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マーク・ソーマ 「スタインベックの回想 ~激動の1930年代を振り返る~」(2009年4月19日)

●Mark Thoma, “John Steinbeck: A Primer on the ’30s’”(Economist’s View, April 19, 2009)


『怒りの葡萄』の著者である)ジョン・スタインベック(John Steinbeck)が1930年代を回想して書いた文章1が知人からメールで送られてきた。

●John Steinbeck(1960), “A Primer on the ’30s’”(in America and Americans and Selected Nonfiction, pp. 17-31):

1930年代の記憶はしっかりと脳裏に焼き付いている。過酷な30年代。トラブル三昧の30年代。意気揚々たる30年代。上り調子の30年代。・・・(中略)・・・1929年の記憶は鮮明そのものだ。・・・(中略)・・・株価の高騰のおかげで、普通に働いていればおそらく手に入れることなど思いもよらなかった大金を、紙の財産のかたちで稼ぎ出し、意識も虚ろに幸せそうな顔を浮かべる人々の群れ。・・・(中略)・・・私が住んでいた小さな町では、銀行の頭取も、保線作業員も、ブローカーと連絡をとるために我先にと公衆電話に駆け込む姿が当たり前の光景だった。誰も彼もが、多かれ少なかれブローカーだったのだ。昼飯時になると、お店の店員も、速記者も、サンドウィッチをほおばりながら株価ボードをにらみつけ、ピラミッド式に膨らむ財産の勘定に忙しい。カジノのルーレット盤のあたりに足を運べば、似たような光景を目にすることができるだろう。

・・・(中略)・・・

そうこうしているうちに、株価の暴落が始まった。・・・(中略)・・・事情に通じたその世界の大物たち(Big Boys)が、メディアの取材に繰り返し応じていた姿を思い出す。破産の瀬戸際に立たされた百万長者たちを安心させるために、わざわざ新聞に次のような広告を出した大物もいた。・・・(中略)・・・「恐れる必要はありません。買いです。買い続けるのです」。その間に、大物たちはまんまと売り抜ける。株価の下落は止まらない。

パニックが到来し、世間にはどんよりとしたムードが漂い始める。・・・(中略)・・・通りには、頭を強打された後かのように、そこら中をのろのろと徘徊する人々の群れ。・・・(中略)・・・人々はふと思い出す。「そう言えば、銀行の預金口座にいくらかお金が残っていたはずだ」。何も信じられない世界で、唯一頼りになる確実なもの。わずかな預金を引き出すために、銀行に殺到する人々。そこら中で殴り合いや暴動が頻発し、大量の警察官が出動する。倒産する銀行も現れ、(「あそこの銀行も倒産間近らしい」との)噂が街を駆け巡る。

・・・(中略)・・・

権力の座に就いていた面々はどうだったか? 当時の私の感覚では、米政府も自信を失って恐れ戦いていたかのようだったし、今振り返ってもそう思う。ホワイトハウスの周囲には、厳重な警備体制が敷かれていた。大統領が同胞(国民)のことを恐れている何よりの証拠。そのように見えたものだ。・・・(中略)・・・ ホワイトハウスを取り巻く当時の状況を長々と語ってきた理由は、政治の世界だけでなく、その他の世界のリーダーたちの姿勢もそこによく表現されているからだ。ビジネス界のリーダーたちも、銀行家たちも、パニックに陥っていた。労働者たちは、工場を閉鎖しないでくれと懇願した。・・・(中略)・・・リーダーたちは、恐怖で震える声で語り続けた。深刻な不況など起きるはずがない、と。しかし、現実はその方向に向かって着実に歩を進めている最中だった。

・・・(中略)・・・

他人の家に侵入して、盗みを働く必要はなかった。・・・(中略)・・・WPA(公共事業促進局)が国中で仕事を提供していたからだ。・・・WPAは、働き手たちを一箇所に縛り付けた。というのは、WPAが用意した仕事というのは、シャベルにもたれかかることくらいだったからだ。私の叔父は、WPAに救済された人々がシャベルにもたれかかっている姿を見て苛立ちを募らせている一人だった。「シャベルにもたれかかることも必要なんです」。私がそう主張しても、叔父は嘲るばかり。そこで賭けを申し出た。「叔父さんは、15分間一度も休まずに砂をすくい続けられますか? 5ドル賭けてもいい。絶対にできませんから」(正直なところ、その時は、5ドルなんて大金は持ち合わせていなかったのだが)。すると、叔父は、近くにあったシャベルをつかんで、砂をすくい始めた。砂をすくい始めてから3分も経つと、叔父の顔は真っ赤になり、6分経つ頃には、足元がふらつき出した。叔父に卒中でひっくり返られてはたまらないということで、叔父の奥さんが割って入ったのは、叔父が砂をすくい始めてからまだ8分も経っていない頃だった。それ以降、叔父の口からシャベルもたれの話題が出ることは一切なかった。頭脳労働は肉体労働よりも大変だという意見を耳にするたびに、笑いが込み上げてくるものだ。デスクを離れてシャベルを手に取ることを好き好んで選ぶ人なんて果たしているだろうか?

・・・(中略)・・・

・・・ヒトラーがのし上がり、ムッソリーニが鉄道を時刻表通りに走らせた30年代は、アメリカでもツァー(独裁者)の成り手が続々と名乗りを上げた時代だった。ジェラルド・スミス(Gerald L.K. Smith)に、カフリン神父(Charles Coughlin)ヒューイ・ロング(Huey Long)フランシス・タウンセンド(Francis Townsend)。社会不安や社会の混乱、民衆の憎悪を利用して、権力をその手につかもうと画策した面々だ。

クー・クラックス・クラン(KKK)も、少なくとも構成員の数に照らす限りでは、その勢いを増した。・・・(中略)・・・共産主義者たちもアクティブに動き回り、誰とでも共同戦線を張る意向を打ち出していた。・・・(中略)・・・生活のすべてをかけてストライキにのめり込んだタフな連中は別だが、私が実際に会った「いわゆる共産主義者」の大半は中流層に属する中年の人間によって占められており、夢心地な気分で政治活動に参加していた。経済的に恵まれていたとある女性が、自分よりも裕福な同志の女性にこう語りかけていたことを思い出す。「革命が成就した暁には、今よりもっと裕福な生活が待っているはずですわよね?」。

・・・(中略)・・・

とある晩には、マディソン・スクエア・ガーデンで開かれた、親ナチス組織の集会の様子をラジオで聴いた。訓練が行き届いた様子の茶色の服を着た大勢の聴衆を前にして、憎悪を煽る金切り声が響き渡る。しばらくすると、壇上で語る男の口から見過ごせない発言が飛び出たようだ。床に叩きつけられて、壇上から引き摺り下ろされる男。拳で体を殴る音が聞こえる。その男の口から出たのは、「アメリカ最優先」を訴える主張だった。ラジオの前にいる人間には、ナチスの姿勢と瓜二つに聞こえたものだ。

・・(中略)・・・

繁栄が再び訪れる。暗い日々を彩った、温かみのある友好的な交わり――デトロイトでの凶暴なストライキとそれに対する使用者側の報復、シカゴでの人種暴動、催涙ガスに警棒、ピケットラインを挟んで交わされるヤジの応酬、ひっくり返された車――も最早過去のもの。獰猛さは、恐怖の裏返しだ。男というのは、怯えると残忍に振舞わずにはいられない生き物なのだ。

・・・(中略)・・・

奇妙な出来事が目白押しの30年代も、終わりを迎えようとしていた。それから後は、時間の流れが早まったように思われたものだ。アメリカ国家も、アメリカ国民も、知らず知らずのうちに密かな変化を遂げていた。正真正銘の革命が成し遂げられていた。しかし、その最中には、そのことにうっすらとしか気付かれていなかった。

・・・(中略)・・・

数週間前のことだ。ニューヨークのミッドタウンで働く友人のもとを訪れたのだが、昼飯を食べるために連れ立つと、「君に見せたいものがある」とその友人。連れて行かれたのは、ブローカーの事務所。株式の取引状況をびっしりと記録した木製のボードが壁一面を覆い尽くしている。・・・(中略)・・・オーク材のボードの背後にいるのは、立錐の余地もなく立ち並ぶ市井の人々。事務員に、速記者、笑顔を浮かべるビジネスマン。彼らの大半は、昼飯時にサンドウィッチをほおばりながら株式市況を確認するのに余念が無い。・・・(中略)・・・恍惚の表情で、目が据わっている。カジノのルーレット盤のあたりでよく目にする光景だ。

  1. 訳注;私自身は現物を確認していないが、スタインベックのこの文章は、『「エスクァイア」で読むアメリカ(上)』に、「パニック、繁栄、そして戦争」(宮脇孝雄訳)というタイトルで収録されているようだ。 []

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