ystt氏のツイート経由で知ったのだが、「マクロ経済学の教科書ではGDPをYと表記するのが一般的だが、Yとは一体何を意味しているのだろうか?」という疑問についてはマンキューが2016年12月の段階で既に話題にしていたようだ(himaginary氏による日本語での詳細な内容紹介はこちら)。マンキューのブログエントリーでは(拙エントリーでも紹介した)ケインズがヒックスに宛てた手紙まで引用されている。周回遅れもはなはだしくてお恥ずかしい限りだ [1] … Continue reading。
・・・と己の愚鈍さを嘆くために筆を執ったわけではない。今回の件(「Yの起源」と「Yの意味」)との絡みでふと頭に浮かんだあれこれを、ふと心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付けてみようと思うのだ [2] … Continue reading。
・Yの起源/慣習としてのY
マンキューが紹介しているとある学生の調査結果によると、GDPをYと表記している最古の例はカレツキ(1937年2月)(pdf)らしいとのことだが、前回のエントリーでも軽く言及した『IS-LMの謎』(ウォーレン・ヤング著/富田洋三・中島守善 訳)の中に次のような記述がある。
「1936年6月、ケインズ『一般理論』に関する二つの重要な書評が発表された。一つはEconomic Journal に発表されたヒックスのそれ [3] … Continue readingであり、一つはEconomic Record におけるレッダウェイのそれである。・・・(略)・・・レッダウェイの書評には、ハロッド、ヒックス、ミードのIS-LM方程式体系にきわめて類似した、ケインズの中核思想に関する彼の見解を方程式で表わしている。・・・(略)・・・興味深いことに、ケインズは、1936年8月17日付でレッダウェイに出した手紙に『Economic Record 掲載の、私の本に関するあなたの書評を楽しく拝見しました。たいへん良く書かれていると思います』と書いている。」(pp. 117)
「論文が発表されて50年後のインタヴューで、レッダウェイは、ケインズ『一般理論』に対する彼の方程式アプローチの展開について話した。すなわち、
『私の観点からすれば、話はごく簡単です。私は1936年3月にオーストラリアに着きました。メルボルンには、ケインズに非常に関心を持つ多くの経済学者がいました。私は、ケインズの本を一冊持って行きました。「シリングス」とよばれるある種の経済学クラブがありまして、私はそこに一文を提出しました。そのクラブは、私に論文を発表するよう再三促しました。私は23歳にすぎませんでしたが、Economic Record の編集者は、ケインズを概説する人間としてたしかに私を選んだのです。日記によれば、ケインズに関する論文を渡したのは〔1936年〕5月7日でした。ある意味では非常にはっきりしていまして、論文を書くのにあまり時間はかかりませんでした。私の記憶によりますとケインズから本を一冊もらい、それを携えて、船上で読んだものでした。』」(pp.121)
手元にあるロバート・レカッチマン(Robert Lekachman)編集の『Keynes’ General Theory: Reports of Three Decades』(1964)の中にレッダウェイ(Brian Reddaway)の当の論文も再録されている。早速中身を確認してみたところ、GDP(総所得)の表記としてYが用いられている。
Yの起源を辿るとレッダウェイに行き着きそうだ・・・と暫定的に結論付けておきたいところではあるが、しかし一方でまだ終わりじゃないという予感もある。そのように訝る理由は前回の拙エントリーでも引用したケインズの手紙(ケインズがヒックスに宛てた手紙)にある。個人的に引っかかるところがあるのだ。件の手紙を改めて引用しておくことにしよう(ゴシック体による強調は小生によるもの)。
「細かい点をひとつ。貴方は所得にIという文字を用いていることを残念に思います。もちろん、所得か投資かのいずれかを選択しなければなりません。しかし、両者を試みてから、所得にY、投資にIを用いるのがわかりやすいと考えています。いずれにせよ、文字の使用については統一性を保つように心がける必要があります。」(J. R. ヒックス(著)/貝塚啓明(訳)『経済学の思考法』, 「第Ⅵ章 回想と記録」, pp. 188)
「両者を試みてから、所得にY、投資にIを用いるのがわかりやすいと考えています」。ケインズ自身が過去に総所得の表記としてYを用いてみたことがある。そう告白しているように読めないだろうか? 過去の(『一般理論』以前の)著書の中でなのか [4] … Continue readingあるいはどこかしらに寄稿した記事の中でなのか、私的な研究会や私信の中でなのか、あるいは大学の講義でなのかはわからぬが、ケインズ自身がどこかで総所得の表記にYを用いた経験があると仄めかされているように思われてならないのだ。
ここでまたもや助け舟を出してくれたのが『IS-LMの謎』。ページをペラペラめくっているとケインズ起源説の裏付けとなるやもしれぬヒントに出くわしたのだ。
「ケインズ『一般理論』に関するレッダウェイの書評がEconomic Record に発表された1936年6月、この同じ月に、チャンパーナウンは、”Unemployment, Basic and Monetary: The Classical Analysis and Keynesian” と題する論文をReview of Economic Studies(RES)に発表した。インタヴューと手紙の両方で、チャンパーナウンは、その論文をRESに提出したのは「『一般理論』刊行前のある時期」であったことを思い出したのだった。・・・(略)・・・最近の手紙で、チャンパーナウンは初めて、この論文は『ケインズの講義と指導の下で執筆されたこと、そしてこのことは、それを書いた時期の大半が、まだ経済学を勉強していた学部の二年生のときであったことを意味すること・・・そして、1933年10月から1935年6月までは、経済学第二部を勉強していた』ことを想いだしたのである。」(pp. 132)
実はチャンパーナウン(David Champernowne) [5] … Continue readingだけではなくレッダウェイも同時期にケインズの講義に出席している。二人が出席した講義でもしかしたらケインズは総所得をYというアルファベット一文字を使って黒板に書き表したのではないか。レッダウェイが総所得の表記としてYを用いたのはケインズによる記法を踏襲したに過ぎないのではないか・・・と希望的観測込みの推測に耽っていたところで出くわしたのがロバート・ディマンド(Robert W. Dimand)の論文(“Macroeconomics without IS-LM: A Counterfactual” in Warren Young&Ben Zion Zilberfarb(編)『IS-LM and Modern Macroeconomics』) [6] あるいは同じくロバート・ディマンドの手になるこちらの論文(pdf)を参照(特にpp. 6~7)。。122ページに目を向けると次のように書かれている(以下は拙訳)。
チャンパーナウンの1936年論文もレッダウェイの1936年論文もケンブリッジ大学でケインズの教え子として学んだ経験から強い影響を受けているものと思われる。二人が学生としてケインズの講義に出席した当時、ケインズは『一般理論』を執筆している最中だった。ケインズは1933年度および1934年度のミカエル学期(第一学期)に開講された講義で『一般理論』のエッセンスを4本の式からなる連立方程式のかたちに要約して学生たちに披露している・・・(略)・・・。チャンパーナウンもレッダウェイもケインズが講義の最中に4本の式からなる連立方程式を使って自説を説明するのを直に聞いている(チャンパーナウンは1933年度も1934年度もケインズの講義に出席しているが、チャンパーナウンが講義内容を書き写したノートのうちで今でも残っているのは1934年度の分だけである)。1933年12月4日に開講された学期最後の講義でケインズは「信念の度合い」にWという文字をあてがった上で4本の式からなる連立方程式を学生たちに披露した。・・・(略)・・・消費 C は W および所得 Y の関数として書き表され、投資 I は W および金利の関数として書き表された。そして最後に登場するのが Y=C+I という式。
レッダウェイが1936年の論文で総所得(GDP)をYと表記したのはケインズの記法を踏襲したまでのこと・・・と言い切るには証拠不十分ではあるが、とりあえずはケインズないしはケインズ&レッダウェイが(GDPをYと表記した)起源という説が有力と言えそうだ [7] … Continue reading。
起源を探るのも大事だが、それに勝るとも劣らない重要なことがある。・・・と続けたいところではあるのだが、ここまでで既に随分と長くなってしまった。続きはまた別の機会にでも譲るとしよう。
References
↑1 | ちなみに、小生が前回のエントリーを書こうと思い立ったのはこちらの論文(pdf)に触発されたためである。11ページ(の本文および注)でケインズがヒックスに宛てた(「所得にY、投資にIを用いるのがわかりやすい」のではないかと訴える)手紙に言及されていて、「そう言えばそんなこともあったなあ」と古い記憶が蘇ったという次第。 |
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↑2 | 小林秀雄が次のように述べている。「私の書くものは随筆で、文字通り筆に随うまでの事で、物を書く前に、計画的に考えてみるという事を、私は、殆どした事がない。筆を動かしてみないと、考えは浮ばぬし、進展もしない」(『考えるヒント 2』, pp. 34)。これといった計画もなしに(とは言え、最低限の下調べはしている)ただただ「筆に随う」(キーボードを叩いて文章を綴るわけなので正しくは「指に随う」と言うべきか?)までという意味で本エントリーは「随筆」の一種と言えるだろう。言うまでもないが、小生は小林秀雄ではない。それゆえ、駄文が延々と続くだけで読んでも何も得られずに時間の無駄に終わる可能性が大であることをあらかじめ断っておく。 |
↑3 | ここで言及されているヒックスの書評は(前回の拙エントリーでも話題に出した)「ケインズ氏と『古典派』」と題されたいわゆる「IS-LM論文」とは別物。実はヒックスは『一般理論』の書評を二本書いている。二本目の書評にあたるのがいわゆる「IS-LM論文」(1937年4月にEconometrica誌に掲載)。 |
↑4 | 【追記】どういうわけだか『一般理論』を除外してしまっていたが、そもそも『一般理論』の中で総所得の表記としてYが用いられている(例えば、第8章。さらには第14章で登場する『一般理論』で唯一の図!)。 |
↑5 | ちなみに、チャンパーナウンの1936年(6月)論文では「実質総所得=実質賃金(R)と雇用量(N)の積」とは述べられているが、総所得(実質総所得)をアルファベット一文字で表記するには至っていない。 |
↑6 | あるいは同じくロバート・ディマンドの手になるこちらの論文(pdf)を参照(特にpp. 6~7)。 |
↑7 | 注4の【追記】でも指摘したが、ケインズは『一般理論』の中で総所得をYと表記している。それゆえ、GDPをYと表記した起源の候補にレッダウェイを含める必要はなさそうだ。 |