平坦に近づけることで病院の許容限界突破を回避して人命を救う
図の左側は,封じ込め政策がとられなかった場合に流行曲線がどうなりうるかを示している.新規の感染事例数は跳ね上がる―――これにともなって入院が必要な重症例も急増する.イタリアと中国の場合,入院数の短期急増で医療制度の許容限界がやぶれた.その結果は,悲劇だった.図の右側は,流行曲線を平坦に近づけることでこの種の悲劇がいかにして回避されうるかを図解している.
ここで悪いニュースがある.一部の疫学者たちの推計によれば,封じ込め政策をとってもなお,病院の収容能力を超えてしまうのだという(図6).このチャートは,インペリアル・カレッジの COVID-19 対応チームによる流行曲線シミュレーションを示している (https://www.imperial.ac.uk/news/196234/covid19-imperial-researchers-model-likely-impact/).コントロールがなされなかった場合(黒線)と,封じ込め政策のさまざまな組み合わせがとられた場合(色のついた線)を見て,同チームはこう所見を述べている―――「最適な」緩和政策をとった場合ですら「イギリスとアメリカどちらの国でも,緊急救命治療病床のピーク需要が利用できる収容能力の8倍となるだろう」
▼図6: インペリアル・カレッジの疫学シミュレーション,COVID-19 と病院の収容能力
流行曲線を平坦に近づけるための各種対応により,経済活動は減少する.いわば,景気後退は必須の公衆衛生対応策なのだ.労働者たちを職場から,消費者たちを消費から遠ざければ,経済活動は減少する.これを図解したのが図7 だ.図は上下にわかれている.上は医療〔新規患者数〕,下は経済〔景気後退の深刻度〕だ.
図の上側(医療の結果)を見てもらうと,封じ込め政策がなされなかった場合に流行曲線がどうなるかを赤い曲線が示唆している.青い曲線は封じ込め政策がなされた場合を示唆している.封じ込め政策によって,赤い曲線から平坦に近づいて青い曲線のようになる.ようするに,封じ込め政策は流行曲線を平坦に近づける.
▼図7: 封じ込め政策と流行曲線・軌跡曲線―――平坦化と急勾配化
【封じ込め政策は医療の曲線を平坦に近づける一方で,景気後退の曲線を急勾配にする】
図の下側(経済の結果)を見てもらうと,封じ込め政策がなされなかった場合の経済的損失(マイナス成長)を赤い曲線が例示している.封じ込め政策がなされた場合に景気後退がどうなるかを,青い曲線が示唆している.この下側のパネルでは,赤い曲線よりも青い曲線の方が急勾配になっている.つまり,上のパネルを逆転したかっこうになっている.Pierre-Olivierr Gourinchas が述べるように:「感染の曲線を平坦にすれば,必然的に,マクロ経済の景気後退曲線は急勾配になる.
封じ込め政策を遅らせている指導者たちの脳裏には,きっと,この不可避なトレードオフがあるのだろう.
COVID-19 によって生じる経済的ショック3種COVID-19 パンデミックは,あらゆる様態の経済的ショックをつくりだす.こうしたショックについて考えを整理するには,前著でやったように,3つの箱に仕分けるのが有用だ (Baldwin & Weder di Mauro 2020a).
・第一の箱は,純粋に医療面のショックだ―――病床に伏せっている労働者たちは GDP をつくりだしていない.
・第二の箱は,封じ込め政策による経済的な影響だ.
・第三の箱は,予想へのショックだ.
2008~2009年のグローバル危機と同様に,COVID-19 危機でも,世界中の消費者と企業が支出を控えるようになる.世界の消費者と企業がそろって様子見モードに入るのだ.
ウイルス関連のショックはどのように経済に影響するのか?Pierre-Olivier Gourinchas 論文は,この問いに見事な手際で答えている:「現代経済は,さまざまな集団どうしが結びつきあった複雑なウェブだ:従業員・企業・サプライヤー・消費者・銀行・金融仲介業が入り組んだ関係を結んでいる.誰をとってみても,その人は誰かの従業員もであり,顧客もであり,貸し手でもある,etc.」 この買い手‐売り手のリンクがつくる連鎖のどこかが感染症や封じ込め政策によって断ち切られると,混乱が混乱を呼ぶ連鎖がもたらされる.このポイントを,図8 が図解している.
▼図8: COVID-19 は所得の循環を複数箇所で直撃する
この図は,たいていの初級経済学教科書に出てくる周知のお金の循環図だ.単純化したかたちで言えば,家計は資本と労働を所有していて,これを企業に売る.企業をその労働や資本を使ってモノをつくり,そうやってできたモノを家計が買う.そのとき支払うお金は,企業から支払われたお金だ.こうして循環ができあがり,経済は成長をつづけていく.ようするに,この流れのどこかが断ち切られれば,循環のあらゆる地点で減速が生じるのだ.
図中の赤い×印は,3種類のショックによって経済が途絶している部分を示す.循環図の左端から時計回りに見ていこう.左端にいる家計は,〔給料などを〕支払われず,金銭的に苦しくなって支出のペースを落とす.次に〔図中で上に目を移すと〕,国内需要ショックは国の輸入を直撃し,国外へのお金の流れが遅くなる.これは国内需要を直接に減らすわけではないが,外国の所得は減少し,したがって外国がその国の輸出品に支払うお金は減少する(図の右上にある×印).需要の減少および/あるいは直接の供給ショック〔職場に従業員が来られない,工場が動かない,etc.〕は,国際的にも国内でも供給チェーンの途絶・停滞につながりうる(図の右側にある2つの×印).どちらも,産出のさらなる減少につながる―――とくに製造部門の産出が減少する.製造業への打撃は,人々や企業の様子見行動によっていっそう大きくなりうる.製造業がとくに脆弱となる理由は,多くの製造品は〔購入を〕後回しにしやすい点にある(図の右下〔?〕にある×印).
経済の途絶・停滞には,企業倒産という点もある.近年,債務を積み上げている企業 (BIS 2019) は,キャッシュフローの減少にとくに脆弱だ.イギリスの航空会社 Flybe の倒産は,古典的な事例だ.この種の打撃は,カスケードをつくりだしうる.〔キャッシュフローに困った会社から〕債権者や労働者が支払いを受けられなかったとき,彼らは投資や支出を減らす.それどころか,どこか一社の倒産は,他の企業を危機に追い込みうる.この種の連鎖倒産の具体例は,住宅危機の際に建設業で見られた.最後に,封じ込め政策や他の医療上必要な事柄に直接関係した労働者のレイオフ,病欠,隔離,子供や病気の家族を世話するための休暇がある.職を失った労働者たちは,支出を減らす.
この種の途絶・停滞は,20世紀最大のパンデミックだった「スペイン風邪」で大量の証拠がある(Barro et al. 2020 にもとづく囲み記事を参照).
囲み記事2: どこまでひどくなりうる? 大インフルエンザパンデミック(スペイン風邪)に関する Barro らの知見
いわゆるスペイン風邪パンデミック,すなわち大インフルエンザパンデミックは,1918年から1920年にかけて世界中を席巻した.パンデミックによる死者は人類の約 2%(約 4,300万人)にのぼった.パンデミックは3回にわかれて到来した.3つの波は次のとおり:
(1) 1918年春(第一次世界大戦の終戦年).
(2) 1918年9月~1919年1月(もっとも悲惨),兵士たちが密集させられてから帰郷することになったことが拡大の一因となった.
(3) 1919年2月~12月.
多くの著名人がこのパンデミックで死亡した―――今日の事態にとっていちばん目立つところを挙げれば,合衆国大統領ドナルド・トランプの祖父もそうした著名人だった.
表1 は,世界の超過死亡数を示す(43ヶ国から得られたデータにもとづく),
▼表1: 大インフルエンザパンデミック時の死者数,1918年~1929年(百万人)
スペイン風邪の死亡率を今日のパンデミックに単純に敷衍すれば―――ありそうにない事態だが上限を見極める助けにはなる―――愕然とする死者数になる.今日の世界で死亡率が 2% なら,1億5000万人が死亡することになる.これは,ありそうにない結果だ.
経済的打撃はどうなるだろうか? Barro et al. 論文は,1918年~1920年に世界各国で見られたさまざまなインフルエンザ強度を敷衍して,GDP への影響を推計している.推計の結果は,粛然たるものではあるが,憂慮すべきほどではない.典型的な国において,大インフルエンザパンデミックによる1人当たり実質 GDP の減少は,6.0% だった.これに比べて,Barro et al. による推計では,第一次世界大戦による影響はマイナス 8.4% だった.
トンネルの向こうの光
ヨーロッパと合衆国は,多くの評論家たちが「急角度の経済下降」と呼ぶものに向かって進んでいる.だが,多くの政府はこれを一時的な経済的ショックとみている―――これには,もっともな理由がある.中国の事例の一分析は,トンネルの向こうに光があるとすら主張している.囲み記事3 は,これに関わる事実を紹介している.これはいいニュースではある.だが,悪いニュースもある.今回のパンデミックの第一波は,それで終わりではないかもしれないのだ.伝染病では,〔感染拡大の〕再発はよくある現象だ―――たとえばスペイン風邪がそうだった(囲み記事2).
景気後退は,医療上の必要事項だ.これは前提だ.だが,政府は経済の後退曲線を平坦に近づけようと試みられるし,試みるべきだ.
囲み記事3: 中国の L字回復:グラウンドゼロからのニュース
〔武漢の〕ロックダウンから50日が経過して,中国はゆっくりと再起動しつつある.その経済的損失の全貌はいまだ見えていないが,多くのアナリストたちの予想よりも大きな損失となっているのは明白だ.工業生産は1月と2月に 13.5% 低下した.一方,Bloomberg によれば,推定の中央値は -3% だった.
中国の現状は,平時からはほど遠い.だが,交通渋滞はふたたび発生し始めており,大気汚染レベルも上昇しつつある―――どちらも,経済活動が再開されつつあることをはっきりと示す指標だ.図9 を参照.
景気後退曲線をどうすれば平坦に近づけられるか?
本 eBook の執筆陣の共通見解は―――それどころか,この主題について執筆している先進的経済学者たちの大半の共通見解は―――ごく単純だ.本 eBook の題名が,その共通見解を言い表している:「すぐに動け,やるべきことはなんでもやれ.」 政府は,「景気後退曲線を平坦に近づける」各種政策を採用しつつ,経済に長く持続する打撃を回避すべきだ.政府は,景気後退が終わるまで「明かりをともし続ける」のになすべきことをなんでもやるべきだ.
イタリアの経済財務相ロベルト・ガルティエリが公言したように:「ウイルスゆえに仕事を失う人は誰一人出さない.」 これに,次の言葉を付け足してもよかっただろう:「そして,もし誰かが仕事を失ったなら,新しい仕事を見つけるまで所得を補償してその人を支える.」 これは,本書の Alberto Alesina と Francesco Gavazzi が言っている言葉だ.実際,この原則は,ユーロ圏危機に際してマリオ・ドラギが発した有名な言葉に似ている.欧州中央銀行はユーロを救うのに「必要なことはなんでも」やるというのが,彼の言葉だ.人々がこの発言を信じたために,ユーロ圏が空中分解しない世界を想定するものへと人々の予想が再調整された.すると,この予測の転換が,自己成就的なものとなった.これこそ,政策担当者たちが今日の COVID-19 危機で目標とすべきことだ.
このアドバイスは,2つの前提に立っている.
#1: 医療ショックが一時的なものであること.医療ショックがやがて消散すること.医師たちがワクチンと治療法を開発すること.
たとえば中国は,およそ3ヶ月で流行曲線を最後までくぐり抜けた(厳格な封じ込め方策を採用することによって).中国ほど管理の強くない社会で同じことを期待するのは楽観的かもしれない.また,ウイルスは再発するかもしれない(囲み記事2を参照).だが,やがて21世紀医療の武器が―――とくにワクチンが―――パンデミックを終熄させるだろう.
#2: 経済的な打撃は永続的なものとなりうること.予防的な対応をとらなければ,景気後退が終わったときにも仕事がないかもしれないし,多くの企業が倒産するかもしれないし,銀行や国のバランスシートは毀損されるかもしれない.
ここでカギとなるのは,「経済的な瘢痕組織」の累積を減らすことだ―――不必要な個人破産・企業倒産の件数を減らし,働いていないときにも支出しつづけられるお金を人々が確実に手元にもてるようにする.これには,流行曲線を平坦に近づけるのに必要とされる自主的な隔離を助成するという副次効果がある.
経済政策にとって「なすべきことはなんでも」の瞬間かつてオバマ大統領のチーフエコノミストをつとめた Jason Furman は,「なすべきことはなんでもやる」のアイディアにいくつかガイドレールを付け加えている.彼の助言は,6点にわかれる:
(1) 過ぎたるは,及ばざるにまさる.〔やらなくていいことをやってしまう方が,やらなくてはいけないことをやらずに終わるよりもマシだ〕
(2) できるかぎ既存の仕組みを用いる.
(3) 必要なら新規プログラムに投資する.
(4) 重複や「意図せざる勝者をおそれず,多様な対応策をそろえる.
(5) できるかぎり民間部門の協力を求める
(6) 対応がダイナミックで持続的なものであることを保証する
基本的なアイディアは,図8 の赤い×印すべてに対処することだ.世界の国々は,この一時的ショックが経済に与える打撃を最小限に抑えるべく,景気後退曲線を平坦に近づける対策パッケージを慌ててまとめようとしている.そうした政策は,6つの箱に仕分けると有用だ:
・財政政策
・金融政策
・金融規制緩和政策
・社会保険政策
・産業政策
・貿易政策
こうした政策の個別事情については,本 eBook のさまざまな章に見つけられる.完全な行動プランを提示している章もいくつかある.そうした章は,複数著者によるものもあるし(Bofinger et al. と Bénassy-Quéré et al.),Christian Odendahl & John Springford,Gita Gopinath(IMFチーフエコノミスト),Shang-Jin Wei,Luis Garicano が担当した章もある.Adam Posen の章は,とくに多角的な協調の次元を強調して政策カテゴリーに目を向けている.彼が記しているように:「COVID-19 パンデミックに対応した国際的な経済政策協調は,容易に受け入れられるものとはなりそうにない,[しかし](…)足並みを揃えた行動の力を諦めるべきではない(…)」
また,個々の国を集中的に取り上げた章もある.Huang et al. 論文は,コロナウイルスが中国経済にもたらした影響の包括的な詳細分析とこれまでの政策対応および今後の経済政策担当者への推奨事項を提示している.Jonathan Anderson の章は,中国指導部を過去数年の経緯という文脈において考察している.Nora Lusting と Jorge Mariscal の章と Furman の章は,合衆国がとるべきパッケージに関心を集中させている.Inkyo Cheong の章は,韓国の政策担当者たちが景気後退への対処で経験したことを取り上げて,さらに彼らがなしうることを提案している.
Philip Lane(欧州中央銀行の執行委員会メンバー,アイルランド中央銀行の前総裁)の章では,もっぱら金融政策にしぼって議論している.Thornsten Beck の章は,銀行・市場・その他の金融機関のために考察されるべき一群の対応策を提案している.
もっとも大胆な政策案のひとつを,Jordi Gali が提案している―――「ヘリコプターマネー」を使って「なすべきことはなんでも」パッケージの支払いに充てるというものだ.彼の論証は単純だ:社会は,政府支出の大幅増加を緊急に必要としている,だが多くのヨーロッパ政府ですでに延伸されている債務維持可能性レベルは,リスクを呈する.それより悪い結果は,COVID-19 景気後退が COVID 公的債務危機に変化することだろう.
財政政策グローバル金融危機 (GFC) に際して,各国の中央銀行は救援に乗り出した.同じことは2011年のユーロ危機でも起きた.COVID-19 危機では,金融政策はそれほど効果的なものとなっていない.金利の大幅切り下げはなさたものの,危機の深度と持続期間の予想は,あまり影響を受けていないように思われた―――少なくとも,金融市場で目撃された歴史的な下落から判断すれば,そうだ.
今回は,財政政策が救援の先頭をきるべきだ.なぜなら,主なショックは実体経済からやってきているからだ.だが,グローバル金融危機やユーロ危機での金融政策がそうだったように,政府も「なすべきことはなんでも」の用意を調えるべきだ.
各国の政府は,すでに財政の方策で対応している(図10).いまのところ最大の対策パッケージを公表したのは香港で,その額は GDP の 4% にのぼる.イタリア・スペイン・イギリスも,GDP の約 1.5% にあたるプログラムを持ち出している.その大半は,家計と企業を対象とした財政支援だ.対策には,次のようなものがある:〔感染拡大やその封じ込め対応で〕影響を受けた労働者への所得助成,納税の猶予,社会保障費の猶予または助成,債務の返済猶予,国から企業への融資または信用保証.
3月13日にドイツが出したプログラム「従業員と企業のための保護シールド」には,企業の流動性を支えるために国有のドイツ復興金融公庫 (KfW) から無制限の融資を保証することも含まれる.ドイツの財務相は,このプログラムを「巨大バズーカ」と名付けた.
巨額を支出するということは,政府債務に巨額が加わるということだ.懸念すべきだろうか? 戦争・災害・疫病・深刻な景気後退は,巨額の財政赤字を出し債務を積み増す教科書的な例だ.たとえば,イギリスはマネタイゼーションに支えられた負債を用いて第二次世界大戦の戦費をまかなった.これにより,イギリスの債務はピーク時に GDP の 250% 近くにまで増加した(図11参照).このチャートでは,黒い縦線で第一次世界大戦の勃発,大恐慌,第二次世界大戦,グローバル金融危機を示している.
▼図10: すでに公表済みの財政的な対応策(対 GDP 比)
▼図11: イギリスの対 GDP 比債務(1900年~2020年)
医学的な感染の曲線を平坦に近づける戦いを,マクロン大統領は「戦争」と呼んでいる.経済への悪影響を減らす戦いも,最終的には,平時には想像もされない対応策を必要とするかもしれない.
財政政策が前線に立つべきではあるが,その一方で,金融政策は支援役を果たさなくてはならない.(株式市場ではなく)金融システムの流動性を保証する役目だ.
雨が降るさなかにヨーロッパの屋根を修理する―――今日の感染拡大の発生地に関心を集中させるクリスティーヌ・ラガルドが IMF の専務理事をつとめていたとき,ヨーロッパの政策担当者たちによくこう求めていた.「太陽が照っているあいだに屋根を直さなくてはいけません.」 こう呼びかけていたのは,ラガルドだけではなかった―――その逆に,大勢の専門家たちが声を揃えて警告していた.「ユーロの屋根はすでに雨漏りがしている,今度また雨が降り出すまでに改革を完遂させておく必要がある.」 そしていま,雨が降っている.大雨だ.
改革アジェンダが未完のため,ユーロには財政を安定化させるのに意味のあるツールがなく,共通の安全資産がなく,共通の預金保険がなく,いまだに「破滅のループ」に苦しんでいる (e.g. Alogoskoufis & Langfield 2018).今回の危機と闘うとなれば,〔そのユーロ圏の〕いたるところで債務水準を急激に高めることになる.だが,すでに債務水準が高い国々では,これがソブリン・スプレッド〔ある国の国債金利ともっとも安全とされる国債金利の差〕の急激な高まりの引き金を引いて悪しき循環に陥ることもありうる.〔ユーロ圏内の〕金融の分断と通貨切り下げリスクの恐れから,ふたたびユーロ危機に陥り,資本の流れが急にとまることにもなりかねない.そんな事態は,パンデミックのさなかにある世界がのぞむものではない.
過去10年間にユーロ圏が創出した仕組み・制度は,この種の危機のために設計されてはいない.そうした仕組み・制度は,金融部門または公共部門に端を発する非対称なショックがどこか単独の国を(または複数の小国を)襲った場合を想定して設計されている.ユーロの主な保護シールドは,国債買い入れプログラム (OMT) だ.OMT により,欧州中央銀行は当該国の国債を購入できる.ただし,これが可能なのは,その国が「欧州安定化メカニズム」(ESM) のプログラムに入るのに同意している場合にかぎられる.2011年のユーロ危機でアイルランドが同意したのがその一例だ.こうしたプログラムは,〔当該の国に〕悪しき烙印を押し,融資条件を追加することになる(通例では,財政再建が融資条件に入れられる).これは,いまの状況にはふさわしくない.いま起きているのは対称的なショック,共通のショックであり,財政赤字をいっそう大きくする必要がある.
また,モラルハザードは―――平時であればヨーロッパ共通の行動にあたって主な懸念事項の1つとなるものの―――パンデミックによる災厄には当てはまらない.この災厄は,完全に外生的なショックだ.パンデミックでの支援から利益を得ようと不十分な財政規律をさまざまな国々が適用することが,モラルハザードの前提条件となるだろう.明らかに,この論理は当てはまらない.Pierre Olivier Gourinchas 論文が述べているように:「なにしろ,ウイルスを構成する RNA はインセンティブや国境など意に介さないのだ.」
この危機が一国単位の問題なのか EU での行動を必要とするのかをめぐる論議は無用だろう.この危機から経済に生じる副産物は,明らかにヨーロッパの問題だ.ヨーロッパには共通の財政枠組みがあり,ユーロ圏には共通通貨があって危機対応でどこか一国ができること・できないことを制約しているからだ.それに加えて,封じ込めの施策は,近隣諸国に正と負の外部性をもつ.イタリアのロックダウンは,ウイルスを止めなかった.だが,他国への感染の広まりを遅らせ,他のヨーロッパ諸国にほんの数週間ながら準備期間をもたらした(大部分は無為に費やされたが).
ヨーロッパがこれまでに持ち出してきた施策は,すぐさま不十分なのが判明するだろう.欧州委員会は,EU の財政支援ルールや国家支援ルールの柔軟性を活用しヨーロッパの予算を動員することですばやく動いた.「コロナ対策投資イニシアティブ」に370億ユーロを,そしてさらに制度的資金280億ユーロをこうした支出に充てられるようにするという欧州委員会の提案を,EU加盟国は歓迎した.また,欧州投資銀行 (EIB) を動員してヨーロッパの企業に当座の資本貸し付けを支援するという欧州委員会のイニシアティブも,加盟国は歓迎している.だが,決定的な政策対応の協調行動はなんら公表していない.
もっと包括的なヨーロッパのアプローチが2つの水準で必要だ.
「転ばぬ先の杖」のことわざがいまほど当てはまるときもない.
EU は大胆な「カタストロフ軽減プラン」を必要とするBénassy-Quéré et al. 論文は,EU レベルでの「カタストロフ軽減プラン」で加盟国のパンデミック対策共同行動を支援するよう提案している.EU は,緊急対応全体のかなりの部分を管理・資金提供する責任を引き受ける.とくに:
Luis Garicano 論文では,これと別の大胆なプランを提案している.彼のアイディアはこういうものだ―――EU 加盟国が医療支出を負担するのをヨーロッパの各種制度が助ける.それには,EU 規模での医療支出を約 5% 増やす.これはおよそ 500億ユーロの費用となるだろう.これに加えて,企業(とくに中小企業)を救う金融的な緊急対策をドイツの「バズーカ」に並ぶ大胆な規模で提供すべきだ.欧州投資銀行 (EIB) が達成できるレベルのレバレッジを想定すると,これには 2750億ユーロほどの保証が必要となるだろう.また,ヨーロッパ規模での短時間労働プログラムも彼は提案している―――加盟国全体で短期雇用を保護する機関を支援するプログラムだ.こうした機関の主な目的は,従業員を解雇することなく企業が流動性〔お金〕をもてるよう保証することにある.従業員を追い出すことなく,企業は従業員の労働時間を減らせる(必要なら 100% 減らせる).そうすることで失われた賃金(の相当な割合)は,国が労働者に補償する.
EU 規模のバズーカをどうやってまかなうかGaricano 論文の推定では,こうした包括的プランのコストはおよそ 5000億ユーロにのぼる.これは巨額だ―――国の債務の維持可能性問題を生じさせるのに十分な巨額だ.ヨーロッパの水準でその資金を調達するにはどうすればいいのだろうか? 次の選択肢がある:
#1. EU 予算の再配分EU 委員会はすでにこの柔軟性を活用しているが,その規模は制限されている.なにしろ,EU 予算は EU の GDP の 1% にすぎないのだ.
#2. EU 予算枠組み外での加盟国どうしの協力これは,ギリシャ危機とユーロ危機にあたって組織されたのと同様の資金提供だ.これら2つの危機でなされた協力により,欧州金融安定基金 (EFSF) の創設につながり,最終的には ESM が創設された.その欠点は,自発的であるために,フリーライダー問題に起因する組織の困難がある点だった.事態はいまやもっと切迫している.
#3. 「パンデミック債」これが目下の状況では最良の答えだ―――パンデミック債によって共同発行を行うという方法がある.
本書の寄稿者の多くは,次の点で意見が一致している―――「共通の債券発行こそ共通のショックに対する適切な対応である.」 Pierre-Oliver Gourinchas 論文では,ESM が2つの限定的な用途のために共通の債券を発行することを提案している:その用途とは,必要な医療支出の資金と,ウイルスの影響を受けた国々での経済的な破綻を防止すること,この2点だ.Charles Wypklosz 論文も,共同で発行された債券をとおして複数の国家が集団として借り入れを行うべきだと論じているが,同論文は国々が見解を一致させられるか懐疑的だ.
ユーロはより強固な屋根を必要としている第二の優先事項は,「ユーロ圏が持ちこたえる」と市場を安心させることだ.かりに債務があらゆる水準で増加したとしてもヨーロッパのさまざまな制度・仕組みが「ユーロ圏は持ちこたえる」という信憑を裏打ちするのに利用できるのだと市場が納得する必要がある.これには2つの解決法がありうる.ひとつは ESM プログラムを通じて信用できる OMT プログラムを加盟国すべてに実施することだ.
この目的に利用できる既存の仕組みは,〔無制限の国債買い切りを行う〕OMT(「なすべきことはなんでもやる」という有名なドラギ総裁の言葉を裏打ちしていた仕組み)と,EU 加盟国すべてが参加する ESM のなんらかのプログラムを組み合わせたものだろう.前述のとおり,こうした仕組みはいまの目的にはそぐわない.最低限でも,ESM の条件は改められねばならないし,こうしたプログラムに参加することで押される悪しき烙印も減らさねばならないだろう.そうでなければ,今回は諸国がこのルートを選ばないだろう.
ESM プログラムについてまわる悪しき烙印の問題は,2009年の銀行危機で直面したものに似ている.ユーロ圏の加盟国のなかには,自国経済と金融システムを安定させるには支援を受け入れるのが必須だと考えたものの,それによって悪しき烙印が押されてしまった国々がいる.合衆国の場合,この問題は巨大銀行に選択を与えなかったことで克服された―――合衆国の連邦政府はさまざまな巨大銀行の資本構成をいっせいに変えた.これにより,個々の銀行の悪しき烙印は消し去られ,銀行の支払い能力をめぐる疑惑は消失し,合衆国の銀行制度への信用が回復した.ヨーロッパでは,悪しき烙印の問題により,銀行の資本構成があまりにわずかしか変えられず,制度は弱くなり,銀行危機が長引いた.
これと類似した解決法としては,ユーロ加盟国すべてが同時に ESM の与信枠に同意するというやり方がありうる.実際のところ,変更が必要な既存のラインは2つある:「予防的条件付き与信枠」(PCCL) と「強化版条件付き与信枠」(ECCL) の2つだ.これらを用いれば,悪しき烙印は軽減されつつ,OMT の採用の法的必要事項は満たされるだろう.これにより,信用シールド [confidence shield] がつくりだされる.
この選択肢にも問題点がある.その1つは,与信枠がすべての加盟国によって利用されず,それゆえに,よりニーズの大きい国々を好遇する再配分が望ましくなるという点だ.さらに,この解決法が国どうしの対立の種になり,拒否権をもつプレイヤーが一国もない場合にしか機能できないかもしれない,という問題点もある.
Jason Furman 論文が述べているように:「必要ならば新しいプログラムを考案すべし.」 資金調達の難問はこれだ:国の支出を増やし,したがって借り入れを増やしつつ,COVID-19 危機を債務危機に転じないようにするには,どうすればいい? OMT が停止していたり緩慢であったりした場合,資金調達の第二の選択肢は,新しい仕組みをつくりだすことだろう:ESM か EIB(またはこの2者の組み合わせ)によって発行される共通パンデミック債がそれだ.このパンデミック債の格付けは高くないといけないだろう.それには,こうした制度の資本増強が必要になるかもしれない.パンデミック債は,パンデミック対応の目的に限定し,極度の緊急事態の場合に制限するように,その仕組みを整える必要があるだろう.
このパンデミック債で調達された資金は,参加国それぞれに比例配分されてもよいし,EIB や ESM の特定活動に流れてもよいだろう.債券の利払い・返済は EU 予算をとおしてなされてもいいし,あるいは EU の「特別連帯税」(経済の回復をまってから課税)というかたちをとってもいい.
この解決法には重要な長所がある.それは,一国の水準をこえた債務を構成するため,一国の債務水準を高めることがない点だ.ただし,各国の政府はそれぞれの ESM/EIB の資本シェアをとおして偶発負債をもつことになる.このパンデミック債は欧州中央銀行の資産購入プログラムの対象となる条件を満たすだろう.
全体として,パンデミック債は,危機のコスト(上述)を払う資金を調達する助けになりつつ,市場・企業・市民に「ヨーロッパは統合されており〔加盟国〕すべての利益のために機能する」という強力なシグナルを送るという二重の責務を果たすだろう.そうなれば,信頼の醸成は加速するだろう.
これは「締めくくり」にあらず―――事態の展開に注意平時であれば,COVID-19 危機が通常の危機であれば,威勢のいい言葉でこの序文を締めくくるところだろう.論考の主な「お持ち帰りメッセージ」をまとめ,行動を呼びかけ,華麗な修辞で終わるところだ.いまは平時ではない.ここに記すのも,締めくくりの言葉ではない.そのかわりに,政策分析と逓減が急速に発展・進行中だと指摘しよう.
この序文を仕上げているさなかに起きている事態の急展開を2つ挙げよう:スペイン政府はさきほど2000億ユーロの対策パッケージを公表した.これは,GDP の約 20% にひとしい.また,事態を憂慮する経済学者たちのグループが提言を発表している.EU が法律を改正して欧州中央銀行が貨幣発行で財政赤字をまかなえるようにすべしという内容だ.この提言は,すぐさま支持を集めている(Vox のウェブサイトにあるマニフェストを参照).
economic dislocation は経済的脱臼です。この文脈ではつまり経済破綻と訳してかまいません。
あと、euro area will remain intact を「無傷のまま」と訳すのはちょっとやりすぎ。現状で見て無傷のわきゃねーですわな。「崩壊はしない」「持ちこたえる」くらいが適切です。
“dislocation” の箇所と “intact” の箇所をなおしました.ご指摘助かります.
あとbetter to do too much rather than too little のtoo little は、やりそこねると言うべきか、迷うところで、「出し惜しみする」とかにしたほうがいいかと思うけどちょっちちがうかなー。あとその下、毀損→既存
タイポを直して,better to do … の訳文を考え直しました.
ありがとうございます.,