サイモン・レン=ルイス「経済政策におきた革命」

[Simon Wren-Lewis, “Revolutions in Economic Policy,” Mainly Macro, September 13, 2017]

公共政策研究所 (IPPR) の経済公正委員会が,「変化の時」と題してイギリス経済に関する網羅的な大部の報告書を公表した.後日あらためてこの報告書のいろんな側面について書きたいと思うけど,その基本的な前提となっているのは,経済政策立案に革新が必要だということだ――戦後のアトリー政権やサッチャー女史が行ったのと同様の革新が必要だということが前提になっている.経済政策の革新という考えの背景にある思考は,The Politcal Quarterly 掲載の論文で Alfie Stirling と Laurie Laybourne-Langton によって大筋がつくられた.

報告書の著者たちは,トーマス・クーンが『科学革命の構造』で述べた着想を経済政策に応用している.ここでは,この点の妥当性や詳細にはこだわりたくない.ときとして経済政策の深い変化が関わっている時代があるというのがその基本的な考え方で,これはとくに異論はない.また,「うまくいかなくなっているパラダイム」は当初しばらく適応しようと試みるものの,その後革新的な考えが登場してこれにとってかわるという考えは単純でひねりはない.イギリスとアメリカにおける現行の政策の状態に目を向ければ,それだけでも,ネオリベラル時代とでも呼べそうな時代が――サッチャーとレーガンに結びついている一群の政策と世界観が――終わろうとしているという考えを真面目に受け止める気になる.

報告書に書かれていることには,同意する点も多い.少なくとも,結論部にたどりつくまではそうだった [1].だが,主に批判コメントを加えたいのは,この報告書ではあまりにマクロ経済学に関心を絞りすぎ,その結果として少しばかり迷走してしまっている点だ.クーンの着想を借りて経済政策に応用した著者たちが,あたかも,経済政策全体を扱い続けずに,実際の学術分野すなわちマクロ経済理論に話を戻し続けねばならない義務感でも覚えているかのようだ.まず,サッチャーとレーガンの時代にマクロ経済学におきた変化を私がどう見ているか述べよう.

多くの人がおかしている主な間違いは,こんな風に言ってしまっている点にある――《伝統的なケインジアンのマクロ経済理論はスタグフレーションを説明できない;その結果として,政策担当者たちはマネタリズムか新古典派の考えを採用するに至ったのだ》.スタグフレーションを理解しインフレを抑えるための基礎は,少なくとも1968年に予想の概念を導入したフィリップス曲線をフリードマンが提示して以来,ずっと知られている.このフィリップス曲線は1970年代終盤まで金融政策・財政政策の指針に使われなかった.なぜなら,大半の政策担当者たちや一部の経済学者たちはインフレ率低下の方法として失業率を引き上げるのに乗り気でなかったからだ [2]

イギリスでは,需要を管理してインフレを制御するやり方(あるいは,これに対応するものとして所得政策のような直接制御の試みを放棄すること)が用いられるようになったのは,サッチャーの当選と時期が重なっているが,一方アメリカでは,ジミー・カーター政権下でポール・ヴォルカー〔連銀議長〕によって主導された.イギリス・アメリカのどちらでも,これは通貨供給量を管理しようとする試みと結びついていたが,これはほんの数年しか続かなかった.所得政策の放棄はネオリベラルだと言えなくはないが,私見では2桁インフレ率のもとでは避けられない結果に見える.

マクロ経済理論に革新は起きたけれど,他の機会にも論じたように,この革新はクーンが言うようなフレームワークにはうまく収まらない.新古典派反革命 (NCCR) はインフレの代替分析として生まれたわけではない:そうではなく,彼らが気にかけていたのはもっと方法論的なことだった.たしかに,NCCR を推し進めた人たちの多くはネオリベラリズムを好んでいたし,〔政府規模の〕縮小論を個人主義に(したがってネオリベラリズムに)関連づけることもできるだろうけれど,NCCR の魅力は当時の主流派が抵抗していたすぐれた着想の数々(たとえば合理的予想)による部分がそれよりも大きい.

中央銀行によるインフレ目標には,ケインジアンの積極財政とよく似たかたちで経済を管理しようとする試みが含まれる.中央銀行は国家の一部だ.中央銀行の独立性がイギリスでようやく成立したのは,1997年になってのことだった.一方,アメリカではレーガン以前から存在していた〔つまり,どちらもサッチャーやレーガンの時代とは異なる〕.私がいう「〔政策〕割り当ての合意」(需要管理に金融政策を,債務管理に財政政策を割り当てるという合意)はグローバル金融危機によって致命打を受けた.だが,この割り当てが人気を集めた理由は,ネオリベラリズムとほとんど関わりがない.インフレ目標をネオリベラリズムに関連づけようとの試みはよくなされているけれど,私見ではあやまちだ.

したがって,マクロ経済学をネオリベラリズム興隆の説明にうまく取り込もうとするのは問題がある.さらに重要な点として,ネオリベラリズムが代表する現実の経済政策革新を実態よりかるく見せてしまう.この革新では,ほぼあらゆる種類の国家介入に対する政策担当者の態度が変わった.グローバル化や技術変化がおよぼす効果を中和できるほど重大な地域・産業政策もろとも,政府による産業界との提携関係(「勝ち馬予想」と呼ばれるもの)は姿を消した.これに対応して,集団的なもの(労働組合攻撃を含む)から個人的なものへの転換も起きたし,「富の創出者」(別名「高所得者」)にインセンティブを与えるために「懲罰的な」税率を削減しなくてはいけないという考え方も台頭した,公共のお金は「納税者のお金」になった,などなどの変化も起きた.

これはすべてネオリベラル革新の成功だった.ここでいう「成功」とは,何十年にもわたって深く根を下ろしたという意味だ.その後の行き過ぎた範囲拡大と合わせて,この成功はさまざまな深刻な問題を引き起こしている.その点で,考え直すための期は熟している.だが,皮肉なことに,真にネオリベラルなマクロ政策の試みは――需要管理なき不干渉の貨幣目標は――試されてからものの数年で失敗した.



1. 報告書のそれまでの議論からこの結論が導かれないと考える理由について述べておこう.いくつか単純な間違いがある.たとえば,「EU離脱をめぐるイギリスの国民投票の効果をこれらと同じモデルが正確に予測できなかったことで,経済理論の信頼性の危機があらためて生じる機運が高まっている」といった箇所がそうだ.だが,それだけでなく,暗黙裏にとても見当外れの方程式が2つ想定されている:「ネオリベラルな政策=主流経済学」「革新=異端」の2つだ.第一に,マクロ理論におきたこれまでの2つの革新は主流からうまれたのであって外部からやってきたわけではない.第二に,緊縮も EU離脱も主流経済学とはなんの関わりもない.さらに一般的なこととして,主流経済学はネオリベラリズムを支持するのと同程度に批判もしている.その結果として,経済政策立案の革新が主流経済学からかなりすんなりと生まれることもありうる(たとえばこれを参照).

2. 今日,この見解は MMT 学派の人々によって蘇らせられている.彼らはフィリップス曲線を使ってインフレを制御するのを「不道徳」と言っている.

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