アレックス・タバロック/タイラー・コーエン「ノーベル経済学賞はアンガス・ディートンが受賞」

Alex Tabarrok “Angus Deaton wins the Nobel“(Marginal Revolution, October 12, 2015)

プリンストン大学のアンガス・ディートンがノーベル賞を受賞した。世銀と協力しつつ、ディートンは途上国に関するデータを拡大するのに非常に大きな役割を果たしてきた。読者諸兄が世界の貧困が史上初めて10%を下回ったという記述を目にして、それをどうやって把握したのかをということを知りたいのであれば、その答えはディートンによる家計調査、データ収集、厚生の計測だ。ディートンの主要な貢献は、世界の貧困についての理解と計測だと私は考えている。

厚生の計測は言うは易し行うに難しだ。2つの異なる国の生活水準はどのように比べれば良いだろうか。所得を単に為替レートで換算してみたとしよう。残念だが、これはうまくいかない。全ての財が貿易されるわけではないから為替レートは貿易財の価格を反映する傾向にあるが、消費の大部分は貿易困難なサービスが占めている。バラッサ=サミュエルソン効果によれば、サービスは貧しい国ほど安くなる傾向にある(私はいつも貧しい国にいる時に髪を切るようにしているが、そうした国で電気製品が安く買えるとは思ってない)。その結果、為替レートを使った生活水準の比較は、途上国を実際よりも貧しく見せることになる。さらに、チーズ問題はどうなるだろうか。アメリカ人はたくさんのチーズを消費するが、中国人はそうではない。これはチーズを消費するには中国人は貧しすぎるからだろうか、それとも嗜好の違いだろうか。この問題にどのように答えるかによって厚生についての理解にも違いが出てくる。ディートンは他の研究者らとともに、すべての国に使える財とサービスを測る指数の構築に貢献し、これらの指数を用いて理論的に適切な構成の比較を行う方法を示した。2010年アメリカ経済学会におけるディートンの議長講演はこうした論点の多くをカバーしている。

そのキャリアの初期において、ディートンは消費に関するデータに理論を持ち込むための道具を開発した。その主たる貢献は「ほぼ理想的な需要システム(Almost Ideal Demand System)」だ。需要曲線は右下がり、つまりある財の価格の下落はその財の需要量を増加させるということを私たちみんなが知っているが、経済理論では実際にはX財への需要はX財の価格だけでなく、少なくとも潜在的には他のあらゆる財の価格に依存する。ある政策の変更が人々の選択にどのように影響を及ぼすかを推定したいという場合、需要曲線が潜在的に多くの経路で相互作用することを許す必要があるが、その一方でそうした反応に経済理論に沿った制約を加えたいとも考える。さらに、経済理論によれば各個人の需要曲線は右下がりだが、それは各個人の需要曲線の総計(aggregate)が右下がりであるということを必ずしも意味しない。総計は非常に厄介なのだ。まず1980年にディートン及びミュルバウアーが開発し、それ以降さらなる発展を遂げた「ほぼ理想的な需要システム」は、経済理論による制約を保持・検証しつつ、消費者総体の需要システムの推定を可能としている。

消費に関する研究は必然的に将来期間における貯蓄、消費の研究へと繋がる。そうしたものとしては、ケインズの名高い消費性向理論(消費は現在の所得の断片である)や、ミルトン・フリードマンの恒常的所得仮説(消費は推定生涯所得の断片である)、モディリアーニのライフサイクル仮説(若年期には借り入れ、中年期に貯蓄、老年期に貯蓄の切り崩しを行う)といったものがあげられる。1970年代にロバート・ホールは、ラムゼイの研究を下敷きとしつつ、合理的期待とは大学院生の頭を悩ます有名なオイラー方程式を意味し、それはすなわち適切に割り引かれた限界効用の変化はランダムウォークに従うことであると示した。ディートンはこの新理論の検証に大きな役割し、それに欠陥があることを見出した

ディートンの著書「The Great Escape: health, wealth, and the origins of inequality(邦訳:大脱出――健康、お金、格差の起原)」は取っ付き易い良書だ [1]訳注;ディートンによるこの本の紹介記事は、当サイト内に拙訳がある 。この本で議論を呼ぶポイントの一つは、ディートンが海外援助は役に立つどころか害を及ぼしているとし、真っ向からイースタリー陣営へと加わったことだ(イースタリーの著書「Tyranny of Experts(専門家の独裁;未邦訳)」についてのディートンの書評はここ)。

海外援助についてディートンは以下のように述べている。

残念ながら、世界の富裕国は現在事態を悪化させている。海外援助、すなわち富裕国から貧困国への移転は、その名誉のために言っておくならばとくに医療については大きな役割を果たしており、それがなければ死んでいたであろう多くの人を生かしている。しかし、海外援助は地元政府の能力発展を損なってもいる。

このことは、政府が直接に援助を受取り、援助金額が財政支出に占める割合が大きい国-そのほとんどがアフリカ-において特に顕著だ。このような政府は市民との契約、議会、徴税システムといったものを必要としない。それら政府が誰かに対して説明責任を負うとするならば、それは援助国に対してだ。しかし実際においてはそれすらうまくいかない。なぜなら、(貧しい人々を助けたいと望んでいる)自国民からの圧力を受ける援助国は、貧困国政府が必要とするだけ、もしくはそれ以上のお金を与える必要があるからだ。

政府を経由せずに直接貧しい人々に援助を与えるのはどうだろうか。確かに、その即座の効果としては良くなることが多い。特に政府間支援が貧しい人々にほとんど届かないような国においてはそうだ。さらにそれに必要となる金額は驚くほど小さい。全ての人を少なくとも1日1ドルの貧困線以上に押し上げるのに必要なのは、富裕国の大人一人あたり一日約15セントだ。

しかしこれは何の解決にもならない。貧しい人々には生活の改善をもたらしてくれる政府が必要なのだ。政府を蚊帳の外に置くことは短期的には物事を改善するかもしれないが、根本的な問題を未解決のまま取り残すことになる。貧困国は外国よる医療サービスを未来永劫保持し続けることは出来ない。援助は貧しい人々に最も必要なもの、すなわち今日も明日も自分たちと協力しあう効果的な政府を弱体化させることになるのだ。

私たちにできるのは、貧困国が貧しくあることをやめるのを困難にするこのようなことを止めるよう自分たちの政府に求めることだ。援助の削減もその一つだが、武器取引、富裕国の貿易及び補助金政策の改善、援助に関わらない技術アドバイスの提供、豊かな人々には縁のない病気の新薬開発といったことも含まれる。既に弱い政府を更に弱くすることで貧しい人々を救うことなど出来ないのだ。

ディートンに関するタイラーの記事はここ [2]訳注;本エントリ後半で翻訳しているもの


Tyler Cowen”Nobel Prize winner is Angus Deaton“(Marginal Revolution, October 12, 2015)

素晴らしい選択だ。ディートンは数字と丹念に取り組み、トピックとしては消費、貧困、厚生を得意としている。「経済的進歩が本当に意味するところを理解する」、彼の貢献の核心を一言で言えばこうなるだろう。そして、所得ではなく消費を出発点として経済発展を分析するというのも彼の洞察には欠かせない。これにはカロリー、平均寿命、健康、教育を生活水準の一部として見なすことを基本とするということも含まれる。今回の件は、実証や経済発展の重要性についての賞、間接的には経済史についての賞だと僕は考えている。

ディートンとは、貧しい家計が何を消費しているのかを入念に調べ、彼らの生活水準と想定される経済発展への道筋への理解を深める経済学者だと考えてほしい。彼は経済成長、近代化の便益、政治経済学の意味するところを真に深く理解している。貧困計測に関する彼の業績についての非常に優れた一般向け解説(pdf)がここから読める。これは彼の思想についての最高の入門編の一つだ。

ディートンは消費に関する研究の領域で方法論的個人主義を多く用いたが、そのほとんどでマクロ経済データではなく家計調査を使った。

今回の受賞は、一つ二つの重要な論文に対するものではなく、「業績全体」に対するものなのだと思う。ディートンの業績の一部とその奥底にある世界経済の中にある貧しい人たちの状況に対する楽観主義について、デヴィッド・レオンハルトがNYTで優れた概説を書いている。

ノーベル賞委員会の一般向け声明はここ、より詳細なもの(pdf)はここにあるが、素晴らしい概説となっている。

ディートンはスコットランド生まれだが、プリンストンで長く教鞭を執っている。ディートンのWikipedia記事はこちらホームページはここここでは最近のワーキングペーパーの一部が読める。彼はオーストリア経済学レビューにすら投稿しており、専門家に関するウィリアム・イースタリーの著作について興味深い書評を行っている。大量にあるディートンに関する当ブログの過去ログはこちらGoogle Scholarでの検索結果はこちら。ラス・ロバーツのディートンに関するEconTalk記事はこちら。ディートンは世界に対して自身の考えを明らかにするのに比較的前向きな人だと僕は思っているが、受賞によってそのオープンさが変わってしまわないことを祈ろう。ディートンが自身のアイデアの核心を21分間にわたり語っているYoutube動画はここから

ディートンはプリンストンの経済学者であるアン・ケースと結婚してるが、彼女は単独でも、時にはディートンの共著者としても優れた研究を行っている。二人の共著論文はこちらから。その多くは南アフリカに関するものだ。

ディートンは長い間インドについて特別に関係してきており、それには及ばないものの南アフリカについても研究してきた。インドにおける貧困の計測と貧困削減に関する彼の主要な論文はこちら。インドの保健にに関する彼の調査はこちら。2010年のアメリカ経済学会における講演はこちら。ここで彼はいかに整合的に世界中の貧困を計測するかについて述べており、人々に質問することがその答えの一部であるとも示唆している。

ディートンは途上国における家族内性差別についても書いている。彼の業績のいくつかは、貧困に対して取り組む方法としてのキャッシュ・トランスファーの可能性について我々の注意を向けることに貢献した。

1980年頃、彼はまず消費者支出の分析のための「ほぼ理想的な需要システム(Almost Ideal Demand System)」構築の業績で名を知られ、この初期の業績の多くはミュエルバウアーとの協働だった。これは大きな反響を呼んだが、それ以降の彼の業績と比べると、より理論的・技術的な業績だった。この業績から得られることの一つは、「代表的消費者」の考えに基づく研究は誤りとなる可能性が高いというものだった。

アレックスがツイートしたように、ディートンのキャリアの軌跡も興味深い。彼はまず理論をやり、その後数字に取り組み、実証を行い、理論を応用した。最終的に彼は理論+実証を行い、貧困や開発に関するいくつかの大きな課題に取り組むためにそれらを用いた。

海外援助と成長に関する彼の長い調査論文はこちら。ディートンは事業評価から離れることを支持し、操作変数法に懐疑的で、ランダム化対照実験は個々のメカニズムについてのより優れた理論的理解によって補われる必要があると考えている。彼は本当に多くのトピックについて多くのことを知っているのだ。

僕は彼を直接知ってるわけではないが、多くの人が彼のことを非常に個性的だと述べている。ダニ・ロドリックは教師としてのディートンを強く賞賛している。

ディートンの短い一般向けエッセイの数々はここから読めるが、このページは「ディートンの本音ページ」と言ってもいいだろう。彼はオバマケアに反対する共和党員の戦いについて批判的で、これをダウントン・アビーと関連付けている [3]訳注;イギリスのドラマ。日本語wikipediaの記事はここ 。また彼は、アメリカにおける地域価格指数を提唱しているほか、アメリカにおける格差と何故この問題がしばしば無視されるかを議論している。さらに彼は、科学に対するじわじわと進行する規制について警告しているほか、何故スターン・レポートがイギリスにおいてはアメリカよりも大きな影響を持ったかについて検討している。

ディートンの最近の著書「The Great Escape: health, wealth, and the origins of inequality(邦訳:大脱出――健康、お金、格差の起原)」は、近代化がいかにして消費水準に革命を引き起こしたかに焦点を当てており、とてもおもしろかった。

今回の受賞に全く驚きはないし、ディートンは候補者の一人だとこのところ考えられていた。彼が一人で受賞したことについては少々驚くべきことだろうか。多くの人がディートンはアンソニー・アトキンソンと共同受賞すると考えていたが、僕としてはディートンは単独受賞に値するし、アトキンソンにもまだ受賞のチャンスは残っていると思う。いずれにせよ、ティロールも単独受賞だったこともあるし、受賞者選考に関するスウェーデンの体制に変化が起きているのかもしれない。

いい忘れていたが、ディートンに関するアレックスの記事はここ [4]訳注;本エントリ前半で翻訳しているもの

References

References
1 訳注;ディートンによるこの本の紹介記事は、当サイト内に拙訳がある
2 訳注;本エントリ後半で翻訳しているもの
3 訳注;イギリスのドラマ。日本語wikipediaの記事はここ
4 訳注;本エントリ前半で翻訳しているもの
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  1. 素早い翻訳ありがとうございます.
    「消費は現在の所得の断片である」は,
    直訳すると「消費は、現在の所得のうちのある割合である」なので,
    意訳すると「消費は、現在の所得に比例する」ではどうでしょうか.

    (「消費は推定生涯所得の断片である」も同様.「消費は推定生涯所得に比例する」)

    また,政府に求めることのうち「武器取引」は,(「援助の削減」等とにあわせて)「武器取引の制限」と,「制限」まで書いたほうが紛らわしくないかと思いました.

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