●Alex Tabarrok, “The Army of Economists”(Marginal Revolution, January 13, 2013)
ダニエル・デネットがこちらの興味深いインタビューで幅広い話題を縦横に論じているが、偽善(hypocrisy)が時として好ましい結果をもたらす可能性があるかどうかについても問われている。
恐ろしい敵を相手に戦わねばならないとしましょう。冷酷無残な敵です。ヒトラーの再来といっても過言ではないような極悪非道の敵です。そんな敵から私たちの身を守ってくれる味方の軍には、編成の異なる二通りの軍隊が存在するとしましょう。ここではとりあえず、「ゴールドアーミー」と「シルバーアーミー」と呼んでおくことにしますが、人員の数や軍事訓練の程度、使用する兵器等には違いはありません。攻撃面でも防御面でも可能な限り最上の装備を身に付けているという点でも違いはありません。違いは何かと言うと、「ゴールドアーミー」に所属する兵士は、一人残らず「神」が自分たちの後ろ盾になっていると信じ切っていることです。そのため、「我が軍は、正義軍なり」と心の底から信じ切っています。その一方で、「シルバーアーミー」に所属する兵士は、全員が経済学者です。ブラックジャックで躊躇なくインシュランス(保険)をかけるような人種であり、ありとあらゆる事象の起き得る確率を事細かに計算しないではいられない人種ですね。
「どちらの軍隊に前線に向かってもらいたいですか?」と問われたら、どう答えるでしょうか? 「シルバーアーミー」という答えはなかなか聞かれないと思いますが、そのことは一体どういうことを意味しているのでしょうか? 「若い兵士たちに敵に立ち向かってもらうためには、どうすればいいか? 間違った考え(信念)を吹き込んで、兵士たちの目をくらましてしまえ」。そう言ってるも同然です。偽善極まりないように思われます。しり込みせざるを得ません。「兵士たちを洗脳せよ」と言っているようなものですからね。病気にならないように前もってワクチンを打っておくような話です。兵士たちが経済学者流――あるいは、哲学者流――の発想に侵されないようにせよ、というわけですからね。兵士たちが経済学者のように考え出したとしたら、次から次へと疑問が湧いてくることでしょう。戦争を行うだけの正当な理由があると本当に言えるのだろうか? 自分の命を危険に晒す覚悟は、本当にできているのだろうか? 我が軍が今やっていることは、本当に正しい行いと言えるのだろうか? じっくりと腰を据えて検討を加えたら、他にもっと優れた軍事作戦が見つかるのではないだろうか? そうだとしたら、今の作戦は無駄もいいところって話になるのではないか? まだ塹壕に身を潜めてなきゃいけないんだろうか? 何とも厄介なジレンマです。私にもどうしたらいいか答えはわかりません。しかし、このジレンマから目を背けてはならないでしょう。
嘘が好ましい結果をうまいこと招いた例――すなわち、「高貴な嘘」の実例――なんてこれまでに一度としてない・・・なんて反論はさすがに極端だろうが、「高貴な嘘」がルール化されたとしたらどうなるだろうか? うまくいくだろうか? 長い戦争の歴史を振り返ってみてもらいたいが、「正当」で「賢い」戦争というのは一体どのくらいあったろうか? 虚栄心の塊のような政治指導者や馬鹿げたプライドのせいで引き起こされた戦争というのは一体どのくらいの数に上るだろうか? さて、問うとしよう。味方にするなら、「ゴールドアーミー」と「シルバーアーミー」のどちらがいいだろうか? 私の答えは、「シルバーアーミー」だ [1] … Continue reading。
もう一点だけ指摘しておきたいことがある。デネットは、「利己心」――それも、狭く解された利己心――と「合理性」をごっちゃにして、「経済学者」というのは利己的で合理的な人種という特徴付けを行っているが、(狭く解された)自己利益に反してはいても合理的であることは十分に可能なのだ。デネットの問いに含まれているちょっとした誤魔化しと絡めて、その点を説明するとしよう。「恐ろし」くて「冷酷無残な敵」が相手という前提を立てておいて、「経済学者」に「戦争を行うだけの正当な理由があると本当に言えるのだろうか?」と自問させているが、この「経済学者」はどんな答えを下すだろうか? 「恐ろし」くて「冷酷無残な敵」が相手なのだから、その答えは勿論・・・「イエス」のはずだ。このケースでは、戦争に身を捧げるのは合理的な行動と言えるのだ。
情報を寄せてくれた Brian Donohue に感謝。
References
↑1 | 訳注;長い戦争の歴史を振り返ると、「不正」で「愚か」な(=やる必要のない)戦争ばかりであり、「シルバーアーミー」であればそんな愚を犯さなかった(「不正」で「愚か」な戦争なんてしなかった)はずだ、ということが言いたいものと思われる。言い換えると、「高貴な嘘」がルール化されて軍隊が「ゴールドアーミー」に変貌すると、「不正」で「愚か」な戦争が数多く繰り返される羽目になる、ということが言いたいのであろう。 |
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