Sheilagh Ogilvie, “Medieval Champagne fairs: Lessons for development” (VoxEU.org, 23 December 2015)
〈ある一群の経済学者たちが口を揃えて言うことには、強力な国家や公的機関がなくても経済は繁栄しうる、と。この記事では、中世ヨーロッパにおける「シャンパーニュの大市」を教材として、公共機関というものがいかに重要なものであり得るかを考察する。公的権威というものは、良きにつけ悪しきにつけ、決定的なものである。統治者がそれを全ての人が用いられる公益事業として提供したときに、シャンパーニュの大市は花開いた。そしてその利用を一部の人々のみの特権として認可したとき、交易は衰退し別の所へと移って行った。〉
経済史を語る上で広く支持されている説に、経済の成功には、国家、統治者、法制度といった正式な権威と結びついた公的統治機関は必要不可欠ではない、というものがある。それは、個々の人々が非公式に行う、私的な行動の集積によって形作られる民間統治機関がそれに取って代わられることができるから、という理由による。ここで暗示されているのが、優れた機能を持つ政府や法制度を持たなくとも、近代経済が貧しい状態から継続的な成長を遂げることは可能である、そして民間統治が公的権威に代わって成長を支えた成功例は歴史に見ることができる、と考えられる(参考として、 World Bank 2002; 更にはDasgupta 2000, Helpman 2004, Dixit 2004, 2009)(訳注1)。この主張は魅力的だ。しかし、史実はそれとは違ったことを示している。
公的統治機関の有効性
経済発展に関していくつものことを歴史から学ぶことができる。そのうちの一つは、公的統治機関は、良きにつけ悪しきにつけ、決定的なものである、ということだ。
中世シャンパーニュの大市は、人々に便益を与えてきた典型的な機関の存在で歴史に名を刻んでいる。この機関からは、近代の経済発展を考える上での重要な教訓を得ることができる。大市が開催されたのはおよそ西暦1180年から1300年の間、それはヨーロッパにおける紛うことなき国際貿易と金融決済の支点であり、「商業革命」と呼ばれる、中世の長距離交易の大規模な発展の中心地であった(Bautier 1970, Ogilvie 2011, Edwards and Ogilvie 2012)。
シャンパーニュの大市が民間統治機関のおかげで成功した、とする主張には、二種類のものがある。
●その第一のものはミルグロムとその共著者によるもの(Milgrom et al. 1990)(訳注2)である。その主張によれば、商人たちの行動記録を保管する民間の裁判官を擁する民間の裁判所の存在がシャンパーニュの大市を発展させた。
商人たちの評判を交換することによって、民間の裁判官は貿易業者が過去に契約を破棄した商人との取引を拒否することを可能にした。ミルグロムらの主張によるなら、民間の裁判官はまた、不正行為に対する罰金を徴収した。商人たちがその支払いに応じたのは、その拒否が将来における大市での取引の機会を一切失ってしまうことを意味したからである。民間の裁判官と個々の商人の評判を組み合わせた制度協定が全ての貿易業者に契約を遵守させる動機を創り出し、それは国家による強制が及ばず、同一業者間の取引が滅多になされない状況下でも機能した。このシャンパーニュの大市の描写を元に、ミルグロムとその共著者が結論づけたことは以下の通りである。中世の貿易は、商人たちが「自らの民間法規定」を発展させ、一切の「契約執行への国家の手助け無し」に、自分たちの法の執行のための民間の裁判官を雇い、違反者に民間規定による制裁措置を適用することによって、発達した(Milgrom et al. 1990)。
しかし史実は、シャンパーニュの大市には民間の裁判官はいなかった、となる。反対に、大市は多種多様に公的統治機関に支えられていた(Bautier 1970, Terrasse 2005, Edwards and Ogilvie 2012)。そのうちの一つは、市が開催されていた期間ごとに活動した専用の公共裁判所である。その裁判の判決を行っていた大市の番人は君主の執務官であって民間の裁判官ではなかった。また、外国の商人が契約を守らせるのに利用したものには、異なるレベルの君主による裁定制度があった。シャンパーニュ統治者の高等法廷、統治執行者による裁判所、教区司祭による裁判所、などである(Edwards and Ogilvie 2012)。大市が開かれた街には地方自治体による裁判所があり、大市に際して地区教会堂による特別裁判所も運営された。外国の商人たちはその両方を使うこととなった(Bourquelot 1839-40, Bourquelot 1865, Bautier 1952)。これらの地方自治体及び地区の裁判所がシャンパーニュ統治者認可の下での権限委譲によって運営されていたことを考えれば、シャンパーニュの大市において財産権や契約の執行を保証していた様々な裁判所の司法権限は商人たちから生まれてきたものではなく、公権力によるものといえる。更には、これらの裁判所が民間の商人が創り上げていった法令を適用したという証拠はない(Edwards and Ogilvie 2012)。以上のことから、シャンパーニュの大市において公的統治機関の欠如を民間の統治機関が補い、それが経済的繁栄をもたらすよう機能した、とする見解は信頼に値しない。
●シャンパーニュの大市における民間統治機関に関する主張の第二のものはグライフ(Greif 2002, 2006a, 2006b)による。その主張によるならば、協業者集団間の協働報復から成る、「協会責任制度」にシャンパーニュの大市における取引は支えられていた。
その主張するところでは、中世ヨーロッパには公的裁判所が存在していたものの、長距離貿易を支えることはできなかった。なぜなら、それはその地域の利益を守るように作られており、外国の商人に対して不公平なものであったから。そして、厳正な裁判を地域の裁判所に促したものは協会責任制度と呼ばれる民間統治制度であった。
この説明によるなら、全ての長距離貿易商人は協会か同業者組内に組織されていた。もしある商人が別の協会に属する商人との契約を履行せず、そして契約を破った側の地域裁判所がその補償を命じなかったならば、損害を被った側の地域裁判所はその不履行を行った商人の属する協会の全会員に対して協働報復を発動しえた。不履行者側の協会は、破られた側の協会の商人たちとのすべての取引を取りやめることによってのみ、この制裁措置に対抗できた。もしこの対抗策による損失が大き過ぎるのなら、契約不履行を行う商人のいる協会は、厳正な裁判を求めるよう動機づけられる。この組合公正制と協働報復の組み合わせが商業革命初期数世紀の長距離貿易を支えた制度の基礎を創り、そしてシャンパーニュの大市における民間統治機関運営はその意味において特筆すべきことである、それがグライフの主張である。ここで注目すべきは、シャンパーニュの大市における法制度では外国から訪問中の商人には法権限が及んでいなかった、と推定されていることである。大市の当局は「その地を訪れた商人への法権限を放棄した。個々の商人が服していたのは自分の属する協会の法であり――そこには代表の執政官がいた――、大市が開催されていた地域の法ではなかった」(Greif 2006b)。この見解によるなら、商人間の契約は、不履行をした借主と更にはその借主が属する協会全体の大市からの追放を頼りとしていた。その主張されているところでは、商人たちの共同法廷が不履行者に契約履行を強制したのは協働報復への恐れによるものだった(Greif 2002)。
史実からの反論
シャンパーニュ地方の統治者たちは域外から訪れた商人たちへの法権限を放棄しておらず、またその商人たちが独自の協会の法のみに従うことを許しもしなかった。大市が国際貿易の中心であった時期の初期65年間(1180年頃より1245年まで)にあっては、シャンパーニュ地方に滞在中の全ての商人は大市の開催地の公的法体制に従わねばならなかった。1245年にシャンパーニュ伯は一部の滞在中の外国商人に自身配下の役人による裁定で免除認可を与えたが、それは伯爵が統治者としての直接の司法権を持ち込んだ、その下で行われたことに過ぎない。シャンパーニュの大市での商人協会の役割はごく小さなものだった(Bautier 1953, Edwards and Ogilvie 2012)。大市が国際的な重要性を持っていた期間のうちの初めの60年間に当たる1180年頃から1240年頃までの間には、商人協会が執政官を抱えることは無かった。大市における多くの主要な商人集団は執政官を抱えたことも、更には協会を形成したことも無かった。大市存続期の後期(1240年頃より後)、少数の商人集団が協会執政官を置いたが、それは協会内部での契約遵守のためにのみ用いられた。別々の協会に属する商人間での契約履行を強制するときに用いられたのは公的法体制だった(Edwards and Ogilvie 2012)。シャンパーニュの大市は80年もの間ヨーロッパにおける国際貿易の最重要拠点として栄え、その間に協働報復の記録は無い。それはシャンパーニュの大市の末期、約1260年以降、極めて限られた形で用いられたに過ぎない(Bourquelot 1865, Bautier 1970, Edwards and Ogilvie 2012)。報復制度は全般的に公的法体制に組み入れられていた。報復権の発動には公的司法裁判所で何段階かに及ぶ正式な法手続きを踏むことが要求され、報復措置の強制執行は国家の強制力に頼っていた(Ogilvie 2011, Edwards and Ogilvie 2012)。シャンパーニュの大市において、少数の商人協会は眼に見える形では報復活動を行っていない。公的統治機関不在の下、民間統治による協働報復が長距離貿易を下支えするものとなっていた、その証拠となる史実をシャンパーニュの大市に求めることはできない。
シャンパーニュの大市からの教示
一方で、シャンパーニュの大市から経済発展を齎すものについて学べることがある。
●第一の主要な教示は、公的権威に保証された政策方針とその実行は決定的な意味を持つ、ということである(Ogilvie 2011, Edwards and Ogilvie 2012。
シャンパーニュの法廷は、市場を基とした経済が繁栄するために最低限必要とされる機能的な政治権威の重要性を示す好例である。シャンパーニュ当局は安全、所有権、そして契約執行を保証し、基盤設備を造り、重量、寸法を標準化し、外国の商人が貸手である際には政治的に力を持った借手に対抗した支援を行い、そして外国の商人と地元の商人を平等に扱うことを確約した。
●第二の主要な教示は次の通りである。経済的成功のためにはすべての参加者が利用できる「一般的な」機関の方が、協会やギルドといった特権的な人脈を持つ会員のみの所有権や契約の執行を保証する「限定的な」機関より優れている(Ogilvie 2011, Ogilvie and Carus 2014)。
シャンパーニュの大市において、統治者の提供した制度機関業務は国際貿易を支えた。特筆すべきは、その制度の保証対象とされたのは一部の特権的なギルドや商人協会に限られず、広く 「すべての商人と商取引、そしてあらゆる種類の大市に来た人々に」(Alengry 1915)一般化された保証制度を布いた、ということである。
シャンパーニュの大市はフランス政権の管理下に移った1285年以降、国際貿易を惹き付け支えてきた、すべての市場参加者を対象とした統治制度、その廃止と共に衰退することとなった。フランス王室の短期的な利益追求という政治方針に従い、所有権、契約執行、そして商業施設の利用はすべての参加者に保証されたものではなく、特定の商人協会に与えられた「特権」となり、その他の人々を除外するものとなった。公権力はもはやすべての商人に平等な条件を整えず、他と差別して特定の集団にのみ特権的恩恵を与えるものとなった。商人たちは非差別的な機関を持つ都市へと移って行った(Edwards and Ogilvie 2012)。
結論的所見
経済発展に関してシャンパーニュの大市から多くのことを学ぶことができる。それは、公的権威というものは、良きにつけ悪しきにつけ、決定的なものであった、ということである。民間統治機関は契約執行、所有権、更には商業施設を保証しなかった。統治者がすべての人に対し一般化された統治制度を提供したとき、大市は繁栄した。そして、一部の人々にのみ特権としてそれを認可し、他を除外したとき、交易は衰退し別の所へと移って行った。
参考文献 / References
Alengry, C (1915), Les foires de Champagne: étude d’histoire économique, Paris.
Bautier, R-H (1952), “Les principales étapes du développement des foires de Champagne”, Comptes-rendus des séances de l’Académie des inscriptions et belles-lettres 96(2): 314-326.
Bautier, R-H (1970), “The Fairs of Champagne”, in Essays in French Economic History, ed. R. Cameron, Homewood, IL: 42-63.
Bourquelot, F (1839-40), Histoire de Provins. 2 vols. Paris.
Bourquelot, F (1865), Études sur les foires de Champagne, sur la nature, l’étendue et les règles du commerce qui s’y faisait aux XIIe, XIIIe et XIVe siècles. 2 vols. Paris.
Dasgupta, P S (2000), “Economic Progress and the Idea of Social Capital”, in P S Dasgupta and I Serageldin (eds) Social Capital: a Multifaceted Perspective, Washington: 325-424.
Dixit, A K (2004), Lawlessness and Economics: Alternative Modes of Governance. Princeton, NJ.
Dixit, A K (2009), “Governance Institutions and Economic Activity”, American Economic Review 99(1): 5-24.
Edwards, J S S and S C Ogilvie (2012), “What Lessons for Economic Development Can We Draw from the Champagne Fairs?”, Explorations in Economic History 49 (2): 131-148.
Greif, A (2002), “Institutions and Impersonal Exchange: from Communal to Individual Responsibility”, Journal of Institutional and Theoretical Economics 158(1): 168-204.
Greif, A (2006a), Institutions and the Path to the Modern Economy: Lessons from Medieval Trade, Cambridge.
Greif, A (2006b), “History Lessons: the Birth of Impersonal Exchange: the Community Responsibility System and Impartial Justice”, Journal of Economic Perspectives 20(2): 221-236.
Helpman, E (2004), The Mystery of Economic Growth, Cambridge, MA.
Milgrom, P R, D C North and B R Weingast (1990), “The Role of Institutions in the Revival of Trade: the Medieval Law Merchant, Private Judges and the Champagne Fairs”, Economics and Politics 2(1): 1-23.
Ogilvie, S (2011), Institutions and European Trade: Merchant Guilds, 1000-1800. Cambridge.
Ogilvie, S and A W Carus (2014), “Institutions and Economic Growth in Historical Perspective” in S Durlauf and P Aghion (eds), Handbook of Economic Growth., Amsterdam, vol 2A: 405-514.
Terrasse, V (2005), Provins: une commune du comté de Champagne et de Brie (1152-1355), Paris.
World Bank (2002), World Development Report 2002: Building Institutions for Markets, Oxford.
訳注
1.本文中における参考文献の照会についての注意。括弧内に著者名と発表年が示してあるものは参考文献/Reference内の該当作品を参照とした、ということを示す。
2.“Milgrom et al.”が意味するものは、「ミルグロムと共著者」。この場合は、参考文献/Reference内の「Milgrom, P R, D C North and B R Weingast (1990), “The Role of Institutions in the Revival of Trade: the Medieval Law Merchant, Private Judges and the Champagne Fairs”, Economics and Politics 2(1): 1-23」を指す。
〈翻訳者より〉
今回の記事で私が注目したいのは、「豊かな社会を実現するのに政府は必要か」という主題。シャンパーニュの大市はその例として用いられている。無政府主義的な自由主義は経済学の世界では決して戯言では無い。政府権力は極力小さく、個人個人の自由裁量に任せることが豊かな社会を実現させる、という考え方は経済学の中では主流である。(ここで読者の方々に謝らなければならないのは、私はつい最近の経済学の動向に着いて行っていない。今世紀初頭は自由主義は主流だったが、最近は新しい、別の動きがあるように感じる)
そしてもう一点、学問の自由闊達さを記事に感じていただきたい。経済学の主流に反して、シーラ・オーゴヴィーは政府の重要性を訴えている。因みに反論の対象となっている、Paul R. Milgrom, Douglass C. North, Barry Weingast, Avner Greifはいずれも高名な経済学者である。特に、Northに至っては、アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞(いわゆるノーベル経済学賞)を受賞している。学問は一枚岩ではない。その最先端となると、何が正しいのか、教科書に書いてあったりはしない。資料から、経験から、研鑽を重ね真実と信じるに足るものを見つけ出し、自分と違う考えを尊重しつつそれと対峙し、自分の理解を深めていくもの。
多くの人の知らない経済学の魅力を伝えることが出来れば幸いである。