カムルル・アシュラフ、オデッド・ガロー「文化的同化、文化伝播、諸国民の富の起源」(2007年9月13日)

[Quamrul Ashraf, Oded Galor, “Cultural assimilation, cultural diffusion and the origin of the wealth of nations,” VoxEU 13 September 2007]

一千年前、アジアが先進地域であった。なぜ現在ではヨーロッパの方が豊かなのだろうか。アジアはヨーロッパに比べて地理的に文化伝播に対してあまり脆弱ではなく、それゆえ文化的により高い同化の程度やより低い文化伝播、より多くの社会特殊的人的資本の蓄積から恩恵を受けていた。これは農業の段階では強みであった。しかしながら、より高度の文化的な硬直性は新しい技術のパラダイムに適応する能力を減少させ、その結果工業化を遅らせた。

紀元1000年代の始まりにおいて、アジアの文明は富および知識の両方においてヨーロッパ社会よりもはるかに進んでいた。12世紀までに中国は、水力を用いた機械による織物の生産やコークスを用いた精錬による製鉄といった、ヨーロッパでは500年以上に渡って登場しなかった技術を利用していた。しかし、産業革命の過程において、前工業段階の時代の技術的リーダーは、持続的に経済成長する近代の時代へと加速したヨーロッパの経済に追い抜かれてしまった。

中国における持続的な成長の遅れた出現と、そうではない先進的な農業社会は何によって説明できるだろうか。世界の所得分配の著しい変化の起源を説明しようと試みる理論はしばしばイノベーションの促進能力や工業化の促進能力の観点から諸要因の階層を強調しながら社会文化的な要因、地理的条件、社会政治的な制度に焦点を当ててきた。

文化的仮説の前提は、社会的規範、慣習、および倫理を、技術革新と資本主義の発展を促進する能力の観点からランク付けできるということである。対照的に、地理的な説明はヨーロッパの初期のマルサスの罠からの脱出を、その有利な天然資源基盤、豊富な降雨量、温暖な気候、病気の負担が少ないこと、そして新世界への近さによって生じたものだとみなしている。最後に、制度的な視点は、私有財産を保護しイノベーションを促進する社会的取り決めの到来(あるいは不在)について、地理から植民地主義に至るまでのさまざまな説明を提供する。

しかしながら、既存の説明は、マルサス的な時代の文明間の技術的なギャップと、工業化時代へのテイクオフのタイミングの違いと結びついた経済的なパフォーマンスの逆転を同時には説明してこなかった。最近のCEPRのディスカッションペーパーで、われわれは両方のレジームを包含する説を提唱し、部分的には地理的要因によって決定された文化的同化と文化伝播の力の間の相互作用が、経済的なパフォーマンスの「大分岐」[1]と逆転の原因となり、世界中で経済発展の異なるパターンを生み出す上で重要な役割を果たしたと主張している。

文化的および制度的仮説はイノベーションと工業化への促進性の観点から文化的および制度的属性の階層を仮定しているが、これらとは対照的に、われわれの説は文化的同化と文化伝播の相対的な割合の望ましい程度は発展の段階によって異なるということを示唆している。高い文化的同化は発展の特定の段階においては最適であるが、技術レジーム間の移行にとっては有害である。したがって、文化的特徴自体は必ずしも発展のプロセスに異なる影響を与えるわけではない一方、文化的同化と文化的拡散の力の相対的な強さの違いはこれらの特徴の多様性を決定するので、経済発展の比較に役立つ。

生産性は一般的人的資本のダイバーシティドリブンな蓄積によって高められる一方、文化的同化の減少と関連して社会特殊的人的資本の世代間の移転における非効率性によって減じられる。それゆえ、地理的に文化伝播に対してより脆弱でない社会は高い文化的同化、低い文化伝播、そしてより多くの社会特殊的人的資本の蓄積によって恩恵を受け、その結果、農業の発展の段階によって特徴付けられる技術的パラダイムにおいては繁栄した。しかしながら、このより強固な文化的な硬直性は、これらの社会が新たな技術的パラダイムに適応する能力を減じ、その結果、工業化と持続的な経済成長状態への離陸を遅らせた。

文化と諸国民の富

われわれの仮説は三つの基礎的な要素からなる。第一に、文化的同化(すなわち社会内の文化的特性の均質化)は、社会特殊的人的資本の世代間の移転を強化する。これは、より強い社会的結束の開発促進効果に関する経験的証拠と一致する観察結果である。文化的な同質性は、現在利用可能な技術の使用において、工場全体の生産性を向上させる。

第二に、文化伝播(すなわち、ある社会から他の社会への文化的な特徴の拡散)は、ある経済の生産可能性フロンティアを拡大させる柔軟性を生み出し、新技術に適応する能力を向上させる。これは、職場における多様性の創造性を向上させる効果に関するエビデンスとも整合的な見解である。したがって、技術革新と工業化に資する文化的属性の階層を記述する既存の社会文化的な仮説とは異なり、われわれの研究では、文化的な異質性が重要かつ曖昧な役割を果たしていると強調している。生産性はダイバーシティドリブンな一般的人的資本の蓄積によって強化される一方で、より大きな異質性と結びついた社会特殊的人的資本の世代間の移転における非効率性によって減じられるのだ。

第三に、一般的人的資本の蓄積は、社会を農業生産というよりはむしろ工業生産へと向かわせる。なぜなら、知識フロンティアと農業特殊的生産性のストックの間にはより小規模な補完性しかないからである。潜在的な工業生産性のこの成長は、究極的には発展の後期の段階における工業の採用につながり、開発の後期段階での業界の採用につながり、その結果マルサス時代からの離陸への道を開く。したがって、知識における進歩と発明は、一人当たり所得の観点において潜在的により進んでいる新たな技術レジームへの社会経済的な移行を促進するのである。

文化的同化

歴史的に、地理的な隔絶は比較的阻害を受けずに社会特殊的人的資本が蓄積されることを可能にしたり農業の発展の段階で人口密度の観点においてマルサス的な利益を与えたりしながら、同質性と安定性を促進してきた。例えば、中国は主に他の古代文明からの地理的隔絶が原因で約4000年間にわたり文化的に同質的なままであり、このことによって顕著な安定性を享受した。その文化的な同質性は、世界最古の公務員試験システムおよび、親孝行や高度に体系化された社会階層に対する敬意という儒教の伝統をとおして、世代間の社会特殊的人的資本の移転を促進した。

主要な文化的な侵入者は、たいていは中国において広範な影響力を得る前に同化された。たとえば、仏教は漢(紀元前206年から紀元220年)の時代にインドから到来し、唐王朝(618年から907年)の間に国教として有名になるまでに、中国の既存の哲学が吹き込まれ、禅として知られる明確に中国化された形態で普及した。遊牧民が満州王朝(1644年から1912年)を建国した際には、彼らはよく確立された儒教の伝統にしたがって支配を行った1

最も繁栄した期間、すなわち漢、唐、宋の王朝期からの歴史的なエビデンスは、中国の社会特殊的人的資本の強力な蓄積が高いマルサス的なリターン(訳者注: 高い人口密度)という結果をもたらしたことを示唆している。公務員試験システムは漢王朝において確立され唐代および宋代に洗練された2。さらに、これらの時代には、儒教哲学の普及と永続性を大幅に向上させる製紙や印刷などの技術が発明され改良された3。図1に示すように、漢、唐、宋の王朝は中国の人口密度の漸進的な成長期とも結びついている。

同化の均質化をもたらす力は、究極的には中国の歴史を通じて外部の影響を成功裡に中国化することを確実にした一方で、外国文化の流入というエピソードの間の人口減少に関するエビデンスは、異質性のマルサス的なリターンに対する破壊的な効果という観点からわれわれの提示した仮説とよく一致する。たとえば、強大な漢王朝の崩壊は、内戦、遊牧民の侵略、社会的不和および中国の人口の20%の減少に見舞われた、ほぼ4世紀にわたる文化的不安定と断片化をもたらした。

Cultural diffusion (文化伝播)

歴史は、文化の多様性と創造性の繁栄期の豊かなつながりを強く示唆する。多くの社会は、外国のアイデアや人々に触れた後、創造性の急上昇を享受した。たとえば、ギリシャにおけるヘレニズムの文明の黄金期は、エジプトやペルシャやメソポタミアの文明の多様なアイデアの伝播のから生じた可能性が高い。また、アッバース朝カリフ(750年から1258年)下のイスラームの最盛期には、バグダッドは世界最大で最もコスモポリタンな都市の一つであった。バグダッドはまた中世盛期の間の国際的な学術的成果の中心地でもあった4。ギリシャおよびインドの文明の科学の伝統に基づいて、多様な宗教的・民族的背景の著名な人物たちが、数学や天文学や薬学や化学の領域においていくつかの重要な貢献を残した5

ヨーロッパの12世紀ルネサンスは、17世紀の科学革命への道を舗装したが、イスラーム世界との文化をまたいだ接触によってもたらされた科学の思想および哲学の伝播から生じた。イスラーム文明が知的な停滞へと転げ落ちたのは、非イスラーム世界からの新しいアイデアの流入に対する意図的な抵抗に起因する文化的均質性の高まりに起因している6

16世紀および17世紀に、イングランドとオランダは新しい経済的な態度と多様な技術的な知識をもたらしたプロテスタントのマイノリティの到来によってかなりの経済的な利益を得た。受入れ社会は移民の到来に際して経済的および工業的な成長の加速を経験した7。その動きは、繊維、ガラス製造、印刷などのいくつかの産業における顕著な改善と関連していた。10世紀から11世紀のイスラーム時代のスペインにおけるユダヤ人の歴史は文化的な多様性からの同様の利得を示唆している。

計量社会学的なエビデンスもまた文化伝播のイノベーション促進的な効果を記録している。Simonton (1997)は、世代別の時系列分析を応用し、文化的相互受精と外国のアイデアの流入が580年から1940年にわたって日本の国家的な成果にポジティブな影響を与えたかどうかを調べた。創造的な成果と非日本世界への文化的開放性の間には、いくつかの重要な相互遅延相関関係があった8

結論

したがって、歴史的なエビデンスは文化的同化と文化伝播の地理的に支配された強度は、マルサスの時代と農業から工業への移行の間の比較経済パフォーマンスの重大な決定要因であるというわれわれが提示した理論と整合的である。地理的に脆弱な経済はマルサスの時代の間は文化伝播の悪影響を受けていたが、より孤立した文明に比べて早く工業の時代に突入した。

特に、地理的な脆弱性の程度が低くそれゆえに文化的同化の程度が高い経済は、社会特殊的人的資本の世代間移転のより高い効率性のためマルサス的なレジームにおいて繁栄したので、より高度な農業技術の恩恵を受け、より高い人口密度を維持した。しかしながら、関連する文化伝播の欠如は、この経済において知識の進歩を遅らせた。その結果、文化伝播の欠如は産業技術に移行する能力を妨げたが、それでいてマルサス的な停滞を脱し持続的な経済成長の状態に入ったのである。

われわれの理論はその抽象化において文化的な特徴それ自体や天然資源の賦存量の直接的な効果とは異なっている。部分的には地理によって支配されている、文化的同化と文化伝播の力の相対的な強さの違いこそが、経済発展のプロセスとタイミングに対して重要なのである。これらの力は、中国の21世紀の新たな加速と同様に、12世紀の経済的地位、工業化の遅れなど、歴史を通じて発展を比較した際の大きな違いを説明するのに役立つ可能性がある。

脚注

1 Ho, P. (1967): “The Significance of the Ch’ing Period in Chinese History,” Journal of Asian Studies, 26(2), 189—195.
2 Fairbank, J. K. (1992): China: A New History. Bellknap Press of Harvard University Press, Cambridge, MA.
3 Needham, J., and T. Tsuen-Hsuin (1985): Science and Civilisation in China, Vol. V:1. Cambridge University Press, New York, NY. 
4 Nasr, S. H. (1968): Science and Civilization in Islam. Harvard University Press, Cambridge, MA.
5 Sarton, G. (1927): Introduction to the History of Science, Vol. I: From Homer to Omar Khayyam. Williams & Wilkins Co., Baltimore, MD. 
6 Simonton, D. K. (1997): “Foreign Influence and National Achievement: The Impact of Open Milieus on Japanese Civilization,” Journal of Personality and Social Psychology, 72(1), 86—94. 
7 Scoville, W. C. (1951): “Spread of Techniques: Minority Migrations and the Diffusion of Technology,” Journal of Economic History, 11(4), 347—360. 
8 Simonton (1997): “Foreign Influence and National Achievement: The Impact of Open Milieus on Japanese Civilization,” Journal of Personality and Social Psychology, 72(1), 86—94.


[1] 「大分岐」:ケネス・ポメランツ(Kenneth Pomeranz)氏の同名の著書を踏まえた表現と思われる。

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