●Alex Tabarrok, “Response to my Mother”(Marginal Revolution, September 14, 2008)
ガソリンの価格が高騰している(2008年9月現在)が、ご多分に漏れず、私の親愛なる母親も怒り心頭の様子だ。「ハリケーンがメキシコ湾岸を襲ったせいで、石油の採掘が一気にストップしちゃってるみたいだね」と私。すると、母親は次のように応じた。「そうらしいわね。でも、ハリケーンがやってくる前に採掘が済んでた石油がたくさんあるはずよ。業者の連中がここぞとばかりに値上げしてるに違いないわ」。 もぉおおおおおおおーー!!・・・と叫び出したいところだったが、我慢、我慢。穏便にいかなきゃ。「ムムム」。私の口をついて出たのは、その一言だけだった。
今この文章を読んでいるあなた。そして、私が担当する経済学入門(正確には、ミクロ経済学入門)の講義に出ているみんな。諸君は、残念ながら私の母じゃない。そんなわけで、手加減しないから、心しておくように。
モノの価格は、それを生産するためにどれだけのコストがかかったかで決まると考えられがちだ。しかしながら、そんなことはない。価格は、供給と需要の相互作用で決まるのだ。供給か需要のどちらかに変化が生じれば、価格も変わるのだ。それを生産するのにどれだけのコストがかかったかに関係なく。例えば、流行が過ぎた服の価格はどうなると思う? その服を作る(生産する)のにどれだけのコストがかかったにかかわらず、その価格は下がる。需要が減る(需要曲線が左方にシフトする)からだ。切り裂かれた上でホルマリン漬けにされた鮫 [1] 訳注;ダミアン・ハーストの作品の価格はどう決まるだろう? 需要が旺盛なようなら、制作するのにどれだけのコストがかかったかにかかわらず、高値が付くだろう。ガソリンに対する需要が急に減ったら、石油を採掘するのにどれだけのコストがかかっていようが、その価格は下落するだろう。ハリケーンが襲来したせいで石油の採掘(供給)が減ったら、ガソリンの価格は上昇する。モノの価格がどうなるかは、それを生産するためにかかったコストとは一切関係ないのだ。
ガソリンの価格が高騰しているのは、業者がここぞとばかりに価格を吊り上げている(便乗値上げに乗り出している)からなのだろうか? いや、そうじゃない。ガソリンの価格が高騰している責任を誰かに帰したいと思うのなら、業者じゃなくて、ガソリンの買い手を責めるべきなのだ。限られた量のガソリンを手に入れるために、あなたよりも高い価格を支払っても構わないと考える買い手が他にいるからこそ、ガソリンの価格が高騰しているのだ。買い手同士の争い(競争)は価格を引き上げる一方で、売り手同士の争い(競争)は価格を引き下げるのだ!
大儲けしている業者も中にはいることだろう。しかしながら、世間一般の多くの人々は、原因と結果を取り違えている。業者が莫大な利潤を手にしているせいで、ガソリンの価格が高くなってるわけじゃない。ガソリンの価格が高いせいで、莫大な利潤が生まれているのだ。業者が手にしている利潤に税金を課しても、ガソリンの価格は下がらないだろう。ガソリンの価格を下げたいのであれば、利潤に課税しないでおく方がいいだろう。というのも、利潤が多いほど(儲かれば儲かるほど)、業者が石油の増産に前向きになるだろうからね。
ハリケーンの傷も癒えて状況が落ち着きを取り戻せば、業者が(高利潤にひきつけられて)石油の増産に乗り出すことになるだろう。石油の供給が増えれば、ガソリンの価格は下落する。ガソリンの価格がその生産に要する長期的なコスト(長期平均費用)と等しくなるところまで下がると、並みの利潤しか得られなくなるので石油の増産も止む。つまりは、何のショックにも晒されていない平時においては、(ガソリンも含めて)モノの価格は、その生産にどれだけのコストがかかったかによって決まってくるかのように「見える」のだ。「価格は、供給と需要の相互作用で決まる」という真実が明らかになるのは、(ハリケーン襲来のような)ショックに晒されて長期均衡からの逸脱が生じるごく短い間だけなのだ。
(追記)母親が日常生活の中で出くわす経済現象について間違った考えを抱いていて、それを正さなくちゃいけないって思ったことがあるのは私だけだろうか? ケネス・アローも同じような思いをしたことがあるだろうか? アダム・スミスはどうだろうか? 「ねぇねぇ、母さん。羊肉の価格が上がっているのが許せないんでしょう? よかったらでいいんだけど、僕が見出したばかりの新しい理論に耳を傾けてくれないかい?」・・・なんて会話がスミス親子の間で交わされたことはあるんだろうか?
References
↑1 | 訳注;ダミアン・ハーストの作品 |
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アメリカ人がgas と言ったら、通常はガソリンのことです。ここもガソリンの話ではないかと思います。
コメントありがとうございます。ご指摘の通りガソリンですね(うっかり見過ごしてしまっていましたが、文の途中でガソリンという単語も出てきています)。修正させていただきました。
あともう一つ。最後のところですが、この訳し方だと、ケネス・アローが何かマトンと因縁があるように読めてしまいます。ぼくの知る限り、特にないと思います。原文では「Is it just me or did Ken Arrow ever feel the need to correct his Mom on economic matters? Did Adam Smith? 」でマトンの話がくるので、この話題はアダム・スミスのほうでしょう。わざわざアダムスミスを後回しにしてありますが、その必然性はないと思います。「国富論」には、確かちょっとマトンの話が出てきたような……
確かに当初の訳し方だと誤解を招いてしまう可能性があるやもしれませんね。こちらも修正させていただきました。ご指摘ありがとうございます。
すばらしい!