マーク・ソーマ 「『マルクス主義者と保守主義者は両者が認めたがらない程多くを共有している』 」 (2015年8月15日)

Mark Thoma, ‘Marxists and Conservatives Have More in Common than Either Side Would Like to Admit’ (Economist’s View, August 15, 2015)


 Chris Dillowがマルクス主義者と保守主義者の共通基盤について語っている:

公平・脱集権化・資本主義: マルクス主義者と保守主義者は両者が認めたがらない程多くを共有している。Andrew Lilicoの素晴らしい小論を読んでいると、この考えに思い至った。

彼は、ケーキを公平に – つまり確かに 『恨みっこなし (envy-freeness)』 にして置くという意味だが – 切り分ける為に用いるBrams-Tylar手法を説明した上で、この様に、国家などの集権的仲介者が無くても公平の確保が可能なのは明らかであると述べるのだ: …

本小論がいうところの適切なメカニズムでは、力関係に一定のバランスが保たれているので、何人たりとも 「その値段に不満なら、買わなくて結構」 などといった言葉を吐くことは出来ないことになる。

ここでマルクス主義者のご登場となる。彼らは主張する、資本主義においては、かくなる適切なメカニズムなど在りはしないのだ、と。マルクスその人が強調したところによれば、労働市場とは或る種の闘技場であり、しかもそれは力関係のバランスを欠いた闘技場なのである。…

マルクス主義者はこの状況が国家によって是正されるとも期待していない。何故なら国家は資本家の手の内にあるからだ – 国家とは、「ブルジョア階級全体が共有する関心事を滞りなく処理するが為の、一委員会に過ぎない」 のだ…

代わってマルクスが考えたのは、公平の実現は、ただ資本主義と国家、この双方を廃止し – これは、高度の経済的発展段階に至って初めて実施可能となるものであるが -、続いてそれを何らかの脱集権化された意思決定手段と挿げ替えることによってのみ、達成され得るというものだった。…

この意味では、マルクス主義者もAndrewと意見を共にしている。すなわち、集権的仲介者が居なくとも、人は自ら公平な分配を見出すことが出来るのである。…

 

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