イザベラ・マルチネス「所得税と労働力移住 」(2022年5月10日)

イザベラ・Z・マルチネス:

チューリッヒ工科大学KOFスイス経済学インスティチュート KOFシニアリサーチャー、CEPRリサーチアフィリエイト、WID.world リサーチフェロー

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概要:国レベル、そして国より小さい州のような行政単位でも高所得の納税者をめぐっての競争が行われており、ここ数十年、減税競争だけでなく積極的な徴税を抑制しようとする動きが活発になってきた。このコラムは、スイスの地方税の変化についてのデータを用いて、高所得層への所得税の低さは高所得者を惹きつけることを示す。しかし、税収への正味の効果は必ずしもプラスではない。税率引き下げから生じる機械的な税収減があまりに大きくなりすぎると、そのような減税では採算がとれないという事も起こりうる。

世界金融危機の後、そして多くの国々で格差が広がる中、高額所得者や超富裕層が税制上の理由から移住することへの懸念が高まってきている。多くの国々が低税率地域に自国の税収の大きな部分を奪われることを懸念しており、タックスヘイブンが厳しく警戒される様になってきた。

過去数年間、経済学研究は重要な貢献を果たし、高額所得者が実際に税制上の理由から国境を越えて移動していることを明らかにしてきた。これは、サッカー選手(Kleven et al. 2011、2013)、スター科学者(Akcigit et al. 2015、2016)、国際的に移動可能な高技能専門職(Kleven et al. 2013、2014)など、グローバルな労働市場の中で働く職業についてはとりわけそうなっていることが判明している。

しかし、タックスヘイブンは国際的な環境においてだけの現象ではなく、財政的に分権化された構造を持つ国の国内にもしばしば存在する。そして、国内での移住は国境を越えて移住するよりも一般的にコストが低いため、例えばMoretti and Wilson (2017, 2022)が米国について、あるいはSchmidheiny and Slotwinski (2018)がスイスについて示すように、高額所得者は税の違いに対してより敏感になる傾向がある(文献のまとめとしてはKeven et al. 2019を参照)。

しかし、税金の引き下げが高額所得者を惹きつける効果的な手段であるという十分な証拠が存在する一方で、税率を下げた行政にとってそれがどれだけの利益を、いや本当に利益をもたらすものなのかは必ずしも明確ではない。

最近の研究(Martínez 2022)において私は、スイス中央部に位置する小さな州オプヴァルデン(Obwalden)における減税を研究した。この減税の目的は明らかに高所得者を惹きつけることであり、そのために逆進的な所得税と富裕税が導入された。2006年、オプヴァルデン州は税制改正し、30万スイスフラン(CHF)以上の所得については低下していく限界税率を導入した。これは、スイスの上位1%の納税者の所得水準にほぼ相当する。逆進性の導入は、課税所得が50万スイスフラン(総所得が約 512,000スイスフランとなる)の独身納税者にとって、州の法定平均所得税率が改正後17.9%から14%に低下する事を意味した。一方、他の特徴は同じだが課税所得は30万スイスフラン(総所得約31万2,000スイスフラン)の納税者の場合、平均税率は17.6%から16.6%に低下するだけだった。図1はこれをしめしている(税の総負担にはさらに連邦所得税が含まれるが、これは全州で同じであり移動決定には影響を与えない事に注意されたい)。その逆進性からこの改革は連邦裁判所によって否決された。この判決を受け、州は2008年に税率が一定のフラット税を導入したが、これは所得階層トップの税負担をさらに軽減するものだった。

図.1 過去の税制改革後の法定所得税率と富裕税率

スイスの所得と課税は居住地に基づいて行われるため、納税者は低い税率を利用するにはオプヴァルデンへ移住すれば十分であった。さらに、スイスの税制は労働による所得と資本による所得を区別していないため、私が論文で示したようにこの改革は限界税率や平均税率に急激かつ大幅で顕著な低下をもたらした。そこで私は、時間的、州間、納税者グループ間の変化を利用し、オプヴァルデンのこの富裕層優遇税制の誘引効果を識別することにした。

連邦所得税データを用いて、私はまず(i)州ごとの高所得者の人口シェアと、(ii)オプヴァルデンの納税者一人当たりの純所得を他の州との差分の差分法により分析した。そのイベントスタディからの結果(図2)は、改革には意図通りの効果があった事をしめしている:2016年までに、オプヴァルデンの高所得納税者の割合は他の州よりも0.53%ポイント増加した。これは、オプヴァルデンの当初の高額所得者の割合からの100%増加となる。納税者一人当たりの純所得は17%増加した。

図.2 オプヴァルデンの課税基盤への効果のイベントスタディによる推計値

比較可能な税率変更の効果を得るために、経済学者は通常、平均税率を引いた値(つまり、1から平均税率を引いたもの)に対する弾力性を計算する。この率は、納税者が税金を払った後に手にする給与の割合を示している。

改革後の5年間において、私は州への移住者に関する大きな弾力性を発見した。平均税率引き後の率が1%上昇すると、高額所得者の流入が最大7.2%増加する。移住のこの反応は改正後すぐに現れたもので、時間の経過とともにいくらか平坦化した。州に住む高所得者のストックの弾力性(これは他の場所へ移動していたかもしれなかったが州に留まった住民を含めている)をより正確に推定すると1.5~2%の範囲にある。この点ではこの改革は成功だったと言える。

批判的な読者は、税制に対する移住行動のこのような大きな反応に疑問を持つかも知れない。しかしこの弾力性は制度的な文脈の中で理解されなければならない(Kleven et al. 2019)。4つの要因がこの大きな反応を説明する助けとなる。

1.  低税率を利用することについて、職業、収入源、国籍、出身地に関する制約がない環境下では弾力性は大きくなる。この点でスイスは、人々が自分の足で投票するTiebout(1956)モデルの世界に近いと言える。

2.  激しい議論を呼んだこの税制改正は大規模で目立つものであったので、税のための移住を検討する人が多かった。

3.  スイスはヨーロッパの中心にある小さな国であり、移動距離が短く故にそのコストが低い。

4. オプヴァルデン州は、高額所得者の移住や居住がほとんどない状態からスタートした。よって相対的な変化はその小さな行政区域にとっては大きなものであった。これはまた、経済理論が小規模な行政区域は税制競争から平均的に利益を得るが、大規模な行政区域は損失を受けると予測する理由でもある。

しかし、高所得者層が増えた以外に、オプヴァルデンは実際のところどれほどの利益を得たのだろうか?オプヴァルデン州の税収を他の州の税収と比較したイベントスタディの推定(図3)は、改革は税収を増やさなかったことを示している(これはこの疑似実験的な設定において対照群となる他の州は、オプヴァルデンの攻撃的な税金戦略により納税者を引き抜かれたので幾分かのマイナスの影響を受けたのにもかかわらずである)。確かに、オプヴァルデンの税収は時間とともに増加したが、他の州の個人税収はそれ以上に増加した[1] … Continue reading。したがって、これは、ある政策を評価する際に正しい反実仮想が何であるかを示す物語でもあるのだ。同様に、Agrawal and Foremny (2019)は、スペインにおける税率の差は移住の反応につながったものの、税率を下げることで生じる機械的な歳入減を補うには不十分であったことを明らかにしている。

図.3 州の税収の差分の差分法による推計

このことから私たちは何を学べるだろうか?高スキルの高額所得者を引き寄せることは、地域経済へのプラスの波及効果をもたらすかもしれない。しかしこれは、税についての政策が対象を絞り、産業政策と組み合わされた場合の話である。Moretti and Wilson(2017)は最高限界税率の低さがアメリカへとスター科学者を引き寄せたことを見出しているが、これは魅力的な法人税や投資税額控除との組み合わせととも行われた。これらは研究開発費の多い産業には特に重要なものである。オプヴァルデンの場合、私は地元の雇用が増加したことを発見した:2005年から2008年の間、フルタイム換算(FTE)の雇用数は11%増加したが、同期間のスイス全体の増加率は4.3%であった。1995年から2005年まで、オプヴァンデルのフルタイム(FTE)雇用の総数は一定であったのだから、これはさらに素晴らしいことである。差分推定によると、一人当たりの雇用数は2.3%、一人当たりのフルタイム雇用数は4%増加したことになる。これのイベントスタディが図4に示されている。しかし、これらの増加は個人所得税改革だけによるものではなさそうだ。オプヴァルデンは2006年に法人税を当時の国内最低税率である6.6%均一へと大幅に引き下げた。残念ながら、この2つの改革の効果を区別することはできない。しかしそうではあっても、これは個人所得税率の低下だけでは、減税競争ゲームから大きな利益を得るには十分でない可能性を改めて示唆している。

図.4 オプヴァルデンにおける人口あたりの総雇用とフルタイム換算雇用

参照文献

Agrawal, D R and D Foremny (2019), “Relocation of the Rich: Migration in Response to Top Tax Rate Changes from Spanish Reforms”, Review of Economics and Statistics 101(2): 214-232.

Akcigit, U, S Baslandze and S Stantcheva (2015), “The effects of top tax rates on superstar inventors”, VoxEU.org, 26 April.

Akcigit, U, S Baslandze and S Stantcheva (2016), “Taxation and the international mobility of inventors”, American Economic Review 106(10): 2930-2981.

Kleven, H, C Landais, M Munoz and S Stantcheva (2019), “Taxation and migration: Evidence and policy implications”, Journal of Economic Perspectives 34(2): 119-142.

Kleven, H J, C Landais and E Saez (2011), “Taxation and international migration of superstars: Evidence from the European football market”, VoxEU.org, 6 January.

Kleven, H J, C Landais and E Saez (2013), “Taxation and international migration of superstars: Evidence from the european football market”, American Economic Review 103(5): 1892-1924.

Kleven, H J, C Landais, E Saez and E A Schultz (2013), “Migration and wage effects of taxing top earners: Evidence from the foreigners’ tax scheme in Denmark”, VoxEU.org, 17 September.

Kleven, H J, C Landais, E Saez and E A Schultz (2014), “Migration and wage effects of taxing top earners: evidence from the foreigner tax scheme in Denmark”, Quarterly Journal of Economics 129(1): 333-378.

Martínez, I Z (2022), “Mobility responses to the establishment of a residential tax haven: Evidence from Switzerland”, Journal of Urban Economics 129(103441). 

Moretti, E and D J Wilson (2017), “The effect of state taxes on the geographical location of top earners: Evidence from star scientists”, American Economic Review 107(7): 1858-1903. 

Moretti, E and D J Wilson (2022), “Taxing billionaires: Estate taxes and the geographical location of the ultra-wealthy”, American Economic Journal: Economic Policy, forthcoming.

Schmidheiny, K and M Slotwinski (2018), “Tax-induced mobility: Evidence from a foreigners’ tax scheme in Switzerland”, Journal of Public Economics 167: 293-324

Tiebout, C M (1956), “A pure theory of local expenditures”, Journal of Political Economy 64(5): 416-424.

References

References
1 更に悪い事に、オプヴァルデンは全国税収均等化スキームによって税収をさらに失った。このスキームは人口一人当たりで課税基盤が大きい豊かな州から貧しい州へ税収を再分配するものだ。課税基盤強化が成功したことによって、オプヴァルデンは再配分の純の受け手からスキームへの純の支払い側に移った。
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