このポストで取り上げる話題は,「EU離脱の清算金」と TV局がこれを扱うべき方法だ.ただ,その前に極端な例からはじめるとしよう:ドナルド・トランプだ.トランプが考察の第一歩にふさわしい理由は,メディアによるトランプと敵対手の扱い方が彼の大統領選出に貢献した部分が大きいからだ.トランプは世間を騒がせる発言をしては知名度を高めていった.その知名度のおかげで世論調査でトランプの支持率は上昇し,世論調査で支持が強まっているおかげでメディアで好意的に扱われるようになりはじめた.(この仕組みについては,こちらでもっと詳しく説明した.) トランプが共和党の大統領候補になると,釣り合いをとらずにいられないメディアの強迫観念によって,トランプのあれこれの嘘(税金を払っているのかいないのか,当局を買収しているのかどうか,女性に暴行したのかどうか)に割くのと同じだけの時間が,クリントンの些細なメール問題にもあてられるようになった.
大統領選当時にとりわけ目を引いた世論調査に,ヒラリー・クリントンよりトランプの方を人々が信頼しているというものがあった.口を開けばほぼ毎度のように嘘をつく人物がいったいどうしてヒラリー・クリントンより信頼できるというのだろう.共和党議員たちは数え切れないほど何度もクリントンの疑惑を調査しろと迫ったが,結局,彼女の疑惑でクロと判明したものはなかった.このところ,認知言語学者のジョージ・レイコフはこんな考えを先駆的に広めている:「嘘が何度も繰り返されると,人々の頭のなかで幾重にもつながりをつくりだしてしまって駆除しがたくなる」(他にも色々と言っている――たとえば Gil Duran と共著で出した『ガーディアン』の記事を参照.) トランプがひっきりなしに繰り返す「不誠実なヒラリー」というフレーズには,たんに支持層をやんやとわかす以外のねらいがあるわけだ.それと同じく,共和党がヒラリー・クリントンの疑惑を調査しはじめると,それだけで人々の頭のなかで罪悪の連想がつくられてしまう.選挙前に人々がクリントンよりトランプを信頼していた主な理由がこれだ.
アメリカでトランプはメディアの寵児となった.いまもそれは変わらない.メディアが不用心なら,ここイギリスでも同じことは起きておかしくない.「EU離脱の清算金」というフレーズは「不誠実なヒラリー」と同等の役回りをしている.十分に繰り返されれば,EU離脱に「清算金」を結びつける人々の数は十分に多くなる.その清算金が実在しようとしまいと関係ない.なお,いままでご存じなかった向きのために言い添えれば,EU離脱の清算金は完全な虚構だ.
EU離脱の清算金があるというメイの主張をどう扱うべきか知りたければ,『フィナンシャルタイムズ』のこの記事や Sky News のこれを読むといい.(Femiに感謝).『フィナンシャルタイムズ』記事はタイトルに「EU離脱の清算金」のフレーズを入れていない.ここが大事なところだ.レイコフが論じているように,このフレーズを目にするたびに人々は EU離脱と清算金の連想を強めていく.だから,記事の見出しにこのフレーズを入れてはいけない.見出ししか読まない人も多いのだ.(〔注意喚起のつもりで〕カッコで括ってみてもなんにもならない.) レイコフは,「真実でサンドイッチする」アプローチを提案している:まずは事実を述べた文章からはじめて,次に〔誰かが主張している〕虚偽を伝え,それからその虚偽がどれくらい事実に合致しているか比べていく.この第一段階を飛ばしてしまうと,その虚偽を広めようとしている手合いの思惑どおりになってしまう.
今回でてきたこの露骨な虚偽では誰がヒーローで誰が悪玉だろうか(私が言う「露骨な虚偽」の定義は後述).悪玉については,ほかならぬテリーザ・メイそのひとから手をつけないといけない〔リンク先ツイートは 「NHS の長期プランの資金に EU離脱清算金を当てる」という広報〕:なんの緩和にもならない穏健な EU離脱とのひきかえに EU離脱推進派に差し出された甘言が今回の清算金談義なのか.もちろん,アイディアを提案したボリス・ジョンソンも悪玉だ:彼を相手になにか裁判でも起これば,きっとこれまでの数々の暴言を考慮に入れたがることだろう.EU離脱支持の右派系新聞にとっては,嘘をつくのは仕事の一貫,日常茶飯事だ.
一方,ヒーローの面々にはポール・ジョンソンがいる.日曜にTV各局を回った彼は,清算金などないと力説した.保守党議員サラ・ウォラストン〔EU離脱派〕も,清算金は完全なナンセンスだと語ったヒーローだ.前述の『フィナンシャルタイムズ』や Sky News の記事もヒーローだ.私が見落としている例が他にもあればうれしいところだ.
BBCはどうだろう? たしかにポール・ジョンソンを出演させはしたし,ローラ・ケンズバーグ〔BBC政治部長〕も清算金があるのかどうか問いかけはした.もっとも,彼女は答えようがないと感じたようだが.(〔ケンズバーグの記事では経済学的には清算金はないようだがそれと別に「政治的な」計算方法もあると解説しているのを踏まえて〕「経済的な」真実や「政治的な」真実などありはしない:算数は算数だし,嘘は嘘だ.) だが,あたかも清算金が実在するかのように扱われて見出しにこの言葉が踊ったざんねんな場合もある(一例)。「事実でサンドイッチ」方式の第一段階がこれでなくなってしまっている。当然のごとく、日曜の Marr インタビューではそもそもこの清算金の概念を問うことすらなかった。「誰それさんはこう発言しました、一方誰それ氏はこう発言しました」方式をとって、清算金を問いただすのが記事の最後に回されている場合はあまりに多すぎる(一例)。
これのなにがどう問題なのだろうか? EU離脱の観点でみれば問題は一目瞭然だ.EU離脱キャンペーンには他にも露骨な虚偽があった.〔離脱にともない〕NHS に毎週 3億5000万ポンドを追加で回せるようになるという虚偽がそれだ.いまだに EU離脱支持派の大半は EU離脱後に状況はよくなると信じているし,おそらく,それが事実でありそうもない理由に気づいていないのではないかと私は思っている.EU離脱の清算金談義は,彼らをいまのまま無知にしておくようにできている.
ただ,この件の重要性は EU離脱にとどまらないと私は思う.どうして政治家たちは自分たちのお題目を強化するためにしょっちゅう嘘をつくのだろう? なかには筋の通った政治家もいるとはいえ,他の面々に対するこれという抑止策はいまだ見つかっていない.ただ,嘘を抑止する策を見つけられるかどうかを決定的に左右するのは,嘘がでてきたときにメディアがはっきり「これは嘘だ」と言えるかどうかだ.誰が嘘をついたか,嘘をついた理由はなにかしだいで,メディアの相当部分が嘘の扱いを強く選別している.それどころか,メディアそのものが嘘の発信源である場合もしばしばある.こんな現状で,社会は深刻な問題をかかえている.
フォックスニュースとトランプのアメリカでも,EU離脱(もっと一般的には保守党)と右派系新聞のイギリスでも,状況はこのとおりだ.このため,アメリカでは出版メディア,イギリスでは放送メディアが,嘘をどう扱うのかが決定的に重要となっている.「誰それさんはこう発言しました,一方誰それ氏はこう発言しました」式の〔対立意見を均等に伝える〕報道ではとうてい民主制を守れない.なるほど誰かが嘘をついていると証明するのが非常に難しい場合も多い.だが,事実を確立させるのがとても簡単な状況での露骨な虚偽に該当するかどうかは判断できるとすれば,今回の EU離脱清算金は露骨な虚偽だ.政府が税制と歳出に関する意思決定の基礎となる予算責任局 (OBR) の文書をみれば,清算金とされるお金はすでに使われているのがはっきりわかる.同じお金を2度使えるはずもない.
EU離脱支持の右派系新聞はすでにこの虚偽を支持している.そうした新聞の読者たちの大半は TV も見ているのだから,虚偽を語っている面々にTV局が政治的な痛手を負わせることが必須だ.さもなければ,露骨な虚偽を語ってもまんまとやりすごせるという教訓を学ぶ政治家たちが出てきてしまう.そうなれば,トランプのようなふるまいを助長する結果になる.だからこそ,TV局は権力に対して事実を語らなくてはいけない.さもなければ,非党派的メディアはプロパガンダの片棒を担ぐか,たんなる政治家の拡声器になってしまう.