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マーク・ソーマ 「量的緩和が試みられていなければ」(2014年3月21日)/「ユーロをめぐる反実仮想」(2013年9月6日)

●Mark Thoma, “‘The Counter-Factual & the Fed’s QE’”(Economist’s View, March 21, 2014)


つい最近のコラム1で私が言わんとしていたことをバリー・リソルツ(Barry Ritholtz)がもっと巧みかつ簡潔にズバリと表現しているようだ(私自身は財政政策をテーマとしており、リソルツは金融政策をテーマにしているという違いはあるが、言わんとしていることは同じだ)2

Understanding Why You Think QE Didn’t Work” by Barry Ritholtz:

おそらく次のようなコメントを耳にしたことがあることだろう。「FRBが資産購入プログラム――別名「量的緩和」――に乗り出したにもかかわらず景気回復の足取りは遅々としている。この事実はFRBの資産購入プログラムが効果を上げていないこと(無効であること)の何よりの証拠だ」。

あなた自身もこの種の発言を口にしたことがあるとしたら「反実仮想」というものを理解していない証拠だということになる。

・・・(中略)・・・

このような欠陥含みの「ものの見方」は投資家の世界だけにとどまらず様々な方面でお目にかかるが、その背後には次のようなロジックが控えている。

「Xを試してみたがこれといった変化は見られない。結論:Xは無効である。」

「結果的に『何も起こらなかった』⇒Xは無効だ」式の発想が抱えている問題は「Xが試されていなければどういうことになっていたか」という観点が抜け落ちていることだ。「何の変化も無い」(「何も起こらなかった」)という結果は「Xが試されていなかった場合の結果」と比べたらまだマシ。そういう可能性もあるんじゃなかろうか? 「何の変化も無い」という結果の方が「フリーフォール」(急降下)という事態に比べたらまだマシ。違う?

何らかの腫瘍を抑えることを目的に開発された新薬の効果を調べるつもりだとしよう。その場合、その薬を投与されなかった患者グループ(「コントロールグループ」)にどういう変化が見られるかも確かめたいと思うことだろう。「コントロールグループ」に属する患者たちの間では時とともに腫瘍の量が急速な勢いで増えたとしよう。その一方で、新薬を投与された患者たちの間では(新薬が投与される前と比べて)腫瘍の量にこれといって変化が見られなかった(腫瘍の量が増えている様子は確認されなかった)としたら非常に好ましい(ポジティブな)結果として受け止められることだろう。

量的緩和の効果を測るにしても同様の問題に出くわすことになる。・・・(略)・・・「コントロールグループ」が欠けているようでは3量的緩和の効果がどれほどのものだったのかはっきり言ってよくわからないのだ。 ・・・(略)・・・

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●Mark Thoma, “‘The Euro Counterfactual’”(Economist’s View, September 06, 2013)


ユーロという名の共通通貨の実験は失敗に終わった。ユーロを導入していなければ現在ユーロ圏で暮らしている人々は今頃もっと快適な生活を送れていただろうに・・・。「そう簡単に結論付けてもいいものだろうか?」とアントニオ・ファタス(Antonio Fatas)が訝っている。

The Euro counterfactual” by Antonio Fatas:

金融危機が勃発してからというもの、ユーロ圏について次のようなコメントが口にされるのを何度も目にしたものだ。「だからはじめから言ってたじゃないか。ユーロ(という共通通貨)を導入するなんていうのは悪手も悪手だと」。つまりは、ユーロ圏は(経済学の専門用語を使うと)「最適通貨圏」を形成しておらず、共通通貨の導入に伴って生じるコストはその(共通通貨の導入に伴って生じる)便益を上回る、というわけだ。2008年まではユーロ圏はまずまずうまくやっているように見えたが、(2008年に)金融危機が勃発するやユーロ圏は正真正銘のテストに晒されることになり、その結果はというと「不合格」。どうしてテストに合格できなかったのか? マクロ経済学の標準的な教科書を開けばその答えが書いてある。共通通貨を導入すれば為替レートの調整というマクロ経済の安定化のために頼れる手段の一つを失うことになる。そのような中で同じ通貨圏に属する国ごとで晒されるショックにばらつきがあるような危機が到来したらどうなるか? 為替レートの減価(自国通貨安)に頼れない以上は国内の物価や(名目)賃金の下落(いわゆる「内的減価」)という痛みを伴う非効率的な調整に身を委ねるしかなく、その先に待ってるのは長引く危機だ。

ユーロ圏の現状に批判的な議論の理屈を跡付けると大体こういうことになるだろうが、なぜ今になってまたこのことを思い出したかというとそのきっかけはポール・クルーグマンが書いているつい最近のコラムにある。クルーグマンのコラムでは現在も危機の渦中にあるギリシャとアジア通貨危機に巻き込まれたタイとインドネシアとが比較されているが、アジアにあるその二カ国は為替レートの減価に頼ることができたおかげで危機の影響から瞬く間に立ち直ることができた一方で、ギリシャは為替レートの減価に頼れないこともあって危機の影響からまだ立ち直れないでいる(というかギリシャではまだ景気回復が始まってさえいない)との議論が展開されている。ケヴィン・オルーク(Kevin O’Rourke)も同様の論陣を張っており、「アイルランドは『バーツの無いタイ』みたいなものだ」と語られている。

理屈もしっかりしており強力な証拠も揃っている。一見するとそう思えるが、「ユーロという名の共通通貨の実験は失敗に終わった。ユーロを導入していなければ現在ユーロ圏で暮らしている人々は今頃もっと快適な生活を送れていただろうに・・・」と早々と結論付けてもいいものだろうか? (クルーグマンやオルークはそこまでは言っておらず、私が深読みし過ぎなのかもしれないと前置きした上で言っておきたいが)個人的には安易に首を縦に振ることに幾分か抵抗を感じるところがある。

できることなら「反実仮想」を拵えたいところだ。「ギリシャやスペイン、アイルランドといった国々がユーロを導入していなかったとすれば今頃どうなっていただろうか? ギリシャやスペイン、アイルランドといった国々が自国通貨を手放さずにいたとしたら2008年に勃発した危機の前後の状況はどうなっていただろうか?」 そのような「反実仮想」を拵えたいところだが、残念ながらそれは不可能だ。できることといえばせいぜい似たような実例(アジア通貨危機に巻き込まれたタイはその一例)にあたることくらいしかない。そこでこれから比較対象となりそうな実例やエピソードに目を向けていくつもりなのだが、参照する実例やエピソードの範囲を広げればその中には「ユーロという実験は失敗だ」とは必ずしも言い切れないような証拠も見つかるのではないか。私としてはそう主張したいと思うのだ。(以下続く

  1. 訳注;ソーマが執筆しているコラムの内容の一部を訳しておくことにしよう。
    「・・・金融政策だけでは景気回復の足取りを加速させる上で十分ではないとしたら経済にさらなる刺激を加えるために(できるだけ早く完全雇用を達成するために)財政政策にも頼ればいいのではないだろうか?
    理論的には答えは「イエス」だ。現代マクロ経済学の理論が伝えるところによると、財政政策は通常の状況では大して効果的な手段ではないものの、経済がゼロ下限制約に突き当たっている(名目金利がゼロ%に達している)状況では大いに効果的な手段だという話になっている。
    ところが、そのような見方に異を唱える声が数多く上がっている。「現実の証拠はそうなっていない」というのだ。標準的なケインズ経済学のモデルだと、政府支出の強制的な削減を強いる措置は景気の足を引っ張る力として働くという話になるはずだ。しかしながら、政府支出が強制的に削減された後もアメリカ経済の調子はまずまずだ。財政政策はマクロ経済に対してそれほど大きな効果を持たない。そのことを示す格好の証拠じゃないか。・・・というようにして異論が続出しているのだ。
    しかしながら、そのような理屈では財政政策の有効性をめぐる疑問に最終的な結論を下すことはできない。なぜそう言えるのか? 経済史の世界から例を引いてその理由を説明することにしよう。
    「クリオメトリックス(数量経済史)」(cliometrics)と呼ばれる経済史の研究分野がある。クリオメトリックスの専門家たちは精緻な経済理論と高度な統計手法(計量経済学的なテクニック)の助けを借りて歴史上の疑問に取り組んでいる。クリオメトリックスの分野の中でも広く知られている研究成果の一つに鉄道がアメリカ経済の発展にどれだけ貢献したかを計測しようと試みたロバート・フォーゲル(Robert Fogel)の先駆的な業績がある。鉄道が発明されていなかったとしたらアメリカ国民の生活水準は一体どのくらい悪化していただろうか? 鉄道の発達こそが1800年代におけるアメリカ経済の成長の原動力だ。それまで多くの専門家はそう考えていたが、そのような通説は厳密な実証分析に一体どこまで耐えられるだろうか?
    フォーゲルは経済理論の助けを借りながら「鉄道が発明されていなかったと仮定した場合にアメリカ経済が辿ったと思われるシナリオ」を跡付けた。鉄道が発明されていなければその代わりに道路の整備が進んでいたかもしれない。鉄道が発明されていなければ道路の整備はどこまで進んでいただろうか? 道路は一体どこまで有効に鉄道の代わりを務められただろうか? 鉄道が発明されていなければ道路だけではなく運河網(重くてかさばる荷物を輸送する別の手段)も発達していたかもしれない。鉄道が発明されていなければ運河網はどこまで発達していただろうか?
    フォ-ゲルが見出した答えは驚くべきものだった。鉄道はそれまで多くの人々の間で信じられていたほどには(アメリカ経済の発展を支えた要因として)重要なものではない。彼はそういう結論に辿り着いた。フォーゲルの推計結果によると、鉄道が発明されていなかったとしたら1890年時点のアメリカ経済のGNP(国民総生産)は現実の値をほんの2.7%程度下回っていたに過ぎなかっただろうというのだ。
    フォーゲルの研究が物語っているのはベースライン(比較基準)の重要性である。「特定の政策が試みられていなければ(あるいは特定のテクノロジーが開発されていなければ)経済全体のパフォーマンスはどうなっていただろうか」というベースラインをはっきりさせる必要があるのだ。政府支出が強制的に削減された後のパフォーマンスを調べるだけでは十分ではない。政府支出が強制的に削減された後のパフォーマンスだけを見て「何だ。経済の調子はいいじゃないか。政府支出の強制的な削減は大した問題じゃなかったんだ」と結論付けるのは早計に過ぎるのだ。仮に政府支出が強制的に削減されていなかったとしてもアメリカ経済のパフォーマンスは(政府支出の強制的な削減が断行された)現状よりもよくはなっていなかったはず、・・・と果たして言えるだろうか?
    ・・・(略)・・・
    まずは経済理論の助けを借りて「特定の政策が試みられていなければどういうことになっていたか」というベースラインを定める。そしてそのベースラインと特定の政策が試みられた後の現実の状況とを比較する。政策の有効性を測るためにはこうするしかないのだ。・・・(略)・・・」 []
  2. 訳注;王一川(Yichuan Wang)が2013年11月にQuartzに寄稿している記事(“Stop the taper talk—the Fed has actually done too little”)もあわせて参照するといいかもしれない。導入の部分を少しだけ訳しておくことにしよう。
    「つい最近公表された議事録によると、FRBはテーパリング(量的緩和の規模縮小)の準備を進めているようだ。しかしながら、景気回復を後押しする上でFRBがこれまでに果たしてきた絶大な役割を考えると、今の段階でテーパリングに踏み切ることは間違っている。そう言い切ってほぼ間違いないだろう。確かに失業率は下落傾向にあるが、長期失業者(失業期間が長期に及ぶ求職者)の数はまだかなり多いままだ。さらには労働参加率も低いままだ。景気回復は着実に進行中だが、今後もその調子が続くと保証されているわけではない。景気回復に伴って生じる果実を確実なものとするためにはFRBが金融緩和を通じて側面支援を続けるかどうかが決定的に重要な役割を果たすことだろう。
    この点をしっかりと飲み込むためには経済分析の中核に位置する概念を理解する必要がある。その概念とは「反実仮想」である。「反実仮想」というのは「起こり得た歴史」のことを指している。軍事史の世界から例を引くと、「ナポレオンがワーテルローの戦いで勝利を収めていたらその後の展開はどうなっていただろうか?」という問いへの答えが「反実仮想」ということになる。今回のケースでいうと、「FRBが量的緩和に乗り出していなかったら景気の成り行きはどういうことになっていただろうか?」という問いへの答えが「反実仮想」にあたる。この度の景気回復局面では連邦政府はベルトをきつく引き締める(財政緊縮に傾斜する)一方だった。・・・(略)・・・FRBが量的緩和に乗り出すことで財政緊縮に伴う政府支出の大幅な縮小の効果を打ち消していなければ、アメリカ経済はほぼ間違いなく不況に逆戻りしていたことだろう。」 []
  3. 訳注;「量的緩和が試みられていなかったとしたらどういうことになっていたか」という反実仮想との比較をしてみないことには、という意味。 []

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